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 揺れる瞳でもう一度栞の花へ目を移す。二度と会えなくても、大切な思い出だったから……忘れたくなかった。皇女だから政略結婚は当たり前、わたくし自身も納得していた。それでも、ステキな恋をしたと忘れたくなくて。身につける物のどこかに山吹の花を入れるようになったの――思い出は淡い恋心とともに、婚約した時に封印した。

「あの時、この花とともに『剣をふる姿、ヤマブキみたいでステキね』と。渡された時はよくわかっていませんでしたが、帰りの馬車で父に花言葉を教えていただいたのです。それで、やっと意味がわかったんですが……肝心なことに、天使様にお名前を聞き忘れていまして」

 恥ずかしそうに目を伏せ、頬をかく推し。ちらっと見えた、はにかむお姿もグッとくる! もっとじっくり見ていたいのに……心が乱れて、視線があわない。
 


「城の敷地内に入ってこれるなら貴族だろうと、父には薄紅色の瞳で金の髪の女の子にもらったと伝えたのですが……名を教えていただく前に『諦めろ』と言われてしまいました」

 残念そうな声が聞こえてきたのは、いつの間にか左手から両手で栞を包み持っていたのだと気がついた時。その上から壊れ物を扱うような優しい手つきで、両手をそっと包まれた。

 先程よりも顔に熱が集まって、手から視線が離せない。

「理由も教えていただけなかったので、もう一度会ってお名前を聞こうと普段行かなかった交流会等も行きました――結局、それ以来会えませんでしたが。隣国の、ヴルツェル帝国の勉強をするようになるまで、その瞳の色が皇帝陛下の血縁の方しかいないと存じ上げなかったのです」

 お恥ずかしいですと苦笑する彼の声が、近くにいるはずなのに遠くに聞こえた。まさか、初恋の人が最推しで……自分を探してくれていたなんて、誰が思いますの!?



 パニックで現実逃避へ走ろうとしたのに、無理矢理現実へ引き戻したのは――やさしく響く最推しの声。だって、前世から聞きたかった声だもの。無視なんて、できるわけがなかった。

「この国からしたら、帝国の方なんて雲の上です。それでもお会いできる日が来たときのために、ずっと剣は磨いてきました。できれば、この手でお護りしたかったのです。こちらへ留学されると聞いた時には……やっとお護りできるのだと嬉しかったのです。それに……叶うなら、もう一度あの天使様とお話の機会ができるかもしれないと勝手に舞い上がったりもしていました――実際は、留学へいらっしゃる前に婚約者が決まっていらしたので、お声がけすらできませんでしたけど」
「…………」
「このまま、この想いは――いい思い出であったと。誰にも告げずに、内にしまっておこうと思っていたのです。せめて……この国にいらっしゃる間は、護衛としてお護りしようと王太子殿下にお願いしました。まあ級友でもある殿下には、この気持ちがバレていたようですがね」
「……お うた、いし殿下の、ご学友でしたのね」

 やっとの思いで口から紡いだのは、たわいもない確認。
 それでも。
 それだけでも、彼の声が少し嬉しそうな色合いに変わったの――。

「ええ。それでもその事を抜きに、私の剣に一筋なところは買っていただけて、護衛騎士としての任を許されました。護衛として初めてお目にかかった時……ああ、あの時の天使様は皇女殿下で間違いなかったのだと確信に変わりました」

 やさしく包まれていたはずの両手は、想いを逃さないようにと強く包み込まれていた。

「任務にあたるなかで、勉学に励む貴女様を拝見することもありました。学ばれるお姿や新しいことを吸収なさる時のキラキラとした瞳が、記憶にいる天使様のままで。何度、まぶしく光る貴女様に心を持っていかれたか。その度に、第二王子殿下の婚約者様で……手の届かない帝国のお姫様であることを思い出して。叶わないのだと思い知らされたのです。おかしいですよね。内にしまっていたはずだったのに、会えば会うほどこの気持ちが溢れてしまいそうで……」

 嫌でも意識させられる好意。
 嫌じゃないからこそ拒めないでいる自分と、向き合うのを恐れる自分が心のなかでせめぎあう。

「溢れ出そうになっては、訓練へと身を投じて。忘れようと必死だったのです。まさかあんな事・・・・になるとは、思いませんでしたが……おかげで思い出の天使様に会うことができましたので、私としては願ったり叶ったりとでも言えますがね」

 アレ・・に関しては、わたくしも思いもよりませんでしたが……今の状況の方が、心臓に悪い。


 
 ドキドキする。
 この胸の高鳴りは――推しへの愛からか、初恋の君が目の前にいるからか。
 片手を取る、彼の微笑みから――目が離せない。

「ハルフリーダ=エアデ・ヴルツェル様。あの日以来、私の剣を褒めてくださった貴女様の顔が忘れられないのです。ずっとお慕いしていました」
「…………っ」
「明日の夜会――いえ。この後の人生一騎士としてではなく、貴女様の『唯一』として隣でお護りすることをお許しいただけないでしょうか」

 息をするのも忘れてしまいそうになる。
 一人の女性として応えたいけれど、皇女として応えられない自分がいる。



 自分の内側で消化しきれていなかったのに。理解が追いつく前に、金魚のようにパクパクとする口からは息だけでもなく……願望も溢れていた。

「……わ、た くし、は加護持ちで……帝国では、継承 け、んがあり、ます。御輿として、担がれたり……最前線へ送り込まれることも、あり ま、す」
「なおのことっ、貴女様をおひとりにはできません! そばで、貴女様のお心もお護りさせてください」
「……心も、護ってくれる の?」
「もちろんです」
「あ、なた を求め ても、いいの?」

 知らぬ間に頬へつたう涙をそっと拭ってくれた彼は、熱を帯びた眼差しを向けてくる。
 耐えれなくなり目をそらしてしまった時、思いもよらない言葉が聞こえてきた。

「求めてください。貴女様のそばにいたいのです――ああ。皇帝陛下には、お許しいただいていますので」

 驚いて、視線を戻すと――まさか、最推しの蕩けるような笑みを拝めるだなんて……。じゃ、じゃないわ! いつの間にお父様からお許しを得ているの!? そんなの、わたくしが返事をするもなにも……。

 と、とにかく返事をッ、とかろうじてコクンと頷けた、はず。嬉しいのと、状況を未だ消化しきれていない自分と、推しの表情の供給過多で――内心狂喜乱舞の大パニック。淑女の仮面が剥がれ落ちかけていた外側は、推しの手から伝わる体温を感じながらも岩のように固まっていた。



 だから――
 


 一瞬のことで、理解するのに数秒。

 唇にふわっと何かが触れる感触があったことに、気づき遅れる。

 ゆでダコのように真っ赤になったわたくしの前にいたのは、いたずらが成功して喜んでいるように微笑む――わたくしだけの山吹の君。
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