灰色の犬は愚痴だらけ

皐月 翠珠

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ふとした偶然

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「バザーですか?」
「そうそう。一応すーさんが主催者なんだけどね。ほら、五丁目の市立公園、来月から改装工事で使えなくなっちゃうでしょ?今までありがとうっていうのと、新しい公園がみんなのいこいの場になりますようにっていう意味を込めてバザーでちょっとしたお祭り気分を楽しむのはどうかなと思ってさ」
 ある日の散歩中。いつもと同じく謎の刺繍をしたジャージを着たすーさんが、挨拶もそこそこにご主人様に一枚の紙を渡した。バザーっていうのが何かよくわからないけど、お祭り気分って言葉にはものすごくワクワクする。お芋とか出るのかな?
「軽い気持ちであっちこっち声かけてみたら予想外に規模が大きくなっちゃってさ、お手伝いしてくれる人を大募集中なんだよね。美奈海ちゃん、もし予定空いてたら売り子さんやってくれないかな?」
「えええ、そんな大きなイベント、私なんかが役に立つかなぁ」
 すーさんのお願いに自信なさそうなご主人様。おいらもご主人様と同意見だ。すーさんはご主人様のポテンシャルを舐めている。そんなに大きなお祭りにご主人様が参加なんかしたら、絶対何かしらトラブルを起こすに決まってる。
「そこを何とか!みんなに楽しんでもらいたいんだよ。明るくて元気な美奈海ちゃんに手伝ってもらえたら、きっと賑やかになるよ」
「ううーん、そうかなぁ」
「無事バザーが成功したら、すーさん特製スペシャルおやつをご馳走しちゃうよ!」
「やります」
「キャンキャン!」
 すーさんの一押しにご主人様とおいらの気持ちが見事にシンクロする。だってスペシャルおやつだよ?すーさんが作るスペシャルおやつなんて、絶対美味しいに決まってるじゃないか。
「ハハハ、とむ君も手伝ってくれるのかい?」
「キャン!」
「いいねぇ、招き猫ならぬ招き犬だ。じゃあ、よろしく頼んだよ。詳細はメールで知らせるから」
「はい!精一杯働かせて頂きます!」
 ビシッと敬礼をするご主人様。おいらも尻尾を振ってやる気を伝える。来週かぁ、楽しみだな。
 あっさりとおやつに釣られたおいら達は、果たしてご主人様が使い物になるのかという不安をすっかり忘れ去っていた。それが大体一ヶ月前の話。



