解ける夏<改稿>

たまむし

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 はしごも開けっぱなしの窓もそのままにして、二人は離れから足早に嘉文の自宅へと向かった。
 玄関で硬直している高山に、
「シャワー、先に浴びますか?」
 と嘉文が声を掛けると、
「お、お先にどうぞ!」
 と、ひっくり返った声で答えが返ってくる。さっきはあんなに強引だったくせに、何を今更恥じているのだと可笑しくなってしまう。
「じゃあお先に……。冷蔵庫の中の物、勝手に飲んで頂いて大丈夫ですよ。水とビールしかありませんが」
 嘉文はそう言って先に手洗いへと足を向け、済ませるべき準備を済ませた。シャワーの下で身体を洗っていると、下腹で乾いていたもののヌルつきが蘇り、カッと頭に血が上る。
 バカなことをしていると思った。
 万一関係が露呈した時、一時的に移住している高山はここを離れれば良いだけだが、嘉文はそうもいかない。今後も戻って来ざるを得ない地元で、余所者と後ろ暗い関係を持って良いことなど一つもない。頭の冷静な部分では不味いことになると理解しつつも、今更立ち止まれない。
 高山がどういうつもりで嘉文にちょっかいをかけたのかは分からないが、後腐れのないようにしなければ、と情欲で濁った頭の隅に書き留めておいた。

 シャワーを終えて浴室を高山に譲ると、嘉文は寝室へ入ってクローゼットの奥からゴムと潤滑剤を取り出した。
 枕に顔を埋め、潤滑剤をまぶした指を尻の狭間に滑らせる。慣れたやり方で周囲をほぐし、受け入れる準備をしておく。普段は大した快感も拾えないのに、自分の指が妙にくすぐったく感じられた。
「あれ? 田辺さん? どこですか?」
 シャワーを浴び終えたらしい高山の声がリビングの方から近づいてくる。嘉文は慌てて指を引き抜き、ベッドに身を起こした。
 同時に、開けっぱなしだった寝室の入り口に高山が姿を見せた。腰にタオルを巻いただけの裸だ。首から上と腕だけが真っ黒に日焼けして、胴と足は白い。元々は色白なのかも知れない。
「どうぞ」
 と手招くと、高山は大げさに喉を上下させ、嘉文の隣に座った。手を握られ、触れるだけの口づけをされる。高山は恥ずかしげな笑顔を見せ、
「ちょっと夢みたいだ」
 と上ずった声で囁いた。
「何が?」
「田辺さんとこうなれるのが。……初めて会った時から素敵だなと思ったんです。奥さんと上手くいってなかったって聞いて、申し訳ないけど喜びました。もしかして、俺とおんなじゲイなのかなって……田辺さんも俺のこと良いなって思ってくれてた?」
 言いながら高山はちゅっちゅと嘉文の頬や額にキスを降らせ、ゆっくりとベッドに押し倒してくる。
「良いな……と思ったわけでは……」
 嘉文が困惑しつつ答えると、
「え!? じゃあ何で!?」
 高山は心底驚いた顔を見せ、ガバッと上体を起こした。
「何故と言われても分からない。一度、違う人間に抱かれてみたかっただけなのかも知れない」
「ちょ、違う人間って……アナタ決まったパートナーがいるんですか? 奥さんとは別れてるんですよね?」
「妻とは離婚状態だよ。向こうも別の男性と暮らしているから問題ない」
「じゃあ違う人間に抱かれてみたいって、どういうことです?」
 高山は嘉文の上から退き、厳しい顔つきで問いかけた。

