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第2話 本題

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「だ……誰ですか、貴女は?」


 俺は霧の中から突如現れた美女に困惑していた。
 こんな木々が鬱蒼と茂った林の中で今までテレビや映画でも見たこともないような抜群のスタイルを持った長身の美女が突っ立っているのだ、困惑しないほうがどうかしている。

 もしここがフランスのジャパンエキスポのような海外のコスプレイヤーが集まる会場ならば俺は驚かなかっただろう。海外では時折、すわ映画の撮影かと思うような本気過ぎるコスプレをする外国人がいたりするからだ。

 もし、目の前の美女がその手の外国人ならば俺も素直に賞賛を浴びせるが、残念ながらここは秋葉原でもなければ、コミケやジャパンエキスポの会場でもない。
 何よりこの美女の格好が異様というか変なのだ。

 先程はそのプロポーションと美しさに目を奪われていたが、落ち着いてよく見るとその姿はジャージに|丹前(たんぜん)とマスクという漫画に出てくる典型的な冬の病人の格好だった。


「…………」

「なんじゃ? 黙りこくって」

「風邪引いているんですか?」
 
「そうじゃ、インフルエンザにかかってしまってのう…… ゴホゴホッ!」

「そうですか。 大変ですねぇ」

(鼻水が垂れてるよ……)

 「うむ」


----ズビーッ!


(うわ、勢いよく鼻すすったよ。 美人が台無しだわ……)

「では、私はこれで失礼します」


 この瞬間、何だか知らないが嫌な予感がした俺は回れ右して逃走を試みたのだが……


「まあ、待て」


---ガシィ!


(うわ!
 日本人の秘儀、無難な愛想笑いをして180°方向転換して逃げようとしたら、光の速さで肩掴まれた!
 しかも、痛い! 痛い! いったいどんな握力してんだよ!?)


 こっちはレプリカとはいえ、ボディアーマーとベストを着込んでいるのに嫋やかとも言えるその細い指からは想像もつかないほどの強い力で抑えられてギリギリと指が肩に食い込んできて痛い。


「のう、お主。 ちいっと、わしの話を聞いてはくれんかえ?」

「嫌です! 何となくですが、嫌な予感がプンプンと匂って来ますんで!!」

「嫌な予感とは失礼じゃのう? まだ、何も話しておらんというのに」

「嫌なものは、嫌なんです! お願いですから、手を放してください!」


 はっきり言って俺はこの時、暴れに暴れた。
 しかし、俺の方に食い込んだ指は更にいっそうきつく食い込み、首根っこを掴まれた小動物のように ジタバタともがく事しか出来なかった。
 しかも、女性に対して背を向けているから文字通り手も足も出せない状態だ。

 
「ほれほれ、いい加減暴れるのを止めたらどうかえ?」

 しかも、肩に食い込む指の力がどんどん強くなってきているのだ。

「うわあああああっ!!  放せ!!放せぇぇぇぇぇ!!」

「そんなに放して欲しければ、力ずくでどうにかしてみればどうじゃ? ん?」

「……っく、この!?」


 ずうっと強い力で肩を掴まれ続けて恐慌状態パニックに陥った俺は思わず、右太腿に吊っていたホルスターからガスブローバック式のCZ75を抜いて、背後にいる女性の頭部があると思う場所に向けてマガジン弾倉の中のBB弾が空になるまでガスガンを撃ちまくった。

 良識あるひとりのサバゲーマーとして、ゴーグルを掛けていない一般人の顔に向けて至近距離からガスガンを撃つという行為にはかなりの罪悪感があったが、この時の俺はそれどころではないほど俺はパニクっていた。

 また同時に心の何処かで「この女性には大した効果が無いんだろうなあ……」という確信的な何かがあった。耳元で直に聞こえる、鼓膜が痛いほど大きく聞こえたガスブローバックの発射音が終わった後、俺は首だけを動かして背後を確認してみてた。


「ほお……このわしに対して随分と面白いことをしてくれたもんじゃのう? 
 お主、もしかして怖いもの知らずかえ?」

(ああ……予想通り全く効いてねえ)


 BB弾を避けられないようランダムに角度を変えて撃ったというのに鬱血どころかかすり傷すらないのだ。


「まあ、遊びはこれまでにして、そろそろ行くぞ?」

「え? ど、どこにですか?」

「決まっておろう? わしの住居にじゃ」

「ええ~っ!? ちょっと待ってくださいよ!
 あなたが何者か知りませんが、私は今サバイバルゲームっていうイベントに参加しているんですよ!?
 車だって駐車場に駐車したままだし、知り合いも一緒にゲームに参加してるんですよ!
 もし戻らなかったら、大騒ぎになってしまいます!」

「大丈夫じゃ。 黙ってわしについて来い」

(いや他人ひとの首根っこ掴んで引きずっている時点でついて来いではなく、強制でしょう!?
 痛い! 痛い! お尻に石や枝が当たって痛い!)

