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第六話 亡霊に間違う
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その日は朝から慌ただしかった。
「どうかなさったんですか?」
シタンは忙しく走り回る使用人たちを不思議に思って尋ねる。
「実は旦那様が熱を出されて…!」
「え」
その言葉に、シタンは息を止めた。
「ただの微熱だ。すぐ治る」
ジュリアスの寝室では、ベッドの上に起き上がったジュリアスが仕事をしようとするのを執事が諫めていた。
「そう仰って、無理をして悪化したことがあったでしょう」
「爺は大げさだ」
「なんとでも」
頑として譲らない執事に、ジュリアスも強気には出られない。
幼い頃から仕えてくれた執事には頭が上がらないのだ。
不意に医師が室内に入ってくる。
そのとき、開いた扉の向こうに立っていたシタンを見て息を呑んだ。
「シタン、来るな!」
思わず叫んでしまったジュリアスに、シタンも医師も驚く。
「伝染ったら大変だ」
幾分冷静に続けたジュリアスに、シタンは悲しげな表情を一瞬閃かせると、
「そうやって遠ざけるんだね。僕を暴こうとするくせに。
わかった。僕が看病する」
と言い放った。
「シタン!?」
「いいから、僕の言うことを聞いてくれ。
いいね?」
室内に足を踏み入れたシタンが、不敵な微笑でジュリアスに言い聞かせる。
その笑みに逆らえなくなって黙ってしまったジュリアスを見て、執事が満足そうに頷いた。
「シタン様の言うことなら素直に聞かれるようですな。
お任せ致しました」
「はい」
「爺…」
あっさり看病の役目をシタンに任せた執事に、ジュリアスの口から情けない声が漏れた。
「薬は飲んだかい?」
医師の診察が終わり、医師が帰ったあと、ジュリアスの寝室に残ったのはシタンだけだ。
ベッドの脇に佇んだシタンの言葉にジュリアスは困った顔で、
「…まだだ」
と答えた。
「じゃあ、まずは食事を」
シタンは使用人が用意してくれた粥の入った皿を手に取って、食べさせようとスプーンですくう。
「自分で食べられる…」
「僕が熱を出したら、あなたは放っておいたかい?」
「それは」
思わず言葉に詰まってしまったのは、なにからなにまで甲斐甲斐しく世話を焼こうとしただろうと自覚があるからだ。
「同じことをしようとしたんじゃない?」
「……否定はしない。だが」
「だがじゃない。返事ははいだけだよ」
「君は、素を出して我慢しなくなったな」
「あなたに対してはね」
弱々しい声音で呟いたジュリアスに、シタンはいい笑顔で答える。
そしてスプーンを差し出した。
「はい、どうぞ」
ジュリアスは迷ったが、シタンを拒絶したくない。
やむなく口を開けたジュリアスに粥を食べさせ、半分くらい皿の粥が減るとジュリアスが「もういい」と言った。
「君は、ここにいないほうがいい。
本当に伝染してしまう」
「なら、横になって休んでくれ。
あなたが眠ったのを確認したら自分の部屋に戻るよ」
「わかった…」
シタンが譲らないことはもうわかった。ジュリアスは薬を飲むとおとなしくベッドに横たわる。
シタンがそっと、ジュリアスの手を握った。以前の逆のように。
それが心地よくて、拒む気になれない。
「気持ち、いいな」
熱に浮かされながら、そう呟いた。
「君の手が、冷たい」
「僕は、心も冷たいからね」
「そこは、温かいと言うんだ」
