孤悲纏綿──こひてんめん

クイン舎

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五十崎檀子の手記 

三十三

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 あの日、李大龍は最後に、わたしがたくさんの子孫を望むことができると言いましたが、わたしがそんなことを求めなかったのは当然の帰結でしょう。わたしを首だけの姿に変える誰かがいるなら、それは李大龍以外にあり得ないのですから。
 ……けれど李大龍を思い出すとき、わたしは必ずあの少女の首のことも思い出すのです。李大龍とあの少女は、まるで二曲一双の屏風のようにわたしの記憶の中に存在し、生きているのでした。
 結局、あの少女の首が何者であったのか、その詳細について知ることはできませんでしたが、もしかするとあの少女は李大龍の想い人であったのかもしれないということを考えないこともありませんでした。そうすると、どんなにわたしが彼を想っても、李大龍とあの少女の間にわたしが存在できうる隙間などこれっぽっちもないように思えるのでした。
 もちろん、そもそも到底普通の人間などではないであろう李大龍と、ちっぽけな人間のわたしが添えるなどと本気で思っているわけではありません。けれどもわたしの李大龍への想いは、日ごとに、今この瞬間も、刻々と、残酷なまでに膨らんでいくのです。……たとえ彼の傍らにあの首だけの少女が眠っているのだとしても──。

 ……そろそろ、でしょうか。ああ、長かった待つだけの人生も、ついに終わりを迎えようとしています。もしも今夜わたしが死んだなら、それはきっと突然死として処理されるのでしょう。今日の夕方まで、わたしは町の高校で普段と何ら変わりなく教鞭をとっていたのですから。
 しかしこうして思えば、よくもたった一人きりで人生を過ごせてきたように思います。四十八年と少し──決して世間では長いとは言わない時間でしょうが、わたしには恐ろしく長い孤独の時間でした。


 かつて、「恋」という字は「孤悲」と書いていたそうです。孤悲というのは恋愛の感情ばかりを言うものではないのだそうで、土地や季節や自然や時の流れや、そんな人以外のものへの思慕の念をも指したそうです。そして「孤悲」という言葉は同時にまた、求めるものと共にない我が身の孤独を嘆く言葉でもあったそうです。だとすれば、「孤悲」という言葉はなんとわたしに似合いなのでしょう。
 ……それとも、人は皆「孤悲」に煽られ、流され、あてどなく何かを求め続けて生きているものなのでしょうか……。他人との交際をあまり嗜まなかったわたしには、人の抱く感慨というものを理解することができません。わたしは或いはそれを、高祖父や曽祖父、そしてまた祖父や母などの上に見出すことができるのかもしれません。彼らもまた、ずっと何かを恋い慕い、追い求めていたのでしょうから……。

 誰もが皆悲しく、そして等しく孤独だと知ったなら、わたしのこの無為の人生にも一抹の慰めの火が掲げられるのでしょうか……。しかしそれも今となっては詮なきこと、どうでもいいことだと言わざるを得ません。

 あの人は、ほんとうに迎えに来てくれるでしょうか?
 今はまだ健やかと言っても良いほどの正確さで鼓動を打っている心臓が、今夜確かに最後の一拍を打つという直感は、もはや疑いようのない確信となってこの全身を貫いています。それなのに、必ず迎えに来ると言ったあの人の言葉を信じ続けて来たわたしが、この期に及んでその信心を寧ろ薄れさせていくなんて、一体どんな呪いなのかと嘆く以外に、この空白の時間を埋める術がない……この虚しさを誰に理解できようか……。

 ──不思議にも今、あの日わたしの心の中に出現した池の魚がきらめく龍へと変じるイメージが見えています。
 ああ、それはつまり、焦がれて焦がれて、苦しいほどに待ち望んできた瞬間が、確かに来るという前兆に違いありません!  
 あの滴る水音のような声が「我迎ウォーイン接你ヂィエニィー」と囁くのを、わたしは遂に聴くことができる──

 この香り! あの人の匂い……!  
 彼がわたしの元にやって来る……!
 ああ、あの人は確かに約束を果たしに来てくれた……!
 今やっと、わたしは李大龍と












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