小悪魔的狂騒曲

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第3話 銭湯・合鍵・神田川

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 太陽が眩しい。
どうもこの部屋のカーテンは、遮光タイプじゃないようだ。
見なれない天井をぼんやりと見上げる。
どこだっけ?
昨日俺は確か……
考えを巡らせていると、開け放たれた襖の向こうでガサガサと音がする。
隆之が玄関で何か作業をしている。
「あ、おはよー…」
俺は声をかけた。
酷く嗄れた声しか出ないのに、自分でも驚いた。
頭が割れるように痛い。
どうもゆうべは飲み過ぎたようだ。
全身もだるく、身体を起こそうと思っても、腰にうまく力が入らない。
だがなぜか心だけはすっきりと晴れやかだった。
俺は横たわったまま、首だけ起こして隆之に笑顔を見せた。
「何してんの?」
「ゴミ。ここは土曜日が燃えるゴミの収集日なんだ。」
隆之は大きなゴミ袋の口を縛っているところだった。
区指定の透明なゴミ袋から透けて見える中身はほとんどティッシュだ。
「お前って花粉症だっけ?」
俺の問いに隆之は怪訝そうな顔をする。
ちょっと行ってくる、と玄関を出てゆく隆之の後ろ姿を見ながら、しかしあいつはどう見てもアレルギーに煩わされるようなひ弱なタイプじゃないのだが、と勝手なことを考えた。

 ゴミ出しのついでに隆之が買ってきたコンビニのおにぎりで朝食を済ませると、俺と隆之は銭湯に向かった。
隆之のアパートには風呂がないのだ。
家賃2万円を考えれば仕方ない、しかし今どきこういうレトロな(つーか、はっきり言えばボロ)アパート、貧乏な学生だってなかなか住みつかないだろう。
だが、隆之は仕事で空けてる時の方が多く滅多に帰らないので気にならないらしい。
広々した銭湯は、確かに気持ちがよいものだ。
土曜日の午前中のせいか、客も俺たち以外はまばらだ。
「ふ~う。」
大きな湯舟で手足を伸ばしてくつろぐ俺に、隆之はうれしそうに笑顔を向けた。
「な、気持ちいいだろ。風呂上がりに飲む牛乳がこれまたうまいんだ。」
酒くさい身体を洗い流すと、不快な酔いも次第に引いていく。
「ん~、極楽。…あれ?」
万歳をするように思いきり伸びをして、腕の付け根と胸に数カ所、赤い斑点がついていることに気づく。
「なあ、隆之、お前、ちゃんと部屋の掃除してるか?」
「たまに帰った時には掃除機かけてるけど。」
「ダニいるぞ、ダニ。掃除機だけじゃなくて、たまには布団も干せよな。俺、喰われた。」
隆之はなんとも言えない複雑な顔つきで俺を見つめ、頭をぼりぼりかきながら、『すまん』と俺に謝った。
「俺、先に上がるワ。」
隆之は飛沫を上げて勢いよく湯舟から立ち上がった。
きれいに日焼けした肌、盛り上がった筋肉、くっきり浮かび上がった肩甲骨、ぎゅっと引き締まった腰…
「あ!!」
思わず叫んだ俺に、隆之が驚いて振り返る。
ぶん、と勢いよく隆之のモノが揺れる。
こいつ、立派なの持ってるよなあ。
「なんだ?!」
「腰!俺、ゆうべマッサージしてやるって約束したのに、すっかり忘れて寝ちまった!!」
隆之は湯あたりしたのか、へなへなとその場にしゃがみ込んだ。
「おい、大丈夫か?」
貧血でも起こしたのだろうか、くどいようだが、とてもそんなひ弱な奴には見えないのだが。
「…いや、なんでもない。マッサージはもういいよ。腰はなんともない。」
「そうか?俺、前にアロマオイルの足ツボマッサージ受けたことあるんだけどさ、けっこう気持ちいいぜ。部屋に戻ったらやってやるよ。」
「…いや、もうマッサージはいいって。それよりお前な、俺以外の奴とは絶対に酒飲むなよ。」
「え、なんで?」
「どーしてもこーしてもあるか!危なすぎる!!」
それだけ言い捨てると、隆之は怒ったようにすたすたと風呂場を後にし、ぴしゃりと戸を閉めてしまった。
昔はあんな気分屋ではなかったはずだが、仕事のストレスで怒りっぽくなったのだろうか?
俺は慌てて後を追うように湯舟からあがった。

