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4.サウラスへ
4-6. 踏み込んではいけない一歩.2
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「本当にごめん! 悪ふざけだった。もう二度としない!」
「お前はふざけて人の性器に触れるのか?」
「ごめん、本当に悪かったと思ってる。反省してる。オレが非常識だった」
オレはひたすら謝罪するしかない。男友達の悪ふざけだとしても、朝立ちに勝手に触ってサイズ確かめるなんで、悪趣味だった。オレの馬鹿! ロクデナシ! デリカシーなし男!
「お前は……」
カレルは言いかけた言葉を途切れさせ、体中の空気を吐き出すように溜息をついた。
拘束していた手首を離してオレの上にぺったりと覆い被さってくる。脱力した身体は濡れた布団みたいに重い。
「カレル……?」
自由になった両腕でソロッと背中に触れると、カレルは再び大げさな溜息を漏らした。
「アキオ、お前はひどい……」
泣きそうな声で耳元に囁かれる。予想していなかった反応に、オレはびっくりして顔を見ようとしたけど、カレルはオレの首元に鼻先を埋めたまま顔を上げてはくれなかった。
「はっきり言わなければ分からないのか? 子犬が甘えるように戯れ付いてくれるのは嬉しいが、オレが耐えていることも分かってくれ。オレは、お前が欲しいんだよ」
オレは身体の上にカレルをのっけたまま、呆然と天井を見上げる。
壁の高いところにある明かり取りの窓からは、うっすらとした夜明けの光が差し込み始めている。
「欲しいって……」
口ごもると、熱くなった腰を下腹部に強く押しつけられる。誤解のしようのない仕草に、オレは息を詰めて身体を縮めた。合わさった胸から早い鼓動が伝わってきて、無意識に短い呼吸を繰り返してしまう。
「カレル……もしかして、そ、そういう意味でオレのこと好きってこと……?」
首元にある黒い巻き毛に覆われた後頭部に指を差し込んでみると、カレルはすごい勢いで頭を起こした。
「もしかして!? もしかしなくてもそうに決まっている! いい加減気付け!」
噛みつくような勢いで詰られて、オレは目を白黒させながら言い返す。
「一回も言われたことないのに、気付くわけないだろ!? ハッキリ言えよ、そういうことは!」
「言ったらお前は離れていくだろうが!」
確かに、絶対力で勝てない相手に性欲込みで好きって言われて、何も警戒せずに一緒の毛布にくるまって寝たり、二人で風呂に入れるかというと、ソレは無理だ。なんか怖い。
「お前がオレを避けて他の人間と親しくするくらいなら、オレが欲を殺して側にいる方がマシだ。だから言わなかった。でももう限界だ。オレを受け入れるか、拒むか、今決めてくれ……」
カレルは辛そうに目を伏せ、オレの額に額を押し当てた。
おでこにキスされるのは子ども扱いされているようで嫌だというオレのしょーもないわがままを、この期に及んで律儀に守ってくれているんだろうか。
オレは胸の奥がむず痒くて仕方がない。
だって、こんな風に誰かに好きだって言われることは、今まで一度もなかったから。そして今後も多分ない。
律儀で、義理堅くて、かっこよくて強くて優しい人に、好きだって言われて嬉しくないわけない。オレが女だったら、即決で頷いてる。
───でもなあ……
オレは女の子が好きだし、将来結婚するならリーナみたいな地味清楚な優しい巨乳の子がいいし、そのためにチンチン取り戻そうと頑張ってんだよなあ……
「あの、オレ、付いてないけど一応男で、」
「知ってる」
食い気味に返されてしまった。
「そのー、基本的に女の子が好きだし、」
「知ってる。誰か心に決めた女がいるのか?」
「いや、特に誰が好きってわけでもないけど、いいな~、触ってみたいな~って思うのは女の子なんだよ……カレルのことは大好きだけど……カッコイイと思ってるし、憧れるけど……その……性的な対象ではないというか……」
