小悪魔的狂騒曲

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第10話 荒波の難破船

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「ま、飲めや。」
と真壁さんに勧められるまま、俺はグラスを煽った。
「ふーっ。」
すきっ腹に酒が沁みる。
会社が終わると、俺は真壁さんに誘われて近くの居酒屋に入っていた。
そういえば隆之には『お前あんまり酒飲むな。』と言われていたような気がしたが、もうどうでもいい。
その場限りでもよい、何の解決にもならないと分かっていても、酒で全てを忘れてしまいたかった。
裕樹の涙も、隆之の笑顔も、何もかも。

「チューハイがいい?それともワインなんかもいける口?」
隆之はどっしりした飲み口の日本酒が好みだったが、真壁さんは軽い甘口のものが好きなようだ。
口当たりがよいものをくいくいと飲み続ける。
「いやあ、後藤がこんなに飲むなんて知らなかったよ。飲み会だといつも江口さんが怖い睨みを利かせているし。」
思わず俺はプッと吹き出す。
江口を筆頭に「コンプライアンス委員会」の面々は、飲み会の度にセクハラや酒の無理強いを未然に防ぐべく、常に目を光らせているのだ。
そのおかげで女子社員の飲み会の参加率も高くなったし、下戸連中も辛い思いをせずに済んでいる。
もっとも昔ながらの飲みニュケーションを大事にしたがる中高年には不評なのだが。
どうも酒癖があまりよろしくないらしい俺が、大したトラブルも起こさずにやってきたのも、大概江口が酔った俺を『さっさと帰れ』とタクシーに押し込んでくれたからだろう。
「江口にはいつも世話になってばかりだなあ。なんか保護者みて~。」
「まあ、彼女はお母さんというよりはお父さんって感じだよな。俺はどうもああいうタイプ、苦手だけど。」
「苦手ですか~?」
「だって女の癖に雄々しすぎるよ。女性らしさに欠けているというか。彼女は仕事もできるし、いつも正論を突いてくるけど、なんか怒られそうで怖いよ。気の強い女って苦手だな。」
俺はなんだか可笑しくなってクスクスと笑い出してしまった。
「俺、江口のことそんなふうに考えたことないっすよ。あいつに女性らしさなんて…うぷぷ。」
「江口さんは君には女扱いされてないってわけか。それも気の毒だな。」
「だって、江口は江口じゃないですか。『男』とか『女』ってフィルター通してたら、その人間の本当の価値は分からないと思いますよ~。」
俺がそう思うようになったのも、つい最近のことなのだが。
オカマになろうがレイプされようが、裕樹は裕樹だ、可愛い俺の弟なのだ。
恥じ入ることなんてない、いつか裕樹に許して貰えたら、二人で両親の墓参りに行くのだ。
もっとも、その前に俺はクビか地の果てに飛ばされてしまうのかもしれないが。

ふと真壁さんが真顔になる。
「本当にそう思う?例えば人を好きになるのに、男とか女とか関係なく好きになれる?」
「俺には関係ないっすよ~。真壁さんはどういう人がタイプなんですか?」
「う~ん、健気な努力家で、ガードが堅くてなかなかスキがなさそうなんだけど、ちょっと抜けてるようなタイプかな。一見気が強そうなんだけど、実は優しくて情に脆そうな感じの。」
「なんか具体的っすね~。真壁さんの幼馴染みかなんかですか~?」
「ん、まあその、ね。でも相手はかなり鈍感で、俺の気持ちは気づいてないと思う。」
「頑張ってくださいよ~、押せ押せですよ、じゃないといつどこに飛ばされるかも分かりませんよ~。」
真壁さんは穏やかそうな笑顔を向けて、俺の肩に手をかけた。
「ね、もう一件どこかにいかないか?ここはちょっと賑やかすぎる。」
家にもどこにも居場所がなくなってしまった俺は、素直に後をついていった。


「いらっしゃ~い、あら、真壁さん、可愛い人連れて。」
薄暗い店から俺たちを出迎えてくれたのは、妙に顔の造りがケバくてドスの効いた声のママだった。
「少し静かに飲みたくてね。奥のボックス席空いてる?」
「もちろんよ、どうぞ~。」
通されたのは、個室というわけではないが、カウンターや他の客達からは死角になったテーブルだ。
確かに静かな雰囲気でゆっくりくつろげそうだ。
「はい、どうぞー。」
ママがボトルとグラスを運び、おしぼりを渡してくれる。
「今日はこれしかいないの?」
「まだこんな時間ですもの。サヤカがそろそろ来る頃だと思うけど。花ちゃんは今日はお休み。ユウちゃんはちょっと遅れる、ってさ。」
どうも気になるママの派手な顔立ち、ドレスから覗く筋肉質な腕や足、太い声。
この人ってもしかして……
「可愛い坊やね、そんな目で見つめちゃって♡オカマ見るの、初めて?」
「あ、いえ…」
指で顔をくいっと持ち上げられ、モゴモゴと口ごもる。
やっぱりそうか。
濃厚な香水の香りを残してママが去っていった後、真壁さんはちょっとうれしそうに俺を見た。
「こういう趣味ってあんまり他の連中には理解してもらえないから、誰にも言ったことなかったんだ。」
「はあ。」
「さっき、うれしかったんだ、人を好きになるのに男も女もないって言われて。そういう君だったら、こういう所に連れてきても大丈夫かなって思って。」
真壁さんに手渡された水割りに、俺は口をつけた。
ちょっと濃いかも、と思いながら俺は真壁さんを見つめた。
真壁さんやここで働いている人たちなら、裕樹を当たり前のように受け入れるのだろう。
俺は裕樹に辛い思いをさせた張本人の癖に、裕樹や隆之につまらない焼きもちを焼いて、そんな自分が本当に情けなくなってくる。
いっそいなくなってしまった方がよいのかもしれない。
そうすれば俺に気兼ねなく裕樹と隆之はよりを戻せるのではないだろうか。

