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不可思議カフェ百鬼夜行の業務日誌【短編集】
九回目の悪夢の後に
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あの夢を見たのは、これで九回目だった。
荒い呼吸を整えていると、スタッフルームの戸が開く。戸から覗くまるいものが二つ、窓からの光を反射させる。
「獅子野(ししの)くん?」
「うわ……って、店長か」
休憩時間が過ぎているのにホールに戻らない俺を案じて様子を見に来てくれたらしかった。光っていたのは彼のまるい眼鏡だ。
「僕以外でこの扉を開くのはいないんじゃないかと思うが――顔色が優れないね。今日はもう帰るかい?」
「いや、あと二時間くらいだろ。問題ねえよ」
立ち上がってホールに向かおうとすると、店長に阻まれた。店長の方が俺よりも背が高いから鬱陶しく感じられる。俺は顔を上げて睨みつけた。
「あ? 仕事だろ」
「ツカレテイル」
軽く握った手を自身の口元に当てて、店長はふむと唸った。彼は俺を見ていない。
「疲れちゃいねえって。休憩時間に眠くなりがちでちょっとうたた寝しちまうけど、体調はすこぶる元気だ」
「取り憑かれているんだ」
「取り憑かれ……?」
店長が迫ってくるので後退りする。そんなに広くはないスタッフルームだ。やがてソファに足を取られてひっくり返った。
「おい」
店長の手が俺の肩のそばに置かれて、俺は逃げ場を失った。自身が小柄であることを恨めしく思う。
店長が俺の顔を覗き込んだ。
「――これで何回目かな?」
「ん……!」
尋ねられて、俺はハッとした。
これで十回目。
目を丸くしていると、店長は整った顔を困ったように歪めた。
「札をすぐに用意できないんだ。獅子野くんからしたら不本意だろうけれど、我慢だよ」
「待て、何する気だ?」
店長の体が前に傾く。彼の顔が俺の顔に近づいてきた。
「悪夢から目覚めるおまじないさ」
「こっちの方が悪夢だ!」
押し倒されるまでは同じ夢。何回目かと聞かれたのはこれが初めて。だが、襲われそうになっている展開は九回とも一緒なのだ。
拒もうと身をよじろうとして金縛りにあったように動けなくなっていることに気づく。店長からしたら俺の行動を封じるなんて造作ない。
キスされる!
俺はぎゅっと目をつむってやり過ごそうとした。
「怖くないよ」
そう囁く声がして、俺のまぶたに柔らかな温もりを感じる。
温もりが離れると同時に金縛りも解けたらしかった。俺は目を開けるなり飛び退いた。
「店長っ!」
「おや、元気そうだね」
上からはらりと札が落ちてくる。俺が後方の壁に飛び退いたのと同時に舞ったらしい。俺が思わず掴むと、冷たい炎がその札を焼いて消え去った。
ん? 札はないんじゃなかったのか?
「ずいぶんとうなされていた。気分はどうかな?」
俺が警戒しているからか、店長は困ったように笑った。
「ど、どこからどこまでが夢だったんだ?」
「さあ、僕に問われても」
夢を見ていたのは俺だから、干渉はできても内容までは把握できないということか。
室内は紅く薄暗い。とっくに黄昏時のようだ。つまり、閉店時間である。
押し倒されたのは、夢の中、か?
