多重世界シンドローム

一花カナウ

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運命に出逢ってしまった

ストーキングされていることは知っていたから

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「悪かったね」

「こちらこそすみませぬ。助けていただいて」

 大通りから離れた住宅街。一方通行の標識が立つ前までくると、あやめは止まって丁寧に頭を下げた。

「いや、悪かったってのはそういうことじゃなくって……」

「はい?」

 歯切れ悪く答える少年の台詞に、顔を上げたあやめは小さく首をかしげる。

「――君が朝からつけてきているのを知っていて、なんとかまくことはできないものかって願ってしまったから」

 言われて、あやめは思い出す。

 少年たちに絡まれたとき、彼は何と言って助けたのか。大抵の場合は待ち合わせに来なかったのを捜しにきたように装うだろうに、目の前の少年は離れて歩いていたのを注意するかのように偽った。それが彼の明確な意図による言動だったというのだろうか。

(――だとしたら)

 黙っていたのは一瞬。あやめは告げる。

「気付いていらしたのですか? しかし、願ってしまったことを謝るだなんて、必要のないことではありませぬか」

 自分の行動を認めた上であやめはわずかに苦笑いをする。しかし心の中は緊張のあまりドキドキしていた。

(あのときは「お前」と呼んだのに、今は「君」と言い直していますね……)

 どこまで見抜かれてしまったのかと考えると落ち着かない。あやめは続ける。

「それに、あなた様は助けてくださりました。何も詫びることはありませぬ」

「助けようと思ったのはたまたま君がオレの顔を見たからさ。それで君の困惑した顔が見えた。だから助けた」

 あのときあやめが彼の顔を見たのは助けを求めたからではない。監視対象者を見失うことのないように確認しただけである。

 あやめは顔を伏せた。ふっと湧きあがった嬉しい気持ちが顔に出てしまいそうで恥ずかしかったのだ。

「――優しいのですね」

「ストーカーの顔を見ておきたいとも願っていたからね。その願いが叶ったから救っておくかと思えただけだよ」

「動機よりもその行動が大事なのだと思います。思っても、動くことのできる人間は限られているのですから」

 あやめはぼそりと述べる。顔は伏せたまま。彼がずっと自分の顔を見ているのに気付いたからだ。

 少年は丁度街灯の光が届く位置に、あやめはやや影になっている場所に立っている。俯いていれば前髪で顔の半分を覆い隠すことが可能だ。顔を覚えられるわけにはどうしてもいかなかったので、あやめは緊張している振りをして自然に顔を下方に向けていた。

「君、面白いことを言うね。――今まで色々な女のコに告白されてきたけど、君みたいなコはいなかったな。名前、教えてよ。オレは貴家礼於(サスガレオ)。君は?」

 口説くことに慣れているのか、少年はさらりと問う。

(この方は、ワタシを気味悪く思わないのでしょうか?)

 貴家と名乗る監視対象者の言動に疑問を抱くと同時に、ふと別の感情があやめの心中をよぎる。

(そう、名前……規則では契約を結ぶまでは明かしてはいけないことになっているのですが……)

 この少年に自分のことを知って欲しい。

 湧き上がる感情にあやめは戸惑う。今までになかった衝動だ。

 彼女はこれまでにも様々な少年少女の監視を行なってきた。ただ淡々と監視対象者を追う日々。単調な作業と報告を行う毎日。そんな中で監視対象者のことをもっと知りたいなど、自分のことを相手にもっと知ってほしいなどとは一度も思ったことはなかったのだ。

 恐る恐る顔を上げて貴家の顔を見る。

「別にストーカー被害を警察に訴えるつもりはないよ。ただ、いつまでも君のことを名前で呼ばないのは失礼かと思ったんだ。本名を明かしたくないなら、適当な呼び名を名乗ればいい」

 適当な呼び名――言われて、あやめは委員会(モイライ)での呼び名を思い出す。能力名であり役割を示す《導き手(ラケシス)》の名。しかし、契約者に仕えていない今はその能力を制限されているのであったが。

「ラケシス……いえ、緒方あやめです、貴家さま」

 名乗ったと知れたら委員会(モイライ)はどう処理するだろうかと不安に思いながら、それでもあやめは名を告げた。にっこりと微笑んで。

「あやめ、ね。うん、覚えた」

 言って頷くと貴家は日傘を差し出す。まだ彼が握ったままだった。

「じゃ、あやめ。次にオレをストーキングする用事があったら、ちゃんと声を掛けてくれよな。付き合うぜ?」

「えっあっ……はい」

 あやめは日傘を受けとると迷いながらも頷く。必ず再会できると信じきっている言い方に引っ掛かりを覚えていた。

「じゃあまた」

 貴家は手を振って去る。

(――あっ!)

 姿がすっかり消えるまで見送ってから、あやめははっとした。つい彼のペースにのまれて気付かなかったが、これでは任務を遂行したとは言えない。

(し、仕方がありませぬ。これは不可抗力と呼ばれるものであって――)

 つい自分自身に言い訳をしてしまう。上司にはどんなことを言ってごまかそうかなどと思案していたところで、あやめは気配を察して振り向いた。
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