ショートショートの詰め合わせ

空条浩

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【1話完結】 バナナ熱には向かない季節

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 市内の街路樹はもう桜が咲いているというのにこの森ときたらまだ雪景色のままだった。木々は感情も風情もなしにそこらに立っている。昼間なのに薄暗く、空気中の水分は肌を刺すような冷たさ。今の私にとってはうってつけなのかもしれない。

 この森は「死に方がわかる森」で有名な場所である。もう楽になりたかった。電車に乗って三時間、歩いて一時間、女一人で来るには辛い道のりを、死ぬためにやってきたのだ。

 それにしてもみんなどこで死んでいるのだろう。樹海ではテントを建てたりしているというのは聞いたことがあるが、ここでは見当たらない。そういえば生まれて初めて雪を見るというのに何も感じないのは、私がここの木々のような人間だからだろうか。コンビニで買ったバナナを食べながらそんなことを考えていた。豪勢なものより手ごろなもの。自殺する人間の最後の晩餐など、それで十分なのだ。

 辺りを見回していると、山小屋を見つけた。丸太で作った壁に大きな三角屋根を乗せただけの作りだが、結構大きい。ホームパーティでも出来そうだ。そんな友達いないけど。

 ここで私はある企みを思いついた。どうせ死ぬならここにしよう。せっかくだから、山小屋の主になりすまして死のう。

 ドアまで近づき、耳をそばだてる。物音もなく、気配もない。ゆっくりドアを開けて中に入る。

 中に入って、がっかりしてしまった。入って右側に三人用の長机が三列並べられており、左の壁には大きな黒板。少し洒落たログハウスかと思ったら教室だったのだ。

 さらに嫌だったのは扉の向かい側、つまり入って正面の壁に姿見があったことだった。映った醜い自分を見ながら、そっと左頬に触れる。

 私の顔の左半分はただれて赤茶色に変色している。父が一服の際に火を消し忘れ、それが火種となって家が燃えた。その際に火傷してしまったのだ。そういえばその時に検査されて体の生傷を見られたから父が虐待をしていることが分かったのだ。いいのか悪いのか。

 そんなことをぼんやり思い出していると、カッ、カッという、硬いもの同士がぶつかり合う音が響いた。音の聞こえる方、つまり黒板に目を向けると、手袋がひとりでに動き、チョークを持って何かを書いている。

 ようこそ。さあ、席ついて。授業を始めますよ! おっとその前に、ノートにあるアンケートに答えてください。終わったら教えてくださいね。

 今起こっていることについて意味が分からず、失笑してしまった。おどけたような、ニンゲン臭い言い方(書き方?)が妙に腹が立つ。

 黒板に近づいて、その手袋を観察した。タクシーの運転手が履いているような白い手袋は右手しかなく、相方はいないようだ。手袋はカッとチョークで黒板を叩き、それから殴り書きで「座りなさい」と書いた。渋々一番前の、右端の席に腰を下ろす。

 机に開かれたノートを見てみると、質問の項目がいくつかあった。アンケートに答えようとノートの喉の部分に置いてあるペンを手に取ると、上から垂れている電球に明かりが灯った。

 1.あなたは死にたいと思っていますか?
 ――はい。
 2.「はい」と答えた方に質問です。なぜ、死にたいのですか?(いいえと答えた方は帰って頂いて結構です)
 ――生きる希望がないから。
 3.その原因は何ですか?
 ――見た目によりいじめを受けたこともあり、社会でうまくやっていける自信がない。就職も何度も失敗していて、今はフリーター。テレフォンオペレーターで派遣社員としている。
 4.あなたには恐いと思うもの、トラウマはありますか?
 ――火、父。
 5.あなたは一度でも人を殺したいと思ったことはありますか?
 ――いいえ。
 以上でアンケートは終わりです。ありがとうございました。

「……終わりました」

 黒板を見ると、そこには説明書きのようなものが書かれていた。

 これからあなたには“死”についての勉強をしてもらいます。もしこの勉強を怠ってしまうと、あなたが本当に望む結果が得られなくなってしまいます。少し長い授業ですが、一緒に頑張っていきましょう! では、さっそく始めます。

 私が読み終わるのと同時に手袋は器用にチョークを持ちながら黒板消しで文を消し、また書き始めた。右手に自殺を頑張りましょうという状況も、勉強をしなければならないということも馬鹿らしくて出て行ってやろうとも思ったが、どうも今の説明書きが心に引っかかる。もやもやしているうちに、黒板の文章はつづられていった。

