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湿雪の章 その一

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 一月、年末年始の休みが終わって最初の土曜日。その日は朝方まで雪が降り続いていたが、昼には止み、積もった厚さも十五センチ程度と多くはない。
 それでも、駐車場や庭の雪かきをしていた米持和美よねもちかずみは苦戦していた。
「……はぁ、おっもい!」
 地面に積もっていた雪は水分を多く含んでいたのだ。融雪溝にそのまま流せばよかったものの、そこまで運ぶまでに体力が奪われてしまう。
 和美は雪かきの手を休め、腰を伸ばしながら空を見る。快晴の空には雲が所々浮いていた。
「気温、高かったせいかな?」
 文句と疑問が混ざった言葉を発する。
 たしかに朝方は、一月なのに最低気温が二度と、比較的暖かかった。ネットで雪について調べたら、雪は空気中の水蒸気が多いと、雪の元となる氷の結晶が多く作られるらしい。さらに気温が高いと、地面に落ちてくるまでに溶け、水分を含んだ雪になるという。
「こんだけ重いと、お祖父ちゃんも腰を痛めそうだよね」
 和美は改めて緑色の雪かきスコップで雪をすくう。積もっていた十五センチを全部すくうと、新雪の三倍は重く感じた。重さに耐えきれず、雪をそのまま地面に下ろす。
「かといって、機械で除けるには少なすぎるしなぁ」
 和美の家にあった除雪機は、作られた年代が古い。そのため今日のような十五センチ程度の雪では雪を除けられず、空回りしてしまうのだ。
 和美は大きく溜息を吐く。
「はぁ……。しょうがない、頑張りますか」
 和美は気合を入れ直し、雪かきを始めようとした。
「よう、米持和美」
 雪かきスコップで雪をすくおうとした時、不意に道路側から声がかかる。
『この声。この上から目線の話し方!』
 和美が勢いよく道路側を見ると、そこには清水雪雄しみずゆきおが立っていた。モスグリーンのモッズコートに灰色の手袋、黒いズボンに青い長靴。十一月に見た時と同じような恰好だった。違う所はフードをかぶっていないことと、手に持っているスコップが銀色で四角い、金属製のスコップだったことだけだ。
「雪雄!」
「だから、『さん』をつけろよ。年上なんだから」
「いいじゃない。四つだけなんだから」
「その四つが重要だろ」
 十一月と同じやり取りになる。ふと、和美は自身の今の状況を顧みた。
「ねぇ、雪雄……さん?」
「なんだよ」
「もし、もし、よろしければなんだけど」
「ハッキリ言えよ」
 和美らしくない遠回しな言い方に、雪雄は少しだけイラッとした。
「雪かき、手伝ってほしいなぁ、なんて」
 和美の言葉に、雪雄の口角が明らかに上がった。
「その言葉、待ってたよ」
「え」
「この雪で、しかも重いだろ。絶対、困ってると思ってな」
 和美は心の中で「められた」と愕然がくぜんとし、同時に舌打ちをした。そして諦めたように大きく溜息を吐いた。
「そこまでお見通しなら、協力してくれるよね」
「いいぜ。ただし、貰うもんは貰うからな」
「料金でしょ? いいよ。今回は私が払うから」
「了解。時間は?」
「今日は急いでないから。でも早めがいいかな」
「となると、この量だからな……。二十分、四千円でどうだ?」
「ん。大丈夫」
「よし、交渉成立っと」
 雪雄は銀色のスコップを持ち直すと、米持家の庭へと入った。
「重かっただろ、雪」
「うん。めちゃ重だった」
「今朝は気温が高かったからな。雪も水分が多くなったんだろう」
 雪雄は足元を見る。和美がかろうじて雪かきを終えた部分は、すでに雪が消えていた。他の箇所も雪が溶け始めてはいたが、今日中には溶けないだろうと雪雄は思う。これで寒くなると、一気にアイスバーンになる。それは避けないといけない。
「それじゃ、取りかかるよ」
「お願いします。私も何か」
「見ていてくれれば、いいから」
 雪雄の笑顔の圧力に、和美は「はい……」と小さく返事をすることしかできなかった。
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