友人ミナヅキの難解方程式

一花カナウ

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友達コドン

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 それはバレンタインデーに春一番を観測し、ホワイトデーに初雪を観測したその年度末の話だ。皆月が何かをやらかしたらしいことはその気象状況から明白だったものの、僕はちょうど卒業論文で忙しく、付き合っていた神崎に振られた直後とあって他人にかまっている余裕はなかった。
 だから卒業式の翌日に電話で呼び出されたときには驚いた。
「よう、皆月。どうしたんだ?」
 駅前の有名ドーナツ屋にて、なにやら難しい顔をしてカフェオレをすすっていた青年に声をかける。今日は休日。桜がぼちぼち咲いていて、この暖かな陽射しでさらに開花が促されそうな天気。こんな春らしい季節には不釣り合いな仏頂面の男は、春仕様として見慣れていたマスクをこのときはしていなかった。
「峰島がさ……」
(あぁ、あのコか)
 確か同棲を始めたとかどうとか言っていたっけな。大学からの付き合いで、卒業したあともその勢いで良い雰囲気のまま一緒に暮らしていたはずだ。去年の末にその当時カノジョであった神崎とともにお邪魔した記憶がある。
「どうしたって?」
 ノロケ話に続くような感じではない。よく見たら顔はぐずぐずである。花粉症以外にも原因はあるのだろうか。
「……出ていって戻ってきた」
「……? 話が見えてこないんだが」
 戻ってきたならそれで良いじゃないか。
「話せば長くなる。――必要ならコーヒーかカフェオレを奢るが」
「社会人やっているならもうちょっと良いもの食べながら話しても悪くないんじゃないか? 二十三にもなってドーナツ片手に語り合うもんでもないだろう?」
 皆月がどちらかというと甘党であるのは幼なじみである以上よく知っていることだ。とはいえ、これが僕たちの昔っからのスタイルで、カフェが酒に代わることはそんなになかった。
「昼間から酒は飲めないだろ?」
 皆月は立ち上がりながら洒落もなく答える。
「そりゃそうだ」
 僕は皆月が座っていた席の正面に腰を下ろすと肩をすくめて返す。
「んじゃ、コーヒーを」
「了解」

