蛮族女王の娘《プリンセス》 第2部【共和国編】

枕崎 純之助

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第173話 ヤブランの策謀

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「……!」

 別邸べっていの1階に降りていたヒバリは思わず目をく。
 開いたままの勝手口から大勢の人間がワラワラと家に入り込んで来ていた。
 ヤブランは悲鳴を上げて逃げ惑うように台所からヒバリの方へ走ってくる。
 その顔は青ざめていた。

「ヒ、ヒバリさん! 急にこの人たちが……」

 ヒバリはすぐにふところから小刀を取り出す。
 だかそれを見たヤブランは声を上げた。

「こ、この人たち……この修道院の人たちなのでは? 傷つけてはダメです。ここにいられなくなるかも」

 ヤブランの言葉にヒバリは家の中に押し入ってきた者たちの姿を見る。
 全員が真っ白な薄布の粗末な衣服に身を包んでいる。
 そして彼らは一様に大人であるものの、その顔にはまるで無邪気な子供のような笑みを浮かべてヤブランを追っていた。

 彼らがこのギニディア修道院の収容者であることはヒバリも理解した。
 だとすると彼らはこの修道院の所有財産ということになる。
 傷付ければ損害賠償を求められるかもしれないし、修道院側とめてここにいられなくなるかもしれない。
 ヒバリはほんのわずかに眉根まゆねを寄せた。

「しかしこのままではこちらが危険に……」
「とにかくオニユリ様の御身のご安全を第一に! オニユリ様が銃で彼らを傷つけてしまうことも避けなければ。2階に向かいましょう!」

 オニユリの名前を出されてはヒバリもヤブランの言うようにする他ない。
 2人は共に2階へと階段を駆け上がっていく。
 その間にも家の中には50人近くの収容者らがゾロゾロと入ってきていた。
 決してせまい家ではないが、これだけの人数が一斉に入ってくると窮屈きゅうくつなほどだ。
 しかも異変に気付いた修道士らが本館からこの別邸べっていへと向かってきたらしく、外から彼らの声が聞こえてくる。

(いい具合に混乱してきた)

 ヤブランは2階に駆け上がりながらここまでの混乱具合を歓迎する。
 すると階段を上り切ったところで、2階から駆け下りて来ようとするオニユリと行き合った。

「オニユリ様!」
「これはどういうこと! 一体何の騒ぎなの!」

 両目をり上げてそうとがめるオニユリの片手には、拳銃が握られている。
 ヤブランはあわてて彼女に状況を説明した。

「さ、先ほど私が夜風を浴びようとして勝手口のとびらを開けたら、いきなりあの方たちが入ってきて……」
「どうやらこの修道院の収容者らが本館から逃げ出してきたようです」

 ヤブランとヒバリの説明にオニユリはまゆを潜めて階段の下を見る。
 すると大きな男を先頭に何人もの男女が階段を上がってきた。

「待って~。つかまえるよ~」

 オニユリはそんな大男に拳銃の銃口を向けた。
 だが、ヤブランがすぐにそれを制止する。

「お待ち下さいオニユリ様! 彼らはこの修道院の所有財産です。傷つけてはいけません。とにかく今は安全な場所に避難しましょう」

 そう進言するヤブランにオニユリはくちびるんだ。
 オニユリとしても今、この修道院とめ事を起こしてここから追い出されるのは困る。
 彼女は部下たちにすぐさま命じた。

「ヒバリ! キツツキ! 坊やを連れて2階の窓から飛び降りるわよ!」
「しかし姉上様。我らだけならば飛び降りることは問題ありませんが、あの状態のエミルでは……」

 ヒバリの言葉にヤブランは内心であせりを覚えた。

(あの状態? 何かされたの?)

 オニユリは苛立いらだちを隠さずに声を荒げる。

「私が先に降りて、下で坊やを受け止めるわ!」

 その時、とうとう2階に上がってきた大男がオニユリの肩に手をかけた。

「つかまえた~」

 痛めている方の肩に手を置かれたオニユリは怒りに顔をゆがめる。

「放しなさい!」

 オニユリはたくみな体術で、自分よりも大きな男をサッと投げ飛ばした。
 大男は背中を床に強打し、しばし呆然ぼうぜんとする。
 だが……見る見るうちにその目に涙が溜まっていった。

「い……痛いよ~! 鬼ごっこしていただけなのに~!」

 大男はそう泣き叫びながら、まるで幼子おさなごのように床の上でジタバタし始める。
 すでに中年に見える男が子供のように泣きじゃくる姿に、オニユリもヒバリもキツツキも唖然あぜんとしてしまった。
 そして大男が声を上げて泣いていると、階段を上ってきた大勢の男女の顔色がサッと変わる。
 皆一様に笑顔を浮かべていた彼らは途端とたんに不安げな表情になった。
 まるで大男のなげきが伝染したかのように他の者たちも泣き始める。

