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第3章
不穏の予感
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昼下がりのキャンパスは、どこか浮ついた空気をまとっていた。講義も半ばに差しかかり、教室に集う学生たちの表情には余裕が出始めている。そんな中で、私はいつものように教科書を抱え、廊下を歩いていた。
すれ違う誰かの視線が、一瞬こちらに触れてはすぐ逸れる。慣れてしまったと言えばそうかもしれない。けれどそれは好意というよりも、距離を測るような、確かめるような眼差しだった。
私は、知られている。目立つほど自分から振る舞っているわけではないのに、「高嶺の花」とか「近寄りがたい」とか、そんな言葉を背中越しに感じてしまう。実際に声をかけてくる人はほとんどいない。だからこそ、その静けさの裏にある期待や好奇の視線が、いつもより鮮明に伝わってくるのだ。
そんな私の傍らには、当たり前のように彼がいる。隼人さん。彼はいつも涼しい顔で歩いている。目を引くほど整った容姿を持ちながら、それを誇るでもなく、無頓着な態度を崩さない。
ふと、私の手に触れる温もりがあった。見ると、隼人さんが自然に私の手を取っていた。指と指が絡む感触に、思わず胸が詰まる。周囲の視線がさらに鋭くなるのを、皮膚で感じた。
「……人目があります」
「それがどうかしましたか」
彼の答えは淡々としていた。声音に揺れも迷いもない。繋いだ手を解く気配など、微塵もなかった。
私は小さく息を呑んだ。手をつなぐ、それだけのことが、こんなにも大胆に映るなんて。周囲にとって、それは「関係」を示す証拠のように映るのだろう。ちらちらとこちらを見やる学生たちの表情には、驚きと、何か別の色が入り混じっていた。
講義が終わった後、私は女子学生の数人に声をかけられた。正直、予想していたことだった。
「ねえ、篠原さんって……早乙女さんと、どういう関係なの?」
柔らかい微笑みを装いながらも、その瞳は真剣そのものだった。周りの子たちも息をのむように沈黙し、私の返答を待っている。
「……恋人、です」
自分の声が震えなかったのは、きっと覚悟があったからだ。嘘を言うつもりも、濁すつもりもなかった。ただ、事実をそのまま伝えただけ。
しかし、返ってきた反応は予想通り厳しいものだった。
「……本当に?」
「冗談でしょ」
困惑と疑念が入り混じった視線が、一斉に私に注がれる。信じてもらえないことが、胸に重くのしかかる。やがてそのうちの一人が、はっきりと言葉にした。
「早乙女さんみたいな人が、あなたを選ぶなんて信じられない。そんなわけないでしょ。」
その一言に、空気が凍りついた。私も、すぐには言葉を返せなかった。自分が否定されたというより、彼との関係が嘘のように扱われることが、どうしようもなく悔しかった。
私はそのまま教室を出て、足早に帰路についた。マンションのドアを開けると、そこには既に隼人さんがいた。彼はソファに腰をかけ、静かに本を読んでいた。私が玄関に立つと、すぐに顔を上げる。
「……お帰りなさい」
その声に、張りつめていたものが一気に崩れた。私は靴を脱ぐなり、彼のもとへ駆け寄った。
「どうしましたか?」
私の表情を見て、すぐに察したのだろう。隼人さんは本を閉じ、手を差し伸べてくる。その手を掴むと、彼はためらいなく私を抱き寄せた。
「……信じてもらえませんでした」
胸に顔を埋めたまま、小さく呟いた。彼のシャツ越しに伝わる体温が、安堵と切なさを同時に呼び起こす。
「恋人だって言ったのに、『信じられない』って……」
言葉にした瞬間、胸の奥の痛みが強くなる。すると彼の腕が、さらに強く私を抱きしめた。
「どうでもいいですよ、そんなこと」
その声音は淡々としていた。怒りも苛立ちも混じっていない。ただ事実を告げるように。けれど、胸の奥底には確かな熱を感じた。
「その人たちにとって、俺たちがどう見えているかなんて関係ない。俺が選んでいるのは、星羅さん一人です」
耳元に落ちる声に、心臓が跳ねる。彼の言葉は、装飾も誇張もない。それなのに、誰よりも重く響いた。
「……一生、離しませんから」
囁くと同時に、彼の手が私の髪を梳いた。指先が優しく触れるたびに、緊張がほどけていく。私はただ、その腕の中に身を委ねた。
