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第七章 窓
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その日は、すごい大雨。
陸上部のマネージャーだった私は、いつものごとく先輩の〝一人練習〟につき合わされていた。
別に、先輩に「練習につき合え」と言われたわけじゃない。
私が勝手に先輩の練習が終わるのを、ただ、見守っているだけ。
そうしたいからやっている。
先輩は陸上部の長距離。
部の中では一番、速いけど、部活の練習だけでは物足りず、いつも部員のみんなが帰っても一人で頑張っている。
私はそんな先輩の後ろ姿を見るのが、とても楽しい……というか、好き。
「せんぱ~い! 大雨ですよ! 風邪、ひいちゃいますよ」
「ああ、分かった!」
先輩がびしょ濡れで、グラウンドから走ってきた。
「やべぇ。傘、持ってきてねぇよ。お前は?」
「あ、私もです……」
「仕方ない。部室で雨宿りでもするか?」
「あ、はい」
私と先輩はグラウンドの隅に並ぶ、陸上部の部室に入った。
先輩は雨で濡れたシャツを脱ぎ、スポーツバッグから、新しいシャツを取り出して、着替えた。
「わりぃ、お前まで巻き込んじゃ……って、お前……それ……」
先輩は私の胸を指差して、固まっている。
「え?」
目を下ろすと、私はビックリした。
「きゃあ!」
私は気がつかないうちに、雨でびしょ濡れになっていた。
白いTシャツからブラジャーが透けて見えている。
「こ、こっち、見ないで下さい!」
「あ、うん……」
先輩は素直に後ろを向いてくれた。
「ど、どうしよう……」
私がパニックを起こしていると、先輩がさっき、着たばかりのシャツを脱ぐ。
後ろを向きながら、そのシャツを私に差し出した。
「使えよ」
「え、気にしないで下さい」
「俺がすんだよ。使えって」
「あ、ありがとう……」
私は先輩の背中を見て、ドキドキしながら着替えた。
「もう、いいか?」
「あ、はい」
先輩は上半身、裸で部室の長椅子に座った。
私は先輩と少し間を置いて、隣りに座る。
「あ、この洗剤って、駅前のスーパーの商品ですよね」
「よく分かったな……って、お前、犬かよ?」
私と先輩は笑った。
先輩には悪いとは思ったけど、もらったシャツはとても、いい匂いがした。
私は自分のことを変態だな、と思いながらも嬉しかった。
「なに、ニヤけてんだよ。気持ちわりぃな」
「ヘヘヘ……」
先輩はスポーツバッグから、水の入ったペットボトルを取り出し、飲み始めた。
「あの、先輩……」
「ん?」
私は、手をモジモジしながら訊いてみた。
「せ、先輩って、やっぱ巨乳が好きなんですか?」
先輩は、水を吹き出した。
「いきなり、なに言うんだよ!」
「だ、だって、男の人って、巨乳が大好きって、雑誌に書いてたから……」
私は自分で自分の胸に手を当ててみた。
先輩は少し顔を赤くして答えた。
「大好きってことはないだろう……。つーか、お前、どういう雑誌、読んでんだよ」
「え、じゃあ、先輩は巨乳じゃなくても、いいんですか?」
「別に……そんなフェチじゃないよ。お前、いつも、そんなこと考えてたの?」
私は頬を膨らました。
「いつもじゃないです! でも、私って胸小さいから……」
先輩は顔を少しではなく、真っ赤にして言った。
「ば、バカか! んなことで悩むなよ。む、胸が小さくても、真帆は真帆だろう。それに、大切なのは胸のボリュームじゃなくて、心のボリュームだろう」
そう言われて、私は自分が今まで悩んでいたことが、バカバカしく思えた。
「先輩……よく真顔でそんなクサいこと言えますね」
私がそう言うと顔をしかめる。
「おまえなぁ」
その時だった。
部室の外から大きな雷の音がした。
「あ、けっこう、近いな……って、真帆?」
気がついた時、私は先輩の胸に顔を埋めていた。
「お、おい、どうしたんだ?」
私は肩を震わせながら、必死に先輩の身体にしがみついている。
「こ、恐いよ……恐いよ」
「おい、真帆……。お前、雷が恐いのか」
先輩は私を小バカにするように笑った。
私は身体にしがみついたまま怒った。
「わ、笑わないでください……私のお母さん、今日みたいな、雷の日に死んだんです」
「え……」
「私が十歳の時に、自宅のマンションから落ちたんです……ちょうど、今日みたいな大雨で、大きな雷が鳴っていました。そして……私、見ちゃったんです。学校から帰ってきて、マンションの駐車場で変わり果てたお母さんの姿……」
