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あらしが来る
夜風和留
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早朝。ずらりと並んだこの住宅街において、その壁がまだ青白く見える時間帯。差し込むはずの陽光は、周囲の公園の木々や横にも縦にも大きいマンションにまだ遮られていた。
『夜風家』
「いってきまー」
気の抜けた声とともに、ある一軒家のドアが開いた。透き通って見えるほど見事な金色に髪を染めた女子高生が玄関から外に出る。
だらしなく着伸ばされたセーターと、大きく開かれたシャツの胸元。ぐんにゃりと伸びきったリボン。彼女が頭を揺すると、こだわりのシャンプーやコンディショナー、それから香水までが混ざって、花のような砂糖のような、不思議で強烈な匂いが風に乗った。
玄関から一歩飛び出た彼女は、スニーカーの奥まで爪先を突っ込むべく、どんどん、と足をタイルに叩きつける。そしてぱっと上げた彼女の顔といえば、日焼けと化粧で見事な褐色に染まっている。目も、もともとの大きさもさることながら、つけ睫毛の効果でぱっちりと大きく開いて見えた。
しばし穴でも掘るように足首をまわし、吐き潰れかけのスニーカーを両足になじませた彼女は、ルーズソックスとぎりぎりまで短くしたスカートを整える。
あとは、玄関のドアを閉め、鍵を掛けるだけ――
「待ちなさい、和留。昨日は夜遅くまで何やってたの」
登校直前の彼女を、呼び止める声がした。
「ママ」
ドアの隙間から、鬼の形相が突き出た。
ばっちりメイクのいささか古いタイプにも見える、まさに絵に描いたような黒ギャル=夜風和留は、家の中から鋭い眼光を飛ばす女のことを、ママ、と呼んだ。
「あなた、今日だって、家に帰ったらちょっと寝るだけでこんなに朝早く出て行って、もういい加減にしなさい」
母親の言葉に、和留は手に持った、大きめのボストンバッグをきつく握りしめた。
「お母さんはね、和留のことを心配してるの。わかるでしょ? 髪だってそんなお金かけて金髪にして、肌も日焼けさせて、爪も派手な色で、スカートだってそんなに短くする必要はないでしょう。別に、普通の子みたいに、なんていわないから、せめてお母さんにちゃんと説明して。どうして、あなたはそんなに……」
もう、と母親の言葉を遮るように黒ギャルは声を上げた。
「朝練!」
玄関で、まるで懇願するように座り込んだ母親に、夜風和留は溜息をついた。
「あー、さー、れー、んー! そろそろうちの学校、合唱祭でしょ。あたし、パートリーダーだからへまなんてできないじゃん。今日は特殊教室使えるから、あたしが鍵あけんの」
和留は学校から預かった鍵を取り出す。それは、学校からの信頼の証でもあった。
「生徒会やってるから帰り遅いのは仕方ないじゃん。行事近いんだから。うちの学校、公民館のホールとのやり取りまで生徒会任せだし。っていうか、帰り遅いって言っても八時には帰ってるしいいじゃん」
「でも、その恰好は……」
「まじめな合唱祭でギャップ狙ってんだってさ、うちのクラス。何が何でも勝つってミカが張り切ってるから、あたしたちのクラスが真面目に練習してるのも内緒なわけ。メッセージ性とテーマ、表現の項目もあるし。ってか、うちは進学校で服装だってもともとは自由じゃん。みんなこんな感じだよ」
資料室Ⅲと書かれたタグの付いた鍵を和留はくるくると回している。
「でも、和留……」
「時間内から。今月の生活費分の株の配当金は口座に振りこんでおくから自由に使って。それからお弁当はテーブルの上。好きな時間に食べて。今日も晩御飯の時間までには帰るから」
そういって、和留は、行ってきます、と、ボストンバッグを肩にかけなおして手を振り振り家を飛び出す。
「もう、どうして……和留が、どんどん不良になっていく……」
一人、夜風和留の母親は玄関で泣き崩れるのみ。
――夜風和留はラスコーリ女子高等学校に通う二年生である。見た目は派手だが、成績も優秀で競技カルタ部に所属するごくごく普通の女子高生である。
学年を問わずその名は知れ渡り、数少ない彼女の悪名といえば、僻みや嫉妬から生じたものばかり。