すぐ近くにあるカレルの顔が、一言ごとに曇っていく。綺麗な萌黄色の目が陰って暗くなり、眉間に悲しい谷ができ、形の良い眉尻が震えて下がる。
───傷ついてる。オレが傷つけてしまった。
オレのせいで悲しませてしまった。
そう気付くと、胸の底がざっくりと深く裂けたように痛んだ。
「……ごめん……」
それ以上カレルの顔を見ていられなくて、両腕で顔を覆って横を向いた。身体の上からゆっくりと温かみが退く。急に肌寒くなって、オレは一瞬身体を震わせた。
「……困らせて悪かった。今のは全部忘れてくれ」
絞り出すような、しわがれて疲れた声を聞くと、泣きたい気持ちがこみ上げてきた。オレのつまらない悪戯で、取り返しの付かない一歩をカレルに踏み出させてしまった。
「そんなつもりじゃないから触れたら駄目だ」って、マイアリーノが最初から忠告してくれてたのに。
全く分かってなかった訳じゃないだろう、と胸の奥から自責の念が泡のように湧いてくる。
オレの方を見るカレルの目に甘い色があるのには、もうずっと気がついてた。気付きたくないから、わざと見ない振りをしていただけで。
だって、そんな風に想われても、困るから。オレが返せる物は何も無い。
でも特別優しくしてもらえるのはくすぐったくて、嬉しくて、それにずっと甘えてた。
「カレルは悪くない。悪いのはオレだし……ごめん……」
オレはベッドの縁に腰掛けているカレルに背を向けて、枕をギュッと抱きしめる。
何を言っても墓穴を掘りそうで何も言えず、カレルも何も言ってくれない。どうしようもない沈黙が部屋に満ちた。
「おーい、朝だぜ! 飯の支度ができたってよ!」
小気味良いノックの音がして、オティアンの陽気な顔がドアから覗いた時は、心底ホッとした。
「お、おはよう! もうご飯できてるんだ!? お腹減ったな~!」
オレは涙ぐんでいた目元をローブの袖で拭って、ベッドから飛び降りた。昨夜貸してもらった部屋履きのサンダルを突っかけて素早くドアから廊下へ出る。
後ろではオティアンが「何? 痴話げんか?」と茶化したように聞くのに、カレルが大きな溜息でそれに答えていた。
窓の少ない一階のホールは、朝でもランプを点していないと薄暗い。先に席に着いていたルチアーノから、マイアリーノが回復していると聞いてホッとした。後でお見舞に行かなきゃ。
朝食は昨日と同じスープとパンに小さなリンゴが一つ付いていた。ションボリしてる時でも食事は美味しい。
カレルとオティアンは、二階で何か話しているのか、なかなか下りてこず、ルチアーノとオレが食べ終える頃にようやく姿を現した。
全員が食べ終えるのを待って、ルチアーノが話し出す。
「リーナの話では、今日の昼頃には堂主がここに戻って来るらしい。戻り次第、滅石を渡してもらえるはずだ。その後は、雪が解けるまではここでやっかいになるのが一番安全だろうな」
ルチアーノはそれ以外ないと断定し、オレも賛成の意を込めて深く頷いた。
雪の中を移動するのはもうこりごりだ。ここは温泉もあるし、堂者さんたちも良い人っぽいし、長く滞在できるなら有り難い。
オティアンはリンゴを囓りながらヒラリと手を振り、
「じゃあ、オレは今日の昼にはここを発つよ。サウラスの町の方に知り合いの店があるんでね。冬の間は毎年そっちでのんびり商売する算段さ。たまにここへも寄るから、入り用なものがあれば声を掛けてくれ」
と言った。
「道案内、感謝する。助かった」
ルチアーノはベンチ立ち上がり、テーブル越しにオティアンに手を差し出す。オティアンはそれを軽く握り、
「お偉い地位に返り咲いた暁には、オレに聖都での営業許可をくれよ。いい加減、ちゃんとした自分の店を構えたいんだよ」
とウィンクした。ルチアーノが「考慮しておこう」とくそ真面目な顔で頷く。
「そっかあ、オティアンとはここでお別れかあ……。ちょっと寂しいね」
オレが言うと、オティアンは商売人らしいドライさで屈託なく笑い、
「祭りの後、働き口がなかったら雇ってやるよ。それまでに読み書き計算を覚えときな」