また、雷が鳴った。私はガタガタ震えてばかり……。
先輩は震える私の身体を、ぎゅっと、抱きしめてくれた。
「真帆、ごめん……知らなかった。俺も十二歳の時に、父さんと母さんをいっぺんに亡くしちまった。そんな俺が笑うなんて、ひどいよな……ごめん」
先輩の身体はとても暖かかった。
なんか、母さんの膝枕の上で寝ているようだ。
そうこうしているうちに雷が止んだ。
「も、もう、大丈夫です」
先輩は顔を赤らめて、私から離れた。
「あの、先輩」
「ん?」
「私、今まで、自分だけ不幸だと思っていました。世界で一番不幸だと思っていました。でも、違う……。私は母さんを亡くしたけど、先輩はいっぺんに両親を……私、雷くらいで情けないです」
気がつくと、私は涙を流していた。
先輩は笑って、頭を撫でてくれた。
「んなことねぇよ。親を一人亡くそうが、二人亡くそうが、悲しみの比は変わらない。お前が雷を恐がっているのはお母さんを忘れたくないからさ。別に悪いことじゃないよ。気にすんな」
先輩は私に屈託のない笑顔を見せてくれた。
「すごい……」
「え?」
「どうやったら、そんなに強くなれるんです。どうやったら、そんなに笑えるんですか?」
先輩は少し難しい顔をした。
「う~ん、別に強くはないけど……そうだな。お前、一応、陸上部のマネージャーなんだから、走ったことはあるよな」
「あ、はい」
「体育の先生が言ってたんだけどさ。長距離の場合、それぞれ、窓があるんだよ」
「窓ですか?」
「うん、しばらく走っているとさ。苦しくなるつーか、きつくなるだろ? でも、苦しみやら、腹の痛みやらを我慢して、それを乗り越えた時、苦しみや痛みが和らいで、なんていうか、こう……気持ちよくなるだろう」
そう語る先輩はどこか興奮気味だ。
「そう言えば……そうですね」
「だろだろ! だからよ、その苦しみや痛みの〝窓〟を何度も開く事で、長い長い距離を走れるつーか、楽しめるじゃん」
話しているうちに、先輩の目は次第にキラキラ輝いてきた。
「その、〝窓〟っていうのは人生に比例できるんじゃないかな。苦しい事や悲しい事……みんな嫌だけど、死ぬわけにはいかないだろう。だけど、少し我慢して前に進めば、きっと、いい事や楽しい事があるって思うんだ。まあ、走り過ぎってのも、どうかと思うけどさ……」
先輩は照れくさそうに笑った。
陸上部のマネージャーだった私は、いつものごとく先輩の〝一人練習〟につき合わされていた。
別に、先輩に「練習につき合え」と言われたわけじゃない。
私が勝手に先輩の練習が終わるのを、ただ、見守っているだけ。
そうしたいからやっている。
先輩は陸上部の長距離。
部の中では一番、速いけど、部活の練習だけでは物足りず、いつも部員のみんなが帰っても一人で頑張っている。
私はそんな先輩の後ろ姿を見るのが、とても楽しい……というか、好き。
「せんぱ~い! 大雨ですよ! 風邪、ひいちゃいますよ」
「ああ、分かった!」
先輩がびしょ濡れで、グラウンドから走ってきた。
「やべぇ。傘、持ってきてねぇよ。お前は?」
「あ、私もです……」
「仕方ない。部室で雨宿りでもするか?」
「あ、はい」
私と先輩はグラウンドの隅に並ぶ、陸上部の部室に入った。
先輩は雨で濡れたシャツを脱ぎ、スポーツバッグから、新しいシャツを取り出して、着替えた。
「わりぃ、お前まで巻き込んじゃ……って、お前……それ……」
先輩は私の胸を指差して、固まっている。
「え?」
目を下ろすと、私はビックリした。
「きゃあ!」
私は気がつかないうちに、雨でびしょ濡れになっていた。
白いTシャツからブラジャーが透けて見えている。
「こ、こっち、見ないで下さい!」
「あ、うん……」
先輩は素直に後ろを向いてくれた。
「ど、どうしよう……」
私がパニックを起こしていると、先輩がさっき、着たばかりのシャツを脱ぐ。
後ろを向きながら、そのシャツを私に差し出した。
「使えよ」
「え、気にしないで下さい」
「俺がすんだよ。使えって」
「あ、ありがとう……」
私は先輩の背中を見て、ドキドキしながら着替えた。
「もう、いいか?」
「あ、はい」
先輩は上半身、裸で部室の長椅子に座った。
私は先輩と少し間を置いて、隣りに座る。
「あ、この洗剤って、駅前のスーパーの商品ですよね」
「よく分かったな……って、お前、犬かよ?」
私と先輩は笑った。
先輩には悪いとは思ったけど、もらったシャツはとても、いい匂いがした。
私は自分のことを変態だな、と思いながらも嬉しかった。
