紀元7000年の冒険譚

胡桃幸子

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第二章 人魚の宴

7 医者の使命は少なくとも扉を蹴破ることではない

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 借りた客間の床に倒れ込むようにして眠りについてから、気がつくと窓から差し込む日の光はすっかり高くなっていた。
 身体の節々が痛い。ブランケットは下に敷くべきだったか。
 スズメさんは別室だったな、と思い返しながら隣を見るとランがまだ死んだように眠っている。
 普段の穏やかな表情とは違って何かを警戒するような険しい寝顔の、寄った眉の皺をぐりぐりと伸ばすと不機嫌そうに低く唸ったので手を話した。
 その手をぺちりと蒼いものが叩く。

『キャウ』
「起きてたのか。ごめんって」

 いつの間に目を覚ましていたのかルリが主人への無体を咎めるように鳴く。
 それに謝りつつ身じろぎをした時にずれ落ちてしまったブランケットをかけなおしてやって立ち上がった。眠る前に余力を振り絞って立て掛けておいた雪華を腰に差しながら忠実な竜に言う。

「じゃあ腹も減ったし、なんか食えるもんもらってくるな」
『キュイ』

 早く行ってこい、という言葉が聞こえた気がした。


 居間に出ると、メイとエリンちゃんが長老と話しながらなにやら地図に書き込みをしていた。

「あ、兄ちゃんおはよう」
「よく休めたであろうか」

 俺の姿を認めてすぐに話しかけてきたメイと長老に挨拶とよく休めた趣旨を返す。エリンちゃんは小さく頭を下げる。なんだか少し恐がられているみたいだ。
 ……まあ仕方ない。ろくに言葉を交わしていないし、彼女からすると俺はあまり話したことの無い武器持ったお兄さんだ。うん、恐い。

「ランはまだ寝てますけど……。ところで、何を書いているんですか?」

 三人の手元の地図を見やって聞くとメイが「リストアップしてるの」と言った。よくみると家ごとに色が塗られ、人名と年齢、性別が書かれている。

「治療の進行度などをこのようにして表した方が医師殿も分かりやすいと思ってな」
「……なるほど、これは便利ですね。この印は____給水所か」

 俺の言葉に長老は頷く。
 きっと力になりたいという少女たちの願いをくんでこのようなことを一緒にしてくれているのだろう。そして二人が手伝いをするとなると水汲みなどの雑用がメインになるのも見越して地図に書き込んでいるのだ。
 上手いなぁ。
 そう思いながら俺はこの集落に来る前から気になっていたことを聞く。

「ところで、この集落は海賊などの被害は大丈夫ですか? 最近活発化してるって聞いたんですけど」

 決してもし困ってたとしてその海賊が物流を邪魔している連中だったらどさくさに紛れて潰してやろうとか考えている訳ではない。決して。うん。
 そんな俺の心中を知ってか知らずか長老はその心配はごもっとも、と言う。だがすぐに「ご安心を」と微笑まれた。

「ここいらは潮の流れが急故、港まで入ってこれるのは貴殿らが乗ってきた連絡船程の大きさの船でな。漁のために小舟でも使える水路があるにはあるがそこは水門を開いておかねば使えん。最近は病気のせいで水門は閉め切ってあるので海賊は入れまい」
「……分かりました」

 よかった。
 ……決して妹の前で流血沙汰にならなかったのがよかった、とか思っている訳ではない。決して。うん。メイが心配だったんだし。うん。
 良い兄であるな、と長老に目を細められた俺は得意な愛想笑いを浮かべて恐れ入ります、と返した。


 それからは昨夜と同じくまさに怒涛の忙しさだった。

 起き出してきたランと共に長老が説得に成功した家々を回って治療をし続ける。
 最初は見張りとしてスズメさんも同行していたが途中から必要無しと判断して集落の子供たちの遊び相手をしてあげていた。それにしても鬼ごっこで彼女の足で全力疾走はいささか大人気ないと思う。
 手伝うと言ったエリンちゃんはいくら説得に了承したとはいえ行くのは反人魚を掲げる人々の元だ。ランが彼女を必ず誰かと一緒に居させ、それでいて積極的に手伝わせているのはその安全の確保と彼女が病気の子供を助けるのに一役買ったという事実を作る為か。