と言って席を立ち、「じゃあな」と二階へ続く階段を上っていった。
「では、一旦解散だ。堂主が戻ったと知らせがあるまでは、部屋で待機しておいてくれ」
ルチアーノが言って、オレたちはそれぞれの部屋に戻る。
カレルと部屋で二人きりになった途端、オレは朝の出来事を思い出し、何を話して良いのか分からなくなって、床にしゃがみ込んで闇雲に火鉢の炭をつつき回した。灰になりかけていた炭が折れ、赤く燃える内部から火の粉が舞い上がる。炭鉢から新しい炭を取り出し、上手く燃えるように慎重に積み上げてからふと目を上げると、すっかり旅装を整えたカレルが荷物を持ち上げるところだった。
「あれ? 出かけるの?」
長靴を履き、雪よけの外套の襟をしっかり止めているカレルに驚いて尋ねると、
「……オレはエラストに戻る」
と思いもよらない答えが返ってきて、思わず飛び上がった。
「なんで!?」
「ここに留まるなら、しばらく危険はないだろう。オレは得た情報を一度仲間に伝えておきたい」
「じゃあ春には戻って来るってこと? なんだ、びっくりするじゃん」
ホッとして床に足を投げ出して座り直すと、カレルは困ったような顔をして首を横に振る。
「お前が願いを叶えるまで助けてやるという約束を守れないのは申し訳ないが……、戻ることは考えていない」
「え……なんで!?」
胸の前で両手を組んだカレルは、軽く溜息をついて壁にもたれ掛かり、視線を床に落としてポツリと言った。
「……良い香りのする瑞々しい餌を目の前に、飢えと乾きを堪えるのは、これ以上は無理だと悟ったからだ。お前に情けがあるのなら、オレが逃げることを許して欲しい」
「餌って……情けって……。今朝のこと? アレはオレが悪かったんだってば! これからは気をつける! 部屋も別々にしたらいいだろ!? カレルがいなくなったらオレはイヤだよ!」
「オレが耐えられないと言ってるんだ! お前はオレがどれほど欲深いのか知らない! オレはお前が他の人間と楽しげに話すのを見るのも嫌だ! 誰かに触れられているのを見たら、嫉妬で気が狂いそうになる。お前がオティアンの毛皮で眠った夜、オレはアイツを噛み殺してやりたいと思った!」
カレルが感情にまかせて大声を出すのを初めて聞いた気がする。オレは一瞬何を言われたのか分からなくてポカンと口を開けて彼を見上げていた。
「髪の一筋から足の先まで、身体の内側にも、残らずオレの印をつけて、お前をオレだけのものにしたい」
カレルは組んだ両手で自分の腕を握りしめ、ほとんど聞き取れないような低い声で呟く。指の先は力が入りすぎて白くなっている。押さえた声音に滲む欲望の響きに、背筋が震えた。
「……オレは、自分の望みが叶わないのは分かっている。だが、このままお前の側にいるのは苦しすぎるんだ。所詮、半分獣だと軽蔑して、オレのことは忘れてくれ」
カレルは吐き捨てるように言って、あっという間に身を翻してドアを出て行く。慌てて後を追って廊下に飛び出すと、カレルが廊下の手摺りを跳び越えて、吹き抜けから一階の土間に飛び降りるところだった。
「ちょっと待ってよ!」
オレは慌てて階段を三段飛ばしで駆け下りて後を追う。ホールに下りた時には、カレルは土間の隅の柵に繋がれていた馬を一頭引っ張りだし、鞍もつけずに飛び乗ったところだった。開けっぱなしになっている入り口の扉から、あっという間に外へ駆けだしていく。
後を追いかけて外へ飛び出すと、冷気が全身を突き刺した。室内用のサンダル履きの足先があっという間に冷え切って、針を刺されたように痛み出す。膝まで雪に埋もれながら苦労して外門の側に出た時には、カレルの姿は既に雪景色の遙か向こうへと、小さくなってしまっていた。
「お前はふざけて人の性器に触れるのか?」
「ごめん、本当に悪かったと思ってる。反省してる。オレが非常識だった」
オレはひたすら謝罪するしかない。男友達の悪ふざけだとしても、朝立ちに勝手に触ってサイズ確かめるなんで、悪趣味だった。オレの馬鹿! ロクデナシ! デリカシーなし男!
