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調査と報告書
デートの邪魔をするなら
しおりを挟む貴家は出口に向かっていた。他に見るブースもそれほどないので、これで帰ることにするのだろうとあやめは思う。
(仕事以外の話もしたいのですが……)
水族館を出るまで貴家は無言で、あやめはあやめで黙ったまま彼の後ろを歩いていた。隣を歩いても良いはずなのだが、先ほどの接近が頭から離れないために行く気にならない。思い出すだけで熱くなる頬が恨めしい。
「――ん……なんか適当な話題はないものかな?」
沈黙を先に破ったのは貴家のほうだった。斜め後ろを歩くあやめに目を向ける。
「――では、訊ねてもよろしいでしょうか?」
仕事以外の話題を探していたのだが、とても冷静な状態ではいられそうになかったので、あやめは仕事の確認作業につながる話を選択した。
「あぁ、なに?」
「休日でも必ず外にいらっしゃるのは何故ですか?」
貴家の住むマンションのエントランスでついうっかり口を滑らせてしまった話を、改めて訊くことにする。これに関しては報告書にまとめているときに悩まされたのだ。あやめには理由が想像できなかったのである。
「それはね、君のような人間を見つけやすいようにってのと、オレの力を必要とする人間に会えるように、だ」
「あくまでもワタシは謎の組織の調査員で、あなた様は神様の代理人ですか」
(ここに霧島さまがいらしたら、なんと返したことでしょうか。自信過剰も病気の域だ、とでも仰ったかしら)
あやめはなんだかおかしくなって、小さく笑う。
貴家の思い込みはただの思い込みではなく事実である。
(――しかし、ここまで自分を信じられる人も珍しいですね)
これまでにも多重世界シンドローム発症者と接する機会はあった。契約する者として仕えたこともある。そんな人々でさえ多重世界シンドロームという力には半信半疑で、きちんと制御できた人間はいなかった。貴家礼於のように自分の意志で力を行使している人物に会ったことはないのだ。
「なんだ。君もオレを笑うじゃないか」
あやめが笑うのを、貴家が少しむすっとして指摘する。
「いえ、これはあなた様を笑ったのではなく、ちょっと知人のことを思い浮かべてしまって、つい」
縁と貴家はなんとなく似ている。それゆえに相性が悪そうだなと、余計な心配をしていたとは言えない。
「知人って、男?」
「女性ですよ」
この話題を貴家が広げるとは思わなかったあやめは、きょとんとして首をわずかにかしげる。
「年上?」
「ワタシより上ですね」
「ふーん」
あやめが彼女自身の回りの人物のことを話したことに、貴家はどうも興味を持ったらしかった。一瞬見せた不機嫌そうな顔はなくなっている。
「その人、どんな人なの?」
「えっと……」
縁のことを下界の人間に喋ってもよいものなのだろうかと躊躇する。
《色》付きの権力者たちの情報は、委員会(モイライ)内では一応機密情報扱いである。中でも委員長(モイラ)の経歴などは最重要機密情報であり、あやめのような下っ端には知る由もなかった。
「――ワタシの世話を焼いてくださる、尊敬できる方ですよ。少々天(あま)の邪鬼(じゃく)ですが」
ただの世間話にとどめておく分には問題ないと判断し、あやめは自分が持つ印象を素直に述べる。告げたことは正直な気持ちだ。
「じゃあ君とは正反対ってわけだ」
「正反対?」
「君は嘘をつかない。答えられない問いに対しては矛先を変えて回避を選択する。――そうだろ?」
「まるでワタシをわかりきっているみたいな言い方ですね」
にっこりと微笑んで言う。貴家が言った通りにあやめは回避を選択していた。
「わかりきっているとするなら語弊がある。オレはただ、そのように指定しただけだ」
「またその話ですか?」
貴家は自身の持つ力が本物であることを前提として語る。何が彼をここまで信じさせるのだろうか。
「オレが君を選んだんだ」
「ワタシはあなた様の妄想から生まれた存在ではありませぬ」
「どうかな?」
「と、仰いますと?」
にやりと笑む貴家を前に、だんだんと不安になってくる。この話題を続けていてはならないと、頭のどこかで警報が鳴っている。
「オレが望むことをわかっていて、予め君が用意されていたのかも知れないよ?」
場所を選べばもう少しロマンチックに受け取れる台詞だったかもしれない。こんなにも心を乱されずに済んだかもしれない。
「――そうとは限りませぬ」
呟くのが精一杯だった。その声も震えてしまっている。
「可能性の話だ」
バス停についたので、貴家は時刻表に目を向ける。
あやめは彼の後ろで立ち止まると、粗くなった呼吸をこっそり整えた。
「まだ次の便まで時間があるな。少し歩くか」
貴家がそう言ってあやめに向き直ったとき、彼女が背負っていたミニリュックから電子音が鳴り響く。メロディのない無機質で単調な音。
(……携帯電話?)