俺が状況把握のためにキョロキョロしているのを店長はほっとした様子で見守っている。
「――ただ、十回同じ夢を見ていたら、まずいことになっていた。夢の世界から戻って来られなかっただろうね」
「……マジかよ」
店長がホールに戻るので、俺は彼の後ろをついていく。
「どんな夢を見ていたかは語らない方がいい。また魅入られてしまう。そのときはもう僕じゃ救えないだろうから用心するんだよ」
「店長だったら救えるだろ」
「それは過剰評価だ」
「過小評価だろ」
すぐに俺が返すと、店長は不意にこちらを見やった。
「いやいや。夢の話を君が続けたいならすればいい。ただ、そのときは僕が君に《わからせる》必要が出てきてしまうからね。現実と夢の線引きはしておいたほうがいいんじゃないかと思うのだが」
ね、と念じるように告げて、彼は長い人差し指を自身の唇に当てた。
「……おう」
俺がどんな夢を見てうなされていたのか知ってんじゃねえか。
俺は頭を雑に掻いて、それ以上の言及は避けたのだった。
《終わり》
荒い呼吸を整えていると、スタッフルームの戸が開く。戸から覗くまるいものが二つ、窓からの光を反射させる。
「獅子野(ししの)くん?」
「うわ……って、店長か」
休憩時間が過ぎているのにホールに戻らない俺を案じて様子を見に来てくれたらしかった。光っていたのは彼のまるい眼鏡だ。
「僕以外でこの扉を開くのはいないんじゃないかと思うが――顔色が優れないね。今日はもう帰るかい?」
「いや、あと二時間くらいだろ。問題ねえよ」
立ち上がってホールに向かおうとすると、店長に阻まれた。店長の方が俺よりも背が高いから鬱陶しく感じられる。俺は顔を上げて睨みつけた。
「あ? 仕事だろ」
「ツカレテイル」
軽く握った手を自身の口元に当てて、店長はふむと唸った。彼は俺を見ていない。
「疲れちゃいねえって。休憩時間に眠くなりがちでちょっとうたた寝しちまうけど、体調はすこぶる元気だ」
「取り憑かれているんだ」
「取り憑かれ……?」
店長が迫ってくるので後退りする。そんなに広くはないスタッフルームだ。やがてソファに足を取られてひっくり返った。
「おい」
店長の手が俺の肩のそばに置かれて、俺は逃げ場を失った。自身が小柄であることを恨めしく思う。
店長が俺の顔を覗き込んだ。
「――これで何回目かな?」
「ん……!」
尋ねられて、俺はハッとした。
これで十回目。
目を丸くしていると、店長は整った顔を困ったように歪めた。
「札をすぐに用意できないんだ。獅子野くんからしたら不本意だろうけれど、我慢だよ」
「待て、何する気だ?」
店長の体が前に傾く。彼の顔が俺の顔に近づいてきた。
「悪夢から目覚めるおまじないさ」
「こっちの方が悪夢だ!」
押し倒されるまでは同じ夢。何回目かと聞かれたのはこれが初めて。だが、襲われそうになっている展開は九回とも一緒なのだ。
拒もうと身をよじろうとして金縛りにあったように動けなくなっていることに気づく。店長からしたら俺の行動を封じるなんて造作ない。
キスされる!
俺はぎゅっと目をつむってやり過ごそうとした。
「怖くないよ」
そう囁く声がして、俺のまぶたに柔らかな温もりを感じる。
温もりが離れると同時に金縛りも解けたらしかった。俺は目を開けるなり飛び退いた。
「店長っ!」
「おや、元気そうだね」
上からはらりと札が落ちてくる。俺が後方の壁に飛び退いたのと同時に舞ったらしい。俺が思わず掴むと、冷たい炎がその札を焼いて消え去った。
ん? 札はないんじゃなかったのか?
「ずいぶんとうなされていた。気分はどうかな?」
俺が警戒しているからか、店長は困ったように笑った。
「ど、どこからどこまでが夢だったんだ?」
「さあ、僕に問われても」
夢を見ていたのは俺だから、干渉はできても内容までは把握できないということか。
室内は紅く薄暗い。とっくに黄昏時のようだ。つまり、閉店時間である。
押し倒されたのは、夢の中、か?
俺が状況把握のためにキョロキョロしているのを店長はほっとした様子で見守っている。
「――ただ、十回同じ夢を見ていたら、まずいことになっていた。夢の世界から戻って来られなかっただろうね」
「……マジかよ」
店長がホールに戻るので、俺は彼の後ろをついていく。
「どんな夢を見ていたかは語らない方がいい。また魅入られてしまう。そのときはもう僕じゃ救えないだろうから用心するんだよ」
「店長だったら救えるだろ」
「それは過剰評価だ」
「過小評価だろ」
すぐに俺が返すと、店長は不意にこちらを見やった。
「いやいや。夢の話を君が続けたいならすればいい。ただ、そのときは僕が君に《わからせる》必要が出てきてしまうからね。現実と夢の線引きはしておいたほうがいいんじゃないかと思うのだが」
ね、と念じるように告げて、彼は長い人差し指を自身の唇に当てた。
「……おう」
俺がどんな夢を見てうなされていたのか知ってんじゃねえか。
俺は頭を雑に掻いて、それ以上の言及は避けたのだった。
《終わり》
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