2 / 6
2
アリシアはハーネット伯爵家の長女として生まれた。
物心がついた最初の記憶は、両親が怒鳴り合っている姿である。アリシアの母親は非常に気に強い女性だった。それだけならば良い。だが彼女は歯に衣着せぬ物言いで、相手の失敗や欠点をあげつらう癖があった。
あまりの酷い言葉に、泣きながら辞めていくメイドもいた。夜会で貴族夫人と言い合いになり、その夫から抗議がきたこともあった。
毎回その対応に振り回されていたハーネット伯爵との夫婦仲がどんどん冷えこんでいったのは、当然のことだろう。
彼女はアリシアの弟を産んだあと、義務は終わったとばかりに夫へ離婚を突きつけて実家へ戻っていった。
「アリシア。貴族女性は淑やかで夫に従順であるべきだ。決して、お前の母親のようになってはいけないよ」
去っていく妻を見送りながらハーネット伯爵は娘へそう話した。まだ五歳のアリシアには、父親の言を疑うことなど思いも寄らないことだ。だから彼女はただ素直に「はい、お父様」と答えたのだった。
そうして、アリシアは物言わぬ令嬢となった。何が欲しいとも、何がしたいとも自分からは言わない。
親や家庭教師からすれば、手のかからない娘だった。
ドレスは侍女の選んだものを着るし、食べ物に好き嫌いはせず出されたものを大人しく食べる。趣味は刺繍を少し。これも家庭教師にそう指示されたからだった。
年頃になり、当然のことながらアリシアにも婚約話が幾つか舞い込んだ。
最初は伯爵家の長男だった。
互いの家格は同等。人柄も問題なく、申し分のない相手である。
ガーネットの瞳に美しくなびく銀髪を持つ彼女にすっかり惹かれた彼は、足しげくハーネット家に通った。だがしばらくして、婚約を丁重にを断る連絡が来た。
曰く、「あまりにも喋らないので、何を考えているか分からない。一緒にいて楽しくない。そのような方と家庭を持つのは……」ということだった。
その後も何人かの令息と顔合わせをしたが、みな同じだった。しばらくすると断りの連絡が来る。
貴族の間でアリシアの噂が広がった。もちろん、悪い意味で。
何度も婚約を断られた令嬢。ほとんど喋らないらしい。頭が弱いんじゃないか?などと揶揄する者もいた。
そうして彼女は”人形姫”というあだ名を付けられることになったのだ。
そんな彼女に、ようやく婚約までこぎ着ける相手が現れた。
それがクライヴ・アシュレー侯爵令息である。アシュレー侯爵家はハーネット家が新規に起こした事業の提携先だった。
「うちには気の強い姉と妹がいてね。あいつらといると息が詰まる。君のような淑やかな女性を是非妻に迎えたい」
そう言って差し伸べられた手を、アリシアは取った。尤も、それは彼女の意志ではなく、父親がそう望んだからだったが。
「派手な装いの女性はあまり好きじゃないんだ」
彼の言うとおり、流行遅れの地味なドレスを着た。野暮ったい髪型のせいでその美しい瞳は隠れてしまった。
「すまない、急用が入ったんだ。父の仕事の関係で」
そう言って誕生日をすっぽかされ贈り物一つ貰えなくても、不満は述べなかった。
「取引先のご令嬢でね。付き合いだから仕方ないんだ。分かってくれるよね」
夜会で自分以外の令嬢をエスコートしている婚約者を見ても、何も言わなかった。
「アリシア、クライヴ君とは仲良くやっているかい?」
ハーネット伯爵は時折、娘に尋ねる。アリシアの答えはいつも同じだ。
「はい、お父様。何も問題はございませんわ」
「そうか。この婚約は両家の結束を高めるためのものだ。事業を成功させるためにも、どうか上手くやっておくれ」
物心がついた最初の記憶は、両親が怒鳴り合っている姿である。アリシアの母親は非常に気に強い女性だった。それだけならば良い。だが彼女は歯に衣着せぬ物言いで、相手の失敗や欠点をあげつらう癖があった。
