僕たちは星空の夢をみる

美汐

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Chapter.6 夏休みの始まり

4 胸に秘めた罪悪感

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 その日、部活が終わったあとにいつもの掃除をしていると、顧問の新田先生に呼び止められた。

「掃除終わってからでいいけど、ちょっと話できるかな?」

 そう言われ、僕はなんだろうかと首を傾げた。とりあえず言われたとおりに掃除を済ませると、新田先生の元へと近づいていった。

「今日の稽古はなかなかいい感じでしたよ」

「ありがとうございます」

 なにを言われるかと戦々恐々としていたが、褒められて少しだけほっとした。

「大野くんとも互角にやり合えていたし、篠宮くんは実力があるほうだと僕は思う」

 言葉では褒められていたが、新田先生の顔はどこか厳しかった。

「しかし、最初のときにも感じたことだけど、こと試合となると、いつもの実力の半分も出せていないように見える」

 いつかは指摘されるだろうとは、自分でも思っていた。

「緊張のあまり普段の実力が出せないということはよくあることだけれど、きみの場合それともちょっと違うように思うんだ」

「はあ……」

 なんと言えばいいのか、どんな表情をすればいいのかもよくわからなかった。
 新田先生の言うことは正しい。その通りだと自分でも思う。

「なにか理由があるのなら教えてほしい。まあ、無理にとは言えないが」

 良い先生だ。今時珍しいくらいじゃないだろうか。一人の生徒のそんな細かい部分まで気にして、こうして声をかけてくれるなんて。
 けれど、素直に相談などできるはずもなかった。自分でもどうしたらいいのか、まだわからないのだ。

「……すみません」

 どう答えていいのかもわからず、そんなふうに言うことしかできなかった。新田先生は怪訝そうに眉をしかめたが、それ以上追求してくることはなかった。代わりに僕の肩をぽんぽんと軽く叩いた。

「まあ、また話せるようになったらでいいさ。試合ばかりが剣道じゃないし。ただ、なんだか心配でね。じゃあ、悪かったね。引き留めてしまって」

 新田先生はそう言って剣道場を去っていった。
 どうにかしなければいけないとは、自分でも思う。でないと、他の部員の迷惑にもなってしまう。けれど、どうしたらいいのかがよくわからないのだ。

 三年の先輩たちの引退試合となった大会の日、会場に見知った人物がいたのに気がついた。
 小学生からの道場仲間でもあり、中学時代ではチームメイトだった松井和哉だ。彼も僕と同じように、一年として先輩の応援で来ていたようだった。和哉も僕の存在に気づいて、こちらをちらちらと気にしていた。しかし、結局その日はお互いに言葉を交わすことはなかった。
 言葉こそ交わさなかったものの、和哉も剣道を続けていたということに、僕はなんとなくほっとした。しかし、和哉のほうはどう思っていたのだろう。

 あんなことがなければ、きっと笑顔で話すこともできただろう。しかし、もう僕たちはそんな関係に戻ることはかなわない。なんの疑いもなく、お互いがただ剣道に情熱を燃やしていたあの日々には、帰ることはもうできないのだ。

 帰り支度を済まし、総合格技場の外に出ると、ドアの横の壁にもたれていた人影が動いた。

「小太郎ちゃん」

 沙耶ちゃんだった。僕は驚いて目を瞬かせた。

「沙耶ちゃん? 待っててくれたんだ」

 先生との話で僕のほうが遅くなってしまったので、先に帰ったのだとばかり思っていた。

「当たり前でしょ。あ、もしかして迷惑だった?」

「そんなわけないよ。待っててくれてありがとう」

 めちゃくちゃ嬉しかった。一緒に帰ることを当たり前だと言ってくれた。僕はなんて幸せものなんだろう。

「先生、なんだって?」

「ああ、うん。別にたいしたことじゃないよ」

 ごまかすようにそう言った。なんだか最近は、こんなふうに口を濁すことが多い。なんとなく罪悪感で胸が痛い。

「そっか」

 沙耶ちゃんも、それ以上追求してはこなかった。きっと気を遣ってくれているのだと思う。

「もう来週なんだね。合宿」

 そうなのだ。もう夏合宿は来週に迫っていた。ゴールデンウィークのときに見に行ったあとも、ときどき美周も加えて予知夢のことについては話し合ってきた。対策としては、美周が予知夢に出てきた沢を見張り、僕が沙耶ちゃんを見守るということくらいだ。それでどうにかなるという保証もなにもないが、最善は尽くすつもりだ。

「沙耶ちゃん、不安だよね」

 そう訊ねてみたが、意外にも沙耶ちゃんの表情は晴れやかだった。

「ううん。もう、平気。なにがあっても大丈夫」

「そうなんだ」

 そこまで言い切られるとは思わなかった。以前はあんなに不安そうだったのに、どうしたんだろう。

「だって、小太郎ちゃんや美周くんが一緒についててくれるんだもん。だから、もううじうじしないって決めたんだ」

 沙耶ちゃんは気丈に笑った。
 すごい。本当に沙耶ちゃんはすごいと思う。いくら僕たちがいたところで、どうにもならないかもしれないのだ。それはなにより沙耶ちゃん自身が一番よくわかっているはずだ。それなのに、こんなふうに笑顔を見せてくれている。

「そっか。それならよかった」

 あとはもう、合宿が無事に終わるのを待つだけだ。鬼が出るか蛇が出るか。沙耶ちゃんがここまで僕たちを信じてくれているのだ。恐れてはいられない。この予知夢に立ち向かうことができたなら、きっとなにかが変わる。
 沙耶ちゃんにとっても。そして、僕にとっても。
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