繋がった手。それが心地よくて安心するのは、冷たい感触のせいではなくてきっと、自分を案じてくれるシタンの心が温かいから。
「君の心は、温かい…」
そう呟いて、そのまま眠りに落ちたジュリアスの顔を眺めてシタンは寂しげに呟く。
「そんなことないんだよ。
…あなたは、僕を知らなすぎる」
シタンがジュリアスの寝室を出て廊下を歩いていると、勝手知ったる他人の家とばかりに向こうからやってきたネヴィルを見かけた。
「風邪を引いたんだって?」
「今、眠られたところです」
「うん? もしかして君が看病した?」
「はい」
シタンの言葉にネヴィルはひどく意外そうに目を瞬く。
「………意外。あのジュリアスがよく許したね」
「まあ、少し強引に」
「意外だな。ラシードにだってさせなかったのに」
「…ラシード?」
思わずオウム返ししたシタンに、ネヴィルはハッとして、
「あ、ああ、僕とあいつの共通の友達」
と一瞬目を泳がせた。
「そうなんですね。じゃあそのうちに挨拶しないと」
「あー…いや、まあ、うん。
あいつ、すぐ無茶するからさ。十年前からそうなんだ」
ネヴィルは少し言いよどむと、そう続ける。
「だから、しっかり休むよう言ってやって。
君の言うことなら聞くみたい」
そう締めくくった。
深く沈んでいた意識が浮上する。
ぼんやり瞼を開けると、眠る前と変わらない自室。ベッドの天蓋が見えた。
窓はカーテンが引かれ、隙間から夕焼けの光がにじんでいる。
「起きたかい?」
響いた声にまだ半分覚醒しきらないような意識のまま、視線を反対側に向けた。
ベッドのそばに佇むシタンの姿が見える。
「ずっと、いたのか?」
「いや、さすがに違うよ。さっきそろそろ喉が渇いて起きるかと思って来たんだ」
「そうか」
寝起きで擦れた声で尋ねれば、そう返ってくる。ほっと息を吐いた。
「僕がそばにいるのは嫌?」
「そうじゃない。…君に伝染したくない…」
「あなたは優しいね。
まだ熱が高い。水を飲んだら眠って…」
「なら、寝物語をしてくれ」
「寝物語?」
気を抜いたらすぐ眠ってしまいそうな中で、か細く希う。
「君の話が聞きたい」
その言葉にシタンは目を瞠って、そして許すように微笑むとそばの椅子に腰掛けた。
「…僕も昔、よく風邪を引いて寝込んだよ。
そういう時は弟がよく様子を見に来てくれた。
最初は心配してくれているのかと思って嬉しかったけど…」
「…シタン?」
不意に黙り込んだシタンに、ジュリアスは閉じていたまぶたを開ける。
「あれは、心配ではなかった。
僕が弟に恐怖を感じた最初」
「…は?」
「なんでもないよ。お話は終わり。
もうお休み」
「待て。まだ話は」
どうしてもこのまま眠ってはいけない気がして起き上がる。
だがまだ熱が高く、目眩がして身体が傾いた。
シタンが咄嗟に抱き留めたが、ジュリアスの鍛えられた大柄な体躯を支えきれず、身体が背後に傾く。
そのままベッドの上に倒れ込んだシタンの上に覆い被さって、ジュリアスはその姿を見つめた。
「大丈夫? 熱が上がったんじゃない?」
無防備に尋ねるシタンの亜麻色の髪がシーツに落ちている。
その扇情的な様に思わずジュリアスは喉を鳴らした。
「…シタン、なぜ話してくれない。
私は、こんなに君のことが知りたいのに」
「あなたのそれは、僕をよく知らないからだよ。
知ったら興味をなくす。いや、軽蔑する」
「そんなことはしない」
「口ではなんとでも言えるさ。
人はみんな嘘つきだ」
シタンはそう言う。その瞳ににじむのは諦めだ。
「あなたは違うの?
