11 / 11
番外編
③ グローヴズ公爵夫人・後編
「旦那様。これはどういうことですの?」
「何だ、こんな時間に。非常識な……俺は疲れてるんだ。手短にしろ」
酒臭い息で椅子にふんぞり返った夫に苛つくが、唇を噛み締めて耐えた。そもそも夜遅くにしか帰宅しないせいで、こんな時間でなければ話が出来ないのだ。
私は手に持っていた書類をオーガストへ突き付ける。夫はそれを一瞥し、ばさりと乱暴に机へ置いた。
「俺が金を何に使おうが口出ししないのではなかったか?」
それは夫に割り当てた予算の支出報告書だ。
使い道に口出した事は無かったが、何に使ったかは把握するようにしていた。大体は遊興費か女への贈り物だったし、賭博や違法行為に手を出していないのならば問題視するつもりはない。
しかしここ数か月、内訳に見慣れないものが並んでいたのだ。肌に優しい布製品、ゆりかごやおもちゃ……つまりは子供用品。
「送り先はエレイン・レスター男爵夫人ですわね?」
「……」
「女性へ金を使う事をとやかく言うつもりはありません。ご結婚なさった愛人の子供用品までお送りになった、その真意を伺いたいですわ」
オーガストがエレインと愛人関係にあることは把握していた。かの女性はその美貌と魅惑的な言動で数多の男を虜にしていると聞く。女好きの夫が彼女を放って置くわけもない。
先ごろエレインがレスター男爵と結婚したと聞いて、夫に飽きられて手近な所で手を打ったのだとばかり思っていた。
しかし侍女として夫の元乳母の娘であるカーラまで遣わし、予算のほとんどをエレインへ継ぎ込んでいる様を見れば、彼女と切れていないことは明白。派閥の底辺貴族であるレスター男爵に、愛人の夫という役目を押しつけて密会を繰り返しているのだろう。
今までの女たちは、少し経てば飽きて捨てていたのに……。随分な入れ込みようだ。
そして現在エレインの腹の中にいる子供の父親が誰か――この支出を見れば明白。
「知り合いの女性へ出産祝いを贈って何が悪い」
「今までそのような気遣いを一度もなさったこともないのに?」
捨てた女が後妻として嫁がされようが、娼館へ送られようが我関せずだった男が出産祝い?もう少しマシな言い訳はないのかしら。
「俺の子だとも言いたいのか?言いがかりも大概にしろ。エレインは既婚者だぞ。父親はレスター男爵に決まっているだろうが。……ああ。彼女に嫉妬しているのか。完璧を唄われる公爵夫人とて、これだけはどうしようもないものなあ。子を孕むことだけは」
フンと鼻を鳴らし、嘲笑を浮かべて去る夫がすれ違いざまに「石女が」と呟いたのを、私は聞き逃さなかった。
「お忙しいところにお時間を取って頂いて申し訳ございません、王太子殿下」
「構わない。君が俺の所へ来るのだから、よっぽどの事だろう」
セドリック殿下の指示で、側近たちは部屋から退出させた。二人きりという状況を防ぐため扉は空けたままで、外の護衛騎士は私たちの姿が見える位置に立たせた。勿論、防音障壁の魔法は掛けて貰っているけれど。
私の話を聞いたセドリック殿下の顔は、どんどん険しくなっていった。
「何と……そんなことが……。これはグローヴズ公爵家だけではなく、王家にも関わることだ。かの男爵夫人が産む子は、王族の血を引くのだから」
「申し訳ございません。私の管理不行き届きです」
「いや、君のせいではない。しかしエレイン・レスター男爵夫人か……。男を惑わす蝶とは聞いていたが、こうなるともはや毒婦だな」
何度かエレインに夜会で出くわして話したことがあるが……何というか、私と真逆の存在だと思った。
庇護欲をそそる見た目にそぐわぬふわふわとした喋り方。しかし男心をくすぐるポイントは心得ており、時折鋭い言葉を紡ぐところは決して暗愚でない。むしろ頭の良い女性だと感じた。
女慣れしているオーガストすら虜にさせる程の手練手管を、どこで身につけたのか不思議だ。
「王家としても看過できる事ではない。影を使うか?」
「私の方で対処しますから、それには及びませんわ」
