君はさみしがり屋の動物

たまむし

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君はさみしがり屋の動物

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 フラットのドアを開けると、なんだか丸くてデカイ毛の固まりがいた。
 もふもふ。妙に鼻がデカイ。目が小さくて離れてる。耳が小さくて尖ってる。
 見たこともない動物だ。
 なんだか間抜けな毛むくじゃらは、のそのそと短い手足を動かして、オレの足の真ん中に入り込んでくる。
 逃げるつもりかと慌てて両手で掴むと、コロリと腹を見せて仰向けになった。

「何これ? マーク、変な動物が入り込んでるぜ! お前またベランダの窓開けっぱなしにしてたろ?」
 オレは足の間でコロコロする動物を両手で部屋の中へと押しやりつつ、ドアを閉める。

 オレとマークがシェアしてるフラットは、メルボルンの州立公園の近くにある一戸建てで、窓を開けておくと野生の生き物が勝手に入り込んでいることがたまにある。
 最初のうちは、鳥やらトカゲの類やら、見知らぬ生き物が不法侵入してくる度、オレは半狂乱で逃げ回っていたけれど、住み始めて半年もすればもう慣れた。
 大概はマークが手懐けて追い出してくれるから、今回もかれにまかせておけば良い。

「マーク! ヘイ! コイツを追い出してくれ!」

オレは謎のもふもふを無視して二階のベッドルームへ向かおうとしたが、もふもふはオレの足にまとわりついて離れない。

「おい、止めろ。毛を擦り付けるな、お前ダニとか付いてるんじゃないだろうな?」

 靴の先でそーっと動物の脇腹を押して距離を開ける。動物は小さな目を悲しそうに瞬かせ、オレの靴の先を鋭い爪のついた短い手で握ってきた。

「止めろってば、ソイツは高いスニーカーなんだ! 爪で穴開けたら承知しねえぞ。ヘーイ、マァーク! 動物! 入り込んでる!」

 家にいる時は大概リビングにいるはずの同居人を大声で呼ぶが、返事はない。
 謎の生き物はオレの脛に両手をかけて立ち上がる。伸ばした手が腿まで届いてるから結構でかい。

「やめろ、懐くな。オレは生きものが苦手なんだ」

 もぎ取ろうとして動物の力は強い。オレはベッドルームに向かうのを諦め、動物にしがみつかれた足を引きずりながらリビングを覗いた。

「マーク?」

 いつも通りきちんと片付けられたリビングルームに、同居人の姿はない。
 ダイニングテーブルには、ベーグルサンドの皿が置いてあった。オレのお気に入りのベーカリーで売ってる、サーモンとアボカドとクリームチーズがたっぷり挟まったヤツ。マークはアボカドが苦手だから、これは多分わざわざオレのために買ってきてくれたんだろう。

 オレは昨日の喧嘩を思い出して、ちょっと胸が痛くなるのを感じた。

 でもアレはマークが悪い。
 オレにとって夜遊びするのは半分仕事みたいなものだから、出がけに引き留められたらイラッとする。

 オレは駆け出しのサウンドクリエイターで、地方感とトレンドを織り交ぜた音作りを売りにしてるから、地元のクラブに顔を出すのは必須の情報収集だ。そもそもマークと出会ったのも旅先のクラブで、だし。
 だから、アイツにどうこう言われる筋合いはない。
 ……まあ、ちょっと、最近は羽目を外しすぎてて、朝帰りどころか、夕帰りとかその翌日帰りとかになって、マークを心配させてたのはあるけど。

「でも仕事だし」

 オレは湧き上がってくる罪悪感に蓋をして、キッチンで手を洗い、ダイニングの椅子に座った。謎の動物は片脚にしがみついたままで、オレが座ると膝の上に乗ってこようとする。とんでもなく警戒心がなくて図々しい。

「オイ、人間の食べ物は止めとけ、毒だぞ」

 オレの方が警戒して、ベーグルの皿を遠ざけながら素早く食べた。
 動物は食べ物には興味を示さず、オレの膝の上でもぞもぞしている。コロッと丸くてもふもふな見た目に反してずっしり重い。

「何だよ? 腹減ってんじゃねえの? 何? そんな動くと落ちるぜ」

 もぞつくのを両腕で囲って支えてやると、ものすごく嬉しそうにキラッキラした目で見上げてくる。

「撫でて欲しいの?」

 そーっとデカイ鼻の上辺りを指で掻いてやると、気持ちよさそうに目を細める。

「なんだっけ……コイツ」
 オレは見かけよりゴワゴワする毛を片手で撫でながら、もう片手でスマホをいじって画像検索した。
「あ、そうそう! ウォンバット、ウォンバットな!」