「学生の頃から、肉体関係のある男がいるんだ。その男しか知らない」
 嘉文は一旦言葉を切り、目を瞑って深呼吸した。

「その男に何をされても抵抗できない。そいつとのセックスで満足したことはない。ずっと、別の誰かと寝てみたかった。だけど私が同性愛者だと周囲に知られれば、先生に迷惑がかかる。先生に知られるくらいなら死んだ方がマシだ。だから東京にもこの土地にも留まる気のない君なら、後腐れがないと思ったから……」
 段々と早口になる嘉文をじっと見下ろしていた高山は、片手で相手の口を塞いだ。
「だから、俺ならヤリ捨てできると思ったんだ? ひでー……」
 傷ついた声で指摘され、嘉文は黙ったまま頷いた。
「すまない」
 目を伏せて謝ると、腕を掴まれてベッドに引き倒された。
「つまり、アンタは誰でも良いから他の男に抱かれてみたいだけで、俺は顔と雰囲気が好みだから、アンタを抱いてみたいだけ。恋愛ごっこは無し。そういう事で良い?」
 はにかみを捨てた高山の声は、驚くほどドライだった。怒りを押し殺した目で冷たく見下ろされ、嘉文はコクリと小さく息を呑む。高山は怖い顔をしたまま近づいてきて、嘉文の喉仏を軽く噛んだ。

 その後は、散々だった。

 高山は手と唇で嘉文の身体の隅々までを、執念深いと言えるほどの丁寧さで暴き、縮こまっていた官能の種を一つずつ開かせていった。

「やっ……あ、いやだ、それ、いやだ……! しなくていい!」
 尻穴にじっと指を埋められたまま、真っ赤になるまで乳首を舐め吸われ、嘉文はギリギリで極めきれないもどかしさに頭を振って啼く。
「なんで? 気持ちいいでしょ? 可愛い顔して嫌って言わないで」
 奥に埋められた指がじわじわと動き出す。
「やったから、それ……自分でやったぁ……」
「そうなんだ? でも俺もしたいからさせて。中キュウキュウ締めてきて可愛い。あー、気持ちよさそ……」
 散々焦らされた嘉文の身体は、排泄に似た感覚すら快感へと変換する。
「わからない……ん゛、んんっ!」
 慎重に中を探っていた指で、ようやく目当ての場所を見つけ出した高山は、剣呑に目を細めて口の端を上げた。嘉文は力の抜けた手で口元を押さえ、声を噛み殺している。
「声、聞かせてよ」
 高山はそう言って口を押さえている嘉文の手首を噛んだ。
「いやだ……こえ、き、きもち、悪いから……」
「気持ち悪くない。かわいい」
「や……っ!」
 高山はやわやわと中のしこりを押しつつ、垂れた先走りで濡れている会陰を親指で強めに撫でる。中と外から前立腺を刺激され、嘉文は耐えきれずに甘い声で啼いた。
「あーっ……! んぅ……っ」
 高山は満足げな笑みを浮かべ、中を探る指を増やす。嘉文は早く行為を終わらせたくて、高山の下腹に手を伸ばしたが、
「まだ」
 と簡単に払われてしまう。
「いやだ……もう……辛い……」
 中に潜り込んだ指の数は三本に増えているが、良いところを掠めるだけだ。決定的な刺激を与えられず、快楽で宙吊りにされたままの嘉文は激しく息を喘がせた。
「指で辛かったらチンコ入れられないでしょ。止める?」
「ちが……っ! ちがう!」
 指を引き抜いて身体の上から退こうとする高山に両手を回して引き留めた。高山は意地悪な笑みを浮かべて嘉文をじっと見る。
「辛くない……から……」
「うん」
「はやく、い、入れてほしぃ……」
「いいよ」
 高山は短く荒い息を吐きながら自身の物にゴムを被せ、嘉文の脚を押し開いた。すっかり柔らかくなった後孔に亀頭を押し当て、ゆっくりとめり込ませる。
「あーっ……ああぁっ……!」
 太いところが入り口の輪を潜り抜けると、嘉文は仰け反って太腿を細かく震わせた。期待した以上の質量が中を埋めながら奥へと進んでくる。短く息を吸っては吐き、押し寄せる感覚に必死で耐えた。
「はっ……はぁっ……うぅ……」
 高山もギュッと目を閉じ、いきり立った部分を強く締め付けられる感覚に耐えていた。こめかみを汗が流れていく。思い切り頭を振って汗を払うと、動きで中が刺激されたのか嘉文が甘く長い声をあげた。
「ぁーーーーっ……」
「は……めちゃくちゃ感度良いね……」
 ゆっくりと腰を引き、強くなりすぎないよう加減して突き入れる。
「うぐっ……あ、ぁ……や……」
「や?」
 ギリギリまで引き抜いて、組み敷いた嘉文の目を覗き込む。上気して蕩けた顔が堪らなかった。
「や、じゃない……っ……ぃぃ……」
「俺も」
 一気に奥まで貫くと、嘉文の下腹で限界まで張り詰めて震えていた物が、勢いよく弾けた。白く濁った精液が汗で濡れた胸元を汚す。
「あああっ! あっ! ……はぁっ……はぅ……う」
 薄く開いたままの唇から唾液と共に呻き声が漏れ、達した余韻で中が断続的に痙攣する。それが治まりかけたタイミングを計って、高山は抽挿を再開した。
「あっ!? もうイッた……っ」
「こっちはまだ。もう一回一緒にイケるように頑張って……」
 汗で滑る太腿を抱え、一層深いところを抉る。
「うあ゛っ……! あっ、あぅ……あああっ」
 先に達してしまって身体は脱力しているのに、嘉文の中は健気に高山の物に絡みつき、締め付ける。高山は抽挿に合わせて下腹で揺れている嘉文の陰茎を握り、緩く上下に擦った。すでに二度も射精した後で流石に反応は鈍いが、感じてはいるのか中のうねりがますます複雑になる。
「は、ナカ、すっごいな……」
「……っ……!」
 嘉文は首筋まで真っ赤になって顔を背けた。
「かーわい……もうちょっとだけ我慢して……」
 高山は無防備に晒された首筋に吸い付きながら、腰の動きを早めた。
嘉文は今まで味わったことのない快楽の渦に飲み込まれながら身体を震わせるしかない。無意識に脚に力が入って高山の胴を挟んでしまうと、高山は雄の顔で笑って更に奥を抉ってくる。

