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第五話 攪乱作戦、発動です。
ファーナの私室にひとり残ったツェラ。
全力疾走の疲労はまだまだ取れそうにないが、じっとしているわけにはいかなかった。
「ファーナ様はそろそろトーニと合流する頃ね」
トーニはツェラと同じくファーナに仕える侍女だ。
彼女は城を出た後の移動に必要な馬車を手配するためにファーナのもとを離れていたのだ。
手配が終わり次第、城の裏口でファーナを待ち、ふたりで城を出ることになっている。
世情に長け、暗器の使い手でもあるトーニなら、ひとりでもファーナを守りきれるだろう。ツェラは同僚に全幅の信頼を寄せていた。
「もう私も出ないと」
ファーナが逃げたことを悟られないようにひとり芝居をしていたのだけれど、そろそろ限界だろう。
いずれ誰かがファーナを呼びに来る。その前に逃げなければ。
ファーナの行き先を知る自分が、王やエドガルトに捕まってしまうわけにはいけない。口を割らないつもりではあるが、自分を信頼できないのだから。
痛みを耐える訓練など受けていないし、万が一、拷問にでもかけられたらあっさり白状するかもしれない。いや、そこまでいかず、普通の尋問だってアヤシイ。怖い人たちに囲まれたら……?
痛い思いをするのも、怖い思いをするのもまっぴらだ。
――何が何でも脱出!
こぶしをぐっと握りしめて気合を入れると、傍らの籐かごへ丁寧に畳まれた布を収めた。柔らかな若草色をしたそれには、白い糸で植物を模した繊細な刺繍が施されている。
昔、ファーナが好んで着ていた外套だ。部屋に引きこもるようになってからは一度も袖を通していない。
「姫さま、申し訳ありません。お借りいたします」
いない主に向かって謝り、籠に目隠しのハンカチを被せた。
しんと静まった廊下をツェラは足早に突き進む。
目指すは城の裏手にある通用口。
誰かに見とがめられたら、籐かごの中身を見せて洗濯に出しに行くと言えばいい。ちょうど洗濯場は通用口のすぐ近くだ。
――通用口を出れば、あとは裏門まで一直線。そこから先は……。
一目散に逃げて、追っ手がかからないことを確認し、ファーナと合流。そういう手はずになっていた。
少なくともファーナとはそう申し合わせている。
(けれど、ただ逃げるだけでは……。少しでも追っ手を攪乱しておかないと)
ファーナからは危険なことはするな、もし追っ手に捕まったら正直に知っていることを話すように、とは言われている。けれど、少しでもファーナの逃亡を手助けしたいし、足手まといにはなりたくない。
「あれ? ツェラ?」
ツェラの思案は、唐突にかけられた声で遮られた。
底抜けに明るい声に、なんとなくイラッとしつつ、振り向く。
「ユリアン……」
「やぁ! こんな時間に珍しいな。いつもなら、姫様にお茶を出す時間だろう?」
ニコニコと笑いながら近づいてくるのは、顔見知りの男だ。
去年叙任されたばかりの新米騎士で、ツェラの幼馴染でもある。
(よりによって、なんでこんな時にユリアンに会うのよ! もう、最悪…………ん? 待って。もしかしたらこれは使えるかも?)
「ねぇ、ユリアン! 暇?」
「なんだよ突然! ――まぁ、暇だけど?」
「いつまで暇? 早く答えて!」
襟首をつかまんばかりに詰め寄られて、ユリアンと呼ばれた男はたじたじだ。顔見知りを見かけたらから声をかけただけなのに、いったい何なのだ? と困惑している。
「あ、ああ、今日は夜勤明けで今から上がるとこ。明日は非番で、明後日は昼からの遅番だから……」
「じゃあ、明後日の午前中まで暇ってこと!?」
「うん……そう、なる。かな?」
(よし! 天は私に味方してくれたのね!)
