やさしい魔法と君のための物語。

雨色銀水

文字の大きさ
46 / 86
第三部「魔法使いの掟とソフィラの願い」編

3-3.過ぎ去りし日々のファティマ

しおりを挟む
 回想。そんなものに意味があるとは思えなかった。だからこれはたぶん、心に残された後悔の余白。

 緩やかに肩に降り積もる雪を見ていた。その人の黒い外套に降り積もる真白の色は、不似合いなほどに汚れのない色をしている。だからだろうか、彼が目の前から消えてしまうのではないかと——思わず繋いだ手に力を込めた。

 すると彼は幼い子を見下ろし、静かに微笑んだ。意味も掴めぬ、それはいつも通りの笑みだったのだろう。ただ、彼は微笑んでいた。何も言わず、何も伝えず——繋いだ手だけが、彼らの間に温もりを残す。

「——さん?」

 思い出は綺麗で、憧憬は色褪せない。この記憶は錆びて崩れ落ちるだけなのに、どうしてこんなに愛しく哀しいのだろう。それはきっと、彼らが本当の——でいられた、最後の時間だったからなのだ。

「キール」

 微笑んだまま、その人は手を離した。何の抵抗もなく離れていく指先が、音もなく冷えていく。子供は彼を見上げ、笑おうとした。だが、出来なかった。その人の暗い色の瞳にはもう、微笑みは存在しなかった。

 あるのはただ、底冷えするような孤高の感情。手のひら一つ分の隔たり、それが真の意味での永遠の別離であると、思い知らせるように。

「さらばだ、愛しい子。どうかお前だけは——」

 雪が降り積もる。記憶に鍵をかけ、全てを覆い尽くすように。静かに、永遠に。

 ————
 ——

「もう、昔のことです……それでも、許されないことだとわかっています。こんな僕がノヴァに何かできるなんて、おこがましいとは思います。だけど……」
「キール君」

 懺悔のような言葉を、クルスは名前を呼ぶことで遮った。穏やかな声音に責める気配はなく、かと言って慰めるわけでもない。ありのままを受け止めた静けさとともに、彼は続ける。

「あなたは、私に断罪をして欲しいのですか? あるいは、見下げた奴だと罵って欲しいのですか」
「僕は、……ただ」
「あなたが後悔していることは、私にも理解できる。どうあっても抗えぬこと……望んだところで、取り戻せない事実があるということは。けれど、それは……君自身が背負い続けなければならないことです」

 微笑んで告げられた声は、限りなく優しかった。だからこそ、キールは深く自らを恥じるしかなかった。甘えるなと——頰を叩かれたような気さえした。自分でしでかした事を後悔しながらも、誰かにその事実を肯定して欲しいなんて、都合がいいにもほどがある。

 顔から手を離し俯いた青年に、達観した瞳が向けられた。単純な優しさではなく、曖昧な甘さでもなく。ずっと深い真摯さを込めて、クルスはそっとキールの肩に手を置いた。

「つらいですね。誰も救ってくれない場所に取り残されるのは……たった独りきりで、痛みを抱え続けるのは。私には君がどんな想いでそれを為したのか、為さざるを得なかったのか……理解してあげることができません。ですが、これだけは言えます」

 キールが顔を上げると、クルスは少しだけ目尻を下げた。語り続ける彼の方がずっと、何かを悔いているように見えたのは何故だったのだろう。哀しいのとは少し違う、痛みを堪えるようなその瞳。

「あなたは、自分の意志でそれを為したのでしょう。……ならば、それがあなたの罪です。そこから逃げることは、許されないのです。誰が赦そうとも、罰を受けようとも……それが罪であるならば」
「逃げるな、と仰るんですね」
「さて、どうでしょう。私は理不尽を見て見ぬ振りした上、助けを求めることも知らなかった幼い手を離してしまったクチですから。大層なことは言えませんけどね。ただ、もし君が誰かに罰して欲しいと願うなら……甘ったれるな、とは言いますよ」

 ふっと薄く笑ったクルスは、キールの側から離れていく。自らが為したことならば、全てを背負うべき。もしそれが誰かから奪う結果になったとしても、自らの選んだことなら言い訳はできないのだと。

 それらを含めての甘ったれるなに、キールは強く両手を握りしめた。この手は汚れている。それでも、一度掴んでしまったものを手放すのは、さらなる罪悪を呼ぶのではないか。

「……キールちゃん、だいじょうぶ? おなか、痛いの?」
「ノヴァ」

 握りしめた手に、小さな手が触れる。痛みを紛らわせようとするように、手を撫でてくれるぬくもり。その温かさがあまりにも切なくて、キールは強く瞳を閉ざす。

「キール、ちゃん?」
「だいじょうぶ。大丈夫だよ……ただ、ちょっとだけ。痛かっただけなんだ」

 俯いた頭を、小さな手が撫でてくれる。けれどキールの罪は消えてくれない。永遠の憧憬とともに、叶わぬ願いとして心にあり続けるのだろう。だが、それは他の誰でもなく、キール自身が望んだことだ。

「キールちゃん、泣かないで。ノヴァが……ずーっと一緒にいるからね?」

 優しい言葉、温かい手。それでも救われない己を呪いながらも——彼《キール》はかつてを悼み手を握りしめた。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

【12月末日公開終了】これは裏切りですか?