 今日はお日様がポカポカ気持ちいい。絶好のバザー日和だ。
 おいら達はすーさんから貰ったメールの指示に従って、朝早くに五丁目の公園にやってきた。会場はもうあちこちにテントが張られていて、服や靴、おもちゃ、絵本や手作りのアクセサリーまで色んな品物が並んでいた。それを見て歩くだけでも何だかワクワクしてくるのに、奥の方では屋台が出ていて美味しそうな匂いがそこかしこに漂っていた。
「えーっと、すーさんは本部にいるんだよね。あ、あっちかな?」
 キョロキョロ辺りを見渡していたご主人様が、ひときわ大きなテントを見つけた。近づいてみると、何人かの人に囲まれたすーさんが手に持っていた紙を見ながらあれこれ指示を出していた。今日のジャージの後ろには、”商売繁盛満員御礼おんれい”という刺繍がされている。頭にはハチマキをしていて、気合い十分って感じだ。
 ご主人様が声をかけるタイミングを探っていると、すーさんの方が先にこっちに気がついて手を振ってくれた。
「美奈海ちゃん!こっちこっち!」
「あ、はい。おはようございます」
「おはよう。悪いね、こんな早くから」
「いえ、大丈夫です!何て言うか、すでに盛り上がってますね」
「そうなんだよ。みんな楽しそうにしてくれてるから、やって良かったなって思えるようにすーさんも張り切らないとね。とむ君も来てくれてありがとう」
「キャン!」
 頭を撫でてくれるすーさんに、おいらも元気よく挨拶をする。
「バザーってあんまり来た事なかったんですけど、こんなに色んな物が売られるんですね」
「そうそう。みんな使わなくなった物とか、この際処分したいなって思ってる物を出してもらってるんだ。自分には不要な物でも、誰かにとっては必要だったりするからね」
「マルカリと同じ感覚って事ですか?」
「そういう事。直接手に持って見れたりするから、買ってから後悔した、なんて事もないしね」
 なるほど。そういうお祭りなのか。確かに、処分したいのにできない物って多いもんな。ご主人様も、何度も断捨離を決意しては結局捨てられずにどんどん物が増えていっている。気持ちはわからなくもないけど、そろそろ本当にどうにかしないとクローゼットが爆発しそうな気がするんだ。ある意味腐海ふかいの森に片足を突っ込んでいるとおいらは思ってる。
 すーさんは、持っていた紙を一枚ご主人様に渡した。
「美奈海ちゃんには、すーさんが担当してるテントの一部で売り子さんをやってもらおうと思ってるんだ。そこは本部にも近いし、総合案内のお仕事も兼任でお願いしたいんだけどいいかな?」
「総合案内ですか?」
「そうそう。って言っても、そんなに気負う事はないよ。どこのテントで何を売ってるのか、マップは作ってあるからそれを見ながら案内してもらったり、落とし物や迷子の受付のお手伝いをするだけだから。何かわからない事があれば、メインで動いてくれる人に聞いてもらえば大丈夫だよ」
「な、なるほど…」
 すーさんの説明に頷いているけど、おいらから見たご主人様はすでにキャパオーバーをしていて、渡された紙を穴が開くほど見つめている。あ、これダメなやつだ。すーさんは難しくないから大丈夫だって言ってるけど、完全にフラグが立ってるってやつだ。押すなよ?絶対押すなよ?と同じだ。
「売り子さんの方は、商品全部に値札がついてるからその通りのお金を貰うだけだよ。もしも値下げ交渉をされたら、相方に聞いてくれれば対応してもらう手筈になってるから安心してね」
「相方、ですか?」
 どうやらご主人様一人でやるわけではないらしい。頼れる人がいるってわかったご主人様は、一気に期待の色が顔に出ている。
「うん。僕が呼んだ助っ人なんだけどね。多分そろそろ…あ、来た来た!」
 ご主人様越しにすーさんが手を振る。おいら達もつられて後ろを振り返ると、紺色のコートを着た男の人がこっちに向かって歩いてくるのが見えた。
「え?」
 驚いたような声に上を見上げると、ご主人様が目を見開いている。男の人の方も、ご主人様を見てとてもビックリした顔をした。
「矢尾?何でここに…」
「か、課長こそ!え、助っ人って、え?」
 課長?課長って、あの課長?ご主人様が毎日のように話題に出してる爽やかな鬼上司?
「何だ怜音れのん。美奈海ちゃんと知り合いだったのかい?」
 すーさんが目をパチクリさせて課長に尋ねる。
「知り合いというか…その……………部下だよ。直属の」
 目を泳がせて何て言おうか精一杯悩んだ末、課長は小さな声でそれだけ答えた。
「部下?って事は、美奈海ちゃんウチの会社の子だったのか」
「え、ウチ?」
 今度は、ご主人様が口元をヒクつかせる。
「あの、すーさん、課長とは一体どういう…」
「ああ、ごめんごめん。こうなったら美奈海ちゃんには教えちゃおうかな。実はすーさん、ある会社の役員をやってるんだけど、彼…怜音は妹の息子でね。つまり、すーさんにとっては甥っ子にあたるんだ。これ、一応秘密だから会社の子達には内緒ね」
 笑いながら人差し指を立てるすーさん。課長もどこか気まずそうに明後日の方向を向いている。
「っえええええええええええええええええええええええ⁉」
 静かな公園にご主人様の声が響き渡る。百面相をしながら課長を指差すご主人様には悪いけど、おいらは世間って狭いんだなぁなんて感心しながら初めての課長を姿をまじまじと見つめていた。

ふとした偶然、あるいは必然?
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