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彼女の名前は瀬路原野弦
呪殺は呪殺、返す返す
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「呪殺って……どういうことですか?」肺助はすっかり怯え切った表情で命香に問うた。そういう肺助も、その意味自体は理解している。だが、問わずにはいられなかった。
「呪殺は呪殺。体は動く?」
そういわれてみると、体がうっすらと痺れている様な気がした。
「なんか少し変かもしれません」
「誰か呪術師が、人形か何かの形代を使って、肺助さんに呪いをかけてる」
「そんな、一体誰が……」
そういいつつ、肺助の頭には一人の呪術師の名前が浮かぶ。
「……ナイススイング正隆?」
「多分そうでしょうね。ほら、痣が濃くなってる」
言われるままにもう一度、肺助は自分の足を見る。すると、痣の形がどことなく、ゴルフボールの大きさ、凹凸を伴っていく。
「わかりやすすぎるだろ」
「それ故、効果が高い。馬鹿にされている、ともいうけど」
命香は真剣に痣を見て思案している。
「あの、これは……」一方、肺助はすでに混乱の最中にあった。これから一体、どんな目に合うのか想像もつかない。対して、命香は実に落ち着いていた。
「対処法、やっぱりわからないんだ。他の呪術師との交流もなさそうだし、やっぱり合儀家の呪術は独自的、或いは孤立している」
「え?」
「これくらいの呪い、呪術師なら返せて当然です」
「そうなん、ですか?」
「そうです。多分、呪禁がそういうことに慣れていないって馬鹿にされてるから、こんなわかりやすい手を使ってるんだと思う。いや……」
命香は顔をしかめて、再び思案した。
「まあいいか。とにかく、対処は急いだほうがいい」
命香はそう言って、棚から念珠を取り出し、息を吹きかける。獣の牙や無患子の実で構成された念珠からふわりと黒い狐が飛び出ると、一瞬命香を振り見た。
「わたしの鞄を取ってきて。遁甲盤とかが入ってるから。お義母さんなら連れてきてもいいよ」
命香の言葉に、黒い狐は半開きになった戸から外へ飛び出していく。それを見届けず、命香は肺助に問う。
「肺助さん。立てる?」
肺助は何とか体を起こすが、不思議と感覚だけがすっぽり抜けている。まるで、体が人形に置き換わっているかのようだった。
「奥の部屋、清められてるよね。祭壇みたいなものはある?」
「ある。鏡と刀、蝋燭もある」
「さすがね」
そういって、命香は肺助に肩を貸す。緩いなんてもんじゃない、道着の隙間から何かいろいろ見当た気もするし、体が密着したおかげで薄いも薄い道着越しに柔らかな感触があった気もするが、今の体では何も沸くものがなく、別の意味で肺助は愕然とした。
「痛っ!」
そのとき、三度肺助の足を衝撃が襲った。今度は左足。
「耐えて。時間が経つほど回数も多くなるし、その内、呪いは末端から体に移る」
「なんでこんな嬲り殺しみたいな……」肺助は既に涙声になって訊ねた。
「呪いがかかれば、体が何となく不調になる。だから呪術師ならすぐに呪いを疑う。でも呪いはどんなに日付や場所を選んでも、すぐに頭や心臓に効果を及ぼすことはなかなかできない。つまり、即死が狙えない以上、呪術師は抵抗できないように、段階的にまず、手足の自由を奪っておいてから、時間をかけて頭や胸を潰すの」
「なるほど……」
肺助は理解した。呪殺に手間暇がかかるのは呪禁も呪術も一緒である。ただし、と肺助は思う。
「それで、これから何をするんですか。正隆のところに行って呪殺を……」
「場所、知ってるの?」
やや呆れたように命香は言う。肺助は首を振った。彼に縁のありそうな、ゴルフの関連施設はこの辺りに思いつかない。
「呪術師なら、呪いを掛けられたときにすることは二つ。一つは、逃げる。もう一つは返す。でも逃げられるようなタイミングで呪いをかける術師はいない。だから、わたし達にできることは返すだけ」
命香は早口でそう説明する。