 そうして家々を回っているとすぐに時間を過ぎ行き、日も暮れかかる。スズメさんは今度はまだ思うように動けないサナさんのところに家事をしに行った。ああ見えて彼女そこそこ家事は出来るので心配することはないだろう。ちょっと大雑把なところはあるが。
 薄着の背中を見送って、最後の患者の家の前に立つ。残っているのは昨日のあの男の息子のみである。事前に聞いた話ではかなりの重症らしい。もしかすると集落一かもしれないとのことだ。そんな一番嬉しくない。

「あの人は最後まで説得を聞かなかったらしいね」

 ぽつりとランが呟く。あまりにも温度のないその声にぎょっとして顔を覗き込んで後悔した。駄目だコイツ目が据わってやがる。

 彼はその表情のまま戸を叩いて自分が医者であること、患者の治療がしたい由を言った。声にもその冷たさが出ている。こわい。

 返事は、ない。

 チッ、と舌打ちの音が響いて、エリンちゃんがビクリと肩を鳴らして俺の背中に隠れる。そうだねー、ランお兄さんこわいねー。アカリお兄さんの方が安全だねー。今日一日でそれなりに懐いてもらえた、ような気がするのは気のせいではないだろう。
 対照的にメイは恐がる素振りも見せない。やだ、俺の妹肝据わりすぎ…?

 そんな後ろの様子に気づいているのかいないのか、ランはそのまま細身のスラックスを纏った脚を片方後ろにずらす。サッとメイが近寄って彼の背負っていた鞄をルリごと受け取った。そして軽く浮かされたそれにはっと察する。

「ちょっ、待て待て待て! ランお前落ち着け!?」
「離してくれるかいアカリ君。僕は医者として、この扉を蹴破らないといけない。それが僕の使命だ」
「医者の使命って治療じゃねえの扉蹴破るまではそれに入らないと思うなぁ!?」

 羽交い締めにしてなんとか動きを止めるがコイツ見た目より力強い。ベストとか色々着込んでやがるが触った感じそれなりに鍛えられている。……医者って筋肉いったっけ?
 扉を蹴破らんと藻掻く彼を抑え込もうとして揉み合う。するとその時戸が開く音がして、俺は彼を袈裟固めにした状態で見上げた。同じように気づいておとなしくなるラン。

 そして俺たちを怪訝そうな目で見やりながら出てきたのはあの男の妻であろう女性だった。その目には見なかったことにしたそうなものが浮かんでいた。ちょっと傷付く。

「あの……取り込み中でしたか……?」
「「いいえ全然」」

 立ち上がってパンパンと土埃を落としていると彼女は周りを見回しながら早口で言う。

「主人は出かけておりますので、今のうちに」

 その言葉に頷いて家の中に身体を滑り込ませた。そのまま女性の案内で廊下の突き当りの部屋に入る。
 その部屋のベッドでは、メイやエリンちゃんと同じくらいの少年が横たわっていた。

「主人は貴方には診させるなと言ったのですが、この子があまりにも苦しそうで……」

 心配そうに我が子を見る母親の目は不安に満ちている。ランがわかりました、とメイから受け取った鞄を床に下ろした。

「治療を開始します」


 治療が開始されてから数時間後、メイは一人で給水所へと向かっていた。手には空のバケツ。
 水はルリでも出すことが出来るが、竜であり医者の相棒であるルリの本来の役割は患者の周囲の魔力をコントロールすること。難航しているらしい治療の最中に水を出すという雑用をする訳にはいかない。

「流石にマリテでもこの時間になると暗いなぁ……。普段ならもう寝てる時間だよ……」

 足早に歩く彼女はいくら気が強い方だとはいえ14歳の幼気な少女。暗い道に不安を覚えるのも仕方ない。ざくろがいればまだ気ももう少し楽だったろうが生憎とマザコンな火の竜は母親たるアカリにべったりだ。
 あの野郎連れて来たのは私なのに、と小さく恨み言を漏らす。

「とっとと水汲んで戻ろう。…………っ!?」

 バケツを抱え直したメイはふと後ろから迫った気配に振り返ろうとする。しかし。

ガンッ

 何かで殴られた。優秀な頭脳は瞬時にそう理解するが身体は動かず、彼女はその場に倒れ伏した。
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