私はエレインのことを嫌いではなかった。
夫は、男たちの垂涎の的であるエレインを手に入れたことにひどく満足していた。むしろ彼女が夫の寵愛を一身に引き受けてくれていることを、有難いとすら思っていた程だ。
だけど、これだけは認められない。
外で種をばら撒くなという契約を破った上、それを隠して余所の子供として育てようとしているのだもの。
ならば私も好きにさせて貰うわ。
「それと……一つだけ、殿下にお願いしたいことがありますの」
$$$
「貴方、お加減はどうかしら」
「……良いように見えるか」
薄暗い部屋の中で、怠そうにベッドから身体を起こした夫が不機嫌に鼻を鳴らした。
ここ数年、夫は急激に体が弱り今やベッドの住人だ。美しかった金髪はすっかり白髪となり、やせ細って眼窩は落ちくぼみ骸骨のよう。医師には肺の病気とは言われたため、こうやって離れに隔離している。
「公爵家の当主を、こんなみすぼらしい部屋で療養させるなど正気の沙汰ではない。これでは良くなるものも良くならん。本邸の一番良い部屋へ移動させろ」
「貴方はもう当主ではございませんわよ」
「俺は認めていない!お前では話にならん。ヴィンセントを呼んで来い」
「あの子は当主となったばかりで忙しいのですもの。貴方の相手などしている暇はございませんわ」
この離れを訪れる者などおらず、使用人は最小限。女や取り巻きに囲まれ派手な生活を当たり前のように享受していた身にはさぞ堪えることでしょうね。
シェリルが産まれて数年後に私も息子を産んだが、夫は全く興味を示さなかった。おかげで息子ヴィンセントは父親を毛嫌いしている。オーガストがどれだけ喚こうが、ヴィンセントが彼の言葉に耳を貸すはずもない。
「親子揃って馬鹿にしおって……!ならば兄上から命を出して貰うまでだ。代わりにお前たちを幽閉してや……ゲホッゲホッ」
「落ち着いて下さいませ。引退なさった陛下にそのような権限はございませんわ」
昨年、財務大臣アドキンズ侯爵が王宮の予算を横領していたことが発覚し、芋づる式に重臣の多くが罷免された。彼らを任命した国王陛下も責任を問われ、セドリック王太子に譲位し今は離宮で幽閉されている。
実際のところは、いつまでも王の座へ居座る国王に業を煮やしたセドリック殿下や貴族たちがクーデターに近い形で陛下を引退させたのだ。陛下に追従して甘い汁を吸っていた重臣も一掃され、新王による統治は歓迎でもって受け入れられている。
その一掃には当然、オーガストも含まれていた。我が家は急病による当主の交代、及びオーガストの幽閉という形でセドリック王へ恭順の意を示したのだ。
「そんなに興奮したらますます具合が悪くなりますわよ。医師は穏やかに過ごせばあと数年は生きられると仰っていましたもの。残された生を穏やかに過ごされた方がよろしいかと思いますわ」
「あんな藪医師の言う事など信じるか!王家お抱えの医師を呼べっ」
「陛下はいち貴族如きに王宮医師を遣わせたりはしませんわ。公正な方ですもの」
「俺はセドリックの叔父だぞ。俺の頼みだと言えばあいつは従う」
オーガストの中では、今でも甥は自分の言いなりになる子供なのだろう。当のセドリック陛下は、蛇蝎の如く叔父を嫌っているというのに。
そもそもこの家の使用人は私かヴィンセントの命令しか聞かないから、伝えることもできないでしょうけれど。
「……ああ、そういえば。ロートン侯爵令息夫人も、病のため領地で隠棲されたらしいですわ」
面倒になってきたので、話を逸らすべく私は話題を変えた。
「何だと……!?そんな報告は聞いていない。カーラは何をしているのだ。すぐに医師を」
案の定、夫は喰いついた。私の前では頑なにシェリルを自分の娘と認めなかったことは、すっかり失念しているらしい。
「カーラからは、貴方と同じ肺の病と聞いておりますわ。もう長くないかもしれないとか。……ふふ。良かったですわね。これで貴方も寂しくないでしょう?愛娘と共に天の国へ逝けるのだから」