「人を呪わば穴二つ、呪いをかけるということは隙を晒すも同義。呪い返しを執り行い、あなたの呪いをそのままそっくり、呪術師に返す。同じ目以上に合わせて、こんな舐めた呪いをかけたことを後悔させる」
肺助は、自身と同じく体中にゴルフボール跡がついたナイススイング正隆の姿を想像した。
二人は小屋の玄関の次の部屋、六畳ほどの部屋に至る。簡素な板張りの部屋だが、そこに祭壇が作られていた。
「火は?」
「壇の下に引き出しがある」
肺助はその祭壇に相対する位置で何とか体をくねらせて座り込む。命香は玄関から差す電灯を頼りに引き出しを見つけ、マッチを擦った。
蠟燭に火が燈り、部屋がにわかに明るくなる。
「川辺は丁度良かった。呪いを流す環境は整ってる。禊じゃないけど、一度水で身を清めてからにしましょう」
「わかった」
そう答えた直後、肺助は顔をしかめた。また足に痛みが走る。ゴルフボールの跡がまた増えている。それらが今、強烈な痛みを伴いつつ、その色を深めていく。
「多分、あの完全オリジナルの真言を唱えながら、あなたの形代にゴルフボールを打ち込んでいるんでしょうね」
「やめてください想像したくない」そう言う間にも、新しい痣が生まれ、痛覚が刺激される。いよいよその衝撃と言い、骨が軋むようだった。
「ゴルフのルールに則るなら、十八段階に分かれてゴルフボールを打ち込むと思うんだけど……頭にまで効果が出たら終わりね。多分頭蓋骨が割れて脳みそが飛び出る」
「そんな……」
「大丈夫。わたしが必ず救うから」
そう力強く言うと、命香はさっと道着を脱ぎ捨てた。一瞬だけ、彼女のうっすらと濡れた白い肌と曲線が目を焼くが、肺助は反射的に顔を逸らした。
「ありがとう。ちょっとだけ恥ずかしかったから」
(正解だった)
「歩ける?」
「まだなんとか」
「じゃあ、あなたも脱いで、身を清めます」
肺助は言われるがまま、道着を何とか脱ぎ捨てる。どんどん体の自由が利かなくなっていた。ゴルフボールの痣がついた足の痣はただの文様ではなく、強烈に激痛をもって骨すら侵食している。触覚もほとんど機能していない上、今肺助は目を瞑っているのだが、それでも命香が苦労して肺助を引っ張り、手伝っているのがわかる。
「禊場は隣の部屋ね?」
「はい。あの……阿賀谷戸先輩」
「なに?」
「こういう状態で聞くのもなんですが、なんで急に、おれのことを助けてくれるんですか」
今、曲がりなりにも死にかけているとき、訊ねることではないだろう。だが、それでも肺助太問わずにはいられなかった。
「わかんない」
「え?」
「あなただって、自分の利益にならないのに、真壁君のこと助けたでしょ。わたしも同じ。同じことしてるのに、なんで肺助さんにそんな質問されるのか、わかんないよ、わたし」
その言葉に、肺助は口を噤んだ。なんとなく、ごめんと言えればよかったのかもしれなかったが、それすらなぜか出なかった。
小屋の中の禊場は、石の風呂桶のようなものが鎮座した部屋である。その水を全身にかけ、呪文を唱えて禊とする。神仏習合とはまた別だが、古く様々な『まじない』を摂りこんできた合儀家の禁歌と持禁、或いは呪禁に伝わる作法である。
桶で掬われた水が、肺助の身を打つ。耳元で、命香が歌の様な呪文を口ずさむのが聞こえる。そして、彼女は肺助の体を引き摺るように誘導し、元の部屋に戻る。
「座れる?」
「できる」肺助は何とか言葉を吐く。
「印は結べなくても、合掌だけは欠かさないで」目を閉じたままの肺助にはもう何をされているのかわからない。だが、彼女が苦労して肺助の手を合掌の形に整えているのを察す。
(震えている)
ふと、肺助はそう感じた。肺助の手を握る阿賀谷戸命香の手が、震えている。
(先輩も、緊張してるんだ)
肺助は大きく呼吸をし、何とか手指に力を込めてその形を維持しようと努める。すでに、手にも痛みが走っている。一瞬目を開くと、肺助は後悔した。なんと、手にも足にも、へこんでいたように見えたゴルフボールの痣が今や、膨れ上がって赤黒い瘤になっているではないか。まるで体中にゴルフボールが実ったよう。それらが不気味に呼吸でもするように拡縮しながら痛みを作る。
(気持ち悪い……こんなものぶら下げて死ぬのは嫌すぎる!)
