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調査と報告書
発症者の異変
しおりを挟む縁の部屋を出てすぐのことだった。
「あーやーめちゃーん!」
ばたばたという足音とともに大きくなる声。あやめは背後から走ってくる人物のために歩みを止め、振り向いた。
「綾瀬さま。お久し振りでございます」
頭の高い位置で髪を二つに結った少女は、挨拶をするあやめに勢いよく抱きついた。
「ほんと久し振りだねぇ。こんなところにいるってことは、《紫の断ち切り手(アトロポス)》ちゃんのところに行っていたの?」
「えぇ。仕事の報告ですよ」
あやめ自身も背は低いのだが、それ以上に彼女は背が低い。おまけに童顔で幼児体型であるので、一見小学生くらいに見える。そんな少女の名は綾瀬ミコト。あやめと同じ《導き手(ラケシス)》能力者であり、霧島縁の数少ない友人だ。縁を恐れずに親しくしているのは彼女くらいだろう。
「綾瀬さまがこちらに戻ってらしたということは、仕事が落ち着いたということでしょうか?」
あやめの問いに、ミコトは表情を曇らせた。
(あら、何か間違えましたでしょうか……?)
あやめが把握している限りでは、ミコトは下界で多重世界シンドローム発症者と契約を交わし仕えていたはずだ。契約を交わして下界にいる間はなかなか委員会(モイライ)に戻って来られないので、滅多に顔を合わせない。ゆえに久し振りなのである。
「……あのね、あやめちゃん。あまり大きな声で言えないんだけどさ」
耳を貸してくれというジェスチャーをしたので、あやめは疑問に思いながら耳を彼女に近づける。
「――実は……で……になっちゃって。だから《紫の断ち切り手(アトロポス)》ちゃんに確認してもらおうと、ね」
「……えっ?」
告げると、ミコトは暗い顔のまま笑む。
「信じられないでしょ? でも、起きてしまったことは本当なんだよね」
何を言ったら良いのか、あやめにはわからなかった。表情はきっと凍り付いたままだっただろう。
(――多重世界シンドローム発症者が……亡くなった……?)
多重世界シンドローム発症者が生身の人間である以上、寿命が来れば必ず死ぬ。委員会(モイライ)所属の能力者たちの方が下界の人間たちよりも寿命が長いので看取ることもある。それはどうしても避けられない。
そうとわかっていながらミコトが縁を訪ねようとしているのは、発症者の寿命が適正に終えたのかを確認するためだ。発症者の寿命がどのくらいなのかは上位の能力者であれば見えるという。あやめはそのレベルまで達していないが、《紫の断ち切り手(アトロポス)》と呼ばれる霧島縁ならわかるに違いない。また、縁と繋がりがある監査部(ノルニル)に照会すれば下界の人間の寿命くらいは知れることだろう。
「――あたしが予知した未来にはまだ彼はいたのよ。……なのに局所的な改変が起こり、それに巻き込まれてしまった。……組んでいた《紡ぎ手(クロトー)》も《断ち切り手(アトロポス)》もその影響で怪我を……。あたし、急いで《統合》しようと努力したんだけど……間に合わ……なくって……」
「綾瀬さま……」
ぽろぽろと涙をこぼすミコトを、あやめは抱き寄せる。
「あたし、信じられないの。こんなこと、今までなかったのに。割り込みがかかっても、あたしが守ってきたのに」
(ワタシも信じられませぬ)
優しく頭を撫でて気持ちを落ち着かせようと試みる。ずっと堪えてここに戻ってきたのかも知れない。見知った相手に会ったのをきっかけに、はりつめていた思いが決壊してしまったのだろう。
(人の命を奪うほどの大きな改変はそうそうないものですのに)
瀕死の怪我を負っていた人間の寿命がわずかに縮まって、予定より早く亡くなることはある。しかし今回のケースは様子が違いそうだ。
(多重世界シンドローム発症者が抵抗すれば、死を回避することは可能でしょう。その前に止(とど)めを刺されたってことでしょうか?)