 死とは何か? →生命活動の停止
〈一般定義〉
 呼吸と鼓動の活動停止・瞳孔反射の消失。
 法律では?
 死亡したことによって人は権利の主体であることができる地位を失う
 …………

 とりあえず目の前に書かれている文字を写し続ける。なんだか堅苦しい、つまらない授業だ。
 殺害とは? →生命を殺すこと
 …………

 チョークが黒板を打つ音、ペンがノートの上を走る音のみが響く。それはテレフォンオペレーターのオフィス内の喧騒とは違い、心地のいい静かさだった。書く音に身をゆだねるように、無心になって黒板の文字を写し続けた。

 日をまたいだのか、一日しかたっていないのか一週間たってしまったのかわからない。長いような短いような時間の中にいた。ただ一つ確実に言えることは、私は扉を開ける前よりも「死」というものについて随分詳しくなったと思う。国や宗教による死生観の違い、キュープラ=ロスの死の受容のプロセス、様々な死体現象など、この教室で「死」というもののほとんどを頭に叩き込んだ。

 授業が終わった後、少し休憩にと机に伏せていると、チョークの音が聞こえた。

 長い時間のお勉強、大変お疲れさまでした。最後に、この授業での総括をしましょう。もうひと踏ん張りなので頑張ってください。ノートは取らなくて結構です。

 板書を読みながら、とうとうここまで来たのだと、少し感慨深い気持ちになった。達成感というか、一つ何か得たような気分。最後にふさわしい気持ちではないか。

 あなたは、「死にたい」と思っていましたね。では、今どんな死に方を望んでいますか?

「心地のいい死に方をしたいと思います。痛みや苦しみを伴わない死に方。例えば、水クッション自殺なんかが最適なのかなと、考えています」

 黒板に向かってはきはきと答えると、少しの間手袋は考え込むように動きを止めた。やがてまたチョークが動き出した。

 それは自分を殺すという、いわば「殺人行為」です。
 あなたは殺したいと思ったことがないとおっしゃいましたが、今も、誰かを殺したいと思いますか?

 何を書いているのかわからなかった。自分を殺す? どうでもいいことではないのか。私はただ死にたいだけなのに。

 手袋は問い詰めるようにチョークの硬い音を響かせる。威圧的な音だった。

 あなたは殺したいんですか? 死にたいんですか?

「死にたいんです」

 ならば自殺は諦めてください。殺害行為です。

「じゃあ、どうすれば……」

 頭がぐちゃぐちゃしてきた。私が私を殺すことに、なぜそんなに気に入らないのだ。別にいいではないか。これでは今までがむしゃらについていった授業が無駄である。騙されたようで、腹が立った。

「そんなこと言うんだったら、私を殺してください!」

 頭にきた私は叫んだ。つまりこうすれば私は死ねるわけだ。私は私に手を下していない。私の生命活動は他者によって絶たれるのだ。初めて誰かに反抗した気がする。さあ、早く私を殺せ!

 宙に浮いている手袋が、つまんでいるチョークを二本指で挟むように持ち替えると、先から煙が出てきた。それはもはやチョークではなく煙草になり、力尽きたように手袋と一緒に落下した。ガソリンが撒かれているわけではないのに炎は一気に広がり、教室を包む。私は思わず椅子から飛び上がった。

 炎はどんどん私に近づいてくる。ギシッ、ギシッと床を踏みしめる音がする。

 顔を上げるとそこには父がいた。炎が作る幻影か、それとも私が作り出している幻覚か?

 父はまたうつろな目を私に向ける。腕を伸ばし、胸ぐらを掴む。煙草臭い。もう片方の手で顔をそっと撫で、狙いを定める……。

 呼吸が荒くなり、背が滴る。いつものことだと言い聞かせる。炎が、暴力が迫ってくる。動けない。

「嫌だ嫌だ嫌だ! いやあああああああ」

 気が付けば体当たりをしてドアをぶち破っていた。外に出ると雪原は消えていて、代わりに上には桜、足元には白や黄色の花が揺れている。全速力で駆けてから振り返る。心臓は破裂しそうなほど脈打っていた。もう父はいない。桜が風に揺られて手を振っているみたいだった。

 電車の中で、私は座席にもたれかかっていた。揺れる車体のリズムが心地いい。

 ふと、左頬に触れと、かすかに熱を帯びている。過去も絶望も皮膚の温度も、すべて私の一部なのだった。
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