あまりの酷い言葉に、泣きながら辞めていくメイドもいた。夜会で貴族夫人と言い合いになり、その夫から抗議がきたこともあった。
毎回その対応に振り回されていたハーネット伯爵との夫婦仲がどんどん冷えこんでいったのは、当然のことだろう。
彼女はアリシアの弟を産んだあと、義務は終わったとばかりに夫へ離婚を突きつけて実家へ戻っていった。
「アリシア。貴族女性は淑やかで夫に従順であるべきだ。決して、お前の母親のようになってはいけないよ」
去っていく妻を見送りながらハーネット伯爵は娘へそう話した。まだ五歳のアリシアには、父親の言を疑うことなど思いも寄らないことだ。だから彼女はただ素直に「はい、お父様」と答えたのだった。
そうして、アリシアは物言わぬ令嬢となった。何が欲しいとも、何がしたいとも自分からは言わない。
親や家庭教師からすれば、手のかからない娘だった。
ドレスは侍女の選んだものを着るし、食べ物に好き嫌いはせず出されたものを大人しく食べる。趣味は刺繍を少し。これも家庭教師にそう指示されたからだった。
年頃になり、当然のことながらアリシアにも婚約話が幾つか舞い込んだ。
最初は伯爵家の長男だった。
互いの家格は同等。人柄も問題なく、申し分のない相手である。
ガーネットの瞳に美しくなびく銀髪を持つ彼女にすっかり惹かれた彼は、足しげくハーネット家に通った。だがしばらくして、婚約を丁重にを断る連絡が来た。
曰く、「あまりにも喋らないので、何を考えているか分からない。一緒にいて楽しくない。そのような方と家庭を持つのは……」ということだった。
その後も何人かの令息と顔合わせをしたが、みな同じだった。しばらくすると断りの連絡が来る。
貴族の間でアリシアの噂が広がった。もちろん、悪い意味で。
何度も婚約を断られた令嬢。ほとんど喋らないらしい。頭が弱いんじゃないか?などと揶揄する者もいた。
そうして彼女は”人形姫”というあだ名を付けられることになったのだ。
そんな彼女に、ようやく婚約までこぎ着ける相手が現れた。
それがクライヴ・アシュレー侯爵令息である。アシュレー侯爵家はハーネット家が新規に起こした事業の提携先だった。
「うちには気の強い姉と妹がいてね。あいつらといると息が詰まる。君のような淑やかな女性を是非妻に迎えたい」
そう言って差し伸べられた手を、アリシアは取った。尤も、それは彼女の意志ではなく、父親がそう望んだからだったが。
「派手な装いの女性はあまり好きじゃないんだ」
彼の言うとおり、流行遅れの地味なドレスを着た。野暮ったい髪型のせいでその美しい瞳は隠れてしまった。
「すまない、急用が入ったんだ。父の仕事の関係で」
そう言って誕生日をすっぽかされ贈り物一つ貰えなくても、不満は述べなかった。
「取引先のご令嬢でね。付き合いだから仕方ないんだ。分かってくれるよね」
夜会で自分以外の令嬢をエスコートしている婚約者を見ても、何も言わなかった。
「アリシア、クライヴ君とは仲良くやっているかい?」
ハーネット伯爵は時折、娘に尋ねる。アリシアの答えはいつも同じだ。
「はい、お父様。何も問題はございませんわ」
「そうか。この婚約は両家の結束を高めるためのものだ。事業を成功させるためにも、どうか上手くやっておくれ」
あなたにおすすめの小説
公爵令嬢の一度きりの魔法
夜桜
恋愛
領地を譲渡してくれるという条件で、皇帝アストラと婚約を交わした公爵令嬢・フィセル。しかし、実際に領地へ赴き現場を見て見ればそこはただの荒地だった。
騙されたフィセルは追及するけれど婚約破棄される。
一度だけ魔法が使えるフィセルは、魔法を使って人生最大の選択をする。
拗れた恋の行方
音爽(ネソウ)
恋愛
どうしてあの人はワザと絡んで意地悪をするの?
