古の巫女の物語

葛葉

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第一章

6話

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 唯を送り届ける道の途中。まだ昼過ぎではあるが、真夏だというのに少し肌寒い気がした。
 唯の家は光留の家とは駅を挟んで正反対の方向にある。
 繁華街から少し離れた路地裏の、小さなアパートだという。
 住宅街で少し薄暗いが、道を一歩挟んだ通りは国道で広く、人通りも多い。
 セキュリティ面でもしっかりしたところだから、女のひとり暮らしでもそれほど怖くはないのだとか。
「なぁ、俺んちと全然反対の方角なのに、なんであの時うちの近くにいたんだよ」
「偶然よ。いくらあなたが兄そっくりでも、四六時中そばで見ていたいわけじゃないもの。あなたの家の近くに呉服屋さんがあるでしょう?」
 言われて光留は、そういえば近くに着物屋があることを思い出す。
 自分が行かないので忘れていた。
「そこに用があったのよ。その帰りにたまたまあなたを見かけただけ」
「2回目も?」
「そうよ。それも、多分私の影響かもしれないわね……」
 唯が申し訳なさそうに呟く。
「なんで俺が襲われるのと、鳳凰が関係あるんだよ」
「私、小さな頃からそういったものに好かれやすいみたいで……。引き寄せてしまうみたいなの」
 それで光留は納得した。
「なるほどな。あんな力使えるなら、落神もそうそう襲えない。ひ弱な俺の方が狙いやすいってことか」
「そういうこと」
 話しながら路地に入ったところだった。
 突然、唯がピタリと足を止めた。
「?」
 光留が首を傾げていると、不意に唯の雰囲気が変わった。
 まるで、何かを警戒するように。
「こっち!」
 唯が走り出す。遅れて光留も唯の後を追う。
「っ、どこへ行く気だ?」
「ここじゃちょっと動きにくいから、広いところへ行く」
 そういって唯が向かった先は、唯の家だというアパートを通り過ぎた奥にある、寂れた公園だった。
 遊具なんて立派なものはない。
 ちょっとした広さと、ベンチが一つあるだけの、何にもない場所だった。
 ただ、少し薄暗くて、冷たい風が吹いているから、この時期は涼むにはちょうどいいかもしれない。
 なんて、光留が考えていると、背後からゾワリと得体のしれない悪寒が走った。
 振り向けば、光留のゆうに2倍はある大きさで、上半身にはビルダーが理想とするような立派な胸筋と筋肉質な腕が4本生え、足も素晴らしいと褒めたくなるような筋肉が付いている。
 アレに蹴られれば、同年代の平均的な体格しか持たない光留は一発であの世行きだ。
 そして、首が痛くなるほど見上げた顔には、般若の面が。頭部には鋭くとがった角が2本突き出ていた。
「っ、なんだアレ!?」
 光留が驚いていると、唯が冷静に返す。
「落神ね。しかも、そこそこ神格の高かった神様だったモノ」
「あんなのが神様なの!?」
「神様と言ってもいろいろいるのよ。力の弱い神様は形を保てないから、見た目は軟体動物に近いけど、倒すのは難しくないの」
「じゃあ、あれは?」
「元は何であれ、はっきりした形があるということは、以前はそれなりに知れた神様ということ。一度で倒しきるのは無理ね。……だからここへ来たの」
 確かに、狭い路地では逃げるのには適さない。
 この場所であれば、逃げる場所も限られているとはいえ、光留という餌もいて、多少暴れても近隣への被害は少ない。
「あなたは少し離れていて。でも、公園の外には出ないで。結界の外に出られると、あなたを守り切れない」
 唯は手で刀印を組むと、小さく呟く。透明な膜のようなものが、公園の中に張り巡らせられる。
 のそり、と般若面の鬼のような姿をした落神が、一歩近づく。
 唯は落神の前に立つと膝をついた。
「名のある神とお見受けいたしました。私は、鳳凰神の代理人。名を――と申します」
 唯は丁寧に頭を下げる。ところどころ光留には聞き取れないが、かつて神だったモノに礼を尽くしているのだろう。
 そこになんの意味があるのか、光留にはわからないが、唯が食われてしまうのではないかと気が気でない。
「荒ぶる御霊よ。どうかその矛を収めることはできませんか? あなた様の代わりに、私がその怒りを受け止めましょう」
 落神は唯をじっと見つめる。
 唯が手を差し出す。言葉に、嘘はないのだと伝えるかのように。
『人間ノ娘……否、人間ダッタモノ、カ……』
 唯の肩がピクリと跳ねる。
『ワレハ、裏切ラレタ。許スマジ、許スマジ! ワレヲ捨テ去ッタ人間ナド、滅ビルガイイ!!』
 叫ぶと同時に、大地が揺れた気がした。
「っ!?」
(人間に裏切られた? どういう意味って、それどころじゃない!)
「鳳凰!?」
 唯の頭上に、落神の腕が振り下ろされようとしていた。
 唯は転がるように左へと避ける。
「交渉失敗。……人に裏切られた怒りで、般若面を着けているのね」
 唯は憐れむようにそういうと、手のひらを天に向かって翳した。
「我が神よ、どうか私にその力をお貸しください」
 祈るような言葉の後、唯の瞳は金色に輝き始め、手のひらには炎が揺らめいた。
 唯の口から謡うように祝詞が紡がれる。同時に、炎が、落神を囲む。
『グオオオオオオ!! コレハ、神ノ炎!? 何故、貴様ゴトキガ!』
 炎を蹴散らすように暴れる落神。だけれど、不思議な炎は消えることはない。
 むしろ、落神が暴れるごとに火力が増し、唯の瞳も強い光を帯びる。
『ウオオオーーーー!!』
 落神の絶叫が響き、炎を纏った腕が唯を掴もうと伸ばされる。

