友人ミナヅキの難解方程式

一花カナウ

文字の大きさ
6 / 6

友達コドン

しおりを挟む
 それはバレンタインデーに春一番を観測し、ホワイトデーに初雪を観測したその年度末の話だ。皆月が何かをやらかしたらしいことはその気象状況から明白だったものの、僕はちょうど卒業論文で忙しく、付き合っていた神崎に振られた直後とあって他人にかまっている余裕はなかった。
 だから卒業式の翌日に電話で呼び出されたときには驚いた。
「よう、皆月。どうしたんだ?」
 駅前の有名ドーナツ屋にて、なにやら難しい顔をしてカフェオレをすすっていた青年に声をかける。今日は休日。桜がぼちぼち咲いていて、この暖かな陽射しでさらに開花が促されそうな天気。こんな春らしい季節には不釣り合いな仏頂面の男は、春仕様として見慣れていたマスクをこのときはしていなかった。
「峰島がさ……」
(あぁ、あのコか)
 確か同棲を始めたとかどうとか言っていたっけな。大学からの付き合いで、卒業したあともその勢いで良い雰囲気のまま一緒に暮らしていたはずだ。去年の末にその当時カノジョであった神崎とともにお邪魔した記憶がある。
「どうしたって?」
 ノロケ話に続くような感じではない。よく見たら顔はぐずぐずである。花粉症以外にも原因はあるのだろうか。
「……出ていって戻ってきた」
「……? 話が見えてこないんだが」
 戻ってきたならそれで良いじゃないか。
「話せば長くなる。――必要ならコーヒーかカフェオレを奢るが」
「社会人やっているならもうちょっと良いもの食べながら話しても悪くないんじゃないか? 二十三にもなってドーナツ片手に語り合うもんでもないだろう?」
 皆月がどちらかというと甘党であるのは幼なじみである以上よく知っていることだ。とはいえ、これが僕たちの昔っからのスタイルで、カフェが酒に代わることはそんなになかった。
「昼間から酒は飲めないだろ?」
 皆月は立ち上がりながら洒落もなく答える。
「そりゃそうだ」
 僕は皆月が座っていた席の正面に腰を下ろすと肩をすくめて返す。
「んじゃ、コーヒーを」
「了解」