「貴様、何を……。まさか……毒か?貴様、俺のみならず、シェリルにも毒を……!」
驚愕で目を見開く夫を、私は黙って見下ろした。
エレインが亡くなった後、残された娘に対する夫の偏愛は加速した。自らの予算をシェリルに注ぎ込み、変装して様子を見に行くこともあったらしい。もはや執着と言っていいいだろう。
シェリル……あの愚かな、そして可哀想な娘。
彼女を見たくてカルヴァート侯爵家のお茶会に呼ばせたことがあった。そこにいたのは猿かと思うほどに躾のなっていない娘。
子供を育てたことのない夫は、衣食住さえ潤沢に与えていれば勝手に育つと思っているのだろう。あの様子では、レスター男爵も実の娘でもない彼女の教育は放棄したらしい。
その結果があれだ。見た目だけは母親に似ているけれど、エレインが持っていた賢しさも強かさも無い。夫の身勝手が、あの害悪でしかない娘を育て上げたのだ。
シェリルが問題を起こす度に、オーガストは公爵家の圧力を使って事を収めようとした。その裏で私がどれだけ奔走したことか……。
ロートン侯爵令息がシェリルと婚約させられたという話を聞いたときは頭を抱えたわ。彼女はあのお茶会で彼に助けられて以降、令息に執着していたらしい。
執着心が強いのは父親譲りかしらね。
お茶会に私がシェリルを呼んだせいでもあるから、私はロートン侯爵家に対してかなりの便宜を図った。我が家がどれだけの損を被ったか、この傲慢な男には分かるまい。
夫は激高し、私の手を掴んだ。
「許さん……許さんぞ!あれは俺とエレインの、真実の愛で結ばれた俺たちの結晶だ。手を出すことは許さん!」
真実の愛?陳腐なフレーズね。笑っちゃうわ。
「その愛のせいで、どれだけの人間の迷惑をかけたと思っているの?」
「知るか!俺たちの崇高な愛の踏み台になるのならば、光栄なことだろうが」
夫が掴む手は、私が簡単に解ける程に弱々しかった。逆に骨と皮ばかりのその腕を掴み返すと、夫は「ぐぅ……」と痛みに顔を顰める。
「崇高な愛?それが何の足しになるのかしら。貴方が女遊びに耽け贅を尽くした生活が出来たのも、全て私と部下たちがこの家を、そして領地を守ってきたからです。ヴィンセントが成人した今、貴方はこの家に不要なのよ」
私はぐぃと夫へ顔を寄せる。その剣幕にたじろいだのか、オーガストが後ろに身を引いた。
「お前を迎えたことは我がグローヴズ一族最大の汚点よ。お前は愚かな王に準じた恥部として、いずれ我が家の家系図から名を抹消する。お前がこの家にいた記録は全て消すわ。お前は何一つ残せず、名も無き者として、誰もいないこの部屋で朽ちてゆくのよ」
「俺は正当な血を引く王族だ。公爵家如きに降下してやったのだから、ひれ伏して感謝すべきだろうが!『何一つ残せない』だと?跡継ぎは俺の息子だ。俺の血はこの先もこの家に根付く。お前の思い通りにはならない。残念だったな!」
「あら。貴方に息子なんていないわよ?」
「は?」
その言葉の意味を理解したのだろう。疑問符を浮かべていたオーガストの顔がみるみるうちに歪んでいった。
「まさか……貴様、不貞をしていたのか!!」
察しのいいこと。
私ね、クズ男の血は一滴たりとも遺さないと決めたのよ。あの初夜の晩に。
「俺の子ならば、低いとはいえ王位継承権がある。貴様は王家を謀ったのだ。極刑に値する重罪だぞ!」
「心配ありませんわ」と、私はオーガストに向かって満面の笑みを浮かべてみせた。
「……だって。あの子はちゃんと王族の血を引いていますもの」
夫の顔が絶望に染まった。息子が誰の子供なのか、そして誰の指示でこの幽閉がなされたのか――理解したらしい。
ああ、その顔の滑稽なこと!この30年の鬱憤が晴れるようだわ。
「フレデリカぁぁぁぁ!!!」
夫の絶叫を背に、私は扉を閉めた。
そうだわ。彼は病で意識が混濁しているようだから、何を言っても相手にしないようにと使用人に言い含めて置かなきゃね。
あの様子では、お迎えが来る日も近いでしょう。
念願の真に愛するお相手やその娘と共に過ごせるんだから感謝して欲しいくらいだわ。行き先は天の国ではなく、地獄かもしれないけれど。
シェリルはまだ若いから夫ほど薬の効き目は早くないようだけれど、カーラの手紙では領地送りになって気落ちしたのか、体調を崩しがちらしい。
夫は自分に忠実な乳母の娘なのだから、カーラもまた自分の言うとおりになる駒だと思っていたようだけれど。カーラは夫に従う振りをして、ずっと私へ情報を流してくれていたのだ。
医師ですら肺の病気と誤認する、王家の秘薬をシェリルへ与え続けていたのも彼女。
カーラが死産のせいで婚家を追い出されたときも。心身が衰弱しているのに元夫に訴えられかけたときも。カーラを助けたのは私の亡き母と私だ。そんな彼女が、オーガストより私に忠誠を誓うのは当然でしょう。
これでようやく我が家へ纏わりついてきたゴミを消せるわ。
ヴィンセントはあの方に似て優秀だ。まだまだ補佐は必要だけれど、いずれ良き領主になるだろう。
我が家にあのクズの血を入れずに済んで本当に良かった。王位継承権については必要になることは無いと思う。新王には、他国から迎えた正妃様との間に王子が二人いらっしゃるのだもの。
これが我が家の、私の正しい道よ。例えこの手が血に塗れていようとも、悔いは無いわ。
「何だ、こんな時間に。非常識な……俺は疲れてるんだ。手短にしろ」
酒臭い息で椅子にふんぞり返った夫に苛つくが、唇を噛み締めて耐えた。そもそも夜遅くにしか帰宅しないせいで、こんな時間でなければ話が出来ないのだ。
私は手に持っていた書類をオーガストへ突き付ける。夫はそれを一瞥し、ばさりと乱暴に机へ置いた。
「俺が金を何に使おうが口出ししないのではなかったか?」
それは夫に割り当てた予算の支出報告書だ。
使い道に口出した事は無かったが、何に使ったかは把握するようにしていた。大体は遊興費か女への贈り物だったし、賭博や違法行為に手を出していないのならば問題視するつもりはない。
しかしここ数か月、内訳に見慣れないものが並んでいたのだ。肌に優しい布製品、ゆりかごやおもちゃ……つまりは子供用品。
「送り先はエレイン・レスター男爵夫人ですわね?」
「……」
「女性へ金を使う事をとやかく言うつもりはありません。ご結婚なさった愛人の子供用品までお送りになった、その真意を伺いたいですわ」
オーガストがエレインと愛人関係にあることは把握していた。かの女性はその美貌と魅惑的な言動で数多の男を虜にしていると聞く。女好きの夫が彼女を放って置くわけもない。
先ごろエレインがレスター男爵と結婚したと聞いて、夫に飽きられて手近な所で手を打ったのだとばかり思っていた。
しかし侍女として夫の元乳母の娘であるカーラまで遣わし、予算のほとんどをエレインへ継ぎ込んでいる様を見れば、彼女と切れていないことは明白。派閥の底辺貴族であるレスター男爵に、愛人の夫という役目を押しつけて密会を繰り返しているのだろう。
今までの女たちは、少し経てば飽きて捨てていたのに……。随分な入れ込みようだ。
そして現在エレインの腹の中にいる子供の父親が誰か――この支出を見れば明白。
「知り合いの女性へ出産祝いを贈って何が悪い」
「今までそのような気遣いを一度もなさったこともないのに?」
捨てた女が後妻として嫁がされようが、娼館へ送られようが我関せずだった男が出産祝い?もう少しマシな言い訳はないのかしら。
「俺の子だとも言いたいのか?言いがかりも大概にしろ。エレインは既婚者だぞ。父親はレスター男爵に決まっているだろうが。……ああ。彼女に嫉妬しているのか。完璧を唄われる公爵夫人とて、これだけはどうしようもないものなあ。子を孕むことだけは」
フンと鼻を鳴らし、嘲笑を浮かべて去る夫がすれ違いざまに「石女が」と呟いたのを、私は聞き逃さなかった。
「お忙しいところにお時間を取って頂いて申し訳ございません、王太子殿下」
「構わない。君が俺の所へ来るのだから、よっぽどの事だろう」
セドリック殿下の指示で、側近たちは部屋から退出させた。二人きりという状況を防ぐため扉は空けたままで、外の護衛騎士は私たちの姿が見える位置に立たせた。勿論、防音障壁の魔法は掛けて貰っているけれど。
私の話を聞いたセドリック殿下の顔は、どんどん険しくなっていった。
「何と……そんなことが……。これはグローヴズ公爵家だけではなく、王家にも関わることだ。かの男爵夫人が産む子は、王族の血を引くのだから」
「申し訳ございません。私の管理不行き届きです」
「いや、君のせいではない。しかしエレイン・レスター男爵夫人か……。男を惑わす蝶とは聞いていたが、こうなるともはや毒婦だな」
何度かエレインに夜会で出くわして話したことがあるが……何というか、私と真逆の存在だと思った。
庇護欲をそそる見た目にそぐわぬふわふわとした喋り方。しかし男心をくすぐるポイントは心得ており、時折鋭い言葉を紡ぐところは決して暗愚でない。むしろ頭の良い女性だと感じた。
女慣れしているオーガストすら虜にさせる程の手練手管を、どこで身につけたのか不思議だ。
「王家としても看過できる事ではない。影を使うか?」
「私の方で対処しますから、それには及びませんわ」
私はエレインのことを嫌いではなかった。
夫は、男たちの垂涎の的であるエレインを手に入れたことにひどく満足していた。むしろ彼女が夫の寵愛を一身に引き受けてくれていることを、有難いとすら思っていた程だ。
だけど、これだけは認められない。
外で種をばら撒くなという契約を破った上、それを隠して余所の子供として育てようとしているのだもの。
ならば私も好きにさせて貰うわ。
「それと……一つだけ、殿下にお願いしたいことがありますの」
$$$
「貴方、お加減はどうかしら」
「……良いように見えるか」
薄暗い部屋の中で、怠そうにベッドから身体を起こした夫が不機嫌に鼻を鳴らした。
ここ数年、夫は急激に体が弱り今やベッドの住人だ。美しかった金髪はすっかり白髪となり、やせ細って眼窩は落ちくぼみ骸骨のよう。医師には肺の病気とは言われたため、こうやって離れに隔離している。
「公爵家の当主を、こんなみすぼらしい部屋で療養させるなど正気の沙汰ではない。これでは良くなるものも良くならん。本邸の一番良い部屋へ移動させろ」
「貴方はもう当主ではございませんわよ」
「俺は認めていない!お前では話にならん。ヴィンセントを呼んで来い」
「あの子は当主となったばかりで忙しいのですもの。貴方の相手などしている暇はございませんわ」
この離れを訪れる者などおらず、使用人は最小限。女や取り巻きに囲まれ派手な生活を当たり前のように享受していた身にはさぞ堪えることでしょうね。
シェリルが産まれて数年後に私も息子を産んだが、夫は全く興味を示さなかった。おかげで息子ヴィンセントは父親を毛嫌いしている。オーガストがどれだけ喚こうが、ヴィンセントが彼の言葉に耳を貸すはずもない。
「親子揃って馬鹿にしおって……!ならば兄上から命を出して貰うまでだ。代わりにお前たちを幽閉してや……ゲホッゲホッ」
「落ち着いて下さいませ。引退なさった陛下にそのような権限はございませんわ」
昨年、財務大臣アドキンズ侯爵が王宮の予算を横領していたことが発覚し、芋づる式に重臣の多くが罷免された。彼らを任命した国王陛下も責任を問われ、セドリック王太子に譲位し今は離宮で幽閉されている。
実際のところは、いつまでも王の座へ居座る国王に業を煮やしたセドリック殿下や貴族たちがクーデターに近い形で陛下を引退させたのだ。陛下に追従して甘い汁を吸っていた重臣も一掃され、新王による統治は歓迎でもって受け入れられている。
その一掃には当然、オーガストも含まれていた。我が家は急病による当主の交代、及びオーガストの幽閉という形でセドリック王へ恭順の意を示したのだ。
「そんなに興奮したらますます具合が悪くなりますわよ。医師は穏やかに過ごせばあと数年は生きられると仰っていましたもの。残された生を穏やかに過ごされた方がよろしいかと思いますわ」