ネヴィルさんやラシードさんは?」
「…なぜ」
「え」
「なぜその名を」
ぼやけていた思考がはっきり覚醒する。
「なぜ君がラシードの名を知っている?」
「ネヴィルさんに聞いたんだ。
共通の友達だって。
心配して会いに来るんじゃないかい?」
「来ないさ」
迷わず言い切って、ジュリアスはシタンに覆い被さる。
「あいつは死んだ」
そう言って、息を呑んだシタンの頬を撫でた。
「なあ、亡霊なのか君は。
死神になって私に会いに来たのか?」
「ジュリアス閣下…?」
「私は」
そのまま顔を寄せた。唇が重なったのは、その一秒後。
「どうかなさったんですか?」
シタンは忙しく走り回る使用人たちを不思議に思って尋ねる。
「実は旦那様が熱を出されて…!」
「え」
その言葉に、シタンは息を止めた。
「ただの微熱だ。すぐ治る」
ジュリアスの寝室では、ベッドの上に起き上がったジュリアスが仕事をしようとするのを執事が諫めていた。
「そう仰って、無理をして悪化したことがあったでしょう」
「爺は大げさだ」
「なんとでも」
頑として譲らない執事に、ジュリアスも強気には出られない。
幼い頃から仕えてくれた執事には頭が上がらないのだ。
不意に医師が室内に入ってくる。
そのとき、開いた扉の向こうに立っていたシタンを見て息を呑んだ。
「シタン、来るな!」
思わず叫んでしまったジュリアスに、シタンも医師も驚く。
「伝染ったら大変だ」
幾分冷静に続けたジュリアスに、シタンは悲しげな表情を一瞬閃かせると、
「そうやって遠ざけるんだね。僕を暴こうとするくせに。
わかった。僕が看病する」
と言い放った。
「シタン!?」
「いいから、僕の言うことを聞いてくれ。
いいね?」
室内に足を踏み入れたシタンが、不敵な微笑でジュリアスに言い聞かせる。
その笑みに逆らえなくなって黙ってしまったジュリアスを見て、執事が満足そうに頷いた。
「シタン様の言うことなら素直に聞かれるようですな。
お任せ致しました」
「はい」
「爺…」
あっさり看病の役目をシタンに任せた執事に、ジュリアスの口から情けない声が漏れた。
「薬は飲んだかい?」
医師の診察が終わり、医師が帰ったあと、ジュリアスの寝室に残ったのはシタンだけだ。
ベッドの脇に佇んだシタンの言葉にジュリアスは困った顔で、
「…まだだ」
と答えた。
「じゃあ、まずは食事を」
シタンは使用人が用意してくれた粥の入った皿を手に取って、食べさせようとスプーンですくう。
「自分で食べられる…」
「僕が熱を出したら、あなたは放っておいたかい?」
「それは」
思わず言葉に詰まってしまったのは、なにからなにまで甲斐甲斐しく世話を焼こうとしただろうと自覚があるからだ。
「同じことをしようとしたんじゃない?」
「……否定はしない。だが」
「だがじゃない。返事ははいだけだよ」
「君は、素を出して我慢しなくなったな」
「あなたに対してはね」
弱々しい声音で呟いたジュリアスに、シタンはいい笑顔で答える。
そしてスプーンを差し出した。
「はい、どうぞ」
ジュリアスは迷ったが、シタンを拒絶したくない。
やむなく口を開けたジュリアスに粥を食べさせ、半分くらい皿の粥が減るとジュリアスが「もういい」と言った。
「君は、ここにいないほうがいい。
本当に伝染してしまう」
「なら、横になって休んでくれ。
あなたが眠ったのを確認したら自分の部屋に戻るよ」
「わかった…」
シタンが譲らないことはもうわかった。ジュリアスは薬を飲むとおとなしくベッドに横たわる。
シタンがそっと、ジュリアスの手を握った。以前の逆のように。
それが心地よくて、拒む気になれない。
「気持ち、いいな」
熱に浮かされながら、そう呟いた。
「君の手が、冷たい」
「僕は、心も冷たいからね」
「そこは、温かいと言うんだ」
繋がった手。それが心地よくて安心するのは、冷たい感触のせいではなくてきっと、自分を案じてくれるシタンの心が温かいから。
「君の心は、温かい…」
そう呟いて、そのまま眠りに落ちたジュリアスの顔を眺めてシタンは寂しげに呟く。