「もう、わかりましたよ! ついて行きますから、お願いだから戦闘服の襟から手を放して下さい!」

「うむ。 分かれば良いのじゃ、分かれば。 逃げようとしたら、また引きずって行くぞ?」

「はいはい、もう逃げませんよ……」

「うむ」


----ズビッ!


(あ、また鼻すすった……)

「あの……もう逃げませんから、本当はどこに向かっているんですか?
 まさかこの後、怪しげな車や漁船に乗せられて何処かの半島に連れて行かれたりとかしませんよね?」

「まさか。 さっきも言ったようにわしの住居に行くのじゃ。
 もう少しで着くから黙ってついてまいれ」

「はあ……」


 それ以降、俺と女性は言葉を交わさず木々が鬱蒼と茂る山の中を10分ほど黙々と歩いて女性が目指していた目的地に着いた。
 林を抜けて現れたのは、平屋建ての典型的な昭和の日本家屋だった。

 外観としては毎週日曜日の午後18時30分から放送されている時が止まったままの7人家族が住む住宅にそっくり……というよりそのものだ。
 俺がびっくりしてあのリアルサイズの建物を珍しがって見ていることに気付かず、女性は玄関のカギを開けて中に入ろうとしていた。


「ほれ、そんな所にボーっと突っ立ておらずに早く入ったらどうじゃ?」
 
「あ……はいはい」

「こっちじゃ」


 玄関に入り「お邪魔しま~す」の挨拶とともにコンバットブーツとヘルメットを脱ぎ、電動ガンを壁に適当に立てかけている間に女性はあの一家団欒の居間に向かって行った。
 俺が遅れて居間に入ると例の美女は居間にはおらず、台所にいるようでカチャカチャと陶器が当たる音が台所から聞こえるところを見ると、どうやらお茶を準備しているようだ。


「来客には茶を出すのが日本人の心得なのじゃろう? そのまま、居間で待っていてくれんか?」

「あ、はい。 いえ……お構いなく」

(来客っていうより無理やり連れてこられたんだけどね!)

「ふう、風邪ひいておるから茶を淹れるだけでもキツいのう。 ゲェホ!ゲホッ!」


 などど言いながら女性はお湯が入った急須と湯呑みが乗ったお盆を持って台所から出てきたが、
確かに咳が酷くて辛そうだ。


「あ、いいですよ。 俺が淹れますから」

「おお、すまんのう」

「いえ……」


 美女でなくても病人が苦しそうにお茶を淹れているのを黙って見ているほど俺も薄情な人間ではない。


「はいどうぞ」

「おお、かたじけないのう」


 ほぼ同時にお互いが湯飲みに口をつける。
 お茶の味は可もなく不可もなくといった感じだ。


(お茶を飲んでちょっと落ち着いたし、嫌な予感しかしないけど質問してみようかな?)

「あの~? 俺が、いや私がここに連れてこられたのは一体どういう理由からでしょうか?」

「ん? ああ~! 茶を飲んで落ち着いたらすっかり忘れてしまっていたわい。
 実はの、お主にわしの世界の一つを調査してもらいたくてのぅ?」

(……は? 世界? 何言ってんだこの人?)

「ええっとお……
 それは一体どういうことですかね? 世界というとこの家の調査ということですか?
 生憎、私が勤めているホームセンターでは住宅のリフォーム用の部材は販売していますが、
 リフォーム事業や見積もり自体は手掛けていないんですが?」

「別にとぼけんでもいいぞ?
 お主もここに来るまでの間、薄々勘付いているのではないかえ?
 今の状況が、普通ではないことを」

「いや、普通って何ですか? 普通って?
 そりゃあ、この家を見れば普通でないことは分かりますよ?
 映画のセットでもない限り、あのアニメの家を再現して住もうなんて酔狂な趣味をしている人なんていないでしょうし」

「ならば話は早い。
 ここはお主が知っている普通と言う常識とは縁遠い場所じゃ。
 それと先に言っておくが、わしは酔狂な趣味に勤しんでいる者でもなければ人間でもない」

(あ、やっぱり?)


 まあ、ジャージに丹前たんぜんという格好で忘れがちになってしまうが、目の前の人?物は目が醒めるような本当にもの凄い美人なのだ。
 恐らく、こんな格好でも誘惑されれば抗うことは出来ない。

 いや、抗うどころかこちらから土下座してでもお願いしたいところである。
 大体、超絶美女で『のじゃ』言葉を使っているところからしてあり得ない存在だ。
 ヒトではないだろうことは察しが付く。
 妖怪か仙人か、しくはそれに類する存在だろう……


「では、貴女あなたはどういう存在なのですか?
 せめて、お名前ぐらいは教えていただけませんか?
 ああ、申し遅れました私の名前は……」

榎本 孝司えのもと たかし 独身(35)であろう?」

「えっ!?」

(ええっ!? 何で俺の名前と年齢を知っているのお!?)


 見ず知らずの女性が俺の名前を口にしたことに俺は再びパニックに陥った。
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