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第五章 白鈴の文

(六)天竜玉

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「くっそう。なにが、なにがあった」
ゆさぶるうちに薄っすらと瞳が開いた。
「お、おっ」
「さ、才蔵・・」
「どうした、なにか出やがったか、やられたか」
小首を振る。
「か、壁が、ずるっとはがれたの。そしたら、むわっと・・ひどいにおいが」
なるほど、鼻がもげるような臭さで咽る。
「壁がはがれた」
つぶやくと、才蔵はやや離れた茂みに鈴々を寝かす。それから岩穴をのぞいた。中は泥沼のようになっている。その泥に玉は沈み、もはや使えそうにない。松明は岩の割れ目に挟まってまだ燃えていた。
ぷいと顔をそむけた。とにかく、においがひどい。
そう、これはあの毛を焼いたときににおったもの。鈴々のもとへ戻った才蔵は水の入った竹筒を渡して告げた。
「糞らしきもの。塗りたくってやがった」
「うそ」
「それが、松明に温められて溶けて、あのありさま」
「なぜ」
「いざとなって、裏をかく細工」
ひゃはっひゃはっ、闇に高笑いがあった。
「端から、わしの手のなか」
ざわざわと毛むくじゃらが近寄る。それで、鈴々が目を丸くした。
「えっ、黒毛の大猿なの」
「なんの、ましらという下衆な猿さ」
「まって、こんな猿といえば」
才蔵がさっと腰袋から玉を掴む。
「あほうめ、二人とも吹っ飛ぶぞ」
しまった、鈴々が居るとためらった。その間をましらは逃さない。ぶんと、なにかを投げた。どすりと強かに腹にくらう。げっと、もんどりうった。
ころりと丸いもの。それは白目をむく猫飛の生首。さらに用はないとばかりに蹴り飛ばされた。藪の方まで転がってゆく。
「才蔵っ」
けなげにも追おうとする鈴々の髪を、むんずとましらは掴んだ。
「ひゃは、おなごの、香り」
ひくひくと嗅ぐ。はあはあと息が荒い。
それが、ふいに息を呑む。
「なっ、おなご。いや、これは、まだ小娘か」
ぴしゃっと舌打ち、そのあとぽいと投げた。
きゃっと鈴々。
くそっと、才蔵は起き上がろうとするも足が痺れて力がこもらない。
「鈴っ、鈴々」
ましらはまごついている。
「こ、小娘では、おさまらぬ、はてられぬ」
鈴々はなんとか逃げようとするも、ぐいと、裾を踏まれた。
「もう喰うか」
目玉がぐるりと廻る。
「いや、柔らかき小娘を喰らえば、なおも、猛ってしまう。おなご、おなご、猛りがのた打つ」
もだえが激しい。
「そも、このにおいか、なにをやらかした」
もがき、あえぐ。
「ふむ、ふむ。そうか、またたびか。ひゃくがく、おくに、ねらいはわからぬか」
えっ、なぜそんなことと。
そこで鈴々はおびえながらも、ぴんときた。
「よもや、この大猿は」
歯がかちかち鳴る。
「か、玃猿かくえん
がああっとわめいた。
「滅茶苦茶する。首も、手足も、千切る。それで、なぐさみとなるか」
黒ずむ爪の指がくねる。
藪では、よろけながらも才蔵が立った。
「やるなら、おいらだっ」
めいっぱい叫ぶ。ましらはせせら笑った。
「おもちゃは、小娘のあとで、たっぷり遊んでやる」
ふいに、冷やりとするものいいになった。
「おなご、おる」
目玉が青白く光る。とたん、にんまりとほくそ笑む。
「ふむ、ふむ」
そわそわしてくきた。
「その、背中の、葛篭」
いけないっ。
青ざめた鈴々は、即座に葛篭を下ろすと踏みつぶそうとした。けれど、ひょいと葛篭は取られ、またも髪を掴まれ投げられた。
「ふむ、び、びゃくりん・・」
の、のぞかれたっ。涙があふれた。
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