   * * * * *

 届けられたコーヒーを一口すする。とりわけ美味しいとも思えないが、飲み慣れた味には親しみがあってほっとする。
「で?」
 なごんでいる場合ではない。皆月がこうして僕を呼び出すということにはそれなりに意味があるはずだ。
「話せば長くなる」
「だからなんなんだよ?」
「話したくない」
「なら呼び出すな」
 いつもの自信満々の様子は微塵も感じられない。明日は嵐がやってくるとでもいうのだろうか。
「……無性に会いたくなった」
「気味の悪いことを言うなよ」
 僕の顔はひきつっていたことだろう。コーヒーの黒っぽい水面に僕の苦笑が映っていた。話したいかどうかと言えば、どう考えても皆月は僕に何か言いたいのだろう。家を出てしまった皆月と偶然出くわすなんてことはめっきりなくなったし、このドーナツ屋は僕たちの地元にあるにもかかわらず、わざわざそこを指定してきたのだ。なにかあると思って間違いない。
「――峰島さん、どうかしたのか?」
「……アイツ、俺に気を使って親父さんが体調を崩していたことを黙っていたんだ。急に『しばらく留守にします。訳は聞かないで』ってメールを寄越して音信不通。家にはバレンタインのために用意したらしいチョコが置きっぱなしになっていてさ。普通、なにごとかって思うだろう?」
「――よく僕にちょっかい出さずにいられたな」
「卒論で大変だろうと俺なりに気を使ってみただけだ」
 そりゃあ珍しい。ゴーイング・マイ・ウェイな彼にしてみれば奇跡的な出来事だ。それだけ成長したってことか?
「それでどうした?」
「彼女の実家にまずは連絡したさ。俺は峰島を預かっている立場だからな。何かあったらまずいし、事情を知っているかもしれないだろう?」
「だな」
 僕はこくりと頷く。
「ところがこれが連絡つかない。――あとで知ったことだが、峰島の一家は親父さんの看病のために病院に泊まりこんでいたらしい。峰島自身は家に残ってお袋さんを手伝っていたんだと。もちろん仕事しながらね」
(へぇ、なかなか彼女、できるんじゃないか)
「で、無事に退院してくることができたので峰島は俺のところに戻ってきた。それがホワイトデーの話だ」
 意外と早くあらすじは終わったな。僕はコーヒーを優雅にすする。
「――人生って二重螺旋構造みたいなもんかな」
「二重螺旋構造? 遺伝子の?」
「そう」
 いきなり何の話だ?僕がきょとんとしていると皆月は続ける。
「必ず二つで一つになる」
「AGCTでそれぞれペアが決まっているんだったか」
 大学では生物の選択をしなかったが、高校で習ったのでよく覚えている。どれとどれが対になっていたのかは忘れてしまったけど。
「なんというかさ、人間にも何処かにはぴたっと一致する相手がいるもんだと思うんだ」
「まぁ、人類もかなりの人数がいるからな」
 一人の人間が一生かかって出会える人間の数はどのくらいなのだろうか、なんてことをふと思う。
「今回の件で、俺は感じたんだ。彼女こそ対となる相手なんだと」
「結局ノロケかよ」
 鼻をズルズルさせながらじゃ、あんまり格好がつかないけどな。
「で、ここらでけじめをつけて、籍を入れようと思う」
 僕の突っ込みは無視かよ。
「……話は終わりか?」
 カップをテーブルに静かに置いて一言。
「実は指輪も買った」
「早いな」
 なんだ? 結婚の報告をしたかっただけなのか?
「……なんつーかさ、俺は思ったんだよ。峰島のヤツ、俺に心配かけさせたくないって考えて知らせなかったらしいんだ。だけどさ、峰島の親父さんはいずれは俺の義父になる人だろう? 隠すなんて水くさいって言ったんだ」
 もはやプロポーズだな。
「そしたらさ――だったら、指輪くらい買ってきたらどうなのって返された」
 しかも即オーケーかよ。
「あぁ、それで指輪を用意したわけか」
「そういうことだ」
 皆月はおかわり済みのカフェオレをすする。
「報告はそれで終わりか?」
「そっちはその後、どうなんだ?」
「珍しいな。僕の近況を気にするなんて」
 僕は話をはぐらかす。別れたのはもう二ヶ月くらい前になるが、まだちょっとだけ引きずっていた。
「神崎さんとはどうなったのさ? 卒業したら、なかなか会いにくくなるだろう?」
 大学時代に付き合い始めて、就職した途端にダメになるカップルは少なくないらしい。僕の場合はそれ以前の話だが。
「別れた」
「ふぅん……」
 決まりが悪そうな感じに皆月は視線をはずす。なんというか、皆月は変わったみたいだ。世界征服をするのが目標だと言っていた高校時代が懐かしい。ま、社会人になったにもかかわらず、そんなことを言っているようでは問題あるかもしれないけども。
「振ったのか?」
「振られたよ」
 ぼそっと皆月が呟いたので僕は返事をする。ふと僕は視線を外に向けた。ここから見える駐車場に車はまばらだった。
「――彼女にとって、僕は最良の相手ではなかったらしい。塩基の配列が違ったんだろうな。神崎が別れを切り出したとき、無理して付き合い続けるのは互いによくないからって、それきりにした」
「RNAになったときに配列が変化してしまったのかもな」
「どうだろうね。元から合っていなかったのかもしれないし」
 僕はため息をつく。
「……悪かったな。そんな気分のときにこんな話をしてさ」
 皆月が謝るとは滅多にないことだ。しかも理由がそれだろう? 僕は明日の天気の心配をした。
「いーさ。新しい門出に合わせて仕切り直しってことで」
 僕は皆月に視線を戻す。
「皆月周辺が平和ならこれ以上の喜びはないさ」
 少なくとも、天気は安定するからな。
「結婚式の日取りが決まったら、連絡するよ」
 皆月は立ち上がる。
「今日はあっさりしたものだな」
 僕が少し不機嫌っぽく言ってやると、皆月はくっくっと笑った。なんだよ?
「いや、さ。マスクを忘れるくらい、どっか気持ちが浮かれていたみたいだからな。ここらで出直すわ。もっと嫌味を言われるかと期待していたのに、お前がそんな調子じゃ張り合いがない。元気を出せ」
「励まされても嬉しくないぞ」
 ちょっとばっかし膨れて、僕は視線だけそらす。昔から皆月は要領が良かった。なんでもそつなくこなして見せた。性格にちょっとアレな部分があったけども、先生ウケは良かったし、テストの成績も良かったし、大学受験も就職活動もすんなりこなしていた。ケンカも強かったし、彼女はちゃっかりそばに置いているし、仕事はそれなりに順調らしい。
 ――僕ではそんなふうにいかない。テストをやればどんなに頑張っても中の上、受験は一浪したし、就活も夏の終わりまで全然決まらなかった。カノジョは出来ても振られるし、来週から勤めることになる仕事場での生活にも不安が残る。正直、皆月がうらやましい。嫉妬していても仕方がないことだけどさ。
「次は酒でも飲むか。就職祝いにおごってやってもいいぞ」
「皆月が気前の良いことを言い出すとろくなことがないから遠慮する」
 よいせと僕も立ち上がる。話が終わったなら家に帰るとするか。
「勿体無いなぁ。一生ないかもしれないぞ?」
「とーぶんこっちに戻ってきそうにないからね」
 部屋の片付けをそろそろ終えないとまずい頃だし。
「……どういう意味だ?」
 僕が見ると、皆月は怪訝そうに眉を寄せていた。そういえば話していなかったっけ。
「研修で半年ほど地方に行くんだ。どうでもいいことだと思って黙っていたんだけどさ」
 社員寮に閉じ込められてみっちり仕込まれるらしい。退屈そうだ。
「なんだよ、水くさい」
「お前も気がついたら家を出て同棲していたろう?」
「……まぁそうだが」
 なんとなく寂しげに見えた。今までにこんな表情を見せたことがあっただろうか。
「――住所、決まったらメールしてくれ。招待状送るから」
「そんなに早いのか?」
「峰島の親父さんが元気なうちに済ませておきたいからな」
 なるほど、事情が事情なのか。
「大変だな」
「そっちも同じだろう?」
 僕のねぎらいの言葉はそのまま返ってきた。
(僕なんてたいしたことないさ)
「まぁね」
 大げさに肩をすくめて見せる。慌ててみても仕方がない。僕は僕なりにマイペースでいこう。
「――んじゃ、また」
 皆月は僕がそれなりに回復したらしいことを確認すると、片手を小さく上げてからドーナツ屋を去った。一緒に店を出ても良かったのだが、なんとなくタイミングを逃してしまって僕は見送ってしまう。そこでコーヒーをおかわりして椅子に腰を下ろした。
(僕と対になる塩基なんているのかな)
 コーヒーをすすりながら窓の外、青く澄んだ空を見つめる。
(少なくともさ、皆月。僕の塩基の友達コドンはお前が一番しっくりくるよ)
 そんなことを考えて小さく笑うと、僕はコーヒーを飲み干して店を出たのだった。
しおりを挟む
感想 0