『あなたは、もう~、わすれたかしら~♪』
銭湯帰りの俺はえらく上機嫌だった。
垢と共にここ数日間の憂鬱な気分も洗い流し、心まで軽くなった俺は、鼻歌を歌いながら弾むように歩いていた。
(実際は、足が長くて歩幅の大きい隆之に追いつくためには、こうやって駆け足のように歩かないと遅れをとってしまうのだ。)
風呂場でどういうわけか臍を曲げたまま、むつむつと歩いていた隆之も、俺が楽しそうなのを見て少し機嫌を直してくれる。
隆之は今日の夜からまた仕事で高松だか松山だかに行かなきゃならないらしい。
それまで二人で出前でも取って食いながらのんびり過ごすことに決めた。
仕事もせず、彼女を(って、もういないけど)エスコートしてショッピングやらレストランに行くでもなく、英気を養うために敢えて何もせずに過ごすのも良いかもしれない、と俺は久しぶりに梅雨の合間の青空のような爽やかな気持ちに包まれた。
しかし、隆之の部屋の前で俺たちを待ち受けていたのは、10日ほど前に突如上陸し、そのまま俺の家にどっかりと居座ってしまった台風裕樹号なのであった。

「あ、隆之さん!」
夜のけばいメイクを落としてシンプルな恰好をすると、男(それも弟)だと分かっていてもかわいいと思ってしまう。
「隆之さん、大変なんだ、兄貴がゆうべから帰って来ない。どうしよう、俺がいろいろ苛めたから…」
ふわふわした金髪を振り乱し、素足にビーチサンダルで家から飛び出してきました、という出で立ちだ。
ノーメークでおろおろとする様子は、見捨てられた子供のようだった。
「洋介ならいるぞ、ここに。」
あとからちょこちょことついてきた俺を、隆之が顎でしゃくる。
ぴきっと空気が凍りつくような音が聞こえた(幻聴じゃない、確かに聞こえた)。
「なんで洋介がここにいるんだよ?!」
ものすごい形相で俺を睨み付ける。
「いや、ゆうべちょっと酔っぱらっちゃって……」
「まあ、心配してここまできたんだろ。よかったじゃないか、無事で…」
取りなすような隆之の言葉に、
「よくない!!心配なんかこれっぽちもしてない!もうお前なんか二度と帰ってくるな!!!」
とヒステリックに喚くと、裕樹は走り去っていった。
帰るなっつったって、あそこは俺の家なのに…。
俺はただ呆然として口を開けてるしかなかった。
修羅場には慣れているのか、隆之は動揺したそぶりもなく、俺を促して部屋に入った。
「ま、あいつもいろいろ悩みがあったり、複雑な気持ちを抱えていたりするんだよ。」
俺はただため息をつくだけだ。
「やっぱ今日はもう帰る。ほんと、お前には世話になった。仕事、気をつけていけよ。」
「ああ、帰ったらまた電話する。お前もあんまり無理するな。」
本当はあんな何を考えているか分からない弟の待つ家に戻るのは気が進まなかった。
いっそ隆之のトラックの荷台にでも一緒に積み込まれて、四国でもどこでも連れていって欲しい気分だ。
「そうだ、これ。」
帰り際に隆之から渡されたのは、革細工のキーホルダーについた鍵だった。
隆之はにっと歯を見せて俺に笑いかけると、大きな手で俺の頭を撫でながら言った。
「裕樹と喧嘩したら、いつでも来いよ。俺がいない時でも黙って好きに使っていいから。そのかわり、やけ酒はやるなよ。」
「…うん。」
隆之の合鍵。
ぎゅっと握りしめ、そっと手を開いて見つめる。
隆之と離れる心許なさと、秘密のアイテムを手に入れたような、ちょっと浮かれた心のざわめきを覚えながら、俺は家に帰った。
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