「…ね、聞いてる?」
「えっ?あ、すいません、ぼんやり考え事してて……。」
「しょうがないなあ、ほら、もっと飲んで。」
真壁さんが空になった俺のグラスに、再び水割りを作ってくれる。
「すいません、俺ってば人に気を使わせてばっかりで~。」
なんだか真直ぐ座ってられない。
俺はふらつく身体をソファーの背もたれに預けた。
「大丈夫かい?ほら、俺に寄り掛かるといいよ。」
横に座っていた真壁さんが俺の身体を引きよせ身体を密着させる。
「可愛いなあ、後藤は。」
真壁さんの指が俺の髪を撫でている。
真壁さん、変だ、いつもと違う……。
だが、すっかり酔っぱらってしまった俺は、さっぱり思考がまとまらない。
真壁さんの唇が自分のそれに押し当てられた。
うそ、と思うが身体が動かない。
いつの間にか俺のネクタイは解かれ、シャツのボタンは全て外され、真壁さんの手が肌をまさぐっている。
「真壁さん、それはまずいっすよ、まずいっすよ……。」
貞操の危機なのだ、他に言うべきことがあるだろうと思うのに、酔っぱらってパニクっている俺の口からは、こんな間抜けな言葉しか出てこない。
「初めて?大丈夫だよ。嫌なことはしない、気持ち良くしてあげる。」
「まずいっすよ、だってここ、店じゃないですか。」
「大丈夫だよ、ママは大雑把な人だから気にしない。どうしてもって言うなら、ホテルか俺の部屋でもいいけど。」
「そういう問題じゃなくて~、まずいんです~……」
力の入らない手足をばたつかせ、弱々しい抵抗を試みる俺に、真壁さんが眉根を寄せてのしかかってくる。
「リカちゃんとは別れたんだろ?それとも他に好きなやつがいるの?」
——好きな奴。
なぜこんな時に隆之の顔が思い浮かぶのだろう。
だが、次の瞬間、俺の脳裏に過ったのは、裕樹の涙だった。
隆之じゃなきゃ嫌だ、だがあいつは俺のものではない。
俺には、隆之に助けを呼ぶことなど許されていないのだ。
涙が溢れてくる。
せめて心の片隅で隆之を思うくらいなら、裕樹も許してくれるだろうか?

ふいに身体が軽くなり、次の瞬間何かが倒れるような音が聞こえた。
「洋介になにすんだよ!!」
「ゆうひゃん、え?なに?きみらちふたりはひりあいらったの?」
殴られ、床に倒れ落ちた真壁さんが、顔を抑えながら呆然と呟く。
鼻血が出てる、あの調子だと歯も折れていそうだ。
「洋介、何された?しっかり、大丈夫?」
バービー人形が俺を抱え起こし、はだけたシャツのボタンを止めてくれる。
「裕樹、なんでここに……」
「ここ、俺の店だもん、洋介の職場に近いオカマバーを見つけるの、苦労したんだから。真壁さんが洋介と職場同じだってのは知ってたけど、本当に知り合いで、しかも狙ってたなんて!」
「正確にはアタシの店だろ、ユウ、あんたはただの従業員なんだから。」
ママがすかさずツッコミを入れる。
「真壁さん、大丈夫?スケベ心出すからこんなことになるのよ。いい薬ね。ポンちゃん、タオルと氷持ってきて。ユウ、割れたグラス代は給料からさっ引くからね。まったく乱暴なことして。」
「裕樹……なんで俺のこと助けたんだ?」
安堵と酔いで俺は涙が止まらない。
もしかしたらこれは夢なのかもしれない。
俺は裕樹の首にしがみつきながら、呂律の回らない口で、泣き言を繰り返していた。
俺は裕樹を誰よりも愛していた。
何があっても守ろうと思っていた。
それなのに俺はいつの間にか大切なものを見失ってしまっていた。
どうすれば取り戻せるのだろう。
もう手後れなのだろうか、俺は一人でどうすればいいのだろう。
いまさら何を甘ったれたことを言っているのだろう?
だけど寂しい。さびしい、さびしい。


 夢の中で、バービー人形のコスプレをした観音様が俺を優しく抱きしめてくれていた。

分かってたよ、洋介。
洋介はいつだって俺のことを一番に考えて必死だった。
洋介が俺のこと本当に愛してたの、きちんと分かってるよ。
ただ、その愛情は、俺が本当に欲していたものとはちょっと違ってた。
それがちょっぴり辛かったけどね。
隆之さんはさ、兄貴のために俺を庇ったんだ。
俺、洋介にしがみつくことしか考えてなかった。
だけど、たとえ自分を犠牲にしてでも相手を守ろうとする、そういう愛情があるんだって思い知らされた。
だから俺は家を出たんだ。


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