A_vous_aussi

魚倉 温

文字の大きさ
2 / 10
35.139.

02

しおりを挟む

 ここは、随分と空が近い。
 薄い塩味の魚の缶詰をフォークで突き崩し、時に崩しすぎてぼろぼろのそれを飲むように缶を傾け、二人は食事を終えた。久しぶりにいいたんぱく質を摂った、と満足げに笑うエイデンはそれが空になるなり立ち上がり、そういうときは美味しかったって言えばいいのよ、と普段より気楽に笑うアイビーは、立ち上がるエイデンを見ながら横になる。
 空が近いのは、このエリアが元は小さな島国で、土地がないゆえに上へ上へと背を伸ばしていったからだという。

 この繭がこれほど天高くそびえるのも、きっと、繭の中に多くのひとを抱えて守れるように、だなんて慈愛や夢に満ちた理由なんかではない。いっそ理由なんてものすら、ひとつもないかもしれない。

 「じゃあ、僕は下へ行ってくる。ここを出たら君にはまた色々と頼むだろうから、今のうちに寝ておくといい」
 「言われなくても。寝袋ふたつとも使って寝てやるわ」

 アイビーは、そういってひらりと手を振り、エイデンに背を向けた。
 彼がこういう端的で情緒のない言い回しを好むのも、ある種この繭のようなものなのだろう、と、エイデンは思う。発射するにはあまりに重い鉄の塊の中で、がうん、がうん、と傷んだ音を立てて揺れる、四角い鉄の箱の中で。エイデンとて、小説や映画なんて娯楽に造詣が深いわけではない。生まれた時にはすっかり戦争目前の環境だったものだから、役に立たない活字は暖を取る為に燃やされた。映像データは、他の演算を邪魔しないように圧縮されるかすっかり消された。
 ゼロかイチかの極端な施策だったのだろうとは思えども、そう思うだけの情緒を身につけたのだって、旅をして、生きるか死ぬかの世界でもがく人間の有様を、同じような状況下にあってさえまったく異なる行動を取ることもある彼らの生き様を見て、何より集団生活を続けていたアイビーに散々「アンタはなんでこんなことも想像つかないの」だなんて叱られ怒られ、時に首を傷めるほど強く頭や背中を叩かれたり、ごくまれにだが、彼の涙を見たりしたからだ。

 エイデンのいたシェルターでは、人間はすべからく機会のための奉仕を行う者か、戦争を終わらせるために頭をめぐらせる者か、人を殺すために、資源を奪うために、つまりは戦争に加担するため利益を得るために走る者のいずれかだったものだから、生きようとするだけの、純粋な人間の精神や活動、根源的なそれに触れたのは新鮮で、いい経験だと思えた。

 だから、エイデンは行く先々で人間と話す。
 だから、エイデンは行く先々の言語を学ぶ。

 おおよそほとんどのエリアの言語を学び、おおよそほとんどの人種と意思疎通ができるようになってからというもの、エイデンの旅の目的は、半ばほどはこちらに傾きつつあった。鉄の箱の中は冷たく、通電しているとはいえこういう限定的なエリアに空調を回すのは効率が悪いものだから、ただ浮かれたリビングデッドのように思えた彼ら、ヨシキたちはもしかすると、はじめに思ったよりはずっと理性的に「生きている」のかもしれないとすら考える。

 「あ、エイデンさん、休んでなくていいんですか」
 「ああ、ほら、僕はあれと違って体力仕事はあまりしないからねえ。ただぼんやりとしていたってつまらないし、何よりここの生活に興味があってね」

 色彩のない昇降機の中に唯一あった色、ダイオードのような色をしたローマ数字がイチとハチになったところで、例の軽快な、チン、という音がして、扉が開いた。エイデンはどのボタンも押してはいない。初めからこうして、どこかへ行こうとした誰かと鉢合わせ会話をするつもりだったのだから彼は驚かなかったが、居合わせたヨシキは目を丸くしてそう言った。きっと、今までに会った誰も彼もと同じように、彼も次にはこう言うのだろう。

 「「旅をするなんて、正気じゃいられないでしょうに」」

 ぴったり重なった日本語と、つたない英語。
 エイデンはいたずらが成功した子供のような笑顔を浮かべ、ヨシキは数瞬驚きに硬直した後、思いがけずプレゼントをもらった子供のように、はにかんだ。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

魅了の対価

しがついつか
ファンタジー
家庭事情により給金の高い職場を求めて転職したリンリーは、縁あってブラウンロード伯爵家の使用人になった。 彼女は伯爵家の第二子アッシュ・ブラウンロードの侍女を任された。 ブラウンロード伯爵家では、なぜか一家のみならず屋敷で働く使用人達のすべてがアッシュのことを嫌悪していた。 アッシュと顔を合わせてすぐにリンリーも「あ、私コイツ嫌いだわ」と感じたのだが、上級使用人を目指す彼女は私情を挟まずに職務に専念することにした。 淡々と世話をしてくれるリンリーに、アッシュは次第に心を開いていった。

ちゃんと忠告をしましたよ?

