1 / 1
ペンネームの付け方は慎重に。
しおりを挟む200X年、深夜の薄暗い部屋で一人の青年がプリンターを使い、大量の用紙を印刷していた。
それらを黒紐で束ねる。全部で150枚ほどだろうか。
原稿用紙を大きな茶封筒に入れて、宛先を書く。
「これでよし……と」
数時間にも及ぶ印刷作業で、男は疲れ切っていた。
IBM製のウインドウズ98パソコンは要らないソフトが多過ぎて、起動に10分間もかかるし、印刷中に度々フリーズを起こす。
やっと作業を終えて一安心したと思ったその時、部屋の扉がガターン! と開けられる。
ノックもなしでだ。
男の兄だ。
「おい! お前、さっきからガーガーうるさいんだよ!」
「ちょっ! 勝手に開けないでよ……」
「何時だと思ってんだ! さっさと寝ろ!」
「わ、わかったよ……」
心臓が止まるかと思った、それぐらい男は動揺していた。
なんせ今やっていることは、家族に内緒だからだ。
男の名前は、Aとしよう。これが彼のペンネームだからだ。
本来なら、これを読んでいる方に、是非とも紹介したいのだが……。
残念なことに、彼のペンネームは慕っている恩師の本名だから、ここには書けない。
まあ、例えるなら、北林 純一みたいな作家名だ。
Aはこの時18歳ぐらいで、ぼっちの童貞。
そして、小説なんてろくに読みもしないくせに。
「僕はプロの作家になるんだ!」
とか宣言する無謀な奴だ。
童貞だったから、常にスケベな妄想ばかりしていて。
当時から推していたアイドルとデートすることばかり考えていた。ただし、実際に会えるわけがなく、脳内に限る行為だ。
Aの夢は書籍化し、売れに売れまくって、年収1億ぐらいの大金持ちになり、何か対談みたいな感じで、推しのアイドルとお近づきになり、結婚……。
これが彼の抱いたデカすぎる夢だった。
無名の代表作に、『猿』『冬の蝉』『トリプルエッジ』『黒 ~都会の堕天使~』『わいちゃんわいちゃん ~愛は俺を救う~』がある。
(この中で『冬の蝉』と『トリプルエッジ』はデータが残っていたので、良かったらどうぞ)
どれも中二臭い作品ばかりで、公募に出しても一次落ち。
結果を本屋で立ち読みしてAは憤慨する。
「クソがっ! 推しと結婚できねぇじゃねーか!」
当時、ウェブ小説なるものが出てきていたが、Aは頑なに発表するのを拒んだ。
彼は紙の本になることだけを考えていたからだ。
所謂、公募勢というタイプ。
というか、盗作されるという誇大妄想があったためだ。
何度か編集部の方から評価シートが返ってくるという賞に応募したが。
肝心の評価は、オールC。筆力、ストーリー共に並レベル。
そして、一言。
『ちゃんと考えてから出してください』
Aは憤慨し、評価シートをビリビリに破った。
「クソがっ! 推しとの結婚が遅くなるだろ!」
その後、Aは段々とやる気が失せていった。
また私生活においても、彼は数年間の片想いをこじらせた後、想い人と恋愛関係に至り、浮かれてしまう。
もう推しと結婚する必要がなくなったのだ……。
Aは気がつくと、小説から離れて行ってしまう。
そして数年後、心を病み、彼は床に臥せてしまう。
長い長い闘病生活の始まりだ。
もう書くことは二度とないだろう。
彼は恩師から頂いたペンネームを名乗ることをやめた。
死んだのだ。作家としてのAは。
~約10年後~
作家として死亡したAは、もうただのおっさんになってしまった。
創ることはやめたが、相変わらず、妄想が大好きで特にピンクなことを想像するのが大好きだった。
結婚して子供もいるが、やはりこの男のスケベ妄想は止まらなかった。
ある日、押し入れから見慣れないフロッピーディスクを見つける。
おっさんは、それを見てピンときた。
「ははん。若い時に集めたスケベフォルダだな」
そう確信したおっさんは、わざわざフロッピーディスクのデータを抽出するために専用の機械を購入。
ワクワクしながら、中身を開くと……。
『猿』『冬の蝉』『トリプルエッジ』『黒 ~都会の堕天使~』『わいちゃんわいちゃん ~愛は俺を救う~』
画面を観た瞬間、発狂する。
「ぎゃあああ!」
原稿なら捨てたと思っていたのに……とおっさんは阿鼻叫喚する。
まめな性格のAはフロッピーディスクに残しておいたのだ。
おっさんが望んだ古いスケベフォルダは1つもなかった。
改めて読み直すと、なんてつまらない作品だ。
こんな作品で推しのアイドルと結婚したいとか、アホすぎる……。
そう思ったおっさんは、若かりし頃の自分に腹が立つ。
彼の死んでいた創作に対する想いが、また沸々と湧き出る。
おっさんは、ノリでウェブ小説投稿サイトに登録。
だが、あのペンネームはもう二度と名乗らないと誓った。
実母が原稿を親戚やママ友に配りまくったからだ。
新しいペンネームは、『味噌漬け』
彼の大好物から名付けた。
だが、味噌漬けの創作活動もあまり上手くいかなかった。
まだ病が完治していないというのもあったが、長編を書きたがるくせに、最後までかけない病を発症していたからだ。
~それから数年後~
味噌漬けを名乗るも数年間放置する始末。
彼はもう諦めていた。
しかし、慕っているメンクリの先生と数年間カウンセリングを行うことにより、徐々に病は緩和していく。