「多分、一晩かかる。これからどんなに痛くても耐えてね。でも、頭や胸をつぶされる前に、わたしが必ず呪いは返す。肺助さんは殺させない」
この部屋の蝋燭の数は二つ。だが、不思議と肺助はその瞼の向こうに、それ以上の光を見た気がした。
「できるなら、わたしと一緒にことばを」
「わかった」
こうして、肺助と命香はただひたすら、一晩をこの小屋で過ごした。
「呪殺は呪殺。体は動く?」
そういわれてみると、体がうっすらと痺れている様な気がした。
「なんか少し変かもしれません」
「誰か呪術師が、人形か何かの形代を使って、肺助さんに呪いをかけてる」
「そんな、一体誰が……」
そういいつつ、肺助の頭には一人の呪術師の名前が浮かぶ。
「……ナイススイング正隆?」
「多分そうでしょうね。ほら、痣が濃くなってる」
言われるままにもう一度、肺助は自分の足を見る。すると、痣の形がどことなく、ゴルフボールの大きさ、凹凸を伴っていく。
「わかりやすすぎるだろ」
「それ故、効果が高い。馬鹿にされている、ともいうけど」
命香は真剣に痣を見て思案している。
「あの、これは……」一方、肺助はすでに混乱の最中にあった。これから一体、どんな目に合うのか想像もつかない。対して、命香は実に落ち着いていた。
「対処法、やっぱりわからないんだ。他の呪術師との交流もなさそうだし、やっぱり合儀家の呪術は独自的、或いは孤立している」
「え?」
「これくらいの呪い、呪術師なら返せて当然です」
「そうなん、ですか?」
「そうです。多分、呪禁がそういうことに慣れていないって馬鹿にされてるから、こんなわかりやすい手を使ってるんだと思う。いや……」
命香は顔をしかめて、再び思案した。
「まあいいか。とにかく、対処は急いだほうがいい」
命香はそう言って、棚から念珠を取り出し、息を吹きかける。獣の牙や無患子の実で構成された念珠からふわりと黒い狐が飛び出ると、一瞬命香を振り見た。
「わたしの鞄を取ってきて。遁甲盤とかが入ってるから。お義母さんなら連れてきてもいいよ」
命香の言葉に、黒い狐は半開きになった戸から外へ飛び出していく。それを見届けず、命香は肺助に問う。
「肺助さん。立てる?」
肺助は何とか体を起こすが、不思議と感覚だけがすっぽり抜けている。まるで、体が人形に置き換わっているかのようだった。
「奥の部屋、清められてるよね。祭壇みたいなものはある?」
「ある。鏡と刀、蝋燭もある」
「さすがね」
そういって、命香は肺助に肩を貸す。緩いなんてもんじゃない、道着の隙間から何かいろいろ見当た気もするし、体が密着したおかげで薄いも薄い道着越しに柔らかな感触があった気もするが、今の体では何も沸くものがなく、別の意味で肺助は愕然とした。
「痛っ!」
そのとき、三度肺助の足を衝撃が襲った。今度は左足。
「耐えて。時間が経つほど回数も多くなるし、その内、呪いは末端から体に移る」
「なんでこんな嬲り殺しみたいな……」肺助は既に涙声になって訊ねた。
「呪いがかかれば、体が何となく不調になる。だから呪術師ならすぐに呪いを疑う。でも呪いはどんなに日付や場所を選んでも、すぐに頭や心臓に効果を及ぼすことはなかなかできない。つまり、即死が狙えない以上、呪術師は抵抗できないように、段階的にまず、手足の自由を奪っておいてから、時間をかけて頭や胸を潰すの」
「なるほど……」
肺助は理解した。呪殺に手間暇がかかるのは呪禁も呪術も一緒である。ただし、と肺助は思う。
「それで、これから何をするんですか。正隆のところに行って呪殺を……」
「場所、知ってるの?」
やや呆れたように命香は言う。肺助は首を振った。彼に縁のありそうな、ゴルフの関連施設はこの辺りに思いつかない。
「呪術師なら、呪いを掛けられたときにすることは二つ。一つは、逃げる。もう一つは返す。でも逃げられるようなタイミングで呪いをかける術師はいない。だから、わたし達にできることは返すだけ」
命香は早口でそう説明する。
「人を呪わば穴二つ、呪いをかけるということは隙を晒すも同義。呪い返しを執り行い、あなたの呪いをそのままそっくり、呪術師に返す。同じ目以上に合わせて、こんな舐めた呪いをかけたことを後悔させる」
肺助は、自身と同じく体中にゴルフボール跡がついたナイススイング正隆の姿を想像した。
二人は小屋の玄関の次の部屋、六畳ほどの部屋に至る。簡素な板張りの部屋だが、そこに祭壇が作られていた。