ミコトが言っていることが正しいなら、改変を行なった人物は標的を絞って意図的にそうしたということだろう。多重世界シンドローム発症者がその能力による重圧で自殺した例もあるにはあるが、今回の事例とは異なるだろうとあやめは考えた。
「綾瀬さまは努力しました。誰もあなた様を恨みはしませぬ。安心してくださいませ」
「うん……うん……でも、悔しいよぉ……《導き手(ラケシス)》であっても……この肝心なときに……最大の力を発揮できないなんて……!」
特別な力を持っていたとしても、それを制御できるだけの知識を持っていたとしても、現実は無慈悲に機会を奪うことがある。本当に必要なときに使えないことのほうがむしろ多いくらいだ。
「――ミコトよ、その考えは傲りだな」
「縁ちゃん……」
声を掛けてきたのは霧島縁だった。部屋の扉が開いている。廊下から話し声が聞こえたので出てきたのだろう。
「我々は無力だ。下界の人間にはできないことを少しだけ多くできるというだけの存在にすぎない」
指摘されたミコトはあやめの腕の中で身体を震わせる。
「霧島さま、なにもそんな言い方をしなくても……」
縁の暗い瞳があやめに向けられる。
「事実をそのまま述べているだけだが?」
きっぱりと告げる声はとても冷たい。
「それを告げることで傷付くこともあります。事実であっても、告げるのは今ではございませぬ」
あやめが返すと、縁は愉快そうに口の端を上げた。
「お。言うものだな」
「ワタシにだって意志はあります」
「ほう……従順な犬と同等かと思っていたが」
縁の台詞に、委員長(モイラ)の姿が思い出される。
――しかし、汝がそのようなことを申すとはな。我が手足のように忠実な者と思うていたのに――
同じことを言われている、あやめはそれに気付いて疑問に思う。それほどまでに自分はその意志を主張しなかったのだろうかと。そう見えていたのなら、何故今までのように振る舞えなくなってしまったのだろうかと。
「もう良いよ、あやめちゃん」
にらみ合いを続けていたあやめと縁であったが、ミコトが袖を引っ張りしわがれた声で言う。
「ですが……」
「ありがとう、あやめちゃん。もう大丈夫だよ」
抱きしめられていた腕をほどいて離れる。ミコトの顔は涙でぐちゃぐちゃになっていた。
「――出直すね」
涙を自分の袖で強引に拭うと、縁を一瞥して走り去った。
残されたあやめは、ミコトの後ろ姿を見送ると縁を見た。彼女は不機嫌そうな表情であやめをじっと見ている。
「霧島さまは冷たいと思います。今の彼女には優しい言葉が必要なはずです」
あやめは納得できない。泣いて悲しむ人間に、さらに追い詰めるようなことを平気で言う縁の神経が信じられない。
「優しく接することだけが友人の仕事ではない。ときには厳しく接することも必要だ」
「ですが」
それは理解できる。しかしこのタイミングで言うのはおかしいとあやめは感じるのだ。
縁は続ける。
「友だちだからこそ言わねばならないことがある。友だちだからこそ伝わる言葉がある」
「!」
冷たさの中に溶け込む縁の感情。氷の中に巧妙に隠された柔らかな炎。それが発せられた言葉に滲んでいる。
「甘やかすことが綾瀬ミコトのためになるとは思えない。優しく慰めるのは貴様のやり方で貴様の仕事だ。ならば私は厳しく接し、現実をつきつける役割を果たそう。それは貴様にはできないが、私にはできることだ」
言って、縁は背を向ける。
(……それでわざと? 冷たいと罵られようとも、相手のためならと?)
あやめは縁の本心を察し、責めるのはやめることにした。彼女には彼女の、自分には自分のやり方と役目があるのだと理解できたから。縁が、誤解されるようなことばかりしてしまう不器用な人間であることを再認識できたから。
「――少々お喋りが過ぎたな。忘れてくれ」
誰かのためなら、例え自分に不利益しかなくても率先して動ける人、それが霧島縁という人物なのだ。
「……それと、あやめ」
いつの間にか閉まっていた扉に手をかけたところでぽつりと縁は言う。
「はい」
「気をつけろ。貴家礼於にも伝えておけ」
「彼にも、ですか?」
唐突に貴家の名が出てきたので、あやめは首をかしげる。何を伝えるのかさえわからない。
「委員会(モイライ)内の雲行きが怪しい上に、綾瀬ミコトの件――何か良からぬことが起こるような気がする」
「気がする、とは、霧島さまらしからぬ発言ですね」
先を見通す力を所持する委員会(モイライ)の能力者たちの中でも、《紫の断ち切り手(アトロポス)》ほどの上位にいればより未来を知れる。ゆえに縁は確率が高い未来に従い言動を決めることがほとんどだと、下で働いているあやめは感じていた。だから断言せずに濁しながらも助言するようなことはなかった。確実性の低い話をするのを嫌っているからとばかり思っていたのだが、様子がおかしい。
「あぁ、全くだ。私とて気味が悪い。――だが、ここ最近、頻繁に未来が書き替わる。それも、あまり良くない方向にな。こんなに不安定だったのは――いや、これは機密情報だったな」
縁は小さく咳払いをする。
「私にも良くない影響が出ているようだ。こんなにもぺらぺらと喋ってしまうとは不愉快だ」
言って扉を開けると逃げ込むように室内に消えた。
(変化が起きたのはワタシだけではない……? そういえば――)
あやめは思い返す。
(今までに綾瀬さまがあれほどまで泣いたことはありましたでしょうか?)
仕えていた多重世界シンドローム発症者が急に亡くなったショックで泣き出したのだと理解していたが、それは本当に正しい解釈なのだろうか。
(これはどなたの意志? 委員長(モイラ)様の意志? それとも……?)
軽い目眩を感じ、あやめは額に手を当てる。
(疲れているせいですね……早く休みましょう)
縁に休むように言われていたのを思い出す。あやめは自分の部屋に向かって歩き出した。
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