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第三部「魔法使いの掟とソフィラの願い」編
1-2.夢と現に彷徨う瞳
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しばしのち、キールは再び目を開いた。目が映したのは澄み渡る秋晴れの空で、地面に投げ出された腕をのろのろとあげる。生きている。それだけを確認してから、ゆっくりと上体を起こす。
「……あれ、夢……」
呟いたものの、同時にそんな訳あるか、と首を振る。首を巡らせれば、無残に吹っ飛んだベンチが倒れていた。どう考えても寝ぼけただけでベンチを吹っ飛ばせるはずがない。
腰についた枯葉を払い、キールは立ち上がる。長くなった前髪が頰にかかり、彼の表情をひと時覆い隠す。しかしすぐさま何かに気づいたように顔を上げた。そして森の木立の向こうに目を凝らす。
「キールさーん! お約束の荷物、持ってきましたよー……!」
大きく手を振りながら、森の木々の間から現れた人物が一人。少年のように短く切った薄茶の髪に、深い海のような色をした大きな瞳。晴れた空のような笑顔を浮かべる少女を、キールは良く知っている。
「ミレイユ……」
ざくざくと枯葉を踏みしめ歩んでくる少女——ミレイユは、佇むキールに気づくと駆け寄ってきた。その背中には、小柄な身体に不似合いな大きさのリュックが揺れている。しかし彼女は息を切らすこともなく、軽快な足取りでキールの元へとたどり着いた。
「キールさん! もしかして待ってましたか?」
「いや、今起きたところだよ」
「はい? 起きたってどういう……って、ああああああああ——⁉︎ ベンチ! ベンチどうしたんですか⁉︎」
「……いや、ベンチごと殴り飛ばされた……」
「はい⁉︎」
疑問符どころか混乱度合いを深めたミレイユに、キールは深いため息を漏らすしかない。
——哀れなりベンチよ。良くわからない状況に巻き込まれた挙句に、吹っ飛ばされるとは。
適当なことを口の中で呟きつつ、キールは哀れなベンチを元の位置に戻してやる。そんな状況に目を回した少女は、ベンチの泥を払い始めた青年の肩を強く握りしめた。
「しっかりしてください、キールさん。気は確かですか」
「……改めて言われると非常に悩むんだが。とりあえず、それも含めて歩きながら話そう。薬の材料は無事手に入ったんだね?」
「ええ、まあ。それは滞りなく……?」
未だに混乱している少女に笑いかけて、キールは森の小道を歩き出す。今日も森は相変わらず静かだった。追いついてきたミレイユに歩調を合わせながらも、青年の褐色の瞳は憂いに染まる。
森は静かだった。変わることがないほどに。湿り気を含んだ森の香りを胸に吸い込んでも、心は動くことはなかった。なのにどうして、こんな風に心が粟立つのだろう。
木々がざわめく。まるで何かの始まりを告げるようなささやかさで。目を閉じても忘れることのできない思い出が、胸の奥で息を吹き返したかのように——心が。
「……キールさん?」
『キール』
それはかつての幻視だったのだろうか。青年の前を、誰かが駆け抜けていく。それが誰なのか理解するより早く、彼の心の中に一つの言葉が浮かび上がる。
『魔法使いは、孤独なものなのだ』
『 』は笑っていた。優しげに穏やかに、そして虚しいほどに空っぽに。
——魔法使い。それは、キールにとって永遠の呪詛であり、自らを縛り続ける鎖でもある。
我知らずと握りしめた手のひらに、白い花が咲き乱れる。
咲くごとに散っていくその花の名は、『ソフィラ』。
かつての彼《キール》が渇望したはずの魔法は、ただの呪いに成り果てていた。
「……あれ、夢……」
呟いたものの、同時にそんな訳あるか、と首を振る。首を巡らせれば、無残に吹っ飛んだベンチが倒れていた。どう考えても寝ぼけただけでベンチを吹っ飛ばせるはずがない。
腰についた枯葉を払い、キールは立ち上がる。長くなった前髪が頰にかかり、彼の表情をひと時覆い隠す。しかしすぐさま何かに気づいたように顔を上げた。そして森の木立の向こうに目を凝らす。
「キールさーん! お約束の荷物、持ってきましたよー……!」
大きく手を振りながら、森の木々の間から現れた人物が一人。少年のように短く切った薄茶の髪に、深い海のような色をした大きな瞳。晴れた空のような笑顔を浮かべる少女を、キールは良く知っている。
「ミレイユ……」
ざくざくと枯葉を踏みしめ歩んでくる少女——ミレイユは、佇むキールに気づくと駆け寄ってきた。その背中には、小柄な身体に不似合いな大きさのリュックが揺れている。しかし彼女は息を切らすこともなく、軽快な足取りでキールの元へとたどり着いた。
「キールさん! もしかして待ってましたか?」
「いや、今起きたところだよ」
「はい? 起きたってどういう……って、ああああああああ——⁉︎ ベンチ! ベンチどうしたんですか⁉︎」
「……いや、ベンチごと殴り飛ばされた……」
「はい⁉︎」
疑問符どころか混乱度合いを深めたミレイユに、キールは深いため息を漏らすしかない。
——哀れなりベンチよ。良くわからない状況に巻き込まれた挙句に、吹っ飛ばされるとは。
適当なことを口の中で呟きつつ、キールは哀れなベンチを元の位置に戻してやる。そんな状況に目を回した少女は、ベンチの泥を払い始めた青年の肩を強く握りしめた。
「しっかりしてください、キールさん。気は確かですか」
「……改めて言われると非常に悩むんだが。とりあえず、それも含めて歩きながら話そう。薬の材料は無事手に入ったんだね?」
「ええ、まあ。それは滞りなく……?」
未だに混乱している少女に笑いかけて、キールは森の小道を歩き出す。今日も森は相変わらず静かだった。追いついてきたミレイユに歩調を合わせながらも、青年の褐色の瞳は憂いに染まる。
森は静かだった。変わることがないほどに。湿り気を含んだ森の香りを胸に吸い込んでも、心は動くことはなかった。なのにどうして、こんな風に心が粟立つのだろう。
木々がざわめく。まるで何かの始まりを告げるようなささやかさで。目を閉じても忘れることのできない思い出が、胸の奥で息を吹き返したかのように——心が。
「……キールさん?」
『キール』
それはかつての幻視だったのだろうか。青年の前を、誰かが駆け抜けていく。それが誰なのか理解するより早く、彼の心の中に一つの言葉が浮かび上がる。
『魔法使いは、孤独なものなのだ』
『 』は笑っていた。優しげに穏やかに、そして虚しいほどに空っぽに。
——魔法使い。それは、キールにとって永遠の呪詛であり、自らを縛り続ける鎖でもある。
我知らずと握りしめた手のひらに、白い花が咲き乱れる。
咲くごとに散っていくその花の名は、『ソフィラ』。
かつての彼《キール》が渇望したはずの魔法は、ただの呪いに成り果てていた。
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