蛮族女王の娘《プリンセス》 第1部【公国編】

枕崎 純之助

文字の大きさ
86 / 101

第85話 知らされた真実

しおりを挟む
「女王の誇り? 笑わせないで。姉は……クローディアは国を捨て、母を捨て、ワタシを捨てた!」

 チェルシーの怒りの言葉に思わずプリシラは気圧けおされる。

「そ、それは……」
「母は亡くなる間際、泣いていたわ。娘に……クローディアに会いたいと! あの気丈だった母が……まるで子供みたいに。それなのに……それなのにクローディアは墓参りにさえ来ない」

 そう言うチェルシーの顔は先ほどまでのような冷然とした将軍の表情ではなく、幼い少女のようだった。
 クローディアは王国を離脱したのだ。
 二度とその土を踏むことは許されない立場だ。
 おいそれと王国にある母の墓参りなど出来るわけはないとチェルシーも分かっている。

 それでもチェルシーはうらみ事を言わずにはいられなかった。
 そんな彼女を見たプリシラもだまってはいられない。 

「チェルシー。クローディアも……辛かったのよ」
「辛かった? 何が辛かったのよ! 王国を出て、自分の国を立ち上げて、その後は共和国の大統領夫人の座に収まって……やりたいように生きているじゃない。辛いだなんてよくも言えたわね!」
「クローディアだって! クローディアだって……泣いていたのよ。あなたや母君に会えなくてさびしがって……悲しんでいた」

 プリシラの言葉にチェルシーは思わず声を失う。
 胸の鼓動こどうが速くなっていた。

(姉様が……悲しんでいた? ワタシや母様に会えなくてさびしがっていた?)

 チェルシーは苦しげに言葉を押し出す。
 
「それが本当だとしても……自業自得だわ。自分で出て行ったのだから」
「そうね。でも……それはクローディアの女王としての判断だわ。民のためにそうしなければならないと思ったから。あなたや母君と別れて辛くないわけないじゃない」
「手紙のひとつも寄こさないで、辛かったなんて言われても信じられないわね」

 そう言うチェルシーにプリシラはかつてのクローディアの悲しげな顔を思い返しながら、自分の知る事実を告げた。

「クローディアは……ずっと手紙をあなたに出し続けていたわ。王国に向けて。毎月欠かすことなく」
「……何ですって?」

 チェルシーの目がそれまでにないほどおどろきに大きく見開かれた。
 そしてひとみが動揺で揺らいでいる。

「そんなデタラメを……」
「デタラメなんかじゃない! クローディアはずっと手紙を送り続けていた。あなたからの返事がなくても、一度も欠かさずに。アタシは幼い頃からそれを見てきたんだから」
「返事が……なくても?」

 チェルシーはいよいよ信じられないというようにくちびるを震わせる。

(ワタシだって……手紙は出していた。届かなかった? いや……)

 チェルシーの脳裏のうりに兄であるジャイルズ王の顔が浮かぶ。
 長兄ジャイルズは知的で理性的ではあるが、野心家であり心の冷たい男だ。
 血のつながりのある相手でさえ、自分にとって利用価値があるかどうかで考えている。

 チェルシーも自覚していた。
 兄が自分を重用ちょうようするのは、武術の腕とダニアの女王の血族であるという事実があるからだ。
 兄妹の情など欠片かけらもない。

(兄であれば……手紙を握りつぶすくらいのことは当たり前のようにやるだろう)

 そのこと自体はおどろかなかった。
 そして、チェルシーの氷のような心は、事実を知ったところで溶けることはない。
 クローディアが悲しんでいたとしても、それはクローディア自身が招いたことなのだ。
 そしてその結果、チェルシーは長いこと苦しい人生を送ってきた。

 姉の行動がダニアを思う女王の采配だったとしても、それと引き換えに母と幼い妹を切り捨てたという事実は変わらないのだ。
 チェルシーの心の中にビッシリと根を張った、自分は捨てられたのだというわびしい思いが消えることはなかった。

「それが事実だとしても……姉が王国を捨てたという事実も変わらない。そのせいで母が悲しんだことも。ワタシは王国軍の将軍としてすべきことをするだけよ」
「公国を侵略して……その次は共和国にまで手を伸ばそうと言うの?」

 怒りの形相ぎょうそうを見せて声を荒げるプリシラに、チェルシーは冷たい顔で答えた。

「王国は歴史ある国だけど、領土的には貧しい国だわ。だから姉も見捨てたのでしょうね。他国から奪い、それを王国のかてとする。それがワタシの役目よ。自国の民を豊かにするためなら、他国がどうなろうと構わない。姉が身を持ってワタシに教えてくれたことよ」