「お前は……」
カレルは言いかけた言葉を途切れさせ、体中の空気を吐き出すように溜息をついた。
拘束していた手首を離してオレの上にぺったりと覆い被さってくる。脱力した身体は濡れた布団みたいに重い。
「カレル……?」
自由になった両腕でソロッと背中に触れると、カレルは再び大げさな溜息を漏らした。
「アキオ、お前はひどい……」
泣きそうな声で耳元に囁かれる。予想していなかった反応に、オレはびっくりして顔を見ようとしたけど、カレルはオレの首元に鼻先を埋めたまま顔を上げてはくれなかった。
「はっきり言わなければ分からないのか? 子犬が甘えるように戯れ付いてくれるのは嬉しいが、オレが耐えていることも分かってくれ。オレは、お前が欲しいんだよ」
オレは身体の上にカレルをのっけたまま、呆然と天井を見上げる。
壁の高いところにある明かり取りの窓からは、うっすらとした夜明けの光が差し込み始めている。
「欲しいって……」
口ごもると、熱くなった腰を下腹部に強く押しつけられる。誤解のしようのない仕草に、オレは息を詰めて身体を縮めた。合わさった胸から早い鼓動が伝わってきて、無意識に短い呼吸を繰り返してしまう。
「カレル……もしかして、そ、そういう意味でオレのこと好きってこと……?」
首元にある黒い巻き毛に覆われた後頭部に指を差し込んでみると、カレルはすごい勢いで頭を起こした。
「もしかして!? もしかしなくてもそうに決まっている! いい加減気付け!」
噛みつくような勢いで詰られて、オレは目を白黒させながら言い返す。
「一回も言われたことないのに、気付くわけないだろ!? ハッキリ言えよ、そういうことは!」
「言ったらお前は離れていくだろうが!」
確かに、絶対力で勝てない相手に性欲込みで好きって言われて、何も警戒せずに一緒の毛布にくるまって寝たり、二人で風呂に入れるかというと、ソレは無理だ。なんか怖い。
「お前がオレを避けて他の人間と親しくするくらいなら、オレが欲を殺して側にいる方がマシだ。だから言わなかった。でももう限界だ。オレを受け入れるか、拒むか、今決めてくれ……」
カレルは辛そうに目を伏せ、オレの額に額を押し当てた。
おでこにキスされるのは子ども扱いされているようで嫌だというオレのしょーもないわがままを、この期に及んで律儀に守ってくれているんだろうか。
オレは胸の奥がむず痒くて仕方がない。
だって、こんな風に誰かに好きだって言われることは、今まで一度もなかったから。そして今後も多分ない。
律儀で、義理堅くて、かっこよくて強くて優しい人に、好きだって言われて嬉しくないわけない。オレが女だったら、即決で頷いてる。
───でもなあ……
オレは女の子が好きだし、将来結婚するならリーナみたいな地味清楚な優しい巨乳の子がいいし、そのためにチンチン取り戻そうと頑張ってんだよなあ……
「あの、オレ、付いてないけど一応男で、」
「知ってる」
食い気味に返されてしまった。
「そのー、基本的に女の子が好きだし、」
「知ってる。誰か心に決めた女がいるのか?」
「いや、特に誰が好きってわけでもないけど、いいな~、触ってみたいな~って思うのは女の子なんだよ……カレルのことは大好きだけど……カッコイイと思ってるし、憧れるけど……その……性的な対象ではないというか……」
すぐ近くにあるカレルの顔が、一言ごとに曇っていく。綺麗な萌黄色の目が陰って暗くなり、眉間に悲しい谷ができ、形の良い眉尻が震えて下がる。
───傷ついてる。オレが傷つけてしまった。
オレのせいで悲しませてしまった。
そう気付くと、胸の底がざっくりと深く裂けたように痛んだ。
「……ごめん……」
