11 / 101
第10話 母の懸念
「2人は何か妙な事態に巻き込まれたようだな」
ブリジットは思わずそうぼやかずにはいられなかった。
プリシラとエミルが入っていったという目撃情報があった曲芸団の天幕。
それがあった場所に行ってみると、そこはすでに更地になっていた。
そして周囲で聞き込みをしていた小姓らの報告によれば、曲芸団は当初の予定よりも演目を大幅に減らし、その分の代金は客に返金対応してまで大急ぎで撤収していったという。
「そんなにまでして慌てて帰るってのは妙だな」
首を傾げるベラにブリジットは眉根を寄せる。
「こんな時にボルドがいてくれれば……」
彼女の夫であるボルドは黒髪術者であり、彼がいればエミルを探し出すことは容易だっただろう。
父の黒髪を受け継いだエミルは、黒髪術者としての力をも受け継いでいる。
そして黒髪術者同士は多少離れた場所にいても互いを感じ合い、その位置を察知することが出来るのだ。
迷子になったエミルをいとも容易くボルドが見つけ出したことは今まで幾度もあった。
だがボルドは数日前から体調を崩してダニアで療養中であり、今回の視察には同行していない。
「おい……これを見てくれ」
そう言うベラは地面に片膝をつき、土の上を指差す。
そこには何者かが争ったような足跡が残り、さらには人のそれと思しき血痕が残されていた。
「まだ新しいぜ。お姫様がひと暴れしたんじゃないかとアタシは思うんだが、母上殿はいかがかな?」
少々おどけてそう言うベラの頭をソニアが軽く小突く。
ブリジットは地面にしゃがみ込むと、土にくっきりと刻み込まれた特徴的な凹みに注目した。
「この踏み込みの強さは間違いなくプリシラだな。あいつは自分の下半身の強さに自信を持っている。だからこうして思い切り地面を掘るように踏み込む癖があるんだ。ここにプリシラがいたことは間違いないだろう」
「で、その踏み込みの強さで誰かをぶっ飛ばして、ぶっ飛ばされたその誰かは鼻血でも噴いたってことか」
地面に残る血痕を見ながらそう言うベラに、ブリジットは頷いた。
「どうやら何らかの厄介事に巻き込まれたことは間違いないようだ。2人がここにいないってことは、その曲芸団の連中とモメて連れ去られたのかもしれんな」
「あのプリシラを押さえ込める男がそうそういるのか?」
ソニアの問いにブリジットは嘆息した。
「あいつは確かに成長はめざましいが、まだ経験も浅く幼さが残る。たとえばエミルを人質に取られたりしたら、どうしていいか分からなくなるかもしれん。とにかく情報集めだ。曲芸団の連中はこの街で食糧などを買い込んでいるだろうから、その線で聞き込みをしよう。あと実際にここで曲芸団の出し物を見物していた客から情報を聞きたい。プリシラたちを見た者がいるかもしれん」
そう言うとブリジットは周囲で待機する小姓や衛兵らに告げた。
「これだけの人数では情報収集も骨が折れるな。娘たちのことで迷惑をかけるが皆、急いで事に当たってくれ。ベラ、ソニア、悪いが頼む」
そう言うブリジットにベラとソニアは神妙な面持ちで頷くのだった。
☆☆☆☆☆☆
馬車の幌で周囲を覆われて外の様子は見えなかったが、わずかな隙間から差し込む赤い光で、プリシラはすでに夕暮れ時なのだと理解した。
しかし自分があのビバルデの街からどの方角に連れて来られたのかが分からない。
プリシラは頭の中で大陸の地図を思い描く。
だが、方角と移動時間が分からない以上、自分たちの現在地は分からない。
先ほど、同乗している女たちにこの馬車の向かう先を尋ねてみたが皆、首を横に振るばかりだ。
気力のない彼女たちと話していると、自分まで弱気になりそうだったので、プリシラはとにかく頭の中でこの先の自分の行動をいくつもの選択肢に分けて思い描く。
(この馬車から降ろされる瞬間を狙うか……だけどエミルは人質に取られたままだし、この手足のまま戦うのは難しい。もう! エミルさえ捕まっていなければ……)
プリシラは内心の苛立ちを必死に抑え、努めて冷静さを保とうとする。
父のボルドが言っていた。
状況が悪い中では焦って思考を乱さないことが必要だと。
プリシラは父の顔を思い浮かべながらいくつもの考えを巡らせ、反撃の好機を待ち続けるのだった。
ブリジットは思わずそうぼやかずにはいられなかった。