「あーっ! あっ、ああぁあっ!」
 ひどく感じる場所を何度も何度も押しつぶすように男根で擦られ、腹の奥まで犯され切った嘉文は、何度目か分からない絶頂を迎えて声を上げた。立ち上がり切らない陰茎から薄い液体がダラリと漏れ、奥がきつく締まる。
「うぅっ……!」
 一際強く締めつけられた高山も、腹の奥で欲望を弾けさせた。

 ハアハアと獣のような息づかいだけが部屋を満たす。
 高山がゆっくりと脚の間から抜け出しても、嘉文は指一本動かせずにいた。強すぎる快感の名残が、いつまでも身体から去って行かない。
 ゴムを始末した高山は、ぐったりした嘉文の隣にピッタリと寄り添って寝転び、呆然としている顔を覗き込んで派手な音を立ててキスをした。
「酷くしてごめん」
 嘉文はゆるゆると首を振る。
「ひどくなんか……」
「ううん。他の男と俺を比べるために寝ようとしたって言われて、腹が立ったんだ。だから、俺の方が上手いでしょって分からせたくて酷くした。……途中からは田辺さんがヨすぎて止められなかった。ごめん」
 高山は嘉文の首元に顔を埋め、くぐもった声で呟いた。嘉文は高山の丸い後頭部をそっと撫でる。
「貴方を自分の欲望のために利用しようとした私が悪いんです。こちらこそ、申し訳なかった」
 高山は顔を上げ、頭を撫でていた嘉文の手を掴んで指に口づけた。
「利用し終わったから、俺はもう用済み? 俺とアンタの男と、どっちがヨかった?」
 何かを希うように何度も指に唇をつけ、嘉文をじっと見る高山の目には火が燃えている。嘉文の背をぞくりと何かが駆け抜けた。
「……今日、初めて自分が不感症で無いと分かりました……」
 そう答えると、高山は嬉しげに白い歯を見せて笑い、嘉文の身体を抱き寄せた。
「不感症だと思ってたんだ? 田辺さんは感じやすいし、すごく反応良かったよ。俺たち相性最高だと思うんだけど」
 そして不意に真面目な顔をして、
「あのさ、俺は余所者だし、口の堅さには自信がある。アンタに決まった男がいるなら、二番手で良いから……」
 と言いかけ、
「やっぱ無理!」
 と嘉文の胸元に頭をぐりぐり擦り付けた。
「やっぱ無理! 俺、田辺さんのこと好きになっちゃったから、二番は無理! ねえ、ヘタクソ野郎なんか捨てて、俺に乗り換えなよ」
 高山は丸っこい瞳を上目遣いにして、子どものように強請る。あまりに素直な態度に、嘉文は困惑した。