その要領の良さから交友関係と個人の問題のタスク処理のバランスは見事であり、怪我や病気にも無縁である。かつ、強烈な黒ギャルの見た目に反した賢さや計算の速さから生じる妙なギャップは誰も彼もを惹きつける。
どんなに彼女を好こうと妬もうと、目が離せなくなる魅力がある。それが、夜風和留である。
「夜風和留さん」
家から出て、角を曲がった影で、彼女を呼び止める声がした。はっとしてふり見ると、百六十センチメートルほどの身長の彼女を入道雲のように覆い隠すような大男がいた。黒いスーツを身に纏っているが、明らかに窮屈そうであった。
――否、そういう問題ではない。彼には明らかな『実力』があった。それが、スーツという形にまったく合致していない。故に、そんな印象を持ったのだ。
「誰?」
和留は母親に送ったものとは別種の、刃のような口調を男へ向けた。
「おれは、阿賀谷戸天森様の遣いだ」
その言葉に、夜風和留は眉を顰めた。
「ああ、あのおっさん。何、仕事? でもそういうのはちゃんと公式サイトから送ってくんない? もしくはFAX」つまらなさそうに言う。
「緊急の依頼だ。他のスケジュールを押してでも、と。その分料金は弾む」
金で全てを黙らせようとするその姿勢。それがまた、和留の神経に障った。
「そもそも、あたしが、あいつのこと嫌いなの知らない?」
「知っている。だが、こちらも緊急だ」
そういって、男は背にしていた一代の車、BMW 7シリーズの後部座席のドアを開いた。俗にいう二代目、四十年前近くのモデルであるが、黒一色の外装には傷一つなく、古めかしく見えるその見た目も、ある種気品に溢れていた。
「お母さんの病気の治療費も大変でしょう」
男はあくまでも恭しく、しかし挑発するように言う。途端、和留は舌打ちをした。肩に掛けた大きなボストンバックを下ろしかける。
「ママに何かする気なら本当に殺す。あんたもおっさんも」
対して、大男は肩を竦めるばかり。やがて、和留はしばし考えたのち、車に乗り込んだ。その大ぶりのボストンバックを引き摺る。
「いったん、学校には寄って。友達に渡すものがあるから」
「わかった」
運転席に収まると、男はエンジンをかけた。
「そういえば、あんた見ないね。おっさんの新しいカレシ? 名前は?」
和留は男に問うた。すると、男は返した。
「おれは、合儀肝悟朗」
『夜風家』
「いってきまー」
気の抜けた声とともに、ある一軒家のドアが開いた。透き通って見えるほど見事な金色に髪を染めた女子高生が玄関から外に出る。
だらしなく着伸ばされたセーターと、大きく開かれたシャツの胸元。ぐんにゃりと伸びきったリボン。彼女が頭を揺すると、こだわりのシャンプーやコンディショナー、それから香水までが混ざって、花のような砂糖のような、不思議で強烈な匂いが風に乗った。
玄関から一歩飛び出た彼女は、スニーカーの奥まで爪先を突っ込むべく、どんどん、と足をタイルに叩きつける。そしてぱっと上げた彼女の顔といえば、日焼けと化粧で見事な褐色に染まっている。目も、もともとの大きさもさることながら、つけ睫毛の効果でぱっちりと大きく開いて見えた。
しばし穴でも掘るように足首をまわし、吐き潰れかけのスニーカーを両足になじませた彼女は、ルーズソックスとぎりぎりまで短くしたスカートを整える。
あとは、玄関のドアを閉め、鍵を掛けるだけ――
「待ちなさい、和留。昨日は夜遅くまで何やってたの」
登校直前の彼女を、呼び止める声がした。
「ママ」
ドアの隙間から、鬼の形相が突き出た。
ばっちりメイクのいささか古いタイプにも見える、まさに絵に描いたような黒ギャル=夜風和留は、家の中から鋭い眼光を飛ばす女のことを、ママ、と呼んだ。
「あなた、今日だって、家に帰ったらちょっと寝るだけでこんなに朝早く出て行って、もういい加減にしなさい」
母親の言葉に、和留は手に持った、大きめのボストンバッグをきつく握りしめた。
「お母さんはね、和留のことを心配してるの。わかるでしょ? 髪だってそんなお金かけて金髪にして、肌も日焼けさせて、爪も派手な色で、スカートだってそんなに短くする必要はないでしょう。別に、普通の子みたいに、なんていわないから、せめてお母さんにちゃんと説明して。どうして、あなたはそんなに……」
もう、と母親の言葉を遮るように黒ギャルは声を上げた。
