オニカノZERO!

枕崎 純之助

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第一幕 鬼ヶ崎雷奈

鬼ヶ崎雷奈の事情(前編)

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 たゆまぬ努力は才能の壁を超える。
 かつて鬼ヶ崎おにがさき雷奈らいなは心の底からそう信じていた。

「バカみたい……」

 一千年続く由緒ある神社の娘として生まれた彼女は、そんなかつての自分を苦々しく思いながら、神社の裏手にある先祖代々の墓である【奥都城おくつき】に一人たたずんでいた。
 家族も寝静まった真夜中のことである。
 当然のように無人でひっそりと静まり返ったその場所には、立ち並ぶ墓石の一番奥に巨大な岩が紙垂しでをかけられてまつられていた。
 人の身の丈よりも大きく、直径2メートル以上はあろうかというその異様な大岩の表面には【悪路王あくろおう】という文字が克明に刻みつけられている。

悪路王あくろおう。さっさと復活しなさいよ。そして誰を主にするか決めなさい。どうせそれは私ではないでしょうけど」

 悪路王あくろおう
 それはこの雷奈らいなの生家たる鬼留おにどめ神社に封じられし漆黒の大鬼の名である。
 一千年の昔、破壊の申し子として人々に恐れられた大鬼をこの地で封じたのは、雷奈らいなの先祖にあたる巫女みこだった。
 以来、鬼留おにどめ神社の開祖たる巫女みこの子孫が代々この地で悪路王あくろおうを封じ続けてきたのである。

「まあ、あんたも私みたいな弱い娘は願い下げでしょ。この私が本気で鬼巫女みこになろうと思っていたなんて笑えるわよね」

 雷奈らいなはそう言って自嘲気味に笑うと、拳を軽く巨岩に打ち付ける。
 ほどよい痛みを拳に感じながら彼女は失意の表情でため息をついた。
 その時だった。

 敷き詰められた砂利じゃりを踏みしめる音がふいに後方から聞こえ、雷奈らいなは背後を振り返る。
 夜中に家の外にいるところを家族の誰かに見咎みとがめられたかと思った。
 だが、敷地内の外灯に照らされてそこに立っていたのは彼女の見知らぬ若い男だった。
 ハッと雷奈らいなの顔が険しくなり、彼女は反射的に身構えていた。

「こんな夜中に参拝かしら? あいにく神様もお休み中よ」

 そう言って相手をにらみつける雷奈らいなだったが、すぐにその言葉が意味を成さないことを悟って口を引き結んだ。
 男の様子が明らかにおかしかったためだ。
 まだ20代前半くらいの若い男のようだったが、その顔は不自然に引きつり、口からは意味不明な言葉を漏らし続けている。
 何よりも異様だったのが、男の頭に奇妙なものがしがみついていたのだ。

 それは小型犬くらいの大きさの動物に見えたが、首から上は肉も皮もなく、頭蓋骨ずがいこつき出しになっている。
 この世ならざるものに見識のある雷奈らいなは、これまでの人生で数え切れないほどその目にしてきた
異形いぎょうの存在をにらみつけた。

「そっちのお客さんか」

 雷奈らいなはわずかに青ざめた表情でくちびるむ。
 男は雷奈らいなの姿を認識すると、両目を異様に大きく見開いた。
 嗜虐しぎゃく的な光がその目に宿る。

「ウガァッ!」

 奇妙な化け物に取りかれたと思しきその若い男は、うなり声を上げて雷奈らいなに襲いかかった。

 「くっ!」

 狂人と化して襲いかかってくる若い男を前にして雷奈らいなは歯を食いしばりながら腰を落とす。
 鬼留おにどめ神社に生まれし娘として、鬼巫女みこを目指すために彼女は幼少の頃から体を鍛えてきた。
 空手を習い、小学校および中学校の頃には全国大会で常に優勝を争うまでに腕っぷしを上げた。
 どんなに厳しい練習にも耐え、決して弱音をはくことはなかった。
 努力が才能の壁を超えると信じて疑わなかったからだ。
 だが、努力ではどうすることも出来ない壁が彼女の歩みを止めてしまった。

「ガァッ!」

 男は狂ったような声を上げて雷奈らいなに襲いかかる。
 雷奈らいなは軽い身のこなしでこれをかわし、下段蹴りで男の足を軽く払って地面に転倒させた。
 だが倒れた男はあごり傷を負いながらもまるで痛がるそぶりも見せずに立ち上がる。

「……やっぱりね」

 悔しげにそう吐き出す雷奈らいなの目に自暴自棄の色が浮かんだ。
 鍛え上げられた拳と脚力とでこの若い男を叩きのめすことは難しくない。
 しかしその男を狂人たらしめている化け物を倒すすべを彼女は持たなかった。
 いくら男を痛めつけようが、化け物は痛くもかゆくもないだろう。
 そのことが分かっているからこそ、雷奈らいなは胸に湧き上がる無力感を抑えることが出来ないのだ。

 以前にも似たようなことがあった。
 幼い子供が取りかれてしまったのを、どうすることも出来ずにただ見ているだけだったことも。
 助けを求める幼子おさなごの声とその表情は今も彼女の脳裏に焼き付いて離れない。

「もし鬼巫女みこだったら、鬼巫女みこになれたら……全てをこの腕で片付けられるのに!」

 雷奈らいなの口から悔しげな声がれた。
 それは彼女の思いの丈を如実にょじつに表していた。
 鬼ヶ崎雷奈らいなは力を欲していたのだ。
 それは喉から手が出るほどの深くて濃い渇望かつぼうだった。
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