柚木ゆず
ファンタジー
 ある日の、放課後のことでした。王立リザエンドワール学院に籍を置く私フィーナは、生徒会長を務められているジュリアルス侯爵令嬢アゼット様に呼び出されました。 「生徒会の仲間である貴方様に、婚約祝いをお渡したくてこうしておりますの」  アゼット様はそのように仰られていますが、そちらは嘘ですよね? 私は最愛の方に護っていただいているので、貴方様に悪意があると気付けるのですよ。  アゼット様。まだ間に合います。  今なら、引き返せますよ? ※現在体調の影響により、感想欄を一時的に閉じさせていただいております。

妻からの手紙~18年の後悔を添えて~

Mio
ファンタジー
妻から手紙が来た。 妻が死んで18年目の今日。 息子の誕生日。 「お誕生日おめでとう、ルカ!愛してるわ。エミリア・シェラード」 息子は…17年前に死んだ。 手紙はもう一通あった。 俺はその手紙を読んで、一生分の後悔をした。 ------------------------------

その国が滅びたのは

志位斗 茂家波
ファンタジー
3年前、ある事件が起こるその時まで、その国は栄えていた。 だがしかし、その事件以降あっという間に落ちぶれたが、一体どういうことなのだろうか? それは、考え無しの婚約破棄によるものであったそうだ。 息抜き用婚約破棄物。全6話+オマケの予定。 作者の「帰らずの森のある騒動記」という連載作品に乗っている兄妹が登場。というか、これをそっちの乗せたほうが良いんじゃないかと思い中。 誤字脱字があるかもしれません。ないように頑張ってますが、御指摘や改良点があれば受け付けます。

夫婦交換

山田森湖
恋愛
好奇心から始まった一週間の“夫婦交換”。そこで出会った新鮮なときめき

私のドレスを奪った異母妹に、もう大事なものは奪わせない

文野多咲
恋愛
優月(ゆづき)が自宅屋敷に帰ると、異母妹が優月のウェディングドレスを試着していた。その日縫い上がったばかりで、優月もまだ袖を通していなかった。 使用人たちが「まるで、異母妹のためにあつらえたドレスのよう」と褒め称えており、優月の婚約者まで「異母妹の方が似合う」と褒めている。 優月が異母妹に「どうして勝手に着たの?」と訊けば「ちょっと着てみただけよ」と言う。 婚約者は「異母妹なんだから、ちょっとくらいいじゃないか」と言う。 「ちょっとじゃないわ。私はドレスを盗られたも同じよ!」と言えば、父の後妻は「悪気があったわけじゃないのに、心が狭い」と優月の頬をぶった。 優月は父親に婚約解消を願い出た。婚約者は父親が決めた相手で、優月にはもう彼を信頼できない。 父親に事情を説明すると、「大げさだなあ」と取り合わず、「優月は異母妹に嫉妬しているだけだ、婚約者には異母妹を褒めないように言っておく」と言われる。 嫉妬じゃないのに、どうしてわかってくれないの? 優月は父親をも信頼できなくなる。 婚約者は優月を手に入れるために、優月を襲おうとした。絶体絶命の優月の前に現れたのは、叔父だった。

クラス転移したけど、皆さん勘違いしてません?

青いウーパーと山椒魚
ファンタジー
加藤あいは高校2年生。 最近ネット小説にハマりまくっているごく普通の高校生である。 普通に過ごしていたら異世界転移に巻き込まれた? しかも弱いからと森に捨てられた。 いやちょっとまてよ? 皆さん勘違いしてません? これはあいの不思議な日常を書いた物語である。 本編完結しました! 相変わらず話ごちゃごちゃしていると思いますが、楽しんでいただけると嬉しいです! 1話は1000字くらいなのでササッと読めるはず…

お飾りの妻として嫁いだけど、不要な妻は出ていきます

菻莅❝りんり❞
ファンタジー
貴族らしい貴族の両親に、売られるように愛人を本邸に住まわせている其なりの爵位のある貴族に嫁いだ。 嫁ぎ先で私は、お飾りの妻として別棟に押し込まれ、使用人も付けてもらえず、初夜もなし。 「居なくていいなら、出ていこう」 この先結婚はできなくなるけど、このまま一生涯過ごすよりまし

処理中です...