あやめはびっくりして、それで慌ててリュックからけたたましく自己主張する機械を取り出す。
(霧島さま?)
ディスプレイには霧島縁とある。下界に向かう前に縁から携帯電話を預かっていたのをすっかり忘れていた。
「――はい。緒方です」
あやめは貴家に軽く頭を下げると、通話ボタンを押す。
『電話にはもう少し早く出てほしいものだな』
不機嫌そうな聞き慣れた声。いきなり嫌味を言ってきた通話相手は霧島縁に間違いなさそうだ。そもそも下界の人間から電話がかかることはないのだから当然だともいえる。委員会(モイライ)直通の専用回線だと、確か縁が説明していたはずだ。
「申し訳ありませぬ。使い慣れていないもので。――で、何でございましょう?」
定期連絡の時間にはまだ早いだろうと、太陽の位置を確認しながら考える。雲一つない青空を東から西へと移動中のお日様は、天の一番高い場所を通過したところだった。
『用事がある。すぐに戻って来られないか?』
緊急にしては落ち着いた声だ。
「電話では伝えられぬことでしょうか?」
『あぁ、その通りだ』
あやめはその返事を聞いて気分が沈む。もう、帰らねばならない。
「わかりました。すぐにお伺いいたします」
『この埋め合わせはちゃんとする。――また後で』
言って、縁が先に通話を切った。
(埋め合わせ……ですか?)
あやめの目的はすでに達成されているので、そろそろ委員会(モイライ)に帰っても良い状況である。任務が片付いている以上、長々と下界にいる必要はない。
(任務を中断されたからと言っても、上位の任務に割り込まれたならそちらを優先するのが当然ですよね。埋め合わせとは不思議なことを仰る……元々霧島さまの命令ですのに)
暗くなった携帯電話のディスプレイを見てからリュックにしまう。
「何かあったの?」
黙ってあやめの様子をうかがっていた貴家が問う。
「えぇ、呼び出しが。――申し訳ないのですが、今日はこの辺で失礼いたします」
「でも、バスは当分来ないけど?」
「タクシーを使いますから」
あやめは言いながら、能力を発動させる。
《導き手(ラケシス)》と呼ばれる能力は《事象の統合》を行う力である。起こる確率が最も高い事象に対し、確率の低い任意の事象の便乗を可能にするものだ。この能力を有するあやめには決まった未来を大幅に変更することはできないが、必要に応じた修正を限定地域内で行うことができる。例えば、タクシーがなかなか通らない道であるのに《偶然》乗れたりするくらいなら朝飯前だ。
あやめらの能力で多重世界シンドロームと異なる点は、《導き手(ラケシス)》は実現されることが決まっている未来をある程度知った上で改変を行うことができるところにある。多重世界シンドローム発症者には未来を見る力はない。彼らができるのは、決められた未来に関係なく自分が望む未来を引き寄せることくらいだ。
(――少し先の大通りに出れば、わざわざ統合する必要はありませぬ)
「タクシーを? この辺はそんなに通らないと思うが」
水族館などがあるこの地域は繁華街から離れているために車の通りはさほどない。貴家の意見はもっともだ。
「少し先の大通りからなら、車も拾えるかと」
言って、あやめは歩き出す。
(あら? 事象の確率が……)
能力に制限がされているからだろうか。タクシーが通り掛かる確率が徐々に下がっているのを感知する。
(……まさか)
「緊急なのか? まだデートの途中だってのに、気が利かないヤツだな」
貴家を肩越しに見て、あやめは彼の周囲が歪んでいるのに気付いた。
(これは明らかに介入されていますね……)
多重世界シンドロームの発動中は発症者の周囲に異変が起きる。委員会(モイライ)所属の能力者はそれを空間が揺らめいているように知覚できた。ちょうど陽炎が発症者の周囲だけに発生しているように目に映るのだ。