 捨てろと言われても、雄一と嘉文は単なる肉体関係や恋愛関係ではないのだ。雄一に従わないということは、和田一族に反旗を翻すことだ。お互い満足できない行為だとわかっていても、雄一の求めを拒めば、嘉文は相応の報いを受けさせられるだろう。高山にも影響がないとは言い切れない。
「……それは、難しいです……」
 嘉文が断ると、高山は一瞬傷ついた顔を見せ、目を伏せた。
「そっか……」
「すまない」
「んーん。田辺さん、最初っから一回だけって言ってたもんね。ごめん。シャワー借りる……」
 高山は名残惜しげに嘉文の身体を一撫でし、トボトボと部屋を出て行った。

 一人残された嘉文はほてりの残る肌を持て余しつつ、腰にタオルだけ巻いてリビングへ向かった。下半身が頼りなく、足元がフワフワして歩きにくい。浴室へ通じるドアを過ぎたところで腰から力が抜け、カクリとそこに膝をついた。壁に手をついて立ち上がろうとすると、ついさっきまで中に入っていた物の感触が生々しくよみがえり、全身が総毛立つ。
「田辺さん……!? どうしたの!?」
 シャワーを終えて出てきた高山に狼狽した様子で声をかけられ、嘉文は振り返って首を振った。
「あ……なんでもなぃ……」
 すぐ側に膝をついた高山に背中を支えるように腕を回され、嘉文の舌は縺れたようになり、薄く開いた唇の間から、ふ、と吐息が漏れた。

 高山は息を呑んで唇を噛み、燃えるような目で嘉文を睨む。
「あなた……振っておいて、そう言う顔するのズルくない?」
 噛んだ唇の間から呻くように漏らし、閉じきらない嘉文の唇にかじりついた。
「んんっ」
 身体の奥に消え残っていた欲情の火は、キス一つで簡単に燃え上がる。

 高山は膝をついたままの嘉文の腰を上げさせ、柔らかく溶けたままの孔に舌を這わせた。そのまま尖らせた舌先で尻の割れ目を辿り、背骨の窪みに沿って舐め上げる。
「ひっ……あふっ……」
 肩甲骨を甘噛みされ、唾液で濡らした尻の間に固くなり始めたものを擦り付けられた嘉文は、高く上げた腰をくねらせた。もう一度あの快楽を味わえると思ったら、恥などどうでも良くなった。
「あっ……あんん……」
「入れて良い?」
 高山がヒクヒクと収縮する孔に両手の親指を添えて強請ると、嘉文は後ろを振り向いて何度も頷いた。
「やーらし……」
 ぐいと親指で左右に広げられた場所に、熱い固まりが入ってくる。前からするのとは違う角度で中を抉られ、嘉文はグズグズに溶けながら甘く鳴いた。
 最初から容赦なく腰を使われ、肉がぶつかる音が薄暗い廊下に響く。いくら激しくされても、一度拓かれた中は痛みよりも快感ばかりを拾い上げ、嘉文は射精を伴わない絶頂へと何度も押し上げられた。


 高山がゴム無しで中で達したと分かったのは、全てが終わって引き抜かれた時だった。
「ごめん……! マジでごめん!」
 高山は平謝りしながら腰の抜けきった嘉文を抱えて浴室へ運び、中も外も丁寧に洗う。嘉文はひたすら呆然自失のまま高山のなすがままに身体を任せていた。
 セックスで快感を得るのも、連続で交わるのも、生で挿入されるのも、中で出されるのも、初めてだったのだ。予想外すぎて身体と頭がついていかない。自分の身体が自分でコントロールできなくなるなんて、想像したこともなかった。