「そんなことないんだよ。
…あなたは、僕を知らなすぎる」
シタンがジュリアスの寝室を出て廊下を歩いていると、勝手知ったる他人の家とばかりに向こうからやってきたネヴィルを見かけた。
「風邪を引いたんだって?」
「今、眠られたところです」
「うん? もしかして君が看病した?」
「はい」
シタンの言葉にネヴィルはひどく意外そうに目を瞬く。
「………意外。あのジュリアスがよく許したね」
「まあ、少し強引に」
「意外だな。ラシードにだってさせなかったのに」
「…ラシード?」
思わずオウム返ししたシタンに、ネヴィルはハッとして、
「あ、ああ、僕とあいつの共通の友達」
と一瞬目を泳がせた。
「そうなんですね。じゃあそのうちに挨拶しないと」
「あー…いや、まあ、うん。
あいつ、すぐ無茶するからさ。十年前からそうなんだ」
ネヴィルは少し言いよどむと、そう続ける。
「だから、しっかり休むよう言ってやって。
君の言うことなら聞くみたい」
そう締めくくった。
深く沈んでいた意識が浮上する。
ぼんやり瞼を開けると、眠る前と変わらない自室。ベッドの天蓋が見えた。
窓はカーテンが引かれ、隙間から夕焼けの光がにじんでいる。
「起きたかい?」
響いた声にまだ半分覚醒しきらないような意識のまま、視線を反対側に向けた。
ベッドのそばに佇むシタンの姿が見える。
「ずっと、いたのか?」
「いや、さすがに違うよ。さっきそろそろ喉が渇いて起きるかと思って来たんだ」
「そうか」
寝起きで擦れた声で尋ねれば、そう返ってくる。ほっと息を吐いた。
「僕がそばにいるのは嫌?」
「そうじゃない。…君に伝染したくない…」
「あなたは優しいね。
まだ熱が高い。水を飲んだら眠って…」
「なら、寝物語をしてくれ」
「寝物語?」
気を抜いたらすぐ眠ってしまいそうな中で、か細く希う。
「君の話が聞きたい」
その言葉にシタンは目を瞠って、そして許すように微笑むとそばの椅子に腰掛けた。
「…僕も昔、よく風邪を引いて寝込んだよ。
そういう時は弟がよく様子を見に来てくれた。
最初は心配してくれているのかと思って嬉しかったけど…」
「…シタン?」
不意に黙り込んだシタンに、ジュリアスは閉じていたまぶたを開ける。
「あれは、心配ではなかった。
僕が弟に恐怖を感じた最初」
「…は?」
「なんでもないよ。お話は終わり。
もうお休み」
「待て。まだ話は」
どうしてもこのまま眠ってはいけない気がして起き上がる。
だがまだ熱が高く、目眩がして身体が傾いた。
シタンが咄嗟に抱き留めたが、ジュリアスの鍛えられた大柄な体躯を支えきれず、身体が背後に傾く。
そのままベッドの上に倒れ込んだシタンの上に覆い被さって、ジュリアスはその姿を見つめた。
「大丈夫? 熱が上がったんじゃない?」
無防備に尋ねるシタンの亜麻色の髪がシーツに落ちている。
その扇情的な様に思わずジュリアスは喉を鳴らした。
「…シタン、なぜ話してくれない。
私は、こんなに君のことが知りたいのに」
「あなたのそれは、僕をよく知らないからだよ。
知ったら興味をなくす。いや、軽蔑する」
「そんなことはしない」
「口ではなんとでも言えるさ。
人はみんな嘘つきだ」
シタンはそう言う。その瞳ににじむのは諦めだ。
「あなたは違うの?
ネヴィルさんやラシードさんは?」
「…なぜ」
「え」
「なぜその名を」
ぼやけていた思考がはっきり覚醒する。
「なぜ君がラシードの名を知っている?」
「ネヴィルさんに聞いたんだ。
共通の友達だって。
心配して会いに来るんじゃないかい?」
「来ないさ」
迷わず言い切って、ジュリアスはシタンに覆い被さる。
「あいつは死んだ」
そう言って、息を呑んだシタンの頬を撫でた。
「なあ、亡霊なのか君は。
死神になって私に会いに来たのか?」
「ジュリアス閣下…?」
「私は」
そのまま顔を寄せた。唇が重なったのは、その一秒後。
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