プリシラとエミルが入っていったという目撃情報があった曲芸団の天幕。
それがあった場所に行ってみると、そこはすでに更地になっていた。
そして周囲で聞き込みをしていた小姓らの報告によれば、曲芸団は当初の予定よりも演目を大幅に減らし、その分の代金は客に返金対応してまで大急ぎで撤収していったという。
「そんなにまでして慌てて帰るってのは妙だな」
首を傾げるベラにブリジットは眉根を寄せる。
「こんな時にボルドがいてくれれば……」
彼女の夫であるボルドは黒髪術者であり、彼がいればエミルを探し出すことは容易だっただろう。
父の黒髪を受け継いだエミルは、黒髪術者としての力をも受け継いでいる。
そして黒髪術者同士は多少離れた場所にいても互いを感じ合い、その位置を察知することが出来るのだ。
迷子になったエミルをいとも容易くボルドが見つけ出したことは今まで幾度もあった。
だがボルドは数日前から体調を崩してダニアで療養中であり、今回の視察には同行していない。
「おい……これを見てくれ」
そう言うベラは地面に片膝をつき、土の上を指差す。
そこには何者かが争ったような足跡が残り、さらには人のそれと思しき血痕が残されていた。
「まだ新しいぜ。お姫様がひと暴れしたんじゃないかとアタシは思うんだが、母上殿はいかがかな?」
少々おどけてそう言うベラの頭をソニアが軽く小突く。
ブリジットは地面にしゃがみ込むと、土にくっきりと刻み込まれた特徴的な凹みに注目した。
「この踏み込みの強さは間違いなくプリシラだな。あいつは自分の下半身の強さに自信を持っている。だからこうして思い切り地面を掘るように踏み込む癖があるんだ。ここにプリシラがいたことは間違いないだろう」
「で、その踏み込みの強さで誰かをぶっ飛ばして、ぶっ飛ばされたその誰かは鼻血でも噴いたってことか」
地面に残る血痕を見ながらそう言うベラに、ブリジットは頷いた。
「どうやら何らかの厄介事に巻き込まれたことは間違いないようだ。2人がここにいないってことは、その曲芸団の連中とモメて連れ去られたのかもしれんな」
「あのプリシラを押さえ込める男がそうそういるのか?」
ソニアの問いにブリジットは嘆息した。
「あいつは確かに成長はめざましいが、まだ経験も浅く幼さが残る。たとえばエミルを人質に取られたりしたら、どうしていいか分からなくなるかもしれん。とにかく情報集めだ。曲芸団の連中はこの街で食糧などを買い込んでいるだろうから、その線で聞き込みをしよう。あと実際にここで曲芸団の出し物を見物していた客から情報を聞きたい。プリシラたちを見た者がいるかもしれん」
そう言うとブリジットは周囲で待機する小姓や衛兵らに告げた。
「これだけの人数では情報収集も骨が折れるな。娘たちのことで迷惑をかけるが皆、急いで事に当たってくれ。ベラ、ソニア、悪いが頼む」
そう言うブリジットにベラとソニアは神妙な面持ちで頷くのだった。
☆☆☆☆☆☆
馬車の幌で周囲を覆われて外の様子は見えなかったが、わずかな隙間から差し込む赤い光で、プリシラはすでに夕暮れ時なのだと理解した。
しかし自分があのビバルデの街からどの方角に連れて来られたのかが分からない。
プリシラは頭の中で大陸の地図を思い描く。
だが、方角と移動時間が分からない以上、自分たちの現在地は分からない。
先ほど、同乗している女たちにこの馬車の向かう先を尋ねてみたが皆、首を横に振るばかりだ。
気力のない彼女たちと話していると、自分まで弱気になりそうだったので、プリシラはとにかく頭の中でこの先の自分の行動をいくつもの選択肢に分けて思い描く。
(この馬車から降ろされる瞬間を狙うか……だけどエミルは人質に取られたままだし、この手足のまま戦うのは難しい。もう! エミルさえ捕まっていなければ……)
プリシラは内心の苛立ちを必死に抑え、努めて冷静さを保とうとする。
父のボルドが言っていた。
状況が悪い中では焦って思考を乱さないことが必要だと。
プリシラは父の顔を思い浮かべながらいくつもの考えを巡らせ、反撃の好機を待ち続けるのだった。
あなたにおすすめの小説
わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...
MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。
ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。
さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか?
そのほかに外伝も綴りました。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
旧校舎の地下室
守 秀斗
恋愛
高校のクラスでハブられている俺。この高校に友人はいない。そして、俺はクラスの美人女子高生の京野弘美に興味を持っていた。と言うか好きなんだけどな。でも、京野は美人なのに人気が無く、俺と同様ハブられていた。そして、ある日の放課後、京野に俺の恥ずかしい行為を見られてしまった。すると、京野はその事をバラさないかわりに、俺を旧校舎の地下室へ連れて行く。そこで、おかしなことを始めるのだったのだが……。
JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――
のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」
高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。
そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。
でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。
昼間は生徒会長、夜は…ご主人様?
しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。
「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」
手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。
なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。
怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。
だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって――
「…ほんとは、ずっと前から、私…」
ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。
恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。
母の下着 タンスと洗濯籠の秘密
MisakiNonagase
青春
この物語は、思春期という複雑で繊細な時期を生きる少年の内面と、彼を取り巻く家族の静かなる絆を描いた作品です。
颯真(そうま)という一人の高校生の、ある「秘密」を通して、私たちは成長の過程で誰もが抱くかもしれない戸惑い、罪悪感、そしてそれらを包み込む家族の無言の理解に触れます。
物語は、現在の颯真と恋人・彩花との関係から、中学時代にさかのぼる形で展開されます。そこで明らかになるのは、彼がかつて母親の下着に対して抱いた抑えがたい好奇心と、それに伴う一連の行為です。それは彼自身が「歪んだ」と感じる過去の断片であり、深い恥ずかしさと自己嫌悪を伴う記憶です。
しかし、この物語の核心は、単なる過去の告白にはありません。むしろ、その行為に「気づいていたはず」の母親が、なぜ一言も問い詰めず、誰にも告げず、ただ静かに見守り続けたのか——という問いにこそあります。そこには、親子という関係を超えた、深い人間理解と、言葉にされない優しさが横たわっています。
センシティブな題材を、露骨な描写や扇情的な表現に頼ることなく、あくまで颯真の内省的な視点から丁寧に紡ぎ出しています。読者は、主人公の痛みと恥ずかしさを共有しながら、同時に、彼を破綻から救った「沈黙の救済」の重みと温かさを感じ取ることでしょう。
これは、一つの過ちと、その赦しについての物語です。また、成長とは時に恥ずかしい過去を背負いながら、他者の無償の寛容さによって初めて前を向けるようになる過程であること、そして家族の愛が最も深く現れるのは、時に何も言わない瞬間であることを、静かにしかし確かに伝える物語です。
どうか、登場人物たちの静かなる心の襞に寄り添いながら、ページをめくってください。