 ヒュッと風を切る音が聞こえた。

 ゴトリ、と鈍く、重い音。

 何が起きたのか、わからなかった。

 それは、一瞬の出来事で、気が付けば、唯は炎を纏った日本刀を右手に持っていた。
 唯を掴もうとしていた落神の腕は、二の腕から下あたりが綺麗に切り取られている。落ちた腕は、ゴオオッと音を立てて燃えていた。
「なっ……」
 光留が驚きのあまり言葉を失っていると、唯は冷ややかな表情で刀を落神に突きつけていた。
『ナゼ貴様ゴトキガ、神器ヲ持ッテイル!?』
「言ったはずよ。私は鳳凰神の代理人。神器を授けられ、あなたのような落神を浄化するのが私の役目」
 唯は淡々と答える。
 感情を込めないことで、何かを堪えるように、光留には見えた。
『クッ、ワレハ、コノ程度デハ屈シナイッ!! 貴様モロトモ、常闇ヘ道連レニシテヤロウ!』
「……そう」
 唯は一瞬だけ、苦しそうな表情をした後、刀を構え直した。
「悪いけど、あなたには私を殺せない。あなたにこの呪いを解くことは出来ない」
 唯は襲い来る3本の腕を薙ぎ払う。
 落としきれなかった腕は、燃えながら再び唯を掴み上げようとする。
 だが、唯は身軽に後方へと跳躍してそれをかわし、すぐに態勢を整える。
(慣れている……)
 光留はその様子を見ながら圧倒される。
 唯が動くたびに赤い髪が、火の粉と共に舞い上がる。風の流れに沿って、ひらりひらりと舞う。
 さながら剣舞を見ているような美しさだ。
 唯にとって、これは神事なのかもしれない。
 唯が手に持つ刀は確かに落神を滅ぼすためのモノなのに、刀が振るわれるたびに、空気が清められ、場が整っていく。
 まるで舞を舞う為の舞台のようだ。実際、そうなのかもしれない。
 そして、光留はただの観客でしかない。ただ見ていることしか許されない。
 それが、悔しいと思ってしまう。
 気付けば唯は既に落神の残り3本の腕を切り落としていた。
「あと少し、かしら」
 落神は確実に弱っている。あれほどしっかりした筋肉を持っているのに、足元がおぼつかない。
『グッ、ナゼダ! 貴様ハ、ソノ力ヲ持ッテイナガラ、神ガ、人間ガ憎クハナイノカッ!?』
「……確かに、恨んだことはあるわ。でも、これもあの人が遺してくれたものに変わりはない。なら、私はあの人のもとに逝くまで、我が神から与えられた役目を全うするまでよ」
 唯が駆け出し、助走をつけて跳躍する。高い位置で刀を振り被り、勢いと共に振り下ろす。
『ギャアアアアアアアアアッ!!』
 顔面を傷つけられた落神は絶叫する。
 血が出ない代わりに黒い靄が傷口から吹き出るが、唯が生み出した炎に絡めとられ、燃えてしまう。
『アアアアアアアアッ!!』
 落神の断末魔は恐ろしい、というよりどこか悲しく聞こえた。
『オオ、オオッ! スマヌ、スマヌ……ワガ姫、ヨ。……ソナタノ、願イ……カナエ、ラレズ……姫ヨ……』
 弱弱しくなる落神の声。足元から灰に変わっていく。
 浄化が、もうすぐ終わる。
 落神だったモノが、徐々にその姿を変えていく。それは人間の形をした。見目麗しい男神だった。
 けれど、腕はなく、顔にも大きな傷を負っている。唯が、刀を振るった場所だ。
「……あなたも、恋をしていたのね」
 唯がそう聞くと、男神は力なく頷いた。
『そうダ、我の、我ダけの姫巫女ヲ……。だガ、我の姫巫女ハ、人間に殺されタ……。助けて、ヤレなかった……』
「……きっと、その姫巫女も、無念だったでしょうね」
『ああっ! ソウだとも! だかラ、我ハ……!!』