外の世界がどう見ていようと、関係ない。ここには、私と隼人さんだけがいる。そう思えた瞬間、涙がひとしずく、頬を伝った。
すれ違う誰かの視線が、一瞬こちらに触れてはすぐ逸れる。慣れてしまったと言えばそうかもしれない。けれどそれは好意というよりも、距離を測るような、確かめるような眼差しだった。
私は、知られている。目立つほど自分から振る舞っているわけではないのに、「高嶺の花」とか「近寄りがたい」とか、そんな言葉を背中越しに感じてしまう。実際に声をかけてくる人はほとんどいない。だからこそ、その静けさの裏にある期待や好奇の視線が、いつもより鮮明に伝わってくるのだ。
そんな私の傍らには、当たり前のように彼がいる。隼人さん。彼はいつも涼しい顔で歩いている。目を引くほど整った容姿を持ちながら、それを誇るでもなく、無頓着な態度を崩さない。
ふと、私の手に触れる温もりがあった。見ると、隼人さんが自然に私の手を取っていた。指と指が絡む感触に、思わず胸が詰まる。周囲の視線がさらに鋭くなるのを、皮膚で感じた。
「……人目があります」
「それがどうかしましたか」
彼の答えは淡々としていた。声音に揺れも迷いもない。繋いだ手を解く気配など、微塵もなかった。
私は小さく息を呑んだ。手をつなぐ、それだけのことが、こんなにも大胆に映るなんて。周囲にとって、それは「関係」を示す証拠のように映るのだろう。ちらちらとこちらを見やる学生たちの表情には、驚きと、何か別の色が入り混じっていた。
講義が終わった後、私は女子学生の数人に声をかけられた。正直、予想していたことだった。
「ねえ、篠原さんって……早乙女さんと、どういう関係なの?」
柔らかい微笑みを装いながらも、その瞳は真剣そのものだった。周りの子たちも息をのむように沈黙し、私の返答を待っている。
「……恋人、です」
自分の声が震えなかったのは、きっと覚悟があったからだ。嘘を言うつもりも、濁すつもりもなかった。ただ、事実をそのまま伝えただけ。
しかし、返ってきた反応は予想通り厳しいものだった。
「……本当に?」
「冗談でしょ」
困惑と疑念が入り混じった視線が、一斉に私に注がれる。信じてもらえないことが、胸に重くのしかかる。やがてそのうちの一人が、はっきりと言葉にした。
「早乙女さんみたいな人が、あなたを選ぶなんて信じられない。そんなわけないでしょ。」
その一言に、空気が凍りついた。私も、すぐには言葉を返せなかった。自分が否定されたというより、彼との関係が嘘のように扱われることが、どうしようもなく悔しかった。
私はそのまま教室を出て、足早に帰路についた。マンションのドアを開けると、そこには既に隼人さんがいた。彼はソファに腰をかけ、静かに本を読んでいた。私が玄関に立つと、すぐに顔を上げる。
「……お帰りなさい」
その声に、張りつめていたものが一気に崩れた。私は靴を脱ぐなり、彼のもとへ駆け寄った。
「どうしましたか?」
私の表情を見て、すぐに察したのだろう。隼人さんは本を閉じ、手を差し伸べてくる。その手を掴むと、彼はためらいなく私を抱き寄せた。
「……信じてもらえませんでした」
胸に顔を埋めたまま、小さく呟いた。彼のシャツ越しに伝わる体温が、安堵と切なさを同時に呼び起こす。
「恋人だって言ったのに、『信じられない』って……」
言葉にした瞬間、胸の奥の痛みが強くなる。すると彼の腕が、さらに強く私を抱きしめた。
「どうでもいいですよ、そんなこと」
その声音は淡々としていた。怒りも苛立ちも混じっていない。ただ事実を告げるように。けれど、胸の奥底には確かな熱を感じた。
「その人たちにとって、俺たちがどう見えているかなんて関係ない。俺が選んでいるのは、星羅さん一人です」
耳元に落ちる声に、心臓が跳ねる。彼の言葉は、装飾も誇張もない。それなのに、誰よりも重く響いた。
「……一生、離しませんから」
囁くと同時に、彼の手が私の髪を梳いた。指先が優しく触れるたびに、緊張がほどけていく。私はただ、その腕の中に身を委ねた。
外の世界がどう見ていようと、関係ない。ここには、私と隼人さんだけがいる。そう思えた瞬間、涙がひとしずく、頬を伝った。
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