「あんな藪医師の言う事など信じるか!王家お抱えの医師を呼べっ」
「陛下はいち貴族如きに王宮医師を遣わせたりはしませんわ。公正な方ですもの」
「俺はセドリックの叔父だぞ。俺の頼みだと言えばあいつは従う」
オーガストの中では、今でも甥は自分の言いなりになる子供なのだろう。当のセドリック陛下は、蛇蝎の如く叔父を嫌っているというのに。
そもそもこの家の使用人は私かヴィンセントの命令しか聞かないから、伝えることもできないでしょうけれど。
「……ああ、そういえば。ロートン侯爵令息夫人も、病のため領地で隠棲されたらしいですわ」
面倒になってきたので、話を逸らすべく私は話題を変えた。
「何だと……!?そんな報告は聞いていない。カーラは何をしているのだ。すぐに医師を」
案の定、夫は喰いついた。私の前では頑なにシェリルを自分の娘と認めなかったことは、すっかり失念しているらしい。
「カーラからは、貴方と同じ肺の病と聞いておりますわ。もう長くないかもしれないとか。……ふふ。良かったですわね。これで貴方も寂しくないでしょう?愛娘と共に天の国へ逝けるのだから」
「貴様、何を……。まさか……毒か?貴様、俺のみならず、シェリルにも毒を……!」
驚愕で目を見開く夫を、私は黙って見下ろした。
エレインが亡くなった後、残された娘に対する夫の偏愛は加速した。自らの予算をシェリルに注ぎ込み、変装して様子を見に行くこともあったらしい。もはや執着と言っていいいだろう。
シェリル……あの愚かな、そして可哀想な娘。
彼女を見たくてカルヴァート侯爵家のお茶会に呼ばせたことがあった。そこにいたのは猿かと思うほどに躾のなっていない娘。
子供を育てたことのない夫は、衣食住さえ潤沢に与えていれば勝手に育つと思っているのだろう。あの様子では、レスター男爵も実の娘でもない彼女の教育は放棄したらしい。
その結果があれだ。見た目だけは母親に似ているけれど、エレインが持っていた賢しさも強かさも無い。夫の身勝手が、あの害悪でしかない娘を育て上げたのだ。
シェリルが問題を起こす度に、オーガストは公爵家の圧力を使って事を収めようとした。その裏で私がどれだけ奔走したことか……。
ロートン侯爵令息がシェリルと婚約させられたという話を聞いたときは頭を抱えたわ。彼女はあのお茶会で彼に助けられて以降、令息に執着していたらしい。
執着心が強いのは父親譲りかしらね。
お茶会に私がシェリルを呼んだせいでもあるから、私はロートン侯爵家に対してかなりの便宜を図った。我が家がどれだけの損を被ったか、この傲慢な男には分かるまい。
夫は激高し、私の手を掴んだ。
「許さん……許さんぞ!あれは俺とエレインの、真実の愛で結ばれた俺たちの結晶だ。手を出すことは許さん!」
真実の愛?陳腐なフレーズね。笑っちゃうわ。
「その愛のせいで、どれだけの人間の迷惑をかけたと思っているの?」
「知るか!俺たちの崇高な愛の踏み台になるのならば、光栄なことだろうが」
夫が掴む手は、私が簡単に解ける程に弱々しかった。逆に骨と皮ばかりのその腕を掴み返すと、夫は「ぐぅ……」と痛みに顔を顰める。
「崇高な愛?それが何の足しになるのかしら。貴方が女遊びに耽け贅を尽くした生活が出来たのも、全て私と部下たちがこの家を、そして領地を守ってきたからです。ヴィンセントが成人した今、貴方はこの家に不要なのよ」
私はぐぃと夫へ顔を寄せる。その剣幕にたじろいだのか、オーガストが後ろに身を引いた。
「お前を迎えたことは我がグローヴズ一族最大の汚点よ。お前は愚かな王に準じた恥部として、いずれ我が家の家系図から名を抹消する。お前がこの家にいた記録は全て消すわ。お前は何一つ残せず、名も無き者として、誰もいないこの部屋で朽ちてゆくのよ」
「俺は正当な血を引く王族だ。公爵家如きに降下してやったのだから、ひれ伏して感謝すべきだろうが!『何一つ残せない』だと?跡継ぎは俺の息子だ。俺の血はこの先もこの家に根付く。お前の思い通りにはならない。残念だったな!」