それ以上カレルの顔を見ていられなくて、両腕で顔を覆って横を向いた。身体の上からゆっくりと温かみが退く。急に肌寒くなって、オレは一瞬身体を震わせた。
「……困らせて悪かった。今のは全部忘れてくれ」
絞り出すような、しわがれて疲れた声を聞くと、泣きたい気持ちがこみ上げてきた。オレのつまらない悪戯で、取り返しの付かない一歩をカレルに踏み出させてしまった。
「そんなつもりじゃないから触れたら駄目だ」って、マイアリーノが最初から忠告してくれてたのに。
全く分かってなかった訳じゃないだろう、と胸の奥から自責の念が泡のように湧いてくる。
オレの方を見るカレルの目に甘い色があるのには、もうずっと気がついてた。気付きたくないから、わざと見ない振りをしていただけで。
だって、そんな風に想われても、困るから。オレが返せる物は何も無い。
でも特別優しくしてもらえるのはくすぐったくて、嬉しくて、それにずっと甘えてた。
「カレルは悪くない。悪いのはオレだし……ごめん……」
オレはベッドの縁に腰掛けているカレルに背を向けて、枕をギュッと抱きしめる。
何を言っても墓穴を掘りそうで何も言えず、カレルも何も言ってくれない。どうしようもない沈黙が部屋に満ちた。
「おーい、朝だぜ! 飯の支度ができたってよ!」
小気味良いノックの音がして、オティアンの陽気な顔がドアから覗いた時は、心底ホッとした。
「お、おはよう! もうご飯できてるんだ!? お腹減ったな~!」
オレは涙ぐんでいた目元をローブの袖で拭って、ベッドから飛び降りた。昨夜貸してもらった部屋履きのサンダルを突っかけて素早くドアから廊下へ出る。
後ろではオティアンが「何? 痴話げんか?」と茶化したように聞くのに、カレルが大きな溜息でそれに答えていた。
窓の少ない一階のホールは、朝でもランプを点していないと薄暗い。先に席に着いていたルチアーノから、マイアリーノが回復していると聞いてホッとした。後でお見舞に行かなきゃ。
朝食は昨日と同じスープとパンに小さなリンゴが一つ付いていた。ションボリしてる時でも食事は美味しい。
カレルとオティアンは、二階で何か話しているのか、なかなか下りてこず、ルチアーノとオレが食べ終える頃にようやく姿を現した。
全員が食べ終えるのを待って、ルチアーノが話し出す。
「リーナの話では、今日の昼頃には堂主がここに戻って来るらしい。戻り次第、滅石を渡してもらえるはずだ。その後は、雪が解けるまではここでやっかいになるのが一番安全だろうな」
ルチアーノはそれ以外ないと断定し、オレも賛成の意を込めて深く頷いた。
雪の中を移動するのはもうこりごりだ。ここは温泉もあるし、堂者さんたちも良い人っぽいし、長く滞在できるなら有り難い。
オティアンはリンゴを囓りながらヒラリと手を振り、
「じゃあ、オレは今日の昼にはここを発つよ。サウラスの町の方に知り合いの店があるんでね。冬の間は毎年そっちでのんびり商売する算段さ。たまにここへも寄るから、入り用なものがあれば声を掛けてくれ」
と言った。
「道案内、感謝する。助かった」
ルチアーノはベンチ立ち上がり、テーブル越しにオティアンに手を差し出す。オティアンはそれを軽く握り、
「お偉い地位に返り咲いた暁には、オレに聖都での営業許可をくれよ。いい加減、ちゃんとした自分の店を構えたいんだよ」
とウィンクした。ルチアーノが「考慮しておこう」とくそ真面目な顔で頷く。
「そっかあ、オティアンとはここでお別れかあ……。ちょっと寂しいね」
オレが言うと、オティアンは商売人らしいドライさで屈託なく笑い、
「祭りの後、働き口がなかったら雇ってやるよ。それまでに読み書き計算を覚えときな」
と言って席を立ち、「じゃあな」と二階へ続く階段を上っていった。