 そうだ、この鼻デカはウォンバットって動物だった。
 こっちに越してきたばかりで、オレもマークもまだ初々しかった頃に、デートで行った動物園で見たことあるわ。

 ウォンバットはオレの膝の上で気持ちよさそうにくつろいでいる。撫でる手を止めると「どうして?」と言いたげにつぶらな目で見上げてきた。

「ウォンバットって、こんな人懐っこいんだ。お前、どっかで飼われてるの? 野生? どうやって入り込んだんだよ?」

 わしゃわしゃと全身を撫で回すと、嬉しげにオレの手に頭を擦り付けてくる。

「わはは、何だよ。可愛いじゃん!」

 短い前足の下に手を差し入れて持ち上げると、慌てたようにジタバタしている。尻を支えて抱っこしてやると、胸にしがみついてきた。相当重い。肉体労働に向かないオレには無理な重さだ。

「ゴメン、やっぱ抱っこ無理」

 迷いウォンバットを床に置いて、オレはソファに移動した。

 マークはまだ姿を現さない。もしかして、外へ出ちゃったのかな。それなら連絡くらいありそうだけど。スマホを確認しても、マークからのメッセージは無い。

 ウォンバットはソファに腰を下ろしたオレの隣に上がり込み、また膝に乗って甘えるように胸にしがみついてくる。

「えらく甘えた動物なんだなあ」

 オレは固い毛並みを両手で何度も撫でた。ちょっとでも手を離すと、ふんふん寂しそうに鼻を鳴らして、撫で撫でを催促してくる。
 ウォンバットのあまりにも分かりやすい態度に、オレは分かりにくいパートナーの事を思い出して苦く笑った。

 マークの国にオレが引っ越して、二人で暮らし初めてもうすぐ半年。
 あんまり口数が多くなくて、控えめなところが好きだと思ってたけど、一緒に生活し始めて、超夜型のオレと昼型のマークで生活時間がずれちゃってからは、どうにも上手くいってない。
 マークは口下手で奥手で、オレは上辺ばっかりペラペラの尻軽。
 最近は、いつも不安そうに見つめるだけのマークに苛々してしまって、冷たく当たることが多かった。

「……マークもお前くらい分かりやすかったらなあ」

 ウォンバットの毛に覆われた顔面で、そこだけ無毛で目立っている大きな鼻を押して呟く。

「あんな変な顔して黙って見送るくらいなら、『今晩は行くな』っていえばいーのに。正直に言ってくれりゃ、行かないよ。オレだってそんくらいの分別はある。だって違う国までついてくるくらい好きになったパートナーなんだからさ! な、お前もそう思うだろ?」

 ふっくらした頬の毛を揉みながら目を閉じて溜息をつくと、急に膝の上の重みが増した。

「うわっ! マーク!?」

 一瞬のうちに、オレの膝の上に乗っていたもふもふのウォンバットは、ガッチリした体格の成人男性に取って代わられていた。

「ウォンバットは!?」
「デイヴィッド、デイヴィッド、ごめん」

 マークは麦わら色の癖毛をオレの首元に押しつけてくる。

「いや、ウォンバット!」
「君がいない夜はとても寂しい。でも仕事だって分かってるから、止めたらいけないって思って、でも寂しくて」
「ウォンバットは!?」
「甘えても良い? 最初から、もっと甘えた方が良かった? 今晩は出かけないで、オレといて」
「いや、それは良いけど、ウォンバットは!?」

 オレがキョロキョロしていなくなったもふもふを探していると、マークはそばかすの散った頬をちょっと赤くして、
「あれ、オレ」
 と、はにかんだ。
「は!?」
「昨日、置いて行かれて寂しくて、寂しすぎて、気がついたらウォンバットになってた」
「そ、そんなことある!?」
「さあ……でも実際そうだったからあるんじゃない? デイヴィッドの気持ちが聴けて良かった。オレ甘えても良い? 甘やかしてくれる?」
 蜂蜜を溶かした紅茶みたいな目に間近から見つめられて、オレは降参の印に両手を軽く上げた。
「……いくらでも」
 マークはさっきのウォンバットよりも素直に嬉しそうに笑って、オレの唇にキスをした。


「寂しさ極まってウォンバットになっちゃったってことは、また寂しくなったらウォンバットになる?」
 狭いソファの上で抱き合いながらオレが聞くと、マークは唇をちょっと突き出して不満げに
「寂しくさせないで欲しい」
 と、ぼやいた。
 オレはそれに口づけながら、またあの可愛いもふもふに会えるなら、たまに寂しくさせるのもアリなんじゃないかと一瞬思ったけど、
「ウォンバットに会いたいなら動物園に行こうよ、一緒に。いつでも会えるよ」
 と押し倒されて、まあそれならそっちの方が良いかと、いつまでも緊張気味のマークの背中を引き寄せてやった。
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