「火は?」
「壇の下に引き出しがある」
肺助はその祭壇に相対する位置で何とか体をくねらせて座り込む。命香は玄関から差す電灯を頼りに引き出しを見つけ、マッチを擦った。
蠟燭に火が燈り、部屋がにわかに明るくなる。
「川辺は丁度良かった。呪いを流す環境は整ってる。禊じゃないけど、一度水で身を清めてからにしましょう」
「わかった」
そう答えた直後、肺助は顔をしかめた。また足に痛みが走る。ゴルフボールの跡がまた増えている。それらが今、強烈な痛みを伴いつつ、その色を深めていく。
「多分、あの完全オリジナルの真言を唱えながら、あなたの形代にゴルフボールを打ち込んでいるんでしょうね」
「やめてください想像したくない」そう言う間にも、新しい痣が生まれ、痛覚が刺激される。いよいよその衝撃と言い、骨が軋むようだった。
「ゴルフのルールに則るなら、十八段階に分かれてゴルフボールを打ち込むと思うんだけど……頭にまで効果が出たら終わりね。多分頭蓋骨が割れて脳みそが飛び出る」
「そんな……」
「大丈夫。わたしが必ず救うから」
そう力強く言うと、命香はさっと道着を脱ぎ捨てた。一瞬だけ、彼女のうっすらと濡れた白い肌と曲線が目を焼くが、肺助は反射的に顔を逸らした。
「ありがとう。ちょっとだけ恥ずかしかったから」
(正解だった)
「歩ける?」
「まだなんとか」
「じゃあ、あなたも脱いで、身を清めます」
肺助は言われるがまま、道着を何とか脱ぎ捨てる。どんどん体の自由が利かなくなっていた。ゴルフボールの痣がついた足の痣はただの文様ではなく、強烈に激痛をもって骨すら侵食している。触覚もほとんど機能していない上、今肺助は目を瞑っているのだが、それでも命香が苦労して肺助を引っ張り、手伝っているのがわかる。
「禊場は隣の部屋ね?」
「はい。あの……阿賀谷戸先輩」
「なに?」
「こういう状態で聞くのもなんですが、なんで急に、おれのことを助けてくれるんですか」
今、曲がりなりにも死にかけているとき、訊ねることではないだろう。だが、それでも肺助太問わずにはいられなかった。
「わかんない」
「え?」
「あなただって、自分の利益にならないのに、真壁君のこと助けたでしょ。わたしも同じ。同じことしてるのに、なんで肺助さんにそんな質問されるのか、わかんないよ、わたし」
その言葉に、肺助は口を噤んだ。なんとなく、ごめんと言えればよかったのかもしれなかったが、それすらなぜか出なかった。
小屋の中の禊場は、石の風呂桶のようなものが鎮座した部屋である。その水を全身にかけ、呪文を唱えて禊とする。神仏習合とはまた別だが、古く様々な『まじない』を摂りこんできた合儀家の禁歌と持禁、或いは呪禁に伝わる作法である。
桶で掬われた水が、肺助の身を打つ。耳元で、命香が歌の様な呪文を口ずさむのが聞こえる。そして、彼女は肺助の体を引き摺るように誘導し、元の部屋に戻る。
「座れる?」
「できる」肺助は何とか言葉を吐く。
「印は結べなくても、合掌だけは欠かさないで」目を閉じたままの肺助にはもう何をされているのかわからない。だが、彼女が苦労して肺助の手を合掌の形に整えているのを察す。
(震えている)
ふと、肺助はそう感じた。肺助の手を握る阿賀谷戸命香の手が、震えている。
(先輩も、緊張してるんだ)
肺助は大きく呼吸をし、何とか手指に力を込めてその形を維持しようと努める。すでに、手にも痛みが走っている。一瞬目を開くと、肺助は後悔した。なんと、手にも足にも、へこんでいたように見えたゴルフボールの痣が今や、膨れ上がって赤黒い瘤になっているではないか。まるで体中にゴルフボールが実ったよう。それらが不気味に呼吸でもするように拡縮しながら痛みを作る。
(気持ち悪い……こんなものぶら下げて死ぬのは嫌すぎる!)
「多分、一晩かかる。これからどんなに痛くても耐えてね。でも、頭や胸をつぶされる前に、わたしが必ず呪いは返す。肺助さんは殺させない」
この部屋の蝋燭の数は二つ。だが、不思議と肺助はその瞼の向こうに、それ以上の光を見た気がした。
「できるなら、わたしと一緒にことばを」
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こうして、肺助と命香はただひたすら、一晩をこの小屋で過ごした。
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