蛮族女王の娘《プリンセス》 第2部【共和国編】

枕崎 純之助

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第189話 夜明け前の海へ

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 うっすらと空が白んできた。
 混迷極まる港町バラーディオに夜明けが近付いている。

「はあっ!」

 チェルシーの剣が一閃し、共和国軍兵士が首から血を噴き出しながらのたうち回った。
 すでに20人以上を斬り殺している彼女はひたいに玉のような汗を浮かべているが、息一つ切らしていない。
 頭に被っていた頭巾ずきんをいつしか取り払い、銀色の髪を後ろで一つにたばねている。
 革鎧かわよろいの上にまとった外套がいとうは、斬った相手の返り血を浴びて真っ赤に染まっていた。
 
 そんなチェルシーの前方の船倉庫の角から新たなる集団が姿を現す。
 次なる敵の手勢と思い剣を向けたチェルシーは、ふと目を見開いた。
 そこに現れたのは赤い頭巾ずきんを頭に巻いた数名の男たちだ。
 見るからに共和国軍兵士とは思えぬ風体ふうていをしている。

 彼らは返り血にまみれたチェルシーとその周囲に転がる遺体の山を見て息を飲んだ。
 その先頭に立つ男がチェルシーの銀色の髪を見て問いかける。

「あんたがチェルシー将軍か?」
「ええ。あなたたちは?」
「マージョリー・スノウから依頼を受けたフィランダー海賊団の者だ。迎えに来た」

 そう言うと男はマージョリーからの依頼書とおぼしき書面を見せた。
 事前に見たマージョリーの筆跡と同じそれを確認するとチェルシーはうなづく。
 そして海賊の男らにうながされ、仲間たちを引き連れて目的の場所へと向かった。

「あんたたちが5人ほど乗れる小船を10せきほど用意している」

 そう言うと海賊の男は本船となるフィランダーの旗艦きかんに乗るまでの道順を手短に説明した。
 それからフィランダーの船で沖合まで出て、そこで待っている王国の船に乗り換えて帰国する。
 それがこの作戦の最後の仕上げだ。

 海賊たちに導かれて船着き場に向かう前に二度ほど共和国軍兵士らと遭遇そうぐうしたが、チェルシーは積極的に前に出て敵を斬り殺した。
 船にさえ乗ってしまえば後は海路を逃げるのみ。
 直前で邪魔されてなるものかという思いがチェルシーを突き動かしていた。
 海賊らはチェルシーの圧倒的な強さと容赦ようしゃない戦いぶりに目をき、感嘆かんたんの声を上げるのだった。

 ☆☆☆☆☆☆

「隊長。どちらへ向かいますか?」

 海が見え始めた頃、御者台に乗り手綱たづなを握っているエリカが馬車を止めた。
 チェルシーらは港に向かったとはいえ、港は湾をぐるりと囲むように広がっている。
 闇雲やみくもには探せない。

 アーシュラは揺れる馬車の上で懸命に黒髪術者ダークネスの気配を探っていたが、最後に見たエミルは気絶していたため今もその気配は感じない。
 さらに先刻感じた敵のものとおぼしき黒髪術者ダークネスの気配は消えてしまっている。
 おそらくこちらの存在に気付いてあわてて力を閉じたのだろう。
 先ほどまではチェルシーの馬車のわだちを追ってきたが、湾岸部に入ってから多くの荷運び用の荷車が行き交う土地柄のため、地面は石畳いしだたみが敷き詰められており、わだちを追うことが出来なくなってしまった。

 アーシュラは目を閉じてさらに感覚をませ、周囲の気配を探る。
 多くの人々が混乱し、恐怖している気配が伝わってきた。
 すでに港が見えるため、そこで何が起きているのかも理解できる。
 海賊船とおぼしき船団と、共和国軍の船団が火矢を撃ち合い争っている。
 海賊の襲撃があったのだ。

(おそらくこのタイミングで海賊からの襲撃ということは、混乱を演出するためだ。混乱に乗じて船で逃げるなら一体どこから……)

 アーシュラは部下たちへの命令を考えあぐねていた。
 だがそこで彼女はななめ前方に伸びる道の方角から、強い恐怖の感情を感じ取る。
 アーシュラがハッとしてそちらに目を向けると、負傷して流血している共和国軍兵士が2名ほど必死の形相ぎょうそうでこちらに走って来るのが見えた。
 アーシュラが感じたおびえの感情は彼らのものだ。