「また次回もありますよ」
どうにかして発動を止めねばならない。あやめはいかに彼の願いを変えるか思考する。
「会ってくれるの?」
「あなた様がワタシに会いたいと望むなら。――あなた様の仰る能力が本物だろうと偽物だろうと、それらとは無関係に会いにゆきます」
あやめの台詞に嘘はない。委員会(モイライ)が許すのであれば、あやめは貴家に会いたいと心から思っていた。
「本当に?」
貴家の周囲の歪みが落ち着いてくる。
「ワタシが嘘をつけない人間であることは、あなた様自身が保証したのではありませぬか」
「う、うむ……」
まだ言葉が足りないようだ。納得しかねる表情の貴家の周囲から多重世界シンドロームの発動を示す歪みが消えていない。
「どうすれば、信じていただけます?」
目的の場所である大通りにやってきた。上り下り合わせて四車線の通りはトラックや乗用車が行き来していたが、残念ながらタクシーの姿はない。
「そだ。連絡先を教えてくれよ。携帯電話、あるんだし」
貴家は胸ポケットに入れていた携帯電話を取り出す。
「え?」
(れ、連絡先を教えて欲しいですって?)
あやめは戸惑う。委員会(モイライ)専用回線のこの携帯電話、果たして下界の人間とのやりとりに使用しても問題ないのか。
「あの……まだ使い方に慣れていないのですが」
受け取ったばかりで使い方がわからないのは事実だ。通常の場合、下界の状況を委員会(モイライ)に伝えるのには思念波(テレパシー)を主に用いるため、必要がないのだ。
「心配するな。オレと同じ機種だから使い方ならわかる」
よく見ると、確かに貴家が持っている携帯電話はあやめが預かってきた携帯電話と色違いであった。
(あれ?)
そこではたと気付く。縁はカムフラージュを兼ねているとも説明していたはずだが、思念波(テレパシー)を使用していても周囲に気付かれることはまずない。一体なんのためのカムフラージュであるのか。
「ほら、さっきのスマホ、出せよ」
「は、はい」
ミニリュックから携帯電話を取り出すと、あやめは貴家に手渡す。作業はあっという間だった。
「できたぞ」
貴家は終わるなり携帯電話をあやめに返す。
「オレの連絡先も入れておいたから、用事があったら電話なりメッセージ送るなりしてくれ」
「はい」
思わず自然と笑みがこぼれる。縁が携帯電話を寄越してきたのはこのためだとあやめは理解したのだ。
「おっ、ラッキーだな。タクシーが来たぜ」
貴家の周囲の歪みが大きくなっている。しかしこれはタクシーを拾うためだとすぐにわかった。
(あわわわっ……こんなワタシのためにその力を使って下さるなんて)
嬉しい反面、申し訳ない気持ちにもなる。タクシーを呼ぶくらいならあやめ自身の力でもどうにかなるのに、わざわざ協力してくれるとは思っていなかった。
(やっぱり、優しい方なんですね)
あやめたちの前で停車したタクシーは後部ドアを開ける。
「――今日は楽しかったです。ありがとうございました。また、会いましょう、貴家さま」
名残惜しさよりも次に会う口実ができたことの嬉しさのほうが上だった。
「おう。またな。気をつけて帰れよ」
「はい」
返事をするなり、あやめはタクシーに乗り込む。行き先としてこの近所を指定した。駅方面で貴家から見えなくなればそれで充分だった。
車が走り出すと、あやめは後部座席の窓から貴家の姿を見る。彼は手を振ったあと、水族館の方へと戻っていった。
(――必ずお会いしましょう、貴家さま)
貴家の姿が完全に見えなくなったあと、携帯電話を握りしめながらあやめはもう一度会えるように願った。
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