「なっ……」

 唖然あぜんとするオニユリたちの前で収容者たちは徐々に錯乱状態におちいり、泣き叫びながら家の中をドタバタと走り始めたのだ。
 ヤブランはその様子におどろきつつ、これは好機だと思った。

(さっきのヒバリの口ぶりだと、エミルはオニユリ様の寝室にいるはず)

 ヤブランは走り回る収容者たちに紛れるようにして、オニユリの寝室に向かって駆け出した。
 ちょうどその時だった。
 オニユリの寝室のとびらが開き、中から覚束おぼつかない足取りでうつろな表情のエミルが出てきたのは。

「エミル!」

 ヤブランは思わず声を上げていた。
 だが今や家の中は走り回る収容者たちの足音や騒ぐ声で騒然としており、その声は届かない。
 オニユリやヒバリたちも、駆け回る収容者らを押し退けるのに手一杯の様子だ。
 ヤブランはすぐにエミルに駆け寄り、その手をつかむともう一度その名を呼んだ。

「エミル!」

 だがエミルはうつろな表情でヤブランを見ると、寝ぼけたような声でつぶやく。

「……姉様?」
「しっかりしなさい!」

 思わずヤブランはエミルのほほをバシッと手で張っていた。
 途端とたんにエミルはハッとして目の色を変える。
 ようやく正気を取り戻したようで、目を丸くしてヤブランを見つめていた。

「来なさい!」

 ヤブランはそう言ってエミルの手を取ると、収容者らの行き交う中を決死の表情で進むのだった。

 ☆☆☆☆☆☆

 エミルは夢うつつの中をさ迷うようにベッドからい出していた。
 そのことを彼自身は分かっていない。
 つい先ほどまで母の腕に抱かれて幸せに眠っていたはずなのに、いつの間にか母の姿はなく、エミルは紫色のきりの中をさ迷い歩いていた。

「母様……どこ? どこに行ったの?」
 
 すると紫色のきりの中から1人の少女が姿を現した。
 それは姉のプリシラだ。
 いつか山の中で1人迷子になった時にそうしてくれたように、エミルを探して迎えに来てくれたのだ。

「エミル!」
「……姉様?」
「しっかりしなさい!」

 姉の姿にホッとしたのもつかの間、姉はエミルを叱責しっせきするといきなりそのほほを平手でバシッと張ったのだ。
 痛みと衝撃に頭が揺さぶられ、途端とたんに紫色のきりが消えた。
 気付くとエミルは別邸べってい廊下ろうかに立っている。
 目の前には……ヤブランが立っていた。

「来なさい!」

 ヤブランはそう言うとエミルの手を取って走り出す。
 足がフラフラして頭もまだボーッとする中、自分の置かれた状況が全く飲み込めないエミルは、転ばぬよう気を付けながら必死にヤブランに付いていくのだった。

☆☆☆☆☆☆

 オニユリは苛立いらだっていた。
 つい先ほどまでエミルと甘い夜を過ごしていたというのに、無粋ぶすいにもそれを邪魔されたからだ。
 周囲を泣き叫びながら走り回る収容者らをオニユリは押し退けながら、エミルをこの場から逃がそうとする。
 だが階段からは今も続々と収容者らが上がってきていて、ついには2階の廊下ろうかは人が押し合いへし合いする状態におちいった。

 ここまで密集されてしまうと身動きを取ることすら難しい。
 いっそのこと全員撃ち殺してしまおうかと歯ぎしりするオニユリの目に、エミルの手を引いて人波の中を進むヤブランの姿が映った。
 2人はまだ子供で体も小さいため、収容者らの間を器用にすり抜けていく。

「ヤブラン! 坊やを連れてどこへ行くの!」

 オニユリは怒り混じりの声を上げるが、ヤブランはすぐに声を返してきた。

「エミルを一旦、外に避難させます! 外でお待ちしておりますのでオニユリ様も何とか脱出を!」

 そう言うとヤブランはエミルを連れて収容者らの行き交う中へと姿を消していく。
 オニユリはヤブランがエミルの手を握っていたのを見て嫉妬しっとに顔をゆがめて苛立いらだった。

「ヒバリ! キツツキ! さっさと何とかしなさい! 外に出るわよ!」

 ヒバリもキツツキも収容者らと押し合いへし合いしつつ、必死に寝室のとびらを開けた。
 すると収容者らがその中へとなだれ込んで行く。
 そのおかげか廊下ろうかの人波にもわずかに隙間すきまが生じた。
 2人の機転によって動けるようになったオニユリは収容者らをかき分け、廊下ろうかの窓へと向かうのだった。
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