心の中で快哉を叫びつつ、ツェラはユリアンの腕をガシッと掴んだ。離さないとばかりに、ギリギリと締め上げる。
「ちょ! 痛い痛い痛い! 痛いってばッ」
「あら、ごめんなさい。つい……。ねぇ、ちょっとお願いがあるの。聞いてくれない?」
「ツェラの頼み? なんか嫌な予感するんだけど……。まぁいいか、暇だし」
いつものように、また些細な使いでも頼まれるんだろう。そう思って疑いもしないユリアンは、二つ返事で安請け合いをした。
「で? 今日はなに? 何を買ってくればいいんだ?」
「私と一緒に来て!」
逃げられてはたまらないと思ってか、ツェラはユリアンと手をつないだ。指と指を絡ませて、がっしりと、ちょっとやそっとでは離れないように。
途端、繋がれたユリアンは、見る間に顔を赤くした。
「なっ、ななななっ! なんだよ、ツェラ。手ぇ離せって。これじゃまるで……」
「まるで何よ? ――四の五の言ってないで、ほら! 行くわよ!!」
恋人繋ぎじゃないか、という最後の言葉は恥ずかしくて言えなかった。
もごもごと語尾を濁せば、しびれを切らしたツェラが強引にユリアンを引っ張り、歩き出した。
「お、おい!! わかった。わかったよ。どこまででもお供しますって! だから、て、て、手を離してくれ、頼む!」
手を離して貰わないことには平常心に戻れないし、赤くなった顔も冷めない。半ば悲鳴のように懇願して、ようやく手は解放された。
突然の出来事に汗を滲ませていた掌が、離れたことでスッと冷える。それがなんとなく寂しくて、ユリアンは己の手をぎゅっと握った。が、次の瞬間にはそんな感傷を振り払った。
ツェラが彼に頼みごとをするのは毎度のことだが、それにしてもこの焦りようは尋常じゃない。どうやら急用のようだ。
「で? どこ行きたいんだ?」
「ねぇ、ユリアン。馬って用意できる? 南に小さな村があるでしょう?」
「は!? 今からビルケ村まで!? 往復で一刻はかかるぞ」
「ダメ、かな?」
ツェラは困ったように眉尻を下げ、小首をかしげて尋ねる。
あざとい、とは思う。けれど、そこが良いのだ。あざとくて何が悪い。ここで引いては男が廃る。
「大丈夫だ! ……たぶん」
先輩や上官にバレたら大目玉を喰らうが、実はみんなこっそり私用で馬を使っている。特に、デートの時には欠かせないのだ。まだ私用に使ったことはないが、やれないことはない。
と、規則やぶりを覚悟してから、はたと気づいた。
ツェラは今、仕事中のはずだ。としたら、どこへ行くにもファーナ姫の命によるものだろう。としたら、これは公用だ。きちんと申請してくれば問題なかろう。
「なあ、ツェラ。それってファーナ姫の命で外出するんだよな?」
「う……うん。まぁそんなところ」
「わかった。ここから一番近いのは……裏門か。裏門で待っててくれ。すぐ行く」
本来であればこういった場合、使用の申請書を上官に提出しなければならないが、急を要することも多く、事後報告も許されている。
厩舎の番人に口頭で、ファーナ姫の用事で馬を使用すると告げればいい。そんなに時間はかからないはずだ。
「ありがとう! すごく助かるわ。やっぱりユリアンは頼もしい」
「――世辞はよせ」
と言ってみたものの、褒められれば嬉しい。ユリアンは頬を染め、照れ隠しにそっぽを向いた。
「じゃあ、私は先に行って待ってるね。本当に、本当にありがとう!」
言うなり、ツェラは足早に去っていった。
それを見届けてユリアンも厩舎へ向かった。
全力疾走の疲労はまだまだ取れそうにないが、じっとしているわけにはいかなかった。
「ファーナ様はそろそろトーニと合流する頃ね」
トーニはツェラと同じくファーナに仕える侍女だ。
彼女は城を出た後の移動に必要な馬車を手配するためにファーナのもとを離れていたのだ。
手配が終わり次第、城の裏口でファーナを待ち、ふたりで城を出ることになっている。
世情に長け、暗器の使い手でもあるトーニなら、ひとりでもファーナを守りきれるだろう。ツェラは同僚に全幅の信頼を寄せていた。
「もう私も出ないと」
ファーナが逃げたことを悟られないようにひとり芝居をしていたのだけれど、そろそろ限界だろう。
いずれ誰かがファーナを呼びに来る。その前に逃げなければ。
ファーナの行き先を知る自分が、王やエドガルトに捕まってしまうわけにはいけない。口を割らないつもりではあるが、自分を信頼できないのだから。
痛みを耐える訓練など受けていないし、万が一、拷問にでもかけられたらあっさり白状するかもしれない。いや、そこまでいかず、普通の尋問だってアヤシイ。怖い人たちに囲まれたら……?
痛い思いをするのも、怖い思いをするのもまっぴらだ。
――何が何でも脱出!
こぶしをぐっと握りしめて気合を入れると、傍らの籐かごへ丁寧に畳まれた布を収めた。柔らかな若草色をしたそれには、白い糸で植物を模した繊細な刺繍が施されている。
昔、ファーナが好んで着ていた外套だ。部屋に引きこもるようになってからは一度も袖を通していない。
「姫さま、申し訳ありません。お借りいたします」
いない主に向かって謝り、籠に目隠しのハンカチを被せた。
しんと静まった廊下をツェラは足早に突き進む。
目指すは城の裏手にある通用口。
誰かに見とがめられたら、籐かごの中身を見せて洗濯に出しに行くと言えばいい。ちょうど洗濯場は通用口のすぐ近くだ。
――通用口を出れば、あとは裏門まで一直線。そこから先は……。
一目散に逃げて、追っ手がかからないことを確認し、ファーナと合流。そういう手はずになっていた。
少なくともファーナとはそう申し合わせている。
(けれど、ただ逃げるだけでは……。少しでも追っ手を攪乱しておかないと)
ファーナからは危険なことはするな、もし追っ手に捕まったら正直に知っていることを話すように、とは言われている。けれど、少しでもファーナの逃亡を手助けしたいし、足手まといにはなりたくない。
「あれ? ツェラ?」
ツェラの思案は、唐突にかけられた声で遮られた。
底抜けに明るい声に、なんとなくイラッとしつつ、振り向く。
「ユリアン……」
「やぁ! こんな時間に珍しいな。いつもなら、姫様にお茶を出す時間だろう?」
ニコニコと笑いながら近づいてくるのは、顔見知りの男だ。
去年叙任されたばかりの新米騎士で、ツェラの幼馴染でもある。
(よりによって、なんでこんな時にユリアンに会うのよ! もう、最悪…………ん? 待って。もしかしたらこれは使えるかも?)