「朝練!」
玄関で、まるで懇願するように座り込んだ母親に、夜風和留は溜息をついた。
「あー、さー、れー、んー! そろそろうちの学校、合唱祭でしょ。あたし、パートリーダーだからへまなんてできないじゃん。今日は特殊教室使えるから、あたしが鍵あけんの」
和留は学校から預かった鍵を取り出す。それは、学校からの信頼の証でもあった。
「生徒会やってるから帰り遅いのは仕方ないじゃん。行事近いんだから。うちの学校、公民館のホールとのやり取りまで生徒会任せだし。っていうか、帰り遅いって言っても八時には帰ってるしいいじゃん」
「でも、その恰好は……」
「まじめな合唱祭でギャップ狙ってんだってさ、うちのクラス。何が何でも勝つってミカが張り切ってるから、あたしたちのクラスが真面目に練習してるのも内緒なわけ。メッセージ性とテーマ、表現の項目もあるし。ってか、うちは進学校で服装だってもともとは自由じゃん。みんなこんな感じだよ」
資料室Ⅲと書かれたタグの付いた鍵を和留はくるくると回している。
「でも、和留……」
「時間内から。今月の生活費分の株の配当金は口座に振りこんでおくから自由に使って。それからお弁当はテーブルの上。好きな時間に食べて。今日も晩御飯の時間までには帰るから」
そういって、和留は、行ってきます、と、ボストンバッグを肩にかけなおして手を振り振り家を飛び出す。
「もう、どうして……和留が、どんどん不良になっていく……」
一人、夜風和留の母親は玄関で泣き崩れるのみ。
――夜風和留はラスコーリ女子高等学校に通う二年生である。見た目は派手だが、成績も優秀で競技カルタ部に所属するごくごく普通の女子高生である。
学年を問わずその名は知れ渡り、数少ない彼女の悪名といえば、僻みや嫉妬から生じたものばかり。
その要領の良さから交友関係と個人の問題のタスク処理のバランスは見事であり、怪我や病気にも無縁である。かつ、強烈な黒ギャルの見た目に反した賢さや計算の速さから生じる妙なギャップは誰も彼もを惹きつける。
どんなに彼女を好こうと妬もうと、目が離せなくなる魅力がある。それが、夜風和留である。
「夜風和留さん」
家から出て、角を曲がった影で、彼女を呼び止める声がした。はっとしてふり見ると、百六十センチメートルほどの身長の彼女を入道雲のように覆い隠すような大男がいた。黒いスーツを身に纏っているが、明らかに窮屈そうであった。
――否、そういう問題ではない。彼には明らかな『実力』があった。それが、スーツという形にまったく合致していない。故に、そんな印象を持ったのだ。
「誰?」
和留は母親に送ったものとは別種の、刃のような口調を男へ向けた。
「おれは、阿賀谷戸天森様の遣いだ」
その言葉に、夜風和留は眉を顰めた。
「ああ、あのおっさん。何、仕事? でもそういうのはちゃんと公式サイトから送ってくんない? もしくはFAX」つまらなさそうに言う。
「緊急の依頼だ。他のスケジュールを押してでも、と。その分料金は弾む」
金で全てを黙らせようとするその姿勢。それがまた、和留の神経に障った。
「そもそも、あたしが、あいつのこと嫌いなの知らない?」
「知っている。だが、こちらも緊急だ」
そういって、男は背にしていた一代の車、BMW 7シリーズの後部座席のドアを開いた。俗にいう二代目、四十年前近くのモデルであるが、黒一色の外装には傷一つなく、古めかしく見えるその見た目も、ある種気品に溢れていた。
「お母さんの病気の治療費も大変でしょう」
男はあくまでも恭しく、しかし挑発するように言う。途端、和留は舌打ちをした。肩に掛けた大きなボストンバックを下ろしかける。
「ママに何かする気なら本当に殺す。あんたもおっさんも」
対して、大男は肩を竦めるばかり。やがて、和留はしばし考えたのち、車に乗り込んだ。その大ぶりのボストンバックを引き摺る。
「いったん、学校には寄って。友達に渡すものがあるから」
「わかった」
運転席に収まると、男はエンジンをかけた。
「そういえば、あんた見ないね。おっさんの新しいカレシ? 名前は?」
和留は男に問うた。すると、男は返した。
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