この作品の感想を投稿する

あなたにおすすめの小説

今更気付いてももう遅い。

ユウキ
恋愛
ある晴れた日、卒業の季節に集まる面々は、一様に暗く。 今更真相に気付いても、後悔してももう遅い。何もかも、取り戻せないのです。

後宮の胡蝶 ~皇帝陛下の秘密の妃~

菱沼あゆ
キャラ文芸
 突然の譲位により、若き皇帝となった苑楊は封印されているはずの宮殿で女官らしき娘、洋蘭と出会う。  洋蘭はこの宮殿の牢に住む老人の世話をしているのだと言う。  天女のごとき外見と豊富な知識を持つ洋蘭に心惹かれはじめる苑楊だったが。  洋蘭はまったく思い通りにならないうえに、なにかが怪しい女だった――。  中華後宮ラブコメディ。

冷遇妃マリアベルの監視報告書

Mag_Mel
ファンタジー
シルフィード王国に敗戦国ソラリから献上されたのは、"太陽の姫"と讃えられた妹ではなく、悪女と噂される姉、マリアベル。 第一王子の四番目の妃として迎えられた彼女は、王宮の片隅に追いやられ、嘲笑と陰湿な仕打ちに晒され続けていた。 そんな折、「王家の影」は第三王子セドリックよりマリアベルの監視業務を命じられる。年若い影が記す報告書には、ただ静かに耐え続け、死を待つかのように振舞うひとりの女の姿があった。 王位継承争いと策謀が渦巻く王宮で、冷遇妃の運命は思わぬ方向へと狂い始める――。 (小説家になろう様にも投稿しています)