「ねぇ、ユリアン! 暇?」
「なんだよ突然! ――まぁ、暇だけど?」
「いつまで暇? 早く答えて!」
襟首をつかまんばかりに詰め寄られて、ユリアンと呼ばれた男はたじたじだ。顔見知りを見かけたらから声をかけただけなのに、いったい何なのだ? と困惑している。
「あ、ああ、今日は夜勤明けで今から上がるとこ。明日は非番で、明後日は昼からの遅番だから……」
「じゃあ、明後日の午前中まで暇ってこと!?」
「うん……そう、なる。かな?」
(よし! 天は私に味方してくれたのね!)
心の中で快哉を叫びつつ、ツェラはユリアンの腕をガシッと掴んだ。離さないとばかりに、ギリギリと締め上げる。
「ちょ! 痛い痛い痛い! 痛いってばッ」
「あら、ごめんなさい。つい……。ねぇ、ちょっとお願いがあるの。聞いてくれない?」
「ツェラの頼み? なんか嫌な予感するんだけど……。まぁいいか、暇だし」
いつものように、また些細な使いでも頼まれるんだろう。そう思って疑いもしないユリアンは、二つ返事で安請け合いをした。
「で? 今日はなに? 何を買ってくればいいんだ?」
「私と一緒に来て!」
逃げられてはたまらないと思ってか、ツェラはユリアンと手をつないだ。指と指を絡ませて、がっしりと、ちょっとやそっとでは離れないように。
途端、繋がれたユリアンは、見る間に顔を赤くした。
「なっ、ななななっ! なんだよ、ツェラ。手ぇ離せって。これじゃまるで……」
「まるで何よ? ――四の五の言ってないで、ほら! 行くわよ!!」
恋人繋ぎじゃないか、という最後の言葉は恥ずかしくて言えなかった。
もごもごと語尾を濁せば、しびれを切らしたツェラが強引にユリアンを引っ張り、歩き出した。
「お、おい!! わかった。わかったよ。どこまででもお供しますって! だから、て、て、手を離してくれ、頼む!」
手を離して貰わないことには平常心に戻れないし、赤くなった顔も冷めない。半ば悲鳴のように懇願して、ようやく手は解放された。
突然の出来事に汗を滲ませていた掌が、離れたことでスッと冷える。それがなんとなく寂しくて、ユリアンは己の手をぎゅっと握った。が、次の瞬間にはそんな感傷を振り払った。
ツェラが彼に頼みごとをするのは毎度のことだが、それにしてもこの焦りようは尋常じゃない。どうやら急用のようだ。
「で? どこ行きたいんだ?」
「ねぇ、ユリアン。馬って用意できる? 南に小さな村があるでしょう?」
「は!? 今からビルケ村まで!? 往復で一刻はかかるぞ」
「ダメ、かな?」
ツェラは困ったように眉尻を下げ、小首をかしげて尋ねる。
あざとい、とは思う。けれど、そこが良いのだ。あざとくて何が悪い。ここで引いては男が廃る。
「大丈夫だ! ……たぶん」
先輩や上官にバレたら大目玉を喰らうが、実はみんなこっそり私用で馬を使っている。特に、デートの時には欠かせないのだ。まだ私用に使ったことはないが、やれないことはない。
と、規則やぶりを覚悟してから、はたと気づいた。
ツェラは今、仕事中のはずだ。としたら、どこへ行くにもファーナ姫の命によるものだろう。としたら、これは公用だ。きちんと申請してくれば問題なかろう。
「なあ、ツェラ。それってファーナ姫の命で外出するんだよな?」
「う……うん。まぁそんなところ」
「わかった。ここから一番近いのは……裏門か。裏門で待っててくれ。すぐ行く」
本来であればこういった場合、使用の申請書を上官に提出しなければならないが、急を要することも多く、事後報告も許されている。
厩舎の番人に口頭で、ファーナ姫の用事で馬を使用すると告げればいい。そんなに時間はかからないはずだ。
「ありがとう! すごく助かるわ。やっぱりユリアンは頼もしい」
「――世辞はよせ」
と言ってみたものの、褒められれば嬉しい。ユリアンは頬を染め、照れ隠しにそっぽを向いた。
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