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第一章
第18話
しおりを挟むシャーロットがサファルティアに出逢ったのは、シャーロットが3歳の時だった。
「シャーリー、あなたの弟のサファルティアよ」
母、クルージアに抱かれていた赤ん坊はどう見ても首が据わっていて、生後半年は経っていた赤ん坊だった。
弟、と言われても実感はなかった。
シャーロットは賢い子供だったので、普通の赤ん坊とちょっと違うサファルティアに疑問を抱きつつも、敬愛する母が言うならそうなのだろう、と思うことにした。
「シャーリー、この子はいずれお前の補佐をすることになる。大事にしなさい」
父が言う意味は、範囲が広すぎてとらえきることは出来なかったが、家族として大事にしなさい、という意味だろうとシャーロットは解釈した。
「はい、父上、母上」
ずっとクルージアの腕の中で大人しくしていたサファルティアがふいに目を開けた。
ぱっちりとした大きな目は愛らしく、深い碧は王家の瞳の色によく似ている。
髪は黒髪だったが、ノクアルドの祖母が黒髪だったので、金髪の母ではなく、曾祖母の血が強く出たといえば納得できなくもないだろう。
愛らしい赤ん坊に父も母も優しい瞳を向けている。
それがちょっとだけ気に食わないと思いながらも、シャーロットも赤ん坊を見る。
シャーロットと視線が合うと、サファルティアはふにゃりと笑った。
「あー、あー!」
「ふふ、この子もシャーリーが気に入ったのね」
「まぁ、そうでなくては困るがな。シャーリー、お前も兄としてこの子のことを頼んだぞ」
そう言われても、シャーリーは困惑しかなかった。
だが、父のいうことは絶対である。
「はい、父上、母上」
この頃、シャーロットは赤ん坊という未知の生き物が苦手で仕方なかった。
はっきり言って、シャーロットにとってのサファルティアの印象は最悪だったのだ。
父と母の関心を奪い、なおかつ大事にしろと言われても実感も何もないのにどうすればいいかもわからない。しかも言葉も通じない。
賢すぎる故に、赤ん坊への接し方がわからず、シャーロットはしばらくサファルティアに近づくことをしなかった。
あれから数か月、王宮内を歩いていれば嫌でもサファルティアの噂を聞いた。
大半は弟王子の愛らしさだったり、将来は美男になるだとか、そんな話だ。
中にはシャーロットがあまりにも近づこうとしないから、派閥争いが起きるのでは、なんていう懸念も上がっていたりした。
(くだらないな……)
そもそも、シャーロットはサファルティアを弟とは認めていない。
もしも成長して反抗するようであれば、徹底的に叩き潰してやろうと思うくらいには嫌いである。なのでそんなことを心配する意味はないのだ。
そんなことを思っていると、不意に「王子!」とメイドが叫ぶ声がした。
自分が呼ばれているのだと思い、振り返ろうとした瞬間、背中にドンという衝撃が走った。
「うわっ!」
油断していたがために尻餅をつくと、一緒に何かがのしかかってきた。
「いっ……」
何が起きたのか見てみれば、まん丸な物体――もとい歩けるようになったサファルティアがシャーロットを押し倒してきゃっきゃと笑っている。
何が面白かったのかさっぱりわからない。
「お前……」
「うー?」
相変わらず言葉が通じない。母や父に連れられて会うことはあったが、基本的にシャーロットは自分からサファルティアに近づくことはなかった。
父や母はそれを見て思うところはあっただろうが、シャーロット自身まだ3歳だということもあり、様子を見ているといったところだ。
肝心のサファルティア本人は、きっと嫌われているとは思ってないのだろう。現に兄に構ってもらえると思ったのか、シャーロットによじ登ろうとしている。
不機嫌なシャーロットを見て、蒼褪めたのは世話をしていたメイドだ。
「も、申し訳ありません、シャーロット殿下!」
王太子であるシャーロットに、その弟王子であるサファルティア。その2人に怪我をさせたとなれば首が飛んでもおかしくはない。
別に彼女が悪いわけではないのはシャーロットもわかっている。
悪いのは声をかけずに突撃してきたこの物体だ。
引き剥がそうと首根っこを掴もうとすると、メイドの後ろからゆったりした優雅な足音が聞こえる。
「あらあら、サフィはシャーリーが大好きなのね」
クルージアだ。よく考えれば歩けるようになったからと言って、メイドだけをお供にサファルティアを外に出すわけがないのだ。
好奇心旺盛な赤ん坊は歩けるようになればちょこまかと動く。きっと大好きな兄を見つけて嬉しくてたまらなくなったのだろう。
シャーロットにはいい迷惑だが。
「母上……。せめてサファルティアにリードを付けてください」
弟を犬扱いし、一瞬叱られると思ったが、クルージアはくすくすと笑う。
「リードは、そうね。赤ちゃん用のものを今度作らせてみようかしら。シャーリーもよく飛び出しては転んでいたものね」
さすがに動物と同じものは無理だろうが、人間の赤ちゃん用に改良すれば、もしかしたら売れるかも。この年頃の赤ん坊が動きまわること自体は良いことなのだが、目を離した隙に誘拐なんて恐ろしいことが起きても困る。
恐らく、世の赤子を持つ親は皆思うだろう。教育方針は家庭それぞれだろうが、今度ノクアルドに話してみようか、なんてクルージアは話す。