 高山が適当に棚から引っ張り出したバスタオルで包まれ、リビングのソファにそっと下ろされた嘉文は、何も考えられないまま虚ろな顔をして膝を抱えて座っていた。
 作業服を着込み直した高山が隣に座ると、ビクリと身体が揺れてしまう。高山はそれを怯えと取ったのか、眉を下げて悲しそうな顔をした。
「ごめん……」
「いや……驚いたけど、怒ってはないよ……」
「ほんとごめん……。俺、もうここに来ないようにする」
 頭を抱えた高山はがっくりと俯いて呟いた。
「え、作業は……?」
「母屋は終わってる。後は中井さんがチェックしたら良いだけ。離れはさっき見ただけでも、雨漏りだけじゃなくて柱も腐ってたから、大がかりな補修がいると思う。金額も大きくなるし期間も長くなるから、見積もり取って考え直した方が良い」
「そうなのか」
「うん……それに俺、これ以上親しくなったら田辺さんのこと……」
 高山は言葉を濁し、嘉文の後頭部を引き寄せて触れるだけのキスをした。何度も触れ合わせていると、段々と触れている時間が長くなり、吐息に甘さが混じり出す。
「ん……」
「……わ~……、俺やっぱダメかも……」
 高山が眉を寄せて呟き、嘉文の裸のままの腿に手を這わせかけた時、テーブルの上に出しっぱなしだった携帯電話が震えだした。

「失礼」
 ハッと正気に返った嘉文は断ってから電話を取る。
 電話は東京にいる盛雄のもう一人の私設秘書、大塚からだった。
「はい」
 高山に背を向けて電話に出ると、大塚は酷く苛立った声で
『ああ、やっと出た! 今まで何やってたんです!?』
 と嘉文を詰った。
「すみません。ちょっと電話を置いたままにしてました。何かありましたか?」
『何かじゃないです! 夕方から何回かけたと思ってるんですか!』
「それは申し訳ない。で? 要件をお願いします」
 大塚は滅多に取り乱したりしない人間だ。それが感情的になっていると言うことは、余程の事があったのだろう。嘉文の胸は俄に不安に塗りつぶされた。

『先生が倒れられました』

 次に通話口から聞こえてきたのは、嘉文にとってこの世で一番恐ろしい言葉だった。一瞬で頭が真っ白になり、電話を持つ手が震えだした。
「盛雄先生が……?」
『他に誰がいるんです。今日午後五時半すぎ、議員会館からご自宅に戻る車中で意識を失って、そのまま東大病院に入院されました。大動脈解離だそうです。今手術中ですが、助かるかどうかは五分五分というところです。すぐ東京に戻って下さい!』
 大塚は苛立ちを隠さないが、状況を伝える言葉は的確だった。
「雄一先生は?」
『もう病院においでです』
「わかりました。今夜中には必ず事務所に入ります。マスコミ対策をお願い致します」
『手配済みです。早いお戻りをお待ちしてます』
 怒りを押し殺した声がテキパキと要件を伝え、通話は切れた。嘉文は信じられない思いで携帯電話をじっと見る。画面には不在着信の履歴が延々と並んでいた。

「……田辺さん、何かあったんですか……? 顔、真っ白ですよ」
 おずおずと声を掛けられ、嘉文は弾かれたように高山を振り返った。
「いえ。私はこれからすぐに東京に戻ることになりました。修繕の件は了解です。離れの作業は一旦中止にしますので、母屋分だけの修理費の請求をお願いします。宛先などは中井さんがご存じのはずですので」
 それだけ言って寝室へ駆け込み、手早くスーツを身につけた。ここへ来る時に着ていた喪服もハンガーのまま紙袋に詰め込む。紙袋からはみ出た喪服の黒が酷く不吉に思えて手が震えた。

 リビングに戻ると、高山がまだ所在なさげにそこにいた。
「田辺さん、俺……」
「すみません、今は話している時間がない。門を施錠したいのでトラックを先に出して貰えますか」
 にべも無く指示すると、高山は傷ついた顔で頷き、さっと外へ駆けだしていく。
 嘉文はリビングに広げてあった資料やパソコンをまとめてブリーフケースに詰め込みながら、窓の外を遠ざかっていく高山の後ろ姿を目だけでチラリと見送った。

 素早く敷地中の施錠を済ませて車を出すと、時刻は夜十時近くになっていた。
 つい数日前、昼間に辿った道は眩しいくらいに明るかったが、夜になると街灯がまばらでいかにも暗い田舎道だ。
 離れにいたのが夕暮れ時だったから、短く見積もっても三時間以上高山と耽っていたことになる。嘉文は自己嫌悪と罪悪感で死にたくなりながら、対向車の少ない道を制限速度ギリギリで飛ばす。嘉文は高山と寝たことを深く後悔した。

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