妊娠したのはごめんなさい、でも結婚はしません!

コプラ@貧乏令嬢〜コミカライズ12/26

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後悔

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 急に約束のキャンセルが続き自分からの一方的な連絡ばかりになって、薫のマンションに立ち寄ってもひと気がない日が続いた。蒼一郎は苛立ちと焦燥感を感じ、いても経っても居られなくなった。

 流石に薫の会社に押しかけるわけにもいかず、あてなく薫のマンションの窓明かりを見上げたその夜、数日消えていた灯りが点いているのを目にした蒼一郎は合鍵を手にマンションの扉を開け放った。


 苦しげな嘔吐の音がトイレから聞こえた蒼一郎は、眉を顰めて立ち竦んでからハッとして洗面所の収納扉を開け放った。そこにあるかもしれない何かを蒼一郎は探した。隠す様に奥まった場所にあったのはその何かだった。

 蒼一郎はトイレからふらつきながら出てきた薫を強張った顔で出迎えた。驚きと絶望を表情に滲ませた薫は、蒼一郎が手にした長方形のプラスチックケースに目を落とすと、諦めた様に目を閉じた。

 それからまるで蒼一郎など居ないかのようにリビングへと足を向けると、ソファへとぐったり座り込んで俯いた。

「会えないって言ったのに…。」


 蒼一郎は薫を揺さぶって問い詰めたかった。このピルケースは一体どういうことなのか説明が欲しかった。けれど目の前で疲れ果てた薫を見ればそんな事は何の意味も無いことが明らかだった。

 薫は妊娠している。薫のお腹の子供の父親は自分だろう。薫が自分以外に関係を持っていないのは分かっていた。

 項垂れた薫が顔を上げるのを待って、蒼一郎は宣言した。

「君は私と結婚する。これは決定事項だ。」




 二人が結婚するという予想もしない蒼一郎の一方的なひと言に、一方の薫は当然混乱した。けれどもそれから逃げる様に具合の悪さに身を任せた。

 眠りから目が覚めた時、薫は無意識に飲み物を求めて手を伸ばした。

 気づけばクッションが集められて少し頭が高くなっていて、口元に押し付けられたグラスからひんやりしたジンジャーエールがピリリと喉を通っていく。

 さっきと比べたら随分気分もマシになっている事にホッとして、薫は顰めた顔のまま瞼を嫌々開いた。目の前には自分を心配そうに覗き込む蒼一郎の姿がある。


 「…まだ、いたの…?」

 自分でも随分と心細げに聞こえる囁き声は、蒼一郎が真顔で頷くせいで居所を失っていく。

「…ああ。放っておくには調子が悪そうだからな。」

 どれ位時間が経ったのか分からなかったけれど、具合の悪さは多少マシという感じだ。身体を起こして蒼一郎に抱えられながらトイレまで連れて行って貰うと、薫は一人個室で頭を抱えて考え込んだ。


 今は冷静に色々話し合ったりは無理だ。気が弱くなっているせいで蒼一郎に予想もしない何かを言われたら馬鹿みたいに泣いてしまいそうだ。どれくらいそうしていたのか、ドアがノックされる音で薫は我に返った。

「…薫、大丈夫か?」

 薫がトイレから出てくると、蒼一郎はマジマジと薫の顔を見て眉を顰めた。

「…顔色が良くないな。…何か食べられるものは無いのか?大して水分も飲めない様だから、吐き気が酷い様なら病院で点滴を打ってもらったほうがいいが…。」

 薫は首を振った。今この状態で病院に移動できる気がしない。車に乗る事を考えただけでも無理だ。


 「…横になっていれば、大丈夫だから…。水分もちょっとなら、飲めてる。」

 実際は飲んでも吐いてしまっている気がするものの、今は食べ物の事を考えたくは無い。支えられてベッドに戻ると、蒼一郎は何か言いたげな顔をして薫の頭に手を伸ばしてそっと撫でた。

「…今あれこれ言うのはよそう。ただ、流石に私もこんな状態の薫を放ったらかしては置けない。ここで仕事をする事にするから何かあったら言ってくれ。」

 蒼一郎の優しい言葉と大きな手の温かさに、自己憐憫に陥っていた薫は無自覚に瞳を揺らした。涙が溢れそうになって慌てて目を閉じる。そんな薫を見つめていた蒼一郎は小さくため息をつくと、慰める様に薫の瞼にそっと唇を押し付けてからベッドを離れた。