たぬきち25番
恋愛
転生してすぐに婚約破棄をされたアリシアは、嫁ぎ先を失い、実家に戻ることになった。 だが、実家戻ると『婚約破棄をされた娘』と噂され、家族の迷惑になっているので出て行く必要がある。 そんな時、母から住み込みの仕事を紹介されたアリシアは……?

靴屋の娘と三人のお兄様

こじまき
恋愛
靴屋の看板娘だったデイジーは、母親の再婚によってホークボロー伯爵令嬢になった。ホークボロー伯爵家の三兄弟、長男でいかにも堅物な軍人のアレン、次男でほとんど喋らない魔法使いのイーライ、三男でチャラい画家のカラバスはいずれ劣らぬキラッキラのイケメン揃い。平民出身のにわか伯爵令嬢とお兄様たちとのひとつ屋根の下生活。何も起こらないはずがない!? ※小説家になろうにも投稿しています。

貧乏奨学生の子爵令嬢は、特許で稼ぐ夢を見る 〜レイシアは、今日も我が道つき進む!~

みちのあかり
ファンタジー
同じゼミに通う王子から、ありえないプロポーズを受ける貧乏奨学生のレイシア。 何でこんなことに? レイシアは今までの生き方を振り返り始めた。 第一部(領地でスローライフ) 5歳の誕生日。お父様とお母様にお祝いされ、教会で祝福を受ける。教会で孤児と一緒に勉強をはじめるレイシアは、その才能が開花し非常に優秀に育っていく。お母様が里帰り出産。生まれてくる弟のために、料理やメイド仕事を覚えようと必死に頑張るレイシア。 お母様も戻り、家族で幸せな生活を送るレイシア。 しかし、未曽有の災害が起こり、領地は借金を負うことに。 貧乏でも明るく生きるレイシアの、ハートフルコメディ。 第二部(学園無双) 貧乏なため、奨学生として貴族が通う学園に入学したレイシア。 貴族としての進学は奨学生では無理? 平民に落ちても生きていけるコースを選ぶ。 だが、様々な思惑により貴族のコースも受けなければいけないレイシア。お金持ちの貴族の女子には嫌われ相手にされない。 そんなことは気にもせず、お金儲け、特許取得を目指すレイシア。 ところが、いきなり王子からプロポーズを受け・・・ 学園無双の痛快コメディ カクヨムで240万PV頂いています。

完結 辺境伯様に嫁いで半年、完全に忘れられているようです   

ヴァンドール
恋愛
実家でも忘れられた存在で 嫁いだ辺境伯様にも離れに追いやられ、それすら 忘れ去られて早、半年が過ぎました。

【完結】小さな元大賢者の幸せ騎士団大作戦〜ひとりは寂しいからみんなで幸せ目指します〜

るあか
ファンタジー
 僕はフィル・ガーネット5歳。田舎のガーネット領の領主の息子だ。  でも、ただの5歳児ではない。前世は別の世界で“大賢者”という称号を持つ大魔道士。そのまた前世は日本という島国で“独身貴族”の称号を持つ者だった。  どちらも決して不自由な生活ではなかったのだが、特に大賢者はその力が強すぎたために側に寄る者は誰もおらず、寂しく孤独死をした。  そんな僕はメイドのレベッカと近所の森を散歩中に“根無し草の鬼族のおじさん”を拾う。彼との出会いをきっかけに、ガーネット領にはなかった“騎士団”の結成を目指す事に。  家族や領民のみんなで幸せになる事を夢見て、元大賢者の5歳の僕の幸せ騎士団大作戦が幕を開ける。

私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。

MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。

ゲーム未登場の性格最悪な悪役令嬢に転生したら推しの妻だったので、人生の恩人である推しには離婚して私以外と結婚してもらいます!

クナリ
ファンタジー
江藤樹里は、かつて画家になることを夢見ていた二十七歳の女性。 ある日気がつくと、彼女は大好きな乙女ゲームであるハイグランド・シンフォニーの世界へ転生していた。 しかし彼女が転生したのは、ヘビーユーザーであるはずの自分さえ知らない、ユーフィニアという女性。 ユーフィニアがどこの誰なのかが分からないまま戸惑う樹里の前に、ユーフィニアに仕えているメイドや、樹里がゲーム内で最も推しているキャラであり、どん底にいたときの自分の心を救ってくれたリルベオラスらが現れる。 そして樹里は、絶世の美貌を持ちながらもハイグラの世界では稀代の悪女とされているユーフィニアの実情を知っていく。 国政にまで影響をもたらすほどの悪名を持つユーフィニアを、最愛の恩人であるリルベオラスの妻でいさせるわけにはいかない。 樹里は、ゲーム未登場ながら圧倒的なアクの強さを持つユーフィニアをリルベオラスから引き離すべく、離婚を目指して動き始めた。

【完結】異世界で魔道具チートでのんびり商売生活

シマセイ
ファンタジー
大学生・誠也は工事現場の穴に落ちて異世界へ。 物体に魔力を付与できるチートスキルを見つけ、 能力を隠しつつ魔道具を作って商業ギルドで商売開始。 のんびりスローライフを目指す毎日が幕を開ける!

処理中です...