「あら。貴方に息子なんていないわよ?」
「は?」
その言葉の意味を理解したのだろう。疑問符を浮かべていたオーガストの顔がみるみるうちに歪んでいった。
「まさか……貴様、不貞をしていたのか!!」
察しのいいこと。
私ね、クズ男の血は一滴たりとも遺さないと決めたのよ。あの初夜の晩に。
「俺の子ならば、低いとはいえ王位継承権がある。貴様は王家を謀ったのだ。極刑に値する重罪だぞ!」
「心配ありませんわ」と、私はオーガストに向かって満面の笑みを浮かべてみせた。
「……だって。あの子はちゃんと王族の血を引いていますもの」
夫の顔が絶望に染まった。息子が誰の子供なのか、そして誰の指示でこの幽閉がなされたのか――理解したらしい。
ああ、その顔の滑稽なこと!この30年の鬱憤が晴れるようだわ。
「フレデリカぁぁぁぁ!!!」
夫の絶叫を背に、私は扉を閉めた。
そうだわ。彼は病で意識が混濁しているようだから、何を言っても相手にしないようにと使用人に言い含めて置かなきゃね。
あの様子では、お迎えが来る日も近いでしょう。
念願の真に愛するお相手やその娘と共に過ごせるんだから感謝して欲しいくらいだわ。行き先は天の国ではなく、地獄かもしれないけれど。
シェリルはまだ若いから夫ほど薬の効き目は早くないようだけれど、カーラの手紙では領地送りになって気落ちしたのか、体調を崩しがちらしい。
夫は自分に忠実な乳母の娘なのだから、カーラもまた自分の言うとおりになる駒だと思っていたようだけれど。カーラは夫に従う振りをして、ずっと私へ情報を流してくれていたのだ。
医師ですら肺の病気と誤認する、王家の秘薬をシェリルへ与え続けていたのも彼女。
カーラが死産のせいで婚家を追い出されたときも。心身が衰弱しているのに元夫に訴えられかけたときも。カーラを助けたのは私の亡き母と私だ。そんな彼女が、オーガストより私に忠誠を誓うのは当然でしょう。
これでようやく我が家へ纏わりついてきたゴミを消せるわ。
ヴィンセントはあの方に似て優秀だ。まだまだ補佐は必要だけれど、いずれ良き領主になるだろう。
我が家にあのクズの血を入れずに済んで本当に良かった。王位継承権については必要になることは無いと思う。新王には、他国から迎えた正妃様との間に王子が二人いらっしゃるのだもの。
これが我が家の、私の正しい道よ。例えこの手が血に塗れていようとも、悔いは無いわ。
この作品の感想を投稿する
みんなの感想(11件)
あなたにおすすめの小説
五度目の人生でも「君を愛することはない」と言われたので、私も愛を捨てました
たると
恋愛
「ルチア、私は君を愛することはない。この婚約は単なる義務だ」
冷徹な公爵、アルベルトの声が夜会会場の片隅で響く。
これで、五度目だ。
私は深く、そして軽やかに一礼した。
「承知いたしました。では、今後はそのように」
これまでは泣いて縋り、彼を振り向かせようと必死に尽くしてきた。
だが、死に戻りを五回も繰り返せば、流石に飽きる。
私は彼を愛することを、きっぱりと辞めた。
私が義姉ですがなにか?
透明
恋愛
ルーク王子は激怒した。
必ず、かの邪智暴虐の義姉を除かねばならぬと決意した。
かわいいポピー嬢を虐げる義姉を懲らしめるためにポピーの家に行ったルーク王子と取り巻きたち。
あれ?あなたは誰ですか?
「最高の縁談なのでしょう?なら、かわってあげたら喜んでくれますよね!」
みっちぇる。
恋愛
侯爵令嬢のラリアは20歳。立派な嫁きおくれである。
というのも、義母がなかなかデビューさせてくれないのだ。
なにか意図を感じつつも、周りは義母の味方ばかり。
そん中、急にデビュタントの許可と婚約を告げられる。
何か裏がある――
相手の家がどういうものかを知り、何とかしようとするが、非力なラリアには何も手段がない。
しかし、そんな彼女にも救いの手が……?