 薫はまるで小さな子供になった気分で酷く心細くなっていた。自分は立派な一人前の大人の男だと自負していた筈なのに、蒼一郎に世話を焼かれると酷くホッとする。

 ホテルで胃腸の調子が悪くなって来て、動けなくなる前にと慌てて自宅に戻って来た薫は、結局その日以来一日中トイレに行ったり来たりだった。妊娠してると知らなかったら酷い食中毒だと勘違いしただろう。

 身体が弱ったせいで、呆気なく気まで弱くなった自分のもどかしさに、もう一度熱い涙が頬を伝うのを感じた。けれども身体の怠さからは逃れられず、薫はそのまま泥の様な眠りにもう一度引き込まれていった。




 寝室の様子が窺える位置に小さなダイニングセットを動かしながら、蒼一郎は薫の様子を窺い見た。身動きしていないのでまた眠ってしまった様だ。

 さっきの見たことのない薫のいたいけな様子に胸が締め付けられたせいで、蒼一郎は今も動揺を隠せない。あの様子から少なくともこの状況を薫が望んでいなかったのは分かる。

 見たところ手にしたピルケースは完璧に使用されていて、密かに蒼一郎との妊娠を望んでいたのならそもそもピルを飲むのを止めていた筈だ。薫が特異体質だという事を誰にも知らせずにいた件からも、彼はその事自体を不条理に思っていたのかもしれない。


 薫は若い割に優秀で、蒼一郎自身も一目置いていたくらいだ。だが今のご時世は希少な女性が減るに従って、最近では薫の様な体質の男性が女性と同等の扱いをされるのが当たり前になりつつある。

 小さな頃から大事に籠の中で育てられる扱いを受けて来た女性と違って、成長の過程で自分がその特異体質だと知る薫の様な人間が、ある意味人身売買の様な現状を受け入れられないのは何ら不思議では無い。


 そして蒼一郎が目先の快楽のために薫にとって安全な避妊をしてやらなかった、実際は押し切る形で生で行為を行い続けた結果が今の状況を招いたのだ。

 最初の時に空気が悪くなっても薫が避妊具にこだわっていた事を思い出して、蒼一郎は両手で顔を覆って呻いた。自分が何をして、何をしてやらなかったのかを突きつけられて、子供の云々を棚に上げても薫の意思など無視したも同然だった。


 最初から薫は自分は愛人だと主張していた。蒼一郎にとってみたら名称が変わるだけで、薫とは恋人同然の相手と思って付き合ってきた。薫と一緒にいると居心地は良いし、何の不満も無かった。むしろ薫以外の相手を探そうという気持ちにさえならなかったのだ。

 一方の薫はどうだったのだろう。

 愛人という関係に固執していたところを見ても、薫にとって自分は一過性の都合の良い相手に過ぎなかったのではないだろうか?少なくとも子供の父親として望む相手では無かったという事だ。


 そこまで考えて、どうにも苦い想いが湧き上がって来た。自分の身勝手な想いは置いておいても、身軽で居たかったであろう薫を自分は妊娠させた。普段気丈な薫のあんな風に涙を溜めた痛々しい表情を見せられて、今や罪の意識にじっとしていられない。

 とは言え子供は授かってしまった。薫に言った通り、産まれる瞬間に戸籍上でも揃った両親は必要だ。薫が望まないのならば自分が引き取って育てても良い。その時は罪滅ぼしも兼ねて薫を自由にさせてやろう。


 そこまで考えて、蒼一郎は力無くドサリと椅子に寄り掛かった。

 薫との子供が産まれると考えて高揚していた気分は、今やすっかり沈み込んでしまった。赤ん坊が産まれたら、薫が自分の元を離れていく可能性が高い事をシュミレーションしたせいで、なぜか気持ちが落ち込んでしまう。

 結婚自体、自分には必要ない事だと思っていたのに、今や何を置いてもすべき事の一つになってしまった。このままでは未来に失われるだろう結婚かもしれないが、自分にそれを阻止する権利は用意されていないのだ。




 
 
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