後日譚追加【完結】冤罪で追放された俺、真実の魔法で無実を証明したら手のひら返しの嵐!! でももう遅い、王都ごと見捨てて自由に生きます

なみゆき
ファンタジー
魔王を討ったはずの俺は、冤罪で追放された。 功績は奪われ、婚約は破棄され、裏切り者の烙印を押された。 信じてくれる者は、誰一人いない——そう思っていた。 だが、辺境で出会った古代魔導と、ただ一人俺を信じてくれた彼女が、すべてを変えた。 婚礼と処刑が重なるその日、真実をつきつけ、俺は、王都に“ざまぁ”を叩きつける。 ……でも、もう復讐には興味がない。 俺が欲しかったのは、名誉でも地位でもなく、信じてくれる人だった。 これは、ざまぁの果てに静かな勝利を選んだ、元英雄の物語。

愛してやまなかった婚約者は俺に興味がない

了承
BL
卒業パーティー。 皇子は婚約者に破棄を告げ、左腕には新しい恋人を抱いていた。 青年はただ微笑み、一枚の紙を手渡す。 皇子が目を向けた、その瞬間——。 「この瞬間だと思った。」 すべてを愛で終わらせた、沈黙の恋の物語。   IFストーリーあり 誤字あれば報告お願いします!

【完結】兄の事を皆が期待していたので僕は離れます

まりぃべる
ファンタジー
一つ年上の兄は、国の為にと言われて意気揚々と村を離れた。お伽話にある、奇跡の聖人だと幼き頃より誰からも言われていた為、それは必然だと。 貧しい村で育った弟は、小さな頃より家の事を兄の分までせねばならず、兄は素晴らしい人物で対して自分は凡人であると思い込まされ、自分は必要ないのだからと弟は村を離れる事にした。 そんな弟が、自分を必要としてくれる人に会い、幸せを掴むお話。 ☆まりぃべるの世界観です。緩い設定で、現実世界とは違う部分も多々ありますがそこをあえて楽しんでいただけると幸いです。 ☆現実世界にも同じような名前、地名、言葉などがありますが、関係ありません。

私に告白してきたはずの先輩が、私の友人とキスをしてました。黙って退散して食事をしていたら、ハイスペックなイケメン彼氏ができちゃったのですが。

石河 翠
恋愛
飲み会の最中に席を立った主人公。化粧室に向かった彼女は、自分に告白してきた先輩と自分の友人がキスをしている現場を目撃する。 自分への告白は、何だったのか。あまりの出来事に衝撃を受けた彼女は、そのまま行きつけの喫茶店に退散する。 そこでやけ食いをする予定が、美味しいものに満足してご機嫌に。ちょっとしてネタとして先ほどのできごとを話したところ、ずっと片想いをしていた相手に押し倒されて……。 好きなひとは高嶺の花だからと諦めつつそばにいたい主人公と、アピールし過ぎているせいで冗談だと思われている愛が重たいヒーローの恋物語。 この作品は、小説家になろう及びエブリスタでも投稿しております。 扉絵は、写真ACよりチョコラテさまの作品をお借りしております。

9時から5時まで悪役令嬢

西野和歌
恋愛
「お前は動くとロクな事をしない、だからお前は悪役令嬢なのだ」 婚約者である第二王子リカルド殿下にそう言われた私は決意した。 ならば私は願い通りに動くのをやめよう。 学園に登校した朝九時から下校の夕方五時まで 昼休憩の一時間を除いて私は椅子から動く事を一切禁止した。 さあ望むとおりにして差し上げました。あとは王子の自由です。 どうぞ自らがヒロインだと名乗る彼女たちと仲良くして下さい。 卒業パーティーもご自身でおっしゃった通りに、彼女たちから選ぶといいですよ? なのにどうして私を部屋から出そうとするんですか? 嫌です、私は初めて自分のためだけの自由の時間を手に入れたんです。 今まで通り、全てあなたの願い通りなのに何が不満なのか私は知りません。 冷めた伯爵令嬢と逆襲された王子の話。 ☆別サイトにも掲載しています。 ※感想より続編リクエストがありましたので、突貫工事並みですが、留学編を追加しました。 これにて完結です。沢山の皆さまに感謝致します。

処理中です...