とかい暮らし

milme

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ーその夜は全くもって面白くなかった。

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わたしは足を縺れさせながらも急ぎ足で自宅を目指し歩いていた。
横断歩道で行く手を阻まれても足踏みを止めることはなく、寧ろその時のわたしとしては走っていたに近かった。
しかし美味しいワインに満ち満ちたわたしの身体は、右脳や左脳も全てがだらしなく言うことを聞かない。
早く温かいベッドに潜り込みたい。
その考えだけが腑抜け寸前のわたしを辛うじて機能させていた。

乱暴に鍵を差し込みマンションのエントランスドアを抜けてエレベーターに乗り込むと二階、三階、と刻み始め五階で扉が開く。
途端にまた冷たい空気を感じたわたしは焦点の合わない目で空を見上げながら大きく息を吸い込んだ。
肺を冷たい気持ちで充満させるとより一層自分自身の生の生温さを感じた。

「気持ち悪い…」

部屋に入るなり靴も脱がずにトイレへと向かい自分の喉の奥に指を突き刺した。手の甲に血が滲む。
わたしの身体は生傷が絶えないが、それは全てアルコールによる所業なので痛みを感じたことは無い。
傷はまるで魔法のようにパッと現れるのだ。
わたしはその傷に宇宙を見てしまう。痣の青や黄色に銀河を見てしまう。
熱いシャワーを浴びても視界は相変わらず回っている。
回る世界に抵抗することもなく、わたしはタオルを巻いたままベッドに倒れ込みそのまま落ちた。

そして翌朝、わたしは異常な渇きに目を覚まし冷蔵庫から炭酸水を取り出すとこれでもかと身体に注ぎ込んだ。
そしてもう一度布団の中で昨夜のことを考えてみる。

「いや、彼女いるから……」

「わかってますよ。」

「そういうつもりじゃ…」

「わかりますよ。」

「でも抵抗しないんですね。彼女さんいるのに、キスはいいんですか?」

わたしとその男は駅近くのバルでイタリア、フランス、チリ、カリフォルニア、あらゆるワインに舌鼓を打っていた。わたしはオリーブさえあれば幾らでも飲めてしまう。
そしてわたしたちは話題に上がった映画のDVDでも観ようと盛り上がり、ちゃんと思考能力を低下させてから漫画喫茶に入ったのだ。
わたしはこの狭くて暗くて苦しい空間が気に入っている。
どんなに理性が働いて離れようと努力しても、必ず身体のどこかがわずかに相手に触れるからである。
そのいじらしい距離と互いを焦らし合う張り詰めた空気が好きなのだ。
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