「では、一旦解散だ。堂主が戻ったと知らせがあるまでは、部屋で待機しておいてくれ」
ルチアーノが言って、オレたちはそれぞれの部屋に戻る。
カレルと部屋で二人きりになった途端、オレは朝の出来事を思い出し、何を話して良いのか分からなくなって、床にしゃがみ込んで闇雲に火鉢の炭をつつき回した。灰になりかけていた炭が折れ、赤く燃える内部から火の粉が舞い上がる。炭鉢から新しい炭を取り出し、上手く燃えるように慎重に積み上げてからふと目を上げると、すっかり旅装を整えたカレルが荷物を持ち上げるところだった。
「あれ? 出かけるの?」
長靴を履き、雪よけの外套の襟をしっかり止めているカレルに驚いて尋ねると、
「……オレはエラストに戻る」
と思いもよらない答えが返ってきて、思わず飛び上がった。
「なんで!?」
「ここに留まるなら、しばらく危険はないだろう。オレは得た情報を一度仲間に伝えておきたい」
「じゃあ春には戻って来るってこと? なんだ、びっくりするじゃん」
ホッとして床に足を投げ出して座り直すと、カレルは困ったような顔をして首を横に振る。
「お前が願いを叶えるまで助けてやるという約束を守れないのは申し訳ないが……、戻ることは考えていない」
「え……なんで!?」
胸の前で両手を組んだカレルは、軽く溜息をついて壁にもたれ掛かり、視線を床に落としてポツリと言った。
「……良い香りのする瑞々しい餌を目の前に、飢えと乾きを堪えるのは、これ以上は無理だと悟ったからだ。お前に情けがあるのなら、オレが逃げることを許して欲しい」
「餌って……情けって……。今朝のこと? アレはオレが悪かったんだってば! これからは気をつける! 部屋も別々にしたらいいだろ!? カレルがいなくなったらオレはイヤだよ!」
「オレが耐えられないと言ってるんだ! お前はオレがどれほど欲深いのか知らない! オレはお前が他の人間と楽しげに話すのを見るのも嫌だ! 誰かに触れられているのを見たら、嫉妬で気が狂いそうになる。お前がオティアンの毛皮で眠った夜、オレはアイツを噛み殺してやりたいと思った!」
カレルが感情にまかせて大声を出すのを初めて聞いた気がする。オレは一瞬何を言われたのか分からなくてポカンと口を開けて彼を見上げていた。
「髪の一筋から足の先まで、身体の内側にも、残らずオレの印をつけて、お前をオレだけのものにしたい」
カレルは組んだ両手で自分の腕を握りしめ、ほとんど聞き取れないような低い声で呟く。指の先は力が入りすぎて白くなっている。押さえた声音に滲む欲望の響きに、背筋が震えた。
「……オレは、自分の望みが叶わないのは分かっている。だが、このままお前の側にいるのは苦しすぎるんだ。所詮、半分獣だと軽蔑して、オレのことは忘れてくれ」
カレルは吐き捨てるように言って、あっという間に身を翻してドアを出て行く。慌てて後を追って廊下に飛び出すと、カレルが廊下の手摺りを跳び越えて、吹き抜けから一階の土間に飛び降りるところだった。
「ちょっと待ってよ!」
オレは慌てて階段を三段飛ばしで駆け下りて後を追う。ホールに下りた時には、カレルは土間の隅の柵に繋がれていた馬を一頭引っ張りだし、鞍もつけずに飛び乗ったところだった。開けっぱなしになっている入り口の扉から、あっという間に外へ駆けだしていく。
後を追いかけて外へ飛び出すと、冷気が全身を突き刺した。室内用のサンダル履きの足先があっという間に冷え切って、針を刺されたように痛み出す。膝まで雪に埋もれながら苦労して外門の側に出た時には、カレルの姿は既に雪景色の遙か向こうへと、小さくなってしまっていた。
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