理解できない子爵令嬢のナリレットは幼少期から悩んでいた。
大切にしていた亡き祖母の髪飾りを隠され、ボロボロにされて……。
彼女は次第に恨むようになっていく。
隣に住む男爵家の次男グランはナリレットに焦がれていた。
しかし、素直になれないまま今日もナリレットに意地悪をするのだった。
断罪するならご一緒に
宇水涼麻
恋愛
卒業パーティーの席で、バーバラは王子から婚約破棄を言い渡された。
その理由と、それに伴う罰をじっくりと聞いてみたら、どうやらその罰に見合うものが他にいるようだ。
王家の下した罰なのだから、その方々に受けてもらわねばならない。
バーバラは、責任感を持って説明を始めた。
【完結】ロザリンダ嬢の憂鬱~手紙も来ない 婚約者 vs シスコン 熾烈な争い
buchi
恋愛
後ろ盾となる両親の死後、婚約者が冷たい……ロザリンダは婚約者の王太子殿下フィリップの変容に悩んでいた。手紙もプレゼントも来ない上、夜会に出れば、他の令嬢たちに取り囲まれている。弟からはもう、婚約など止めてはどうかと助言され……
視点が話ごとに変わります。タイトルに誰の視点なのか入っています(入ってない場合もある)。話ごとの文字数が違うのは、場面が変わるから(言い訳)
つかぬことを伺いますが ~伯爵令嬢には当て馬されてる時間はない~
有沢楓花
恋愛
「フランシス、俺はお前との婚約を解消したい!」
魔法学院の大学・魔法医学部に通う伯爵家の令嬢フランシスは、幼馴染で侯爵家の婚約者・ヘクターの度重なるストーキング行為に悩まされていた。
「真実の愛」を実らせるためとかで、高等部時代から度々「恋のスパイス」として当て馬にされてきたのだ。
静かに学生生活を送りたいのに、待ち伏せに尾行、濡れ衣、目の前でのいちゃいちゃ。
忍耐の限界を迎えたフランシスは、ついに反撃に出る。
「本気で婚約解消してくださらないなら、次は法廷でお会いしましょう!」
そして法学部のモブ系男子・レイモンドに、つきまといの証拠を集めて婚約解消をしたいと相談したのだが。
「高貴な血筋なし、特殊設定なし、成績優秀、理想的ですね。……ということで、結婚していただけませんか?」
「……ちょっと意味が分からないんだけど」
しかし、フランシスが医学の道を選んだのは濡れ衣を晴らしたり証拠を集めるためでもあったように、法学部を選び検事を目指していたレイモンドにもまた、特殊設定でなくとも、人には言えない事情があって……。
※次作『つかぬことを伺いますが ~絵画の乙女は炎上しました~』(8/3公開予定)はミステリー+恋愛となっております。
「やはり鍛えることは、大切だな」
イチイ アキラ
恋愛
「こんなブスと結婚なんていやだ!」
その日、一つのお見合いがあった。
ヤロール伯爵家の三男、ライアンと。
クラレンス辺境伯家の跡取り娘、リューゼットの。
そして互いに挨拶を交わすその場にて。
ライアンが開幕早々、ぶちかましたのであった。
けれども……――。
「そうか。私も貴様のような生っ白くてか弱そうな、女みたいな顔の屑はごめんだ。気が合うな」
婚約者に嫌われた伯爵令嬢は努力を怠らなかった
有川カナデ
恋愛
オリヴィア・ブレイジャー伯爵令嬢は、未来の公爵夫人を夢見て日々努力を重ねていた。その努力の方向が若干捻れていた頃、最愛の婚約者の口から拒絶の言葉を聞く。
何もかもが無駄だったと嘆く彼女の前に現れた、平民のルーカス。彼の助言のもと、彼女は変わる決意をする。
諸々ご都合主義、気軽に読んでください。数話で完結予定です。