やさしい魔法と君のための物語。

雨色銀水

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第三部「魔法使いの掟とソフィラの願い」編

1-4.忘れえぬ傷跡

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 その後、少女をベッドに寝かしつけたキールは、仕事道具をテーブルの上に広げた。乳鉢やガラス器具、ランプなど——薬を調合するための道具が整然と並ぶ。その姿は薬師そのもので、実際、それ以外の何者でもない。

「そういえばキールさん、頼まれていた薬草とかは……いつも通りかんお……コンテナに入れておけばいいですか?」

 散らかった本を片付けていたミレイユが顔を上げて言う。彼女の視線は、部屋の隅に置かれている大きな木箱に向けられている。大人が中に寝転がれる大きさのそれ——キールは便宜上『コンテナ』と呼んでいるが、ミレイユ曰く棺桶のように見えるらしい。

 ここは墓場か。ある意味言い得て妙だと思いつつも、キールはいつも通り聞き流す。下手な突っ込みを入れたところで、返ってくるのは大抵想像の斜め上の回答であるからして——神妙な面持ちを崩さないのは、自己防衛の結果でしかなかったのだが。

「そうだね、頼んでいたヴァール草はいつも通りコンテナに。残りのアカアシダケの粉末とジキタリスは棚の方にしまってくれるかい」
「わかりました! 全部しまい終わったら、ちゃっちゃとお部屋片付けちゃいますね!」

 根が働き者である少女は、自ら仕事を請け負ってくれる。しかし、キールは首を横に振った。厚意を無下にするつもりはない。普段ならば、ありがたくそれを受け取るところだろう。

 だが今は、きっとのだ。きょとんとするミレイユの瞳を見返し、キールはもう一度首を振った。

「いや、……今日のところは早めに帰って欲しいんだ……勝手を言って申し訳ないんだが」
「え、何かボク……失敗しましたか?」
「そうじゃないよ。ただ……君に何かあれば、ルパートさんに申し訳が立たない……」

 歯切れ悪く言うキールの顔をじっと見つめ、ミレイユは大きなため息をついた。それはなんと表現するべきか。あえて言うならば、どうしようもない大人を諌めるような、そんな響きが込められていた。

「……もしかして、あの子が何かすると思っているんですか」

 あの子。あえて今まで避けていた話題を振られ、キールは右腕をさすった。包帯で隠されているとは言え、そこにはあの子供につけられた傷がある。何かする、と思っているか。そう言われれば否定しきれない。だが、それより何よりも——

「気づいていると思うけど、あの子は

 静かに放たれた言葉は、ひどく重々しく響いた。ミレイユは一度足元を見つめ、ためらうように手を握りしめる。。それこそ本当に、彼らが見て見ぬ振りをしていたことだった。

「人間じゃ……ない。じゃあ、一体なんだって言うんですか?」
「かつて、この世界には『亜人』と呼ばれる、ニンゲンとは違う成り立ちの人々が存在していたと言う。彼らは遠い昔に滅んだと言われているが……あの子は、その生き残りなのかもしれない」

 その歴史を語りながらも、キールの瞳は不安定に揺れていた。『亜人』が現代に存在するという根拠はない。そもそも『亜人』自体、精霊界からの渡り人であったと言うのが通説だ。あんな獣のような存在が、『亜人』であると言う証拠はどこにもない。

「人間とは違う……だったら、あれはその『亜人』なんですか」

 確認するように言われても、すぐには答えられなかった。キールは目を伏せ、小さく首を振る。答えられない。。その事実が、鋭くキールの心を突き刺す。

「わからない……わからないが……」
「わからないって……それじゃ」

 ——それは、バケモノじゃないんですか?




「人と違うからといって、否定し続ければいずれ人間こそがバケモノになる。……バケモノなんて軽々しく言うものじゃない」

 早口で告げて、キールはぴたりと口を閉ざした。痛いほどの沈黙が二人の間に流れ、ミレイユは自分を恥じるように俯く。それでも青年は何も語らず、白い顔にはどんな表情も浮かんではいない。

 凍りついたように、呼吸は動きを止める。その強い否定と拒絶を前に、少女は戸惑いながらも手を伸ばした。だが。

「……キール、さ……」
「今日は帰りなさい。……また今度」

 その言葉は、心に触れることもない。近づくことも出来ないミレイユは、唇を噛み締めると部屋から駆け出していく。扉が閉まる音とともに冷たくなった部屋の中で、キールは両手を握りしめた。

「僕は、何をしているんだ……?」

『魔法使いは、孤独なものだ』

 かつてキールを育てた師は言った。けれど彼は孤独になりきれず、その魔法はと断じられた。認められたくても認められず、認められないことで全てを壊したかつての少年の姿。

 今なら理解できる。孤独が魔法使いを作るのならば、認められたいと願った少年《キール》が出来損ないなのは当然のことだった。それに気づかず、あらゆるものを歪め壊した彼こそが、本当の——

「バケモノは、僕だ」

 やさしい陽だまりを捨てて、彷徨いながらも得た解はこの程度のものだった。なのに結局また、優しい誰かを傷つけている。魔法なんかなくても生きていけると——そう、信じることも出来ずに。

 両手の中で、幻の白い花が咲き乱れる。この花はキールにしか見えない。そしてこの『ソフィラ』の花言葉こそ、彼を縛る全ての理由で——

「——キャあああぁぁああああ——っ!」

 叫びが幻想を打ち破った。キールは椅子から立ち上がると、部屋の奥を見つめる。その先は寝室であり、今そこにいるのは。

「……っ、つくづく僕は」

 出来損ないだ。そんな自嘲だけを後に残し、キールは薬箱を掴むと寝室へと駆け込んで行った——。
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