「彼らをこちらへ呼び寄せて下さい」

 その方角を指差してそう言うアーシュラの指示を受け、エリカが大きな声を発する。

「おおい! こっちだ!」

 エリカの声に共和国軍兵士らもこちらに気付き、必死に駆け寄ってきた。
 彼らは腕や顔に傷を負っていたが、いずれも重傷ではないようだ。
 だというのに、その顔はひどいショックを受けたように恐怖に引きつっている。
 相当にひどい目にあったようだ。 

「な、仲間が……斬り殺されて……恐ろしい女が……」

 すっかり青ざめた顔で震えながらそう言う共和国軍兵士にプリシラは弾かれたように身を乗り出してたずねる。

「銀髪の若い女ね?」

 その言葉に兵士らはおどろきつつうなづいた。

「銀髪の女の他に白い髪の奴らがいて、奇妙な武器を持っていた。音か鳴ってけむりが出て……仲間たちが一瞬で倒れたんだ……眉間みけんあなが空いて死んだ仲間もいた」

 悪夢を見たかのような引きつった顔でそう言う兵士に、プリシラは間髪入れずに問う。

「敵がどの方角に向かったか分かる?」

 食らいつくようなプリシラの問いかけに圧倒されながらも、兵士らは自分たちを襲った銀髪の相手が向かった先を教えてくれた。
 そんな2人の兵士たちにアーシュラは止血用の布と包帯、それから切り傷用の軟膏なんこうを渡す。

「ご苦労様です。これで手当てを。銀髪の女はこの街に潜入してきた王国軍のチェルシー将軍です。命があって幸運でしたね」

 アーシュラの言葉に青ざめて絶句する兵士らを置いて、馬車は走り出した。
 エリカが馬にむちを入れるとなりでは、ハリエットが気合いに満ちた顔を見せている。

「アイツら。もうなりふり構わなくなっているわね。ならこっちもそのつもりでぶっ殺してやるから」
「ええ。ひと泡どころか血の泡を吹かせてやる」

 ハリエットもエリカもその顔に熱のこもった戦意をみなぎらせている。
 だが意気込む若者たちにアーシュラは釘を刺した。

「相手は銃を持った集団です。先日、プリシラから教わった対処法を忘れぬように」

 いかに若者たちが有望な戦士たちでも、銃を前にあっさり殺されてしまうことも十分にあり得る。
 ダニアの女は戦闘に熱くなりやすい。
 しかし戦いの熱に浮かされて戦死する者たちを幾度いくどとなく見てきたからこそアーシュラは、追い詰められた敵がいかに危険なきばくかをよく知っている。

「おそらくチェルシーたちも逃げ切れるかどうかの苦しい場面。必死なはずだからこそ、激しい抵抗を見せるでしょう。これから戦う相手は今まで生きてきた中で一番の強敵です。そのことをきもめいじなさい」

 アーシュラの言葉に全員が気を引き締める。
 やがて馬車は進み、船倉庫の立ち並ぶ一角に入ると、御者台でハリエットが声を上げる。

「ねえ! あれ見て!」

 ハリエットの指差す先、白んできた明け方の空の下に多くの人間が倒れているのが見えた。
 そのまま馬車で近付くと、それは無残に斬り裂かれ撃ち殺された共和国軍兵士らの遺体だと分かる。
 十数名いるが生きている者は1人もいない。

 全員が血まみれで、目を見開いたまま無念の表情で息絶えていた。
 さらに前方にもいくつかの遺体が横たわっている。
 そこから船着き場の方面に進んでいくにつれ、次々とそうした物言わぬむくろと化した共和国軍兵士らを目にするようになった。
 凄惨せいさんな光景にプリシラは拳を強く握りしめる。

(ハリエットの言う通り、なりふり構わずね。もう後は船で逃げるだけだから、大胆になってきている。でも……そうはさせない)

 やがて馬車は波が岸壁に打ちつける波止場へと到達する。
 そして……はるか前方の船着き場ではチェルシーらとおぼしき一団が、共和国海軍らしき兵団と争いを繰り広げているのが見えた。
 弓兵としてきたえた目を持つネルは声を上げた。

「ヤバいぞ! 連中はちょうど船に乗り込んでいくところだ! 間に合わなくなるぞ!」

 その声にエリカは馬にさらなるむちをくれて先を急ぐ。

「エミル……」

 プリシラは弟の名をつぶやきながら拳を強く握りしめ、じりじりとあせる気持ちをこらえて前方を見据みすえるのだった。
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