「なに、ニヤけてんだよ。気持ちわりぃな」
「ヘヘヘ……」
先輩はスポーツバッグから、水の入ったペットボトルを取り出し、飲み始めた。
「あの、先輩……」
「ん?」
私は、手をモジモジしながら訊いてみた。
「せ、先輩って、やっぱ巨乳が好きなんですか?」
先輩は、水を吹き出した。
「いきなり、なに言うんだよ!」
「だ、だって、男の人って、巨乳が大好きって、雑誌に書いてたから……」
私は自分で自分の胸に手を当ててみた。
先輩は少し顔を赤くして答えた。
「大好きってことはないだろう……。つーか、お前、どういう雑誌、読んでんだよ」
「え、じゃあ、先輩は巨乳じゃなくても、いいんですか?」
「別に……そんなフェチじゃないよ。お前、いつも、そんなこと考えてたの?」
私は頬を膨らました。
「いつもじゃないです! でも、私って胸小さいから……」
先輩は顔を少しではなく、真っ赤にして言った。
「ば、バカか! んなことで悩むなよ。む、胸が小さくても、真帆は真帆だろう。それに、大切なのは胸のボリュームじゃなくて、心のボリュームだろう」
そう言われて、私は自分が今まで悩んでいたことが、バカバカしく思えた。
「先輩……よく真顔でそんなクサいこと言えますね」
私がそう言うと顔をしかめる。
「おまえなぁ」
その時だった。
部室の外から大きな雷の音がした。
「あ、けっこう、近いな……って、真帆?」
気がついた時、私は先輩の胸に顔を埋めていた。
「お、おい、どうしたんだ?」
私は肩を震わせながら、必死に先輩の身体にしがみついている。
「こ、恐いよ……恐いよ」
「おい、真帆……。お前、雷が恐いのか」
先輩は私を小バカにするように笑った。
私は身体にしがみついたまま怒った。
「わ、笑わないでください……私のお母さん、今日みたいな、雷の日に死んだんです」
「え……」
「私が十歳の時に、自宅のマンションから落ちたんです……ちょうど、今日みたいな大雨で、大きな雷が鳴っていました。そして……私、見ちゃったんです。学校から帰ってきて、マンションの駐車場で変わり果てたお母さんの姿……」
また、雷が鳴った。私はガタガタ震えてばかり……。
先輩は震える私の身体を、ぎゅっと、抱きしめてくれた。
「真帆、ごめん……知らなかった。俺も十二歳の時に、父さんと母さんをいっぺんに亡くしちまった。そんな俺が笑うなんて、ひどいよな……ごめん」
先輩の身体はとても暖かかった。
なんか、母さんの膝枕の上で寝ているようだ。
そうこうしているうちに雷が止んだ。
「も、もう、大丈夫です」
先輩は顔を赤らめて、私から離れた。
「あの、先輩」
「ん?」
「私、今まで、自分だけ不幸だと思っていました。世界で一番不幸だと思っていました。でも、違う……。私は母さんを亡くしたけど、先輩はいっぺんに両親を……私、雷くらいで情けないです」
気がつくと、私は涙を流していた。
先輩は笑って、頭を撫でてくれた。
「んなことねぇよ。親を一人亡くそうが、二人亡くそうが、悲しみの比は変わらない。お前が雷を恐がっているのはお母さんを忘れたくないからさ。別に悪いことじゃないよ。気にすんな」
先輩は私に屈託のない笑顔を見せてくれた。
「すごい……」
「え?」
「どうやったら、そんなに強くなれるんです。どうやったら、そんなに笑えるんですか?」
先輩は少し難しい顔をした。
「う~ん、別に強くはないけど……そうだな。お前、一応、陸上部のマネージャーなんだから、走ったことはあるよな」
「あ、はい」
「体育の先生が言ってたんだけどさ。長距離の場合、それぞれ、窓があるんだよ」
「窓ですか?」
「うん、しばらく走っているとさ。苦しくなるつーか、きつくなるだろ? でも、苦しみやら、腹の痛みやらを我慢して、それを乗り越えた時、苦しみや痛みが和らいで、なんていうか、こう……気持ちよくなるだろう」
そう語る先輩はどこか興奮気味だ。
「そう言えば……そうですね」
「だろだろ! だからよ、その苦しみや痛みの〝窓〟を何度も開く事で、長い長い距離を走れるつーか、楽しめるじゃん」
話しているうちに、先輩の目は次第にキラキラ輝いてきた。
「その、〝窓〟っていうのは人生に比例できるんじゃないかな。苦しい事や悲しい事……みんな嫌だけど、死ぬわけにはいかないだろう。だけど、少し我慢して前に進めば、きっと、いい事や楽しい事があるって思うんだ。まあ、走り過ぎってのも、どうかと思うけどさ……」
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