深窓の御令嬢らしくない発想ではあったが、こうした柔軟に意見を取り入れて受け入れてくれる。そんな広い心の母に惚れたのだと、いつだか父は言っていた。
「あー?」
クルージアがサファルティアを抱き上げると、宙に浮いたことを不思議そうに首を傾げる。
「にー!」
引き離されそうになっていると気づいたのか、サファルティアはシャーロットに向かって手を伸ばした。
シャーロットはその手から視線を逸らして、立ち上がる。
「にー! やぁー!」
行かないで、と言われている気がした。
だけど、シャーロットは応える気はなかった。なんて応えたらいいかわからなかった。
だから、逃げ出した。
背後から盛大な泣き声が聞こえてきたけれど、無視した。
駆けていくシャーロットをクルージアは心配そうに見送る。護衛の騎士がいるから大事にはならないだろうし、突然現れた“弟”の存在に、シャーロットが戸惑っているのも分かっていた。万が一サファルティアを虐めるような事があれば対処が必要だが、今しばらくは様子を見たほうがいいだろう。
「シャーリーも複雑よね……。サフィも、本当は辛いのに……」
クルージアはいまだに泣き止まないサファルティアをあやしながら部屋へと戻る。
サファルティアがクルージアの子ではない、という噂は既に王宮内に広まっている。
当然、意味は分からなくてもシャーロットの耳にも届いているだろう。
王宮とはそういう場所だ。
「サフィ……大丈夫。あなたの家族はここにいますよ。だから、そんなに泣かないで」
サファルティアは、クルージアの子ではない。それは本当だ。もっと言ってしまえば、ノクアルドの子ですらない。
シャーロットとサファルティアは、血縁関係だけで言えば「はとこ」に当たる。
「あなたを独りにしないわ。大丈夫、あなたはもう、私達の家族なんですから、不安にならないで」
「ふぇっ、ふ……うぅ……」
次第に泣くことに疲れたのか、クルージアの腕の中か心地よかったのか、サファルティアは眠りについた。
「ジア、入るぞ」
「どうぞ」
サファルティアが眠った頃、ノクアルドが入ってくる。
「シャーロットはまだサファルティアに辛く当たっているようだな」
シャーロットの様子を見た誰かがノクアルドに報告したのだろう。
「仕方ありませんわ。胎児の時から言い聞かせたわけではなく、突然現れた弟ですもの。わたしでもびっくりします」
クルージアはコロコロと笑う。
「あの子はまだ、受け入れられないのでしょう。両親の愛情がまだ欲しい年頃ですから、サフィに取られたような気になっているのかもしれません」
「まあ、気持ちはわかるがな。まったく、ジョーはこんな愛らしい息子を置いて逝ってしまうなんて……」
――ノア! 聞いてくれ、子どもが産まれるんだ!
嬉しそうに笑いながら幼馴染みが報告してくれた時、ノクアルドもクルージアも飛び上がるほど喜んだ。
それが1年くらい前の話だ。
ノクアルドにとって弟のように可愛がっていた幼馴染みであり、腹心であった“ジョルマン・キャロー”公爵は、先代を早くに亡くし、若くして宰相位に就いた男だった。
政略結婚ではあったが、お互いを想い合う仲睦まじい夫婦に待望の長子が、しかも男児が産まれた。
妻の療養を兼ねて、しばらく自領に戻るというジョルマンを見送ったのが、それからすぐ後の事。
そして、王都へ帰ってきたときには、変わり果てた姿だった。
馬車の事故だったという。
夫妻は死亡していたが、夫人に抱えられていた赤ん坊は両親が守ってくれたおかげか、奇跡的に無傷で保護された。
赤ん坊を見たノクアルドは、その場で引き取ることを決めた。それが、サファルティアだった。
キャロー家はシャルスリア王国建国時からある名家だ。数代前には王家の姫――ノクアルドにとっての大叔母が嫁いでいる、王族とも近しいため、低いながらも王位継承権を持っている。シャーロットの弟として育てる分には、なんの不足もない。
だが、数少ない王位継承者の保護した、といえばいらぬ火種を生むだろう。王宮は一枚岩ではない。
2人に害がないとは言い切れない。
それなら、2人が成長して真実を受け入れる年齢になるまで、その事実を隠しながらサファルティアを育てることにした。
「サフィは、無意識にご両親の死を感じ取っているのかも。シャーリーに背を向けられた時、とっても暴れて……」
「まだ事故から半年足らずだ。サフィも、まだ信じたくはないのだろう」
親友の死は、ノクアルド達にも少なからず衝撃を与えた。
子どもが産まれたと言って、サファルティアを抱いていたキャロー公爵夫妻は本当に幸せそうで。
おそらく2人にとっても無念の死だったはずだ。
そんな2人の愛息子を放っておくなんてことは、ノクアルドには出来なかった。
「そうよね……。わたしもまだ信じられないもの……」
腕の中ですやすやと眠るサファルティアを見ながら、クルージアも涙が浮かぶ。
「ジア……」
「っ、ごめんなさい。もしこれがシャーリーだったらって思って……」
「そうだな。シャーリーも、今は分からずともいつか分かるときが来る。何より、サフィはジョーの息子なんだ。2人の相性は悪くないはずだ」
「ええ、そうね。きっと、仲の良い兄弟になれるわ。だって、サフィはシャーリーのこと、大好きだもの」
サファルティアのふくふくした頬を撫で、クルージアは小さく微笑んだ。
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