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しおりを挟むここは、随分と空が近い。
薄い塩味の魚の缶詰をフォークで突き崩し、時に崩しすぎてぼろぼろのそれを飲むように缶を傾け、二人は食事を終えた。久しぶりにいいたんぱく質を摂った、と満足げに笑うエイデンはそれが空になるなり立ち上がり、そういうときは美味しかったって言えばいいのよ、と普段より気楽に笑うアイビーは、立ち上がるエイデンを見ながら横になる。
空が近いのは、このエリアが元は小さな島国で、土地がないゆえに上へ上へと背を伸ばしていったからだという。
この繭がこれほど天高くそびえるのも、きっと、繭の中に多くのひとを抱えて守れるように、だなんて慈愛や夢に満ちた理由なんかではない。いっそ理由なんてものすら、ひとつもないかもしれない。
「じゃあ、僕は下へ行ってくる。ここを出たら君にはまた色々と頼むだろうから、今のうちに寝ておくといい」
「言われなくても。寝袋ふたつとも使って寝てやるわ」
アイビーは、そういってひらりと手を振り、エイデンに背を向けた。
彼がこういう端的で情緒のない言い回しを好むのも、ある種この繭のようなものなのだろう、と、エイデンは思う。発射するにはあまりに重い鉄の塊の中で、がうん、がうん、と傷んだ音を立てて揺れる、四角い鉄の箱の中で。エイデンとて、小説や映画なんて娯楽に造詣が深いわけではない。生まれた時にはすっかり戦争目前の環境だったものだから、役に立たない活字は暖を取る為に燃やされた。映像データは、他の演算を邪魔しないように圧縮されるかすっかり消された。
ゼロかイチかの極端な施策だったのだろうとは思えども、そう思うだけの情緒を身につけたのだって、旅をして、生きるか死ぬかの世界でもがく人間の有様を、同じような状況下にあってさえまったく異なる行動を取ることもある彼らの生き様を見て、何より集団生活を続けていたアイビーに散々「アンタはなんでこんなことも想像つかないの」だなんて叱られ怒られ、時に首を傷めるほど強く頭や背中を叩かれたり、ごくまれにだが、彼の涙を見たりしたからだ。
エイデンのいたシェルターでは、人間はすべからく機会のための奉仕を行う者か、戦争を終わらせるために頭をめぐらせる者か、人を殺すために、資源を奪うために、つまりは戦争に加担するため利益を得るために走る者のいずれかだったものだから、生きようとするだけの、純粋な人間の精神や活動、根源的なそれに触れたのは新鮮で、いい経験だと思えた。
だから、エイデンは行く先々で人間と話す。
だから、エイデンは行く先々の言語を学ぶ。
おおよそほとんどのエリアの言語を学び、おおよそほとんどの人種と意思疎通ができるようになってからというもの、エイデンの旅の目的は、半ばほどはこちらに傾きつつあった。鉄の箱の中は冷たく、通電しているとはいえこういう限定的なエリアに空調を回すのは効率が悪いものだから、ただ浮かれたリビングデッドのように思えた彼ら、ヨシキたちはもしかすると、はじめに思ったよりはずっと理性的に「生きている」のかもしれないとすら考える。
「あ、エイデンさん、休んでなくていいんですか」
「ああ、ほら、僕はあれと違って体力仕事はあまりしないからねえ。ただぼんやりとしていたってつまらないし、何よりここの生活に興味があってね」
色彩のない昇降機の中に唯一あった色、ダイオードのような色をしたローマ数字がイチとハチになったところで、例の軽快な、チン、という音がして、扉が開いた。エイデンはどのボタンも押してはいない。初めからこうして、どこかへ行こうとした誰かと鉢合わせ会話をするつもりだったのだから彼は驚かなかったが、居合わせたヨシキは目を丸くしてそう言った。きっと、今までに会った誰も彼もと同じように、彼も次にはこう言うのだろう。
「「旅をするなんて、正気じゃいられないでしょうに」」
ぴったり重なった日本語と、つたない英語。
エイデンはいたずらが成功した子供のような笑顔を浮かべ、ヨシキは数瞬驚きに硬直した後、思いがけずプレゼントをもらった子供のように、はにかんだ。
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