「でも、姫巫女はあなたが落神になることまで望んだのかしら?」
『知らヌ! 姫巫女は、常闇ノ何処にも。いなカった……。死したラ、共ニいようと、約束、したのニ……』
 唯は目を細めて、ふと顔を上げる。
 それから、何かを探すように視線を彷徨わせると、公園のすぐ外の辺りで視線を止めた。
「本当に、いなかったの?」
『そうダ。姫巫女まデ、我を見捨テた!』
「なら、それをちゃんと彼女に確かめなさい。私が導くのを手伝いましょう」
 唯が手のひらを上に向けて持ち上げると、炎が揺らめいた。
 その炎は小さな鳥の形をして、公園の外に出ていくと、スッと消えた。
「あの鳥が、姫巫女の元まで導いてくれるはず。あなたはもう、姿を取り戻した。浄化の炎で焼けきる前に」
 炎の鳥が消えた場所には、本来見えていた家の塀ではなく、岩と荒野のような場所が見えていた。
『懐かシイ、匂いガスル……。姫巫女……、そこにイるのカ……?』
 男神は覚束ないながらも確実にその場所へ向かっていった。
 身体はもう、半分近くが燃えていたが、確かに彼が求めるほうへと移動している。
 唯は、最初と同じように彼に向って膝をつく。
「どうか、あなた様の行く先に、光があることを。あなた様の求める先に寄り添うものがいることを。長く永く、我ら人を見守っていただいた、優しき神に最大の感謝を」
 そうしてこうべを垂れる。男神は唯の言葉など聞こえていないのか、それでも確かに自分の求めるものに近づこうとしていた。
 その姿を憐れに思ってはいけないのだろう。
 だから、唯は最後に祈りを捧げた。
 神は確かに人に何もしてくれないのかもしれない。
 けれど、見守ってくれている。それに感謝をしなくてはならない。言葉で伝え、神と人を繋ぐのが巫女の役目なのだろう。
 男神が荒野に入ると、フッと見えなくなる。
 異界への扉が閉じて、そこには元の景色が広がっていた。
 しばらく祈りを捧げていた唯が、刀を消し、立ち上がる。
「もういいわよ」
「あ、ああ……」
 光留は男神が消えた方を見て、唯に尋ねる。
「あの落神、どうなるんだ?」
「もとの姿を取り戻したとは言え、一度落神になってしまえば邪気に蝕まれた身体は、朽ちるしかない。いくら清めても、長くは保たないわ」
 唯は、落神は神様のなれの果てだと言った。
 人を恨むほど、落神に落ちてしまうほど人を愛した神様の末路としては、悲しすぎる。けれど、それしか救いがないのであれば、致し方ないのだろう。
「姫巫女に会えたらいいな」
「そうね。もしかしたら転生しているかもしれないけど、魂が常世にあるなら会えるはず」
「確信があったわけじゃないのか?」
「さすがに私も常世まで見通せないわ。だから、本当にいるかはわからない。でも、転生しているならあの鳥が神様を、いずれ転生させてくれるはずよ」
 唯は常世までは視えないと言ったが、もしかしたら見たいのだろうか。
 彼女の兄を、探したいのだろうか。
 唯の切なげな表情に、光留も「そうか」としか言えなかった。
「巻き込んでごめんなさい」
 唯は謝ると続けて「それから、もう私に関わらないで」と、光留を拒絶した。
 (ここまで見せられて、聞かされて、関わるなって方が残酷だな……)
 唯は、良くも悪くも光留に対して、優しすぎる。
 それは、光留が彼女にとって、恋をした人に似ているからに他ならないのだろうが、光留はもやもやとしたわだかまりのような感情があることに気づく。
 光留はその感情を抑え込み、小さくため息をついた。
「……関わらないでって、どうせ学校は一緒だろ」
「辞めるわ。それで、どこか遠くへ行くの」
「行ってどうするんだよ」
「わからない。でも、私がやることは変わらない。この先も、ずっと……」
 唯の言う通りなのだろう。
 唯と関わらなければ、光留はこれ以上あの夢を見ることもなければ、化け物に遭遇することもない。
 仮に遭遇しても、唯がいなくてもなんとかできるようにしなくてはならない。
 唯の近くにいても、足手まといだ。さっきの唯の戦いを見て、平凡な男子高校生である光留にもわかることだった。
 光留が「死んだ男なんて忘れて、俺だけを見ろ」と言える男なら、唯を引き止めただろう。
 (俺には、こいつを引き止めるだけの力なんて無いんだよな……)
 本当は、戦う姿も見られたくなかっただろう。
 普通なら金色に光る目や、不思議な炎の力、落神や幽霊が視えるなんて、頭がおかしいと馬鹿にされるか、気味が悪い変人扱いされてしまう。それを知られるのが怖いというのも、わからなくはない。
「……鳳凰がそうしたいなら、俺に止める気はないし、好きなようにすればいい」
 唯は「いいの?」と首をかしげる。
「んだよ、引き止めて欲しいのか?」
「そういうわけじゃないけど……てっきりあなたは引き止めるのかと思っていたから、拍子抜けしただけ」
「鳳凰は、俺といるほうが辛いんだろ? なら、引き止めることは出来ねえよ。女泣かせるのも後味悪いしな」
「……」
「でも、まあ……たまに会いに来てくれたら、嬉しいけどな。お前、顔はいいから目の保養になるし」
「何それ。顔以外にいいところがないみたい……」
 光留はくくっと笑う。
「そりゃそうだ。あんだけ俺に冷たい態度で来られちゃな。でも、嫌いだと思ったことはねえよ」
 唯は、じっと光留を見つめる。
 まるで、光留の言葉の真意を確かめるかのように。
 見つめられた光留は、なんだかなぁ……と気恥ずかしくなってくる。
 唯は、真顔でも可愛いのだ。無防備に見つめられれば、光留とて男だから、変な気をおこしそうだ。
(――勘違い、しそうになる……)
 夢で見たように、笑いかけてほしいと思ってしまう。
「……ほんと、変な人ね」
 唯がポツリと呟く。
「鳳凰が無防備すぎるんだよ。……もう大丈夫なんだろ。じゃあ、俺帰る」
「ええ。……その、送ってくれて、ありがとう。槻夜君……」
 初めて名前を呼ばれ、光留は公園の外に出ようとした足を思わず止めて、唯を振り返る。
 けれど、そこにはもう、唯はいなかった。
「っ、なんなんだよ、マジで……」
 顔が火照りそうになる。苗字でも、名前を呼ばれるのがこんなに嬉しいだなんて、思わなかった。
(――そう、ずっとあの夢の男が羨ましかった)

 ――月夜様。

 甘い声で、優しい眼差しで、恋をする少女の瞳に移る自分とよく似た別の誰かに、光留は初めて嫉妬した。
 月夜と槻夜――よく考えれば似ている。
 唯が、光留を避ける理由は、名前もあるのかもしれない。
 それでも、彼女は名前を呼んでくれた。
 それがこんなにも嬉しくて、ガラにもなく胸が弾んだ。
 (好き、なんだろうな……)
 やっと、自覚した。

 ――憧れが、恋に変わった。

 けれど、唯はもう、光留の前から姿を消す気なのだ。最初から叶わない恋だった。
「俺も、嫌いになれたらよかったのに……」
 苦しくて、切なくて、光留はどうにもならない感情を抱えながら、家への道を歩いた。
 
 
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