元気になってきた味噌漬けは決意する。
「よし、今度こそ。自分の長編を完結させよう!」と。
だがペンネームが味噌漬けではどうにも格好悪い。
じゃあ、ちょっと工夫して……。
今度は『味噌 太郎』という名前にした。
しばらくは、そのペンネームで活動していたのだが、同名の方がおられたようで、相手側にも迷惑をかけると思い、色々考えた。
彼が一番好きな芸人さんのお弟子さんで、玉●筋太郎さんという方が活躍されている。
自分もそういう名乗りにくい名前が良いなぁ、と考えた彼は、一生懸命考えた。
味噌に大好きな歌手の方からお借りして、味噌村。
ここまでは簡単に決まったが、太郎だけじゃ、また被るかもしれない。
いっそのこと、味噌を捨てようか。
某政治家が国会でこんなことを言っていた。
『味噌もクソもございません』
当然、怒られていたが、彼はこの言い方が好きだった。
「よし、誰も被らないで、尚且つバカらしい名前にしよう」
そして、彼の考えた新しいペンネームは。
『糞村 尻太郎』
これなら、誰も考えないだろうと。
だが、奥さんや子供たち、知人に相談すると、
「やめてほしい」
「垢BAN食らうからやめた方がいいよ」
と止められてしまった。
おっさんはまた悩んだ。
次に考えたのは、
『DO・助兵衛』
これも家族に反対され、止む無く名乗ることをやめる。
仕方ないので、自作のラブコメ。『気にヤン』の主人公に譲った。
最終的に、奥さんに相談して、味噌村 幸太郎というペンネームに落ち着いた。
だが、未だにおっさんは後悔している。
幸太郎というのが、ちょっと格好つけているような気がするらしい。
味噌村 味噌子に改名しようかと迷っているほどだ。
度々、奥さんにそれを相談しては、「やめて」と怒られる。
余談だが、おっさんが味噌村で活動してしばらくすると、とあるニュースが炎上していた。
記事を読むと、とある二次元のキャラクターだ。
名は、玉袋ゆ●か。
悪い意味で炎上したのかもしれないが、おっさんはそれを見て叫んだ。
「やられたぁ! この名前があったか!」
とハイボールを飲みながら、後悔していたとか。
それを見ていた奥さんは、毎回彼の改名を止めに入る。
ペンネームの付け方は慎重に。
了
0
この作品の感想を投稿する
あなたにおすすめの小説
愛していました。待っていました。でもさようなら。
彩柚月
ファンタジー
魔の森を挟んだ先の大きい街に出稼ぎに行った夫。待てども待てども帰らない夫を探しに妻は魔の森に脚を踏み入れた。
やっと辿り着いた先で見たあなたは、幸せそうでした。
私のドレスを奪った異母妹に、もう大事なものは奪わせない
文野多咲
恋愛
優月(ゆづき)が自宅屋敷に帰ると、異母妹が優月のウェディングドレスを試着していた。その日縫い上がったばかりで、優月もまだ袖を通していなかった。
使用人たちが「まるで、異母妹のためにあつらえたドレスのよう」と褒め称えており、優月の婚約者まで「異母妹の方が似合う」と褒めている。
優月が異母妹に「どうして勝手に着たの?」と訊けば「ちょっと着てみただけよ」と言う。
婚約者は「異母妹なんだから、ちょっとくらいいじゃないか」と言う。
「ちょっとじゃないわ。私はドレスを盗られたも同じよ!」と言えば、父の後妻は「悪気があったわけじゃないのに、心が狭い」と優月の頬をぶった。
優月は父親に婚約解消を願い出た。婚約者は父親が決めた相手で、優月にはもう彼を信頼できない。
父親に事情を説明すると、「大げさだなあ」と取り合わず、「優月は異母妹に嫉妬しているだけだ、婚約者には異母妹を褒めないように言っておく」と言われる。
嫉妬じゃないのに、どうしてわかってくれないの?
優月は父親をも信頼できなくなる。
婚約者は優月を手に入れるために、優月を襲おうとした。絶体絶命の優月の前に現れたのは、叔父だった。
別に要りませんけど?
ユウキ
恋愛
「お前を愛することは無い!」
そう言ったのは、今日結婚して私の夫となったネイサンだ。夫婦の寝室、これから初夜をという時に投げつけられた言葉に、私は素直に返事をした。
「……別に要りませんけど?」
※Rに触れる様な部分は有りませんが、情事を指す言葉が出ますので念のため。
※なろうでも掲載中
なんども濡れ衣で責められるので、いい加減諦めて崖から身を投げてみた
下菊みこと
恋愛
悪役令嬢の最後の抵抗は吉と出るか凶と出るか。
ご都合主義のハッピーエンドのSSです。
でも周りは全くハッピーじゃないです。
小説家になろう様でも投稿しています。
【完結】精霊に選ばれなかった私は…
まりぃべる
ファンタジー
ここダロックフェイ国では、5歳になると精霊の森へ行く。精霊に選んでもらえれば、将来有望だ。
しかし、キャロル=マフェソン辺境伯爵令嬢は、精霊に選んでもらえなかった。
選ばれた者は、王立学院で将来国の為になるべく通う。
選ばれなかった者は、教会の学校で一般教養を学ぶ。
貴族なら、より高い地位を狙うのがステータスであるが…?
☆世界観は、緩いですのでそこのところご理解のうえ、お読み下さるとありがたいです。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる