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第36話【最終話】 愛の行方

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 恐慌状態のこの空域の中、ヘイトリオン化した丈のドナーに向かう椎名の動きに気づいた者がいる。

『無茶よ、シーナ! ラブリオンではヘイトリオンにはかなわないわ!』

 ミリアの悲鳴じみた声がブラオヴィントのコックピット内に響く。

「無茶でもやる! ジョーを救うにはマシンを破壊するしかないんだろ!」

『それはそうだけど……』

 ヘイトリオンは搭乗者の憎しみの心を糧にすると同時に、その感情をフィードバックして搭乗者の憎悪を更にかきたてる。そして、キャパシティ以上に膨れ上がった憎しみの先にあるものは自らの破滅。それを防ぐためには、搭乗者の心が限界に達する前にヘイトリオン化したマシンを破壊するか、搭乗者をヘイトリオンから切り離すしかない。
 迫るブラオヴィントに対し、ドナーは悠然と剣を構えて迎え撃つ。
 ヘイトブレードの一撃はラブブレードをも斬り裂く力を持っている。その剣は、そばにいるだけで圧を感じるほどの禍々しい輝きを放っている。
 しかし、ブラオヴィントはそれを自分の剣で受け止めた。ヘイトブレードから強烈な圧を感じはするが、椎名はそれに負けないくらいのラブパワーを自分のラブブレードからも感じていた。
 それは先程までとは比べものにならないほどのラブパワーの顕現だった。

「この力は……」

 それは、これまでにも何度か椎名に力を貸してくれた不思議なラブパワーだった。どこから流れ込んできて誰が放出しているのか、今までわからなかった。

 ──だが、今ははっきりとわかる。すぐ目の前から流れ込んでくれば、いやでもわかる。

「ジョー、お前……」

 それは丈から送られてくるラブパワーだった。
 ラブパワーは愛の力。自分自身の愛の力だけでなく、人が自分のことを想ってくれる愛の力もまたラブリオンの力となる。
 今まで敵対しながらも丈は常に椎名のことを想い続け、力を貸してくれていたのだ。
 そして今も、自分がまさに敵として椎名と対峙しているにもかかわらず、その椎名に膨大なラブパワーを注ぎ続けている。自身はヘイトリオン化してしまっているこの状況下でも。

「ジョー、そこまで俺のことを!」

 涙が出てきた。そこまで人に想われて嬉しくないはずがない。たとえそれが同性であっても。そしてそれと同時に悔しくって悲しかった。丈がそんなにも想っていてくれたのに、自分はそれに全く気づかず、逆に丈を苦しめるような行為を続けていたことが許せなかった。何故自分も丈のことを愛せるように生まれてこなかったのか。そう自分を責める。丈が女性を愛するように生まれてくればよかったのにという思いは、そこには微塵も存在しなかった。丈には感謝しこそすれ、責任転嫁するような勝手な思いなど抱けるはずがない。──椎名とはそういう男だった。優しいとかいうことではない。純粋なのだ。だから丈もそんな椎名を愛したのだ。

 女王親衛隊長ロケットのヘイトリオンには、丈のドナーでさえまったく歯が立たなかった。だが、椎名のブラオヴィントには丈のラブパワーという援護がある。丈のヘイトリオンにも対抗できないことはないと椎名には思えた。

『どうしてもやる気なのね……。わかった、もう止めない。だから、私のラブパワーも受け取って!』

 ミリアから放たれるラブパワーの波動を受け、ブラオヴィントのラブパワーの輝きが更に増す。
 ノズルから吹き出すピンクのラブ光が、赤い色に変化していく。温かく和らぎのある優しいピンクの愛の光から、激しい情熱的な赤い愛の光へと。

「このラブパワーの色は!」

 椎名にはその色に見覚えがあった。自分が丈への嫉妬によりヘイトパワーを放出していたあの時、丈の体から出ていた光──今自分から溢れ出ている赤いラブ光はそれと同じ種類のものだった。
 椎名の頭に、自分達が初めてこの地に来た時にかけられた言葉がふいに蘇る。
『一人じゃなかったのか』
『どうして二人もいるんだ?』
 そしてルフィーニが言った言葉。
『予定では召喚するのは最も強いラブパワーを持つ方一人だけでした。しかし、どういうわけか実際にはあなた方二人が召還されてしまったのです』
 その瞬間、椎名にはすべてが理解できた。

「この世界に招かれるはずだった最も優れた愛の力を持つ人間──それはジョーだったんだ。あの時の光はエレノア達に呼ばれて丈のラブパワーが反応したもの。本当ならそうやってジョーだけが呼ばれるはずだった。……だが、あの時は、側にいた俺がヘイトパワーに囚われてしまっていた。それで、ジョーのラブパワーと俺のヘイトパワーが変に干渉し合い、ジョーだけでなく俺までこの世界に来てしまった……」

 それは椎名の推測でしかない。
 だが、椎名はそれこそ真実であると直感的に感じていた。

「すべてはこの俺が元凶だったってことかよ。……だったら、余計にこんなところでお前を見捨てるわけにはいかない!」

 それは愛の赤い輝きと憎しみの黒い輝きの対決。

「感じるぞ、ジョーのラブパワーに、ミリアのラブパワー。……いや、それだけじゃない。ほかにもブラオヴィントに流れこんでくるラブパワーがある! それもかなりの数!」

 意識を外に開く。そこには、自分を取りまいてラブパワーを注いでくる温かな輝きが無数にあった。それは、丈やミリアほどには大きくはないが、まさしくラブパワーの輝き。

「これは兵士達のラブパワー!」

 自分を想ってくれる皆の心に胸がじんとくる。

「そうか、俺はこんなにも愛されていたのか」

 皆に愛される丈。それに比べて自分は誰にも愛されず惨めな存在だと思っていた。それがコンプレックスとなり、トラウマとなり、椎名を苦しめてきた。だがそれがすべて自分の勘違いだったことに気づいた。それは、自分過小評価するあまり、外を見る目を閉ざしてしまっていた自分の愚かさが招いた過ち。

「ジョー、今助けてやるぞ!」

 先の戦いでヘイトリオン化したロケットは、まるで暴走するかのようにただ無作為に敵を求め、手近なマシンに挑んで行った。
 だが、丈のヘイトリオンはそれとは違っていた。
 ヘイト・ドナーの目に映っているのは椎名のブラオヴィントのみ。自分の相手をブラオヴィントだけに定めて襲いかかってくる。

「俺の相手をしてくれるとは願ってもない!」

 ヘイトリオンの憎しみの力は次第に増して行く。つまり時間が経てば経つほどパワーが増していくということだ。それ故、ヘイトリオンを倒すためには少しでも早く挑む必要がある。ほかの敵に向かわれて時間を経過させるのは得策でない。それに、自分にだけ向かって来てくれれば、それだけ被害も少なくて済む。

「この一撃にすべてをかける!」

 椎名は自分のラブパワー、皆から与えられたラブパワーをラブブレードに集中する。ヘイトパワーのバリアに覆われているドナーを倒すには生半可なパワーでは通用しない。

(コックピットは狙えない。だが向こうは容赦なく狙ってくる……厳しい状況だが、やるしかない!)

 互いに一撃必殺の輝く剣を胸の前に構え、突き進む。
 それは愛の光と憎しみの光の激突だった。
 その点を中心に赤と黒の光が爆発的に広がっていく。

◇ ◇ ◇ ◇

「シーナ!」

 眩しさに目を細めながらミリアが戦場の中心に目を向ける。

「……どうなったの?」

 ミリアはそこで目にした。
 空中で絡み合うように静止している二機のマシンの姿を。
 両機の胴には、いまだ輝きを蓄えたままの二本の剣が突き刺さっている。

「……シーナ」

 ミリアはただ呆然と呟いた。

◇ ◇ ◇ ◇

「……何故だ」

 コックピットの中、男は呆然と呟いた。

「何故お前は……」

 男は透明のコックピットの向こうにあるマシンを見つめる。
 頭部から流れ落ちてくる大量の血が右目に入り、片目の視野を奪う。右手を動かして拭おうとしたが、右手が言うことをきかなかった。相手の剣がコックピットをかすめて男のいる場所のすぐ右側に突き刺さったために、その分の体積がコックピットの方に盛り上がり右腕の骨を砕いたのかもしれない。
 自分の右腕が動かないのを悟ると、男は見えない右目を気にするのをやめた。

「お前の剣は確実に俺を捉えていたのに……あんな一瞬で軌道を変えやがって」

 目を閉じればその時のことがおぼろげに蘇ってくる。
 完全に同士討ちの態勢だった。死を覚悟した時、コックピットに当たる寸前、相手の剣の方向が強引に変わったのだ。

「……ヘイトリオン化しても、面と向かって殺し合ってても、お前は俺のことを考えてるんだな、ジョー……」

 ヘイトバトラー化したドナーの中の丈に意識が残っているのかどうかはわからない。だが、無意識下でも、丈はドナーの剣をそらしていたのだ。
 椎名は自分がドナーに突き刺したラブブレードを見つめる。
 その剣はドナーのコックピットを捉えている――かに思えたが、ドナーが急に自らのヘイトブレードの狙いを変えた影響でマシンの挙動がブレたのか、微妙にコックピット正面からずれているように見えた。

「もし俺のように剣の刺さった位置がズレていれば……」

 可能性はゼロではない。
 椎名の心にわずかな希望の光が灯る。
 だが、同時に、大量のヘイトパワーをいまだマシンの中に蓄えているドナーの異変を感じ取る。
 行き場を失ったヘイトパワーを抱え込んでいる今のドナーは、臨界状態の動力炉と同じ。そこに椎名のラブパワーが込められたラブブレードが突き刺さることにより、ラブパワーとヘイトパワーとが触れ合い、ドナーのヘイトパワーが反応を起こし始めたのだ。
 ドナーの右腕が黒い光と爆音とともに砕け散る。それ以外の箇所でも、黒い光を溢れさせながら小規模な爆発が起こり始めていた。一度反応が始まれば、ヘイトパワーの爆発が治まらないことは椎名自身百も承知だ。

 今すぐドナーから離れなければ自分の身が危ういことはわかっている。
 わかっているが、椎名は迷わずブラオヴィントの左手をドナーのコックピットの伸ばしていた。

◇ ◇ ◇ ◇

 ミリアたちが見つめる中、ブラオヴィントとドナーは絡み合ったまま、黒い光を撒き散らし、崩壊の炎を上げた。
 戦闘空域に黒く輝く爆炎が一気に広がった。

「しぃなぁぁぁ……」

 その様子をじっと見つめていたミリアがクィーンミリアのブリッジの中、崩れ落ちた。ほかの兵たちの視線にも構わず、涙を浮かべ嗚咽を漏らす。

「……愛ってこんなにも苦しいものなの。……だったら、私は愛なんて知らないままでよかった」

 それはミリアの心の悲鳴だった。
 今更ながら自分が、椎名という男をどれほど頼りにし、心を傾けていたのか思い知る。

「――ミリア様、あれを!」

 兵たちの声を聞く心の余裕もなかった。だが、ふいに聞こえた兵の声に、俯いていた顔を上げ、戦場に再び目を向ける。
 黒い光の炎の中、動くものがあった。
 それは、右腕を失いながらも、赤いラブ光に守られながらフラフラと飛ぶブラオヴィントの姿だった。

「……しぃな?」

 ミリアは涙で滲む目をこする。
 再びしっかりとその目を前に向ける。至るところを破損させてはいるが、それはブラオヴィントの姿に間違いなかった。
 赤いラブ光は、黒い光の浸食を弾くように防いでいる。

「シーナ! 無事なの!? 返事して!!」

 ミリアは無線に向かって裏返りそうな声で叫ぶ。

「……無事とは言えないが、なんとか生きてるよ」

 いつもの覇気はないが、それは確かに椎名の声だった。
 ミリアの瞳に、先ほどまでとは違う涙が溢れてくる。

「……生きててくれれば……それで十分よ」

「……右手が動かない。すまないが、これ以上の戦闘は――」

「必要ないよ! すぐに救援を向かわせる。……あとは私に任せて」

 先ほどまでが嘘のようにミリアの声は力強かった。

「それと……丈を救出した。無事かどうかはわからんが……」

「――――!!」

 言われてみればブラオヴィントの残った左手は、なにかを守るように優しく握られている。
 ヘイトパワーの爆発が始まる中、椎名はドナーのコックピットをこじ開け、動く様子のない丈の体を救い出していたのだ。

「わかった。医療班を待機させておくから、クィーンミリアまで戻ってきて」

「……ありがとな、ミリア」

 椎名との無線を終了すると、ミリアは目を閉じ、椎名の礼の言葉を、年相応の女の子の顔でかみしめる。
 再びミリアが目を開いたとき、その顔は女王の顔だった。

「女王親衛隊のラブリオン2機をシーナの援護に回して! 残った敵には降伏勧告しながら武装解除を求めて! まだ抵抗するようなら鎮圧しても構いません!」

 椎名は自分の役目を十二分に果たした。
 後は自分の仕事だということをミリアは誰よりもよくわかっている。
 なにより、椎名にガッカリされるような女王になるわけにはいかなかった。

 ミリアの指揮の前に、それから間もなくして赤の国は降伏した。

◇ ◇ ◇ ◇

 赤の国との戦争から一週間。
 まだ混乱がすべて治まったとは言い切れない。
 青の国は赤の国を併合したが、5度にわたる青の国と赤の国の会戦のダメージは大きく、ミリアはその間わずかな睡眠を取っただけで働き詰めだった。
 そして今も自室で、書類の山と格闘中。

「あんまり無理するなよ」

 右手をギプスで固定した椎名が、左手で甘い飲み物が入ったカップを用意し、ミリアの机に置いた。元の世界の紅茶のような飲み物で、砂糖をたっぷり入れてある。

「ありがと。でも、軍関係をシーナがみてくれてるだけでも随分助かってるよ」

 それはミリアの正直な気持ちだった。失った戦力の整備、赤の国の軍の組み込み、それに加えて疲弊した青の国を狙う隣国への警戒。それらもまた待ったなしで進めねばならないことだった。
 その点に関しては、戦場で英雄的活躍をした椎名が中心になって動いてくれているので、ミリアの負担は大きく減っていた。

(もしあの戦いでシーナが生き残ってくれていなかったら……多分私一人では国をまとめられていない。……それ以前に、女王なんて続ける気持ちになれていたかどうか……)

 ミリアは、書類から一旦手を止めると、苦戦しながら左手だけで自分の分の紅茶を用意している椎名に目を向けながら、彼が用意してくれたカップに手を伸ばす。
 一口口に含むと、疲れていた脳に甘さが染みわたり、多少なりとも活力が戻ってくる。

「……ジョーは相変わらずの状態みたいよ」

「……そうか」

 椎名は表情を変えずに、用意した自分の紅茶に口をつける。

 椎名がクィーンミリアに丈を連れて戻ったとき、丈に意識はなかった。
 外傷は治療できたものの、丈の意識はあれから一度も戻っていない。
 特別治療室に隔離し、王室専用の医療チームが診ているが、丈の容態に変化はない。
 ラブパワーが著しく低下している状態で、一度ヘイトパワーに飲まれた者の意識が戻るかどうかもわからない。
 戻ったとしても、丈をどう扱えばいいのか、どう裁けばいいのか、それは椎名にもミリアにも、決め切れないことだった。
 けれども、椎名は丈の意識が戻ることを願わずにはいられない。
 再び丈を傷付けることになっても、丈には生きて欲しかった。

「……ミリア、俺は、目覚めた丈がこの世界を見て、安心できるような世界にしたい」

「……わかってる。椎名もちゃんと手を貸してよ」

「ああ、いくらでも手を貸すさ」

「なら、飲み物だけでなく、たまには元気が出る言葉もかけてよね」

 ミリアは軽い冗談のつもりだった。
 不器用ながらに椎名がいつも気を遣ってくれているのはミリアもわかっている。また、彼が言葉足らずなことも承知している。それでも、ねぎらいの言葉がもう少しあってもいいのではないかというのは、ミリアの密かな不満でもあった。
 これを機に、少しでも言葉として気持ちを伝えてくれるようになればとの思いもあっての言葉だったが、なぜか椎名はひどく真剣な顔でミリアの方に近づいてくる。

「――――? どうしたの?」

 座っているミリアの横まで来た椎名は、なぜか赤い顔で目が泳いでいる。
 どうしたの――ミリアがそう問う前に、意を決した椎名が口を開いた。

「……ミリア、好きだ」

「ふへぇ!?」

 思わずミリアは素っ頓狂な声を上げてしまう。自分が何を口にしようとしたのかさえわからない。

「な、なに言って……」

 自分をからかっているのかと思って椎名の顔を見上げたミリアは、緊張の二文字を浮かべているかのようなその表情を見て、そこにひとかけらの冗談もないことを理解する。
 ならば、次にその真摯な想いに応える必要があるのはミリアの方だった。

 ミリアの気持ちはもう決まっている。
 あの時、椎名がヘイトバトラーの爆発に巻き込まれるのを見たとき、自分の想いは自覚していた。

「……私も好きです」

 椎名の顔が上から近づいてる。
 ミリアはだまって目を閉じた。
 二人の唇が触れ合う。

 二人にとって初めてのキスは紅茶の味だった。

 これから二人の前にはこれまで以上に困難が立ちふさがることだろう。
 だら、二人なら乗り越えられる。
 唇の温かさと柔らかさを感じながら、二人はそう強く確信した。

   〈 終 〉
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