 そう皮肉を言うチェルシーにプリシラは激昂げっこうする。

「違う! あなたは間違っているわ!」

 そう言うプリシラの腹をチェルシーはいきなり蹴り付けた。

「くはっ!」

 たまらずにプリシラは後方に吹っ飛ぶ。
 そんな彼女に冷然とした目を向けてチェルシーは剣を構えた。

「おしゃべりは終わりよ。休憩して少しは体力が戻ったでしょう? 投降するつもりがないなら、足腰を立たなくして無理やりにでも連れていくわ」

 そう言うとチェルシーは剣を手にプリシラに向かっていく。
 その顔にはもう迷いは無かった。

 ☆☆☆☆☆☆

 部隊の一番最後にショーナはようやく谷間に辿たどり着いた。
 山道を走り続けて来たためさすがに息が切れ、足取りは重い。
 基礎体力の訓練をしているとはいえ、ココノエの戦士たちと同じようには走れなかった。
 そして……彼女は見た。

 谷間にかかる天然の岩橋の前で猛然とプリシラに襲いかかるチェルシーの姿を。
 プリシラは必死の抵抗を見せているが、チェルシーは剣でプリシラの剣を打ち払いながら時折、りや拳でプリシラに攻撃を加えていく。 
 その戦いぶりを見たショーナは思わずまゆを潜めた。

 戦場では戦いながらも冷静なのがチェルシーだ。
 敵を排除するためなら容赦ようしゃなくほうむり去るが、必要以上に痛めつけるようなことはしない。
 それが今は随分ずいぶんと感情的になっているように見えた。
 ショーナはこうなることを何となく予想していた。

(チェルシー様。やっと……怒りをぶつけられる相手に出会えたのね)

 チェルシーがずっと暗い怒りを抱えていたことは、彼女が幼い頃からずっと共にいたショーナが一番良く知っていた。
 チェルシーがまだ分別のつかない子供だった頃などは、よく八つ当たりをされたものだ。
 姉様を連れてきてと泣かれたことは数知れず、理不尽に怒りをぶつけられたこともあった。

 だがチェルシーも10歳を超える頃には分別を覚え、その怒りを胸の内にしまうようになった。
 そうして彼女は鬱々うつうつとした思いを身の内に溜め込むようになったのだ。
 これではいつか爆発する。
 そう思ったショーナは、クローディアがらみの話題をわざと出してチェルシーを怒らせ、ガス抜きを試みたこともあった。
 だがそんなショーナの思惑もすぐに見透みすかされ、チェルシーはあまり感情を表に出さなくなってしまったのだ。

(幼かった頃みたいだ……)

 苛烈にプリシラを攻めるチェルシーの姿に、ショーナは幼子だった彼女の姿を重ねた。
 そして天を見上げて、亡き人を思う。

(先代……チェルシー様は随分ずいぶんと暗い道を歩むようになってしまいました。先代は悲しんでおられますよね。ワタシの力及ばず申し訳ございません)

 孤児として王国軍の黒帯隊ダーク・ベルトに引き取られたショーナにとっても、先代クローディアは母のような人だった。
 先代がってしまった時には、泣き叫ぶ幼いチェルシーをなぐさめるために自分の涙はぐっとこらえたのだ。
 以来、チェルシーを見守ることが自分の役目だと思ってショーナは過ごしてきた。

 しかしチェルシーはジャイルズ王によってその若さに不相応な将軍という地位にけられてしまった。
 王家のしがらみにがんじがらめにされてしまったチェルシーに対し、ショーナは無力だった。
 文字通り見守ることしか出来なかったのだ。
 そしてそれは今この時も変わらない。

(これしか生きる道は無いんだ……チェルシー様も……ワタシも)

 そう思ったショーナは、絶望的な面持おももちでチェルシーたちのさらに前方に目をやる。
 そこには……地面にうずくまるエミルとおぼしき黒髪の子供を守るため、その上におおいかぶさっている若い黒髪の男がいた。
 必死の形相ぎょうそうを浮かべるその男は……ジュードだった。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

旧校舎の地下室

守 秀斗
恋愛
高校のクラスでハブられている俺。この高校に友人はいない。そして、俺はクラスの美人女子高生の京野弘美に興味を持っていた。と言うか好きなんだけどな。でも、京野は美人なのに人気が無く、俺と同様ハブられていた。そして、ある日の放課後、京野に俺の恥ずかしい行為を見られてしまった。すると、京野はその事をバラさないかわりに、俺を旧校舎の地下室へ連れて行く。そこで、おかしなことを始めるのだったのだが……。

性別交換ノート

廣瀬純七
ファンタジー
性別を交換できるノートを手に入れた高校生の山本渚の物語

あるフィギュアスケーターの性事情

蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。 しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。 何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。 この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。 そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。 この物語はフィクションです。 実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。

入れ替わり夫婦

廣瀬純七
ファンタジー
モニターで送られてきた性別交換クリームで入れ替わった新婚夫婦の話

JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――

のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」 高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。 そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。 でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。 昼間は生徒会長、夜は…ご主人様? しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。 「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」 手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。 なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。 怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。 だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって―― 「…ほんとは、ずっと前から、私…」 ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。 恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。

OLサラリーマン

廣瀬純七
ファンタジー
女性社員と体が入れ替わるサラリーマンの話

性転のへきれき

廣瀬純七
ファンタジー
高校生の男女の入れ替わり

処理中です...