君の知らない物語

こうらい ゆあ

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10.海の光

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 涼がバスケ部に行けないまま、夏休みがやってきた。
 学校は静まり返り、図書室解放日だけが僕の学校に来る理由になった。

 解放日と言っても、朝の10時から15時までのわずか5時間だけ。
 時々、自習に来る生徒がいるけど、ほとんどの人は部活や遊びに出かけている。
 図書室はひっそりとしていて、遠くから聞こえる波の音と、窓から差し込む夏の陽射しだけが、静かな部屋を満たしている。
 窓の外では、夏の陽射しが校庭の芝を照らし、遠くの海が青く輝く。
 カーテンがそよぐ音が、波の音と混ざり、部屋に穏やかな空気を運ぶ。
 本棚の隙間を通り抜ける光が、カウンターの木の表面に淡い模様を描き、静寂が僕の心を落ち着かせる。

 だが、その静けさが、最近はどこか重く感じる。
 涼は、僕が担当の解放日だけ、相変わらず制服姿で図書準備室にやってくる。
 シャツのボタンがひとつ外れ、ネクタイを緩めた姿で、カウンターの下に潜り込む。
 膝を抱え、顔を伏せて、ただ静かにそこにいる。
 彼の乱れた制服が、夏の陽射しに照らされて白く光る。
 緩んだネクタイがカウンターの端に触れ、静かな呼吸が部屋の空気に溶け込む。

 部活の話は一切しない。
 いつもみたいに「続き、書けた?」と聞いてくることも減り、ただ黙って僕のそばにいる。
 涼の沈黙が、図書準備室の静けさを一層重くする。
 彼の肩が小さく縮こまり、伏せた顔が夏の光に照らされる。

 涼の暗い表情を見ると、胸がちくちくと痛む。
 どうして部活に行かないの?
 どうしてそんな顔をするの?
 聞きたいけど、聞けない。
 
 涼は、夏休みなってもまともに眠れていないのか、目の下のクマが前よりも濃くなっているような気がした。
 教室で見た彼の無理な笑顔が、頭に浮かび、胸を締め付ける。
 
 僕は静かにノートを開き、物語を書き進める。
 主人公のノアは、光の精霊ルシアンの手を引いて、海岸に面した洞窟に連れ出した。
 そこは、ルシアンがノアを最初に連れて行ってくれた場所。
 真っ暗な洞窟内に足を踏み入れると、岩がぽわっと青白い光を放つ。
『ノア、この岩には光の妖精の欠片が埋まっているんだ』
 ルシアンはどこか寂しそうに言っていた。
『オレもいつか、この光のひとつになる』
 あのとき、ルシアンが何を言っているのか、ノアにはわからなかった。
 でも……。
 ノアの言葉が、ノートに綴られたまま止まる。

 ルシアンの寂しげな声が、涼の沈んだ表情と重なってペンが動かなくなる。
 この先を書こうとすると、胸の奥がチクチクと痛んで、文字を書くことができない。
 ノアは、どうするんだろう。
 ルシアンの光はどんどん小さくなっていく。
 助けたいのに、何か手伝いたいのに、ノアには何もできない。
 僕も、同じだ。
 涼の心が遠くに行ってしまう気がして、怖い。
 どうすれば、涼は部活に戻れるんだろう。
 このまま、バスケをやめてしまうのかな……。
 物語の続きを考えるたび、涼の伏せた顔が頭に浮かんできて、ルシアンの顔と重なる。
 ノアの無力感が、僕の心と重なり、言葉にするのが怖い。
 バスケ部の練習を休む涼の姿が、胸に重い影を落としていく。
 
「涼……大丈夫?」
 ある日、勇気を振り絞って聞いてみる。
 涼は僕の問いに小さく首を振る。
 「大丈夫」と呟く声は、どこか空っぽで、いつもみたいなキラキラした光がない。
 心臓がぎゅっと締め付けられる。
 涼がこんなふうに、僕のそばにいるのに、こんなに遠く感じるなんて。

 窓の外では、海が夏の陽射しを映してキラキラと光っている。
 遠くから聞こえる波の音が、僕の心をそっと揺らす。
 あの海を、もっと近くで見たい。
 涼と一緒に、あの光の中に行けたら、涼の気持ちが少しでも晴れてくれるかもしれない。
 夏の陽射しが海を青く照らし、波の音が遠くから響く。
 窓から差し込む光が、カウンターに淡い影を落とし、涼の伏せた顔を静かに照らす。
 
「ねぇ、涼。明日、一緒に海に行かない?」
 思わず口をついて出た言葉に、自分でも驚く。
 涼が顔を上げ、僕をじっと見つめる。
 いつもならキラキラした目が、今日は少し曇っている。
 一瞬驚いた顔をしたけど、涼はゆっくりと頷いてくれた。
 「……うん、いいよ」と小さく呟く声に、僕は胸がドキドキと速く鳴る。
 涼が、行ってくれる。
 僕と一緒に、海に行ってくれる。
 涼がカウンターのしたから少しだけ出てきて、僕の顔を見つめる。
 窓から入ってきた夏の陽射しが、涼の顔に当たり、眩しそうに眼を細めている。

 ずっと影の中に隠れていた涼が、僕の誘いで出て来てくれた。
「ホント?じゃあ、明日は海行きのバス停前で待ち合わせだね」
 僕たち以外だれもいない図書室で、そっと涼に話しかける。

 涼は、吐息を漏らした後、僕の指先を返事をするようにそっと握ってくれる。
「……涼?」
 僕が名前を呼ぶと、眉を下げて、微かに微笑んでくれた。
 涼の笑顔を、久々に見た気がする。
 
 僕の海への誘いが、涼の重い心に少しでも風を吹き込めればと願う。
 窓の外では、海が夏の光を映して輝き、遠くの波が静かに寄せては返す。
 僕の気持ちも、涼に向かって小さなさざ波となって、想いを伝えていく。
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