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襲撃
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「典兎くん、ちょっと黙っていて」
耳元での囁きに、典兎は黙ったまま頷いてみせる。
(静かすぎる)
風もないでいて、ますます静かだ。真夏の陽射しは遠慮を知らずに肌を焼くが、空気はどこかひんやりとした冷たさを持っていた。
(なんだろう?)
ミコトは典兎の口元を塞いだまま、ただじっと様子を窺っている。何かが行き過ぎるのを待っているかのように。
ぶんっ!
無音だった世界に風を切る音が走る!
「こっちよ!」
ミコトが動く。
典兎は腕を引っ張られる形で、山の中に引きずり込まれる。
「えっ? ちょっと待って!」
今のはなんだと聞く前に、視界に異様なものが写った。それで典兎はそれがどんな存在なのか薄々感じ取る。
(……異形の者だ!)
ずんずんと山の奥へとミコトは進む。舗装された道からかなり外れた場所までやって来ていることに気付いて、典兎は別の意味でも不安になる。
やがて視界の良い開けた場所までやってきた。
「――追いかけっこはここで終わりよ!」
ミコトは典兎の腕を放すとくるりと身体をひねり、後方を向いたところで両腕を大きく開けた。
ぶおおおんっ!
ミコトの動作の直後に空気が唸り、一陣の風が辺りを駆ける!
まるで台風の中心にいるみたいに、典兎とミコトを中心にした嵐が去ると、右手にあった大木がめりっという音を立ててひしゃげた。
「……くっ……甘いな」
ひしゃげた巨木のうろからのっそりとした影が立ち上がるのを典兎は見た。地を這うような低い声はその影のものだ。
「――しかしなぜ、私に攻撃をした?」
頭らしき黒い塊を左右に軽く振りながら、影は問う。
「警告のつもりよ? これであなたを倒せるとは思っていないわ」
典兎をかばうようにして影との間に立ち、警戒を緩めずに返す。
「それが甘いというのだ」
影は低い声で笑う。声に合わせて大地が微かに揺れた。
「それで? 愚かな調停者のように、ひとまず御託を並べてみるかね?」
(――調停者?)
影の台詞に典兎は思うところがあった。ミコトがどんな顔をして聴いているのか見たかったが、典兎の位置は完全に彼女の背後になっているので窺い知ることができない。
「並べるほどの文句はないわよ。律儀に追いかけてきてくれたところを悪いけど、今回は見逃してくれない?」
「随分と上からものを言う小娘だ」
影は不機嫌そうに答える。
「――しかし、私の邪魔をしないと誓えるなら考えてもいいな」
その台詞に、典兎は安堵するどころか背筋を凍らせた。影の注意が自分に向けられたことを察知したのだ。
「――何のつもりよ?」
ミコトの頬を流れる汗が暑さからくるものではないことに典兎は気付く。彼女の手がわずかに震えていた。
「そこにいる少年に用事がある」
「ぼ……僕に?」
背中越しに典兎は影を見つめる。影は四、五メートル離れた場所に立ったまま動かない。
「そうだ。貴様だ。わかりやすいように貴様らの使う言語で語りかけてやっているのだ。理解できぬとは言わせまいぞ」
人型をしているその影は偉そうな態度できっぱりと告げる。
「な……何の用でしょう?」
恐る恐る問うと、影はフンッと息を吐いた。
「忌々しい調停者が私を追い出しにやってきたのだ。私にも理由というものがあるのに、アレはえらい頑固者でな。調停者を名乗っているくせに、全く聞く耳を持たぬ。――そこで貴様の手を借りたい」
「典兎くん、アイツの話を聞いちゃだめ」
「小娘は黙っておれ! 私はその少年と話しておるのだ!」
「きゃっ!」
腕らしき部分をひと振りすると、接触していないにも関わらずミコトだけが軽々と弾かれた。
「ちょっとぉ! 女のコには優しくしなさいよねっ! 威張りんぼジジイっ!」
勢いを殺すために地面を転がったミコトは起き上がりながら文句を言う。
(というか、先に問答無用で吹き飛ばしたのはミコトさんの方じゃ……)