幼馴染が最優先な婚約者など、私の人生には不要です。
たると
恋愛
シュタイン伯爵家の長女エルゼは、公爵子息フィリップに恋をしていた。
彼の婚約者として選ばれた時は涙を流して喜んだが、その喜びもいまは遠い。
『君は一人でも大丈夫だろう。この埋め合わせは必ずする。愛している』
「……『愛している』、ですか」
いつも幼馴染を優先するアルベルトに、恋心はすっかり冷めてしまった。
父が後妻with義姉を連れてきた
satomi
恋愛
突然に父が後妻を連れてきました。それも義姉付きで。義姉と私は血の繋がりがあるそうです。つまり、父は長年にわたり不貞を…。
最近家を出ていった母の気持がわかります。確かに『気持ち悪い』。
私はトピア=ランスルー子爵家の次女になったようです。
ワガママ放題の義姉、アピアお義姉様を家から出したかったのでしょうか?父は私とお義姉様を王立学園の淑女学科に入学させました。全寮制なので、家からお義姉様はいなくなりました。
ともあれ、家での傍若無人な人間関係とはオサラバ!
私の楽しい学園生活はここからです!
とある伯爵の憂鬱
如月圭
恋愛
マリアはスチュワート伯爵家の一人娘で、今年、十八才の王立高等学校三年生である。マリアの婚約者は、近衛騎士団の副団長のジル=コーナー伯爵で金髪碧眼の美丈夫で二十五才の大人だった。そんなジルは、国王の第二王女のアイリーン王女殿下に気に入られて、王女の護衛騎士の任務をしてた。そのせいで、婚約者のマリアにそのしわ寄せが来て……。
公爵家の跡取り娘であるが故に王太子と婚姻を結べなかったフレデリカとセドリック。爵位目当てで10歳も年上の放蕩親父と不本意な王命での婚姻を結ばされ、王太子としての公爵家の跡取りとして義務を果たそうとした2人としては、さぞやムカついていたことでしょう。
フレデリカが猿親父との間に子どもが出来なかったのは、作らない選択をしたから?猿親父が契約違反をしたのを見計らって、想い人同士?で子どもをもうけたのは良かったなぁと。
この2人ならば、猿親父と違ってあからさまな溺愛はしなさそうなので、結果オーライって感じ?
フレデリカが評価するファム・ファタールエレインは、どうしてこんなクズの愛人になったのか?不本意だったのかなぁとか思っちゃいました。彼女がまさかの男爵狙いだったとしたら面白いなぁと。
お読み頂きありがとうございます!
フレデリカは夫との間に子が出来ないように、閨事の後は避妊薬を飲んでいました。そしてタイミングを合わせて王太子と…です。
エレインは美貌ゆえに男絡みでトラブルに巻き込まれることが多かったため、一番権力のある公爵の愛人になりました。本心ではレスター男爵のような、普通の相手と普通の生活がしたかった…のかもしれません。
王太子と種馬じゃ品性に雲泥の差!!!
そもそも当主は公爵家の血統だろうに。マジで膿だわ。国王のほうが膿。種馬押し付けられても迷惑よ。さっさと毒杯飲ませりゃ良かったのに。
いつもご感想ありがとうございます!
品性に雲泥の差>叔父と甥なのに、どうしてこんなに違うのかw
腐っても国王がバックにいる以上、オーガストに直接手を出すことは出来ませんでした。国王が引退した後はまあ当然…ですね。
婚約者にも話せなかったから歪んだのね、男爵は。
でも、話しちゃえばよかったのに。
愛人を押し付けられたことを。
あと、後妻さんを見下してたのね。
それは見限られるわ。
始末がついて良かったです。
いつもご感想ありがとうございます!
契約書にサインさせられていたため、元婚約者に真実を話すことは出来ませんでした。
後妻ヘレナの事は尊重してはいたのですが、仰る通り本心ではエレインと比較して見下していたのです。エレインに心を奪われてしまったのは仕方ないとしても、新しい家族は大切にすべきでしたね…。