   * * * * *

 届けられたコーヒーを一口すする。とりわけ美味しいとも思えないが、飲み慣れた味には親しみがあってほっとする。
「で?」
 なごんでいる場合ではない。皆月がこうして僕を呼び出すということにはそれなりに意味があるはずだ。
「話せば長くなる」
「だからなんなんだよ?」
「話したくない」
「なら呼び出すな」
 いつもの自信満々の様子は微塵も感じられない。明日は嵐がやってくるとでもいうのだろうか。
「……無性に会いたくなった」
「気味の悪いことを言うなよ」
 僕の顔はひきつっていたことだろう。コーヒーの黒っぽい水面に僕の苦笑が映っていた。話したいかどうかと言えば、どう考えても皆月は僕に何か言いたいのだろう。家を出てしまった皆月と偶然出くわすなんてことはめっきりなくなったし、このドーナツ屋は僕たちの地元にあるにもかかわらず、わざわざそこを指定してきたのだ。なにかあると思って間違いない。
「――峰島さん、どうかしたのか?」
「……アイツ、俺に気を使って親父さんが体調を崩していたことを黙っていたんだ。急に『しばらく留守にします。訳は聞かないで』ってメールを寄越して音信不通。家にはバレンタインのために用意したらしいチョコが置きっぱなしになっていてさ。普通、なにごとかって思うだろう?」
「――よく僕にちょっかい出さずにいられたな」
「卒論で大変だろうと俺なりに気を使ってみただけだ」
 そりゃあ珍しい。ゴーイング・マイ・ウェイな彼にしてみれば奇跡的な出来事だ。それだけ成長したってことか?
「それでどうした?」
「彼女の実家にまずは連絡したさ。俺は峰島を預かっている立場だからな。何かあったらまずいし、事情を知っているかもしれないだろう?」
「だな」
 僕はこくりと頷く。
「ところがこれが連絡つかない。――あとで知ったことだが、峰島の一家は親父さんの看病のために病院に泊まりこんでいたらしい。峰島自身は家に残ってお袋さんを手伝っていたんだと。もちろん仕事しながらね」
(へぇ、なかなか彼女、できるんじゃないか)
「で、無事に退院してくることができたので峰島は俺のところに戻ってきた。それがホワイトデーの話だ」
 意外と早くあらすじは終わったな。僕はコーヒーを優雅にすする。
「――人生って二重螺旋構造みたいなもんかな」
「二重螺旋構造? 遺伝子の?」
「そう」
 いきなり何の話だ?僕がきょとんとしていると皆月は続ける。
「必ず二つで一つになる」
「AGCTでそれぞれペアが決まっているんだったか」
 大学では生物の選択をしなかったが、高校で習ったのでよく覚えている。どれとどれが対になっていたのかは忘れてしまったけど。
「なんというかさ、人間にも何処かにはぴたっと一致する相手がいるもんだと思うんだ」
「まぁ、人類もかなりの人数がいるからな」
 一人の人間が一生かかって出会える人間の数はどのくらいなのだろうか、なんてことをふと思う。
「今回の件で、俺は感じたんだ。彼女こそ対となる相手なんだと」
「結局ノロケかよ」
 鼻をズルズルさせながらじゃ、あんまり格好がつかないけどな。
「で、ここらでけじめをつけて、籍を入れようと思う」
 僕の突っ込みは無視かよ。
「……話は終わりか?」
 カップをテーブルに静かに置いて一言。
「実は指輪も買った」
「早いな」
 なんだ? 結婚の報告をしたかっただけなのか?
「……なんつーかさ、俺は思ったんだよ。峰島のヤツ、俺に心配かけさせたくないって考えて知らせなかったらしいんだ。だけどさ、峰島の親父さんはいずれは俺の義父になる人だろう? 隠すなんて水くさいって言ったんだ」
 もはやプロポーズだな。
「そしたらさ――だったら、指輪くらい買ってきたらどうなのって返された」
 しかも即オーケーかよ。
「あぁ、それで指輪を用意したわけか」
「そういうことだ」
 皆月はおかわり済みのカフェオレをすする。
「報告はそれで終わりか?」
「そっちはその後、どうなんだ?」
「珍しいな。僕の近況を気にするなんて」
 僕は話をはぐらかす。別れたのはもう二ヶ月くらい前になるが、まだちょっとだけ引きずっていた。
「神崎さんとはどうなったのさ? 卒業したら、なかなか会いにくくなるだろう?」
 大学時代に付き合い始めて、就職した途端にダメになるカップルは少なくないらしい。僕の場合はそれ以前の話だが。
「別れた」
「ふぅん……」
 決まりが悪そうな感じに皆月は視線をはずす。なんというか、皆月は変わったみたいだ。世界征服をするのが目標だと言っていた高校時代が懐かしい。ま、社会人になったにもかかわらず、そんなことを言っているようでは問題あるかもしれないけども。
「振ったのか?」
「振られたよ」
 ぼそっと皆月が呟いたので僕は返事をする。ふと僕は視線を外に向けた。ここから見える駐車場に車はまばらだった。
「――彼女にとって、僕は最良の相手ではなかったらしい。塩基の配列が違ったんだろうな。神崎が別れを切り出したとき、無理して付き合い続けるのは互いによくないからって、それきりにした」
「RNAになったときに配列が変化してしまったのかもな」
「どうだろうね。元から合っていなかったのかもしれないし」
 僕はため息をつく。
「……悪かったな。そんな気分のときにこんな話をしてさ」
 皆月が謝るとは滅多にないことだ。しかも理由がそれだろう? 僕は明日の天気の心配をした。
「いーさ。新しい門出に合わせて仕切り直しってことで」
 僕は皆月に視線を戻す。
「皆月周辺が平和ならこれ以上の喜びはないさ」
 少なくとも、天気は安定するからな。
「結婚式の日取りが決まったら、連絡するよ」
 皆月は立ち上がる。
「今日はあっさりしたものだな」
 僕が少し不機嫌っぽく言ってやると、皆月はくっくっと笑った。なんだよ?
「いや、さ。マスクを忘れるくらい、どっか気持ちが浮かれていたみたいだからな。ここらで出直すわ。もっと嫌味を言われるかと期待していたのに、お前がそんな調子じゃ張り合いがない。元気を出せ」
「励まされても嬉しくないぞ」
 ちょっとばっかし膨れて、僕は視線だけそらす。昔から皆月は要領が良かった。なんでもそつなくこなして見せた。性格にちょっとアレな部分があったけども、先生ウケは良かったし、テストの成績も良かったし、大学受験も就職活動もすんなりこなしていた。ケンカも強かったし、彼女はちゃっかりそばに置いているし、仕事はそれなりに順調らしい。
 ――僕ではそんなふうにいかない。テストをやればどんなに頑張っても中の上、受験は一浪したし、就活も夏の終わりまで全然決まらなかった。カノジョは出来ても振られるし、来週から勤めることになる仕事場での生活にも不安が残る。正直、皆月がうらやましい。嫉妬していても仕方がないことだけどさ。
「次は酒でも飲むか。就職祝いにおごってやってもいいぞ」
「皆月が気前の良いことを言い出すとろくなことがないから遠慮する」
 よいせと僕も立ち上がる。話が終わったなら家に帰るとするか。
「勿体無いなぁ。一生ないかもしれないぞ?」
「とーぶんこっちに戻ってきそうにないからね」
 部屋の片付けをそろそろ終えないとまずい頃だし。
「……どういう意味だ?」
 僕が見ると、皆月は怪訝そうに眉を寄せていた。そういえば話していなかったっけ。
「研修で半年ほど地方に行くんだ。どうでもいいことだと思って黙っていたんだけどさ」
 社員寮に閉じ込められてみっちり仕込まれるらしい。退屈そうだ。
「なんだよ、水くさい」
「お前も気がついたら家を出て同棲していたろう?」
「……まぁそうだが」
 なんとなく寂しげに見えた。今までにこんな表情を見せたことがあっただろうか。
「――住所、決まったらメールしてくれ。招待状送るから」
「そんなに早いのか?」
「峰島の親父さんが元気なうちに済ませておきたいからな」
 なるほど、事情が事情なのか。
「大変だな」
「そっちも同じだろう?」
 僕のねぎらいの言葉はそのまま返ってきた。
(僕なんてたいしたことないさ)
「まぁね」
 大げさに肩をすくめて見せる。慌ててみても仕方がない。僕は僕なりにマイペースでいこう。
「――んじゃ、また」
 皆月は僕がそれなりに回復したらしいことを確認すると、片手を小さく上げてからドーナツ屋を去った。一緒に店を出ても良かったのだが、なんとなくタイミングを逃してしまって僕は見送ってしまう。そこでコーヒーをおかわりして椅子に腰を下ろした。
(僕と対になる塩基なんているのかな)
 コーヒーをすすりながら窓の外、青く澄んだ空を見つめる。
(少なくともさ、皆月。僕の塩基の友達コドンはお前が一番しっくりくるよ)
 そんなことを考えて小さく笑うと、僕はコーヒーを飲み干して店を出たのだった。
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