もの凄い剣幕で罵るミコトに直接ツッコミを入れる勇気はなく、典兎は心の中で呟く。
「すっかり人間社会に馴染みおって。主に誇りはないのか?」
呆れたとばかりに影がたしなめる。しかしミコトは頬を膨らませて睨むだけで、返事をしなかった。
「やれやれ。私の回りにはわからず屋が多いようだな」
ため息が聞こえてきそうな様子で呟く影に、典兎は思わず同情する。
「――ノリトと言ったな。別に貴様にタダ働きを強要するつもりはない。私ができる範囲であるなら、貴様の願いを一つ、叶えてやろう」
「……願いを?」
ミコトの態度に気を取られていたせいで反応が遅れたが、影の誘いはとても魅力的だった。
「大したことはできんかも知れん。だが、できる限り希望にそえるよう努める用意はある。どうだ、やる気になったか?」
影の誘惑に典兎の心は揺らぐ。
(だけど、すぐに「はい」と答えていいものだろうか? やっぱり、慎重に答える必要があるよな……)
ミコトが反対する理由が掴めないものの、信頼する彼女の忠告を無視するわけにもいかず、まずは情報を引き出すべきだと典兎は思う。
「えっと……具体的に何をやればいいのかを説明していただかないことには……」
警戒心丸出しの典兎の質問に、影は豪快に笑った。
「ハッハッハ! 親を亡くしたばかりの子とは思えん台詞だな。そういう可愛いげのないところは貴様の親父さんにそっくりだ」
「――! 父さんを知っているんですか?」
顔いっぱいに驚きを表して、典兎は問う。影の意外な台詞に緊張が一気に解けていた。
「如何にも。義典が亡くなったと聞いて、私もまさかと疑った」
「そうでしたか……」
――両親の死の真相が知りたい。
典兎は心の奥底から自分の声が聞こえた。
(父さんたちに会いたいとは思わない。だけど、あの日に何があったのか、それを知る権利はあるはずだ)
典兎の瞳に強い意志が宿る。迷いの感じられない真っ直ぐな想いを持つ者の目。
典兎が何かを決意したことに気付いたミコトは慌てて間に入る。
「典兎くん、あたしの話を聞きなさい!」
「小娘!」
「あなたは異形の者と契約を交わすってことの重大さをわかっているの?」
影の制止を無視しての問いかけに、典兎ははっとする。
耳元での囁きに、典兎は黙ったまま頷いてみせる。
(静かすぎる)
風もないでいて、ますます静かだ。真夏の陽射しは遠慮を知らずに肌を焼くが、空気はどこかひんやりとした冷たさを持っていた。
(なんだろう?)
ミコトは典兎の口元を塞いだまま、ただじっと様子を窺っている。何かが行き過ぎるのを待っているかのように。
ぶんっ!
無音だった世界に風を切る音が走る!
「こっちよ!」
ミコトが動く。
典兎は腕を引っ張られる形で、山の中に引きずり込まれる。
「えっ? ちょっと待って!」
今のはなんだと聞く前に、視界に異様なものが写った。それで典兎はそれがどんな存在なのか薄々感じ取る。
(……異形の者だ!)
ずんずんと山の奥へとミコトは進む。舗装された道からかなり外れた場所までやって来ていることに気付いて、典兎は別の意味でも不安になる。
やがて視界の良い開けた場所までやってきた。
「――追いかけっこはここで終わりよ!」
ミコトは典兎の腕を放すとくるりと身体をひねり、後方を向いたところで両腕を大きく開けた。
ぶおおおんっ!
ミコトの動作の直後に空気が唸り、一陣の風が辺りを駆ける!
まるで台風の中心にいるみたいに、典兎とミコトを中心にした嵐が去ると、右手にあった大木がめりっという音を立ててひしゃげた。
「……くっ……甘いな」
ひしゃげた巨木のうろからのっそりとした影が立ち上がるのを典兎は見た。地を這うような低い声はその影のものだ。
「――しかしなぜ、私に攻撃をした?」
頭らしき黒い塊を左右に軽く振りながら、影は問う。
「警告のつもりよ? これであなたを倒せるとは思っていないわ」
典兎をかばうようにして影との間に立ち、警戒を緩めずに返す。
「それが甘いというのだ」
影は低い声で笑う。声に合わせて大地が微かに揺れた。
「それで? 愚かな調停者のように、ひとまず御託を並べてみるかね?」
(――調停者?)
