翼の統べる国

たまむし

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6.2 トラブルー4

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 寝そべると急に酷い疲れが襲ってきた。身体が泥のように重い。長距離を無理に飛んだせいだ。たったの三昼夜と少しだったが、それでこんなに疲労してしまったのは意外だ。傷はすっかり癒えたはずだが、療養生活の間に思いのほか体力を失ったのかもしれない。

「おい、地図の上に寝るな。貴重なものなんだぞ」

 レムリに肩を押され、オティアンはノロノロと身を起こして背中の下敷きになっていた紙を拾い上げる。返す前に何気なく眺めて、ふと違和感を覚えた。

「レムリ、この地図は正確なのか?」

「あ? ああ、省略されてはいるが、地形なんかは大体その通りだぜ」

 オティアンは少しの間考え込み、

「オレはノール山を出発してから三日と少しでこの島に辿り着いた。途中大きな陸地は見えなかったし、真っ直ぐ北へ飛んだつもりだ。だから、地図が正確なら、おそらくファタリタがあるのはこの辺り」

 と、アマジヤとガルダニアの間に横たわる海域を指さした。

「アマジヤからも、南側の大陸からも、大した距離はないはずだ。君はさっきアマジヤは周辺国と広く交易をしてると言った。当然、船での取引も盛んなんだろう? なのに、誰もファタリタ大陸に気付かないってことがあるのか? 不自然じゃないか?」

「その海は暗黒海だ。どんなに良い船でも、岸が見えない沖まで出たら二度と帰ってこられない魔の海なんだ。風か潮の具合が悪いんだろうが、魔物が住んでるって噂もあって、アマジヤの船はその海域に近寄らない」

「なるほど。だからこの部分は空白なのか……」

「アンタは飛べるから、潮の影響を受けずに暗黒海を超えられた。オレは偶然、嵐の力で魔の海域を抜けてしまったってことか。もしそれが事実なら、暗黒海はファタリタの守り神だな。もしも暗黒海が航行不能じゃなかったら、ファタリタはアマジヤとガルダニアの間で板挟みになって、とっくに滅ぼされてただろうよ」

 レムリの言葉が、記憶を引き出す鍵になり、オティアンの頭の中で一気に情報がつながった。

「そうか……『神の帳』だ」

 オティアンは呆然とつぶやく。

「神の帳? 何のことだ?」

 レムリは怪訝そうに地図から顔を上げる。

「オレも詳しくは知らない。命願教の大聖女が話したのをちらっと聞いただけだ。命願教の聖女どもは、遙か昔、神と名乗る何者かと取引して、外敵から国を守るためにファタリタの周りに目くらましをかけたらしい。それが『神の帳』だと大聖女は言った。もしかして、暗黒海が『神の帳』なんじゃないか?」

 オティアンの指摘にレムリは目を丸くした。

「暗黒海は自然現象じゃなくて、カミサマの仕業だったって? まさか! 信じられない。オレは海でカミサマなんかとは出会わなかったぞ。アンタはこっちに来るとき、その帳とやらを見たのか?」

「わからない。はっきりそれと分かるものはなかった。しかしファタリタに神がいるのは間違いないんだ。オレも君も、ノルポルやエラストに神がいるのはわかってるだろう? 同じように、ファタリタにもいたんだ。大聖女はファタリタの神が弱っていて、帳も薄れていると言っていた……」

 オティアンは目を閉じて記憶を辿ったが、弱った神や帳がどうなったのかは思い出せなかった。地下神殿でアキオが神と何か取引をしたはずだが、傷を負って途中で逃げたオティアンは、最後どうなったのかを知らないのだ。オティアンが知っているのは、最終的に石が消えたこと、ノルポルに神が戻ったことだけだ。

 レムリは考え込むオティアンの両肩をつかんで激しく揺さぶり、焦った様子でまくし立てた。

「おいおい、それが本当なら、暢気に寝てる場合じゃないだろ! もしも暗黒海に船が入るようになれば、ファタリタは大変なことになる! アマジヤは絶対にファタリタに攻め込むぞ。ファタリタがやられたら当然ノルポルもエラストも踏み荒らされる」

 オティアンは面倒な事になったと溜息をつき、地図を投げ出して再びベッドに横たわる。

「おい! 起きろって! 今、暗黒海にファタリタがあると気付いてるのは、オレたちだけだ。何とかしないとマズいだろ!」

「なんとかって、言っても何ができる? オレや君がファタリタの神をどうにかできるわけじゃない。アマジヤは今のところ暗黒海に興味はないんだろ? 様子見するしかないんじゃないか?」

 やる気のないオティアンの言葉に、レムリは枕の上に乗った形の良い頭を勢いよくはたいた。

「イテッ」

「バカ鳥が! 戦争は情報を先に掴んだ方が圧倒的に有利なんだよ! お前はこことノルポルの間を四日で飛べる。暗黒海の外に大国があることを知らせてやれ。帳が消えかけてることにアマジヤが気付く前に、できるだけ向こうにこっちの情報を持ち帰るべきだ」

 耳元に叩き付けるように言われ、オティアンは両手で耳をふさいで低く呻いた。
 情報の重要性はわかるが、正直勘弁して欲しかった。
 ノルポルの翼持ちたちは、雛を増やすことで頭がいっぱいだ。差し迫ってもいない外国の危機について知らせても、どれくらい耳を傾けてもらえるか分からない。

「……君がやりなよ。オレより君の方が、こっちの情報をたくさん知ってる。猫一匹乗せて飛ぶくらい簡単だから、エラストに運んでやるよ。オレはその後またどこか別の場所に行く。アマジヤが危ないなら、南のガルダニアとやらにでも」

 投げやりにそう言うと、レムリは一瞬パッと顔を輝かせたが、すぐに悲しそうに俯いて首を振った。

「それは無理だ。エラストに帰りたいのは山々だが、オレにはこの店がある。女達を放り出すわけにはいかない。それに、向こうにいたときのオレは、スィルン村から出たこともなかったんだ。ノルポルやファタリタには全く伝手がない。大聖女と知り合いのアンタの方が向いてるよ」

 レムリは悔しそうに呟く。
 オティアンは枕に顔を伏せて低く唸った。どう考えても、伝令に向くのはレムリより自分だ。ノルポルがアマジヤの情報を知りたがるかは微妙だが、ジョヴァンナは確実に欲しがるだろう。ジョヴァンナに会えば、情報を知らせるだけは済まないだろう。海を越えられるのが自分しかいないとなれば、確実に諜報役を押しつけられる。そして自分はきっとそれを拒めない。乗りかかった船から降りられる性分ではないからだ。

 オティアンはしばらく頭を抱えてジタバタと呻いていたが、ようやく腹を決めてノロノロと起き上がった。

「仕方ない。オレが行くよ。ついでに、スィルン村に君が生きてることも伝える。その後、戻って来られそうだったら戻って来る。その時、君が店を手放せるようなら、改めてエラストに運んでやるよ」

 その言葉を聞いて、レムリは泣きそうに顔を歪め、オティアンの肩に抱きついた。

「ありがとう、ノルポルのオティアン! アンタは思ったより良いヤツだ」

「『思ったより』は余計だよ」

 オティアンはレムリの肩を軽く抱き返す。

「どうせ戻るなら、こっちの情報をできるだけ多く持ち帰りたいし、言葉もある程度覚えておきたい」

「もちろん! オレが知ってることは全部教える」

 レムリはオティアンの目を見て、力強く頷いた。 
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