影の台詞に典兎は思うところがあった。ミコトがどんな顔をして聴いているのか見たかったが、典兎の位置は完全に彼女の背後になっているので窺い知ることができない。
「並べるほどの文句はないわよ。律儀に追いかけてきてくれたところを悪いけど、今回は見逃してくれない?」
「随分と上からものを言う小娘だ」
影は不機嫌そうに答える。
「――しかし、私の邪魔をしないと誓えるなら考えてもいいな」
その台詞に、典兎は安堵するどころか背筋を凍らせた。影の注意が自分に向けられたことを察知したのだ。
「――何のつもりよ?」
ミコトの頬を流れる汗が暑さからくるものではないことに典兎は気付く。彼女の手がわずかに震えていた。
「そこにいる少年に用事がある」
「ぼ……僕に?」
背中越しに典兎は影を見つめる。影は四、五メートル離れた場所に立ったまま動かない。
「そうだ。貴様だ。わかりやすいように貴様らの使う言語で語りかけてやっているのだ。理解できぬとは言わせまいぞ」
人型をしているその影は偉そうな態度できっぱりと告げる。
「な……何の用でしょう?」
恐る恐る問うと、影はフンッと息を吐いた。
「忌々しい調停者が私を追い出しにやってきたのだ。私にも理由というものがあるのに、アレはえらい頑固者でな。調停者を名乗っているくせに、全く聞く耳を持たぬ。――そこで貴様の手を借りたい」
「典兎くん、アイツの話を聞いちゃだめ」
「小娘は黙っておれ! 私はその少年と話しておるのだ!」
「きゃっ!」
腕らしき部分をひと振りすると、接触していないにも関わらずミコトだけが軽々と弾かれた。
「ちょっとぉ! 女のコには優しくしなさいよねっ! 威張りんぼジジイっ!」
勢いを殺すために地面を転がったミコトは起き上がりながら文句を言う。
(というか、先に問答無用で吹き飛ばしたのはミコトさんの方じゃ……)
もの凄い剣幕で罵るミコトに直接ツッコミを入れる勇気はなく、典兎は心の中で呟く。
「すっかり人間社会に馴染みおって。主に誇りはないのか?」
呆れたとばかりに影がたしなめる。しかしミコトは頬を膨らませて睨むだけで、返事をしなかった。
「やれやれ。私の回りにはわからず屋が多いようだな」
ため息が聞こえてきそうな様子で呟く影に、典兎は思わず同情する。
「――ノリトと言ったな。別に貴様にタダ働きを強要するつもりはない。私ができる範囲であるなら、貴様の願いを一つ、叶えてやろう」
「……願いを?」
ミコトの態度に気を取られていたせいで反応が遅れたが、影の誘いはとても魅力的だった。
「大したことはできんかも知れん。だが、できる限り希望にそえるよう努める用意はある。どうだ、やる気になったか?」
影の誘惑に典兎の心は揺らぐ。
(だけど、すぐに「はい」と答えていいものだろうか? やっぱり、慎重に答える必要があるよな……)
ミコトが反対する理由が掴めないものの、信頼する彼女の忠告を無視するわけにもいかず、まずは情報を引き出すべきだと典兎は思う。
「えっと……具体的に何をやればいいのかを説明していただかないことには……」
警戒心丸出しの典兎の質問に、影は豪快に笑った。
「ハッハッハ! 親を亡くしたばかりの子とは思えん台詞だな。そういう可愛いげのないところは貴様の親父さんにそっくりだ」
「――! 父さんを知っているんですか?」
顔いっぱいに驚きを表して、典兎は問う。影の意外な台詞に緊張が一気に解けていた。
「如何にも。義典が亡くなったと聞いて、私もまさかと疑った」
「そうでしたか……」
――両親の死の真相が知りたい。
典兎は心の奥底から自分の声が聞こえた。
(父さんたちに会いたいとは思わない。だけど、あの日に何があったのか、それを知る権利はあるはずだ)
典兎の瞳に強い意志が宿る。迷いの感じられない真っ直ぐな想いを持つ者の目。
典兎が何かを決意したことに気付いたミコトは慌てて間に入る。
「典兎くん、あたしの話を聞きなさい!」
「小娘!」
「あなたは異形の者と契約を交わすってことの重大さをわかっているの?」
影の制止を無視しての問いかけに、典兎ははっとする。
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