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外伝「君と見上げた空は眩しくて」――ヴィルヘルム編
2:彼と彼女と外野の事情
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カフェテラスの一件からしばし後。
ひとまず近くの公園に移動した騎士達は、奇妙な睨み合いを続けていた。
「だから。さっきから言っている通り、忘れてたわけでも無視していたわけでもないんだって」
珍しく語気を荒げながら、ヴィルヘルムは何度目かのため息をついた。そんな騎士の真正面では、彼の婚約者であるマリアベルが腕を組んで立っている。
「その話はもう聞きましたわ。何度も言いますけれど、どういう事情があったにせよ……わたくしに何一つ連絡を寄越さなかった理由にはなりませんわよ。忘れていたわけでも無視していたわけでもなかったなら尚更……そんな説明で納得しろと言うのは無理があります」
マリアベルの主張は、正当なもののように思われた。少なくとも、先程から同じような言い訳を繰り返しているヴィルの言葉よりは説得力がある。
そばで棒立ちになっているトワルですらそう思うのだから、当の本人たちが分からないはずもない。ヴィルの眉間のしわは次第に深くなり、マリアベルの語気は強くなっていく。
「こっちにはこっちの事情があるんだよ……それに帰ってきたからって、必ず知らせなければならない理由はそもそもないだろう? それとも何か? 俺はお前に全ての行動を報告しなければならないって言うのか?」
「ヴィルヘルム様……! いくら何でもあんまりですわ! わたくしは、婚約者として……あなたの身をずっと案じておりましたのよ⁉︎」
何かが引っかかったように、ヴィルの顔が苦しげに歪んだ。わずかばかりの変化だったが、無視できない感情がそこには存在している。
一度顔を伏せ、そして再び前を見たヴィルの表情は——以前とは何かが違っていた。
「そりゃどうも。けどなあ……別に俺はお前に言われなくたって、自分の始末は自分でつけられるんだよ。第一、心配したからって何の足しになるんだ? お前が心配したら、飛んでくる矢が避けて通るとでも言うのかよ」
「ちょ……! ヴィル⁉︎ いくら何でも言い過ぎ……!」
あまりにひどい言い草に、トワルは思わず言葉を割り込ませる。一体何がどうなっているか分からないが、そこまで言う必要があるとは思えない。少なからぬ非難を込めて、少年は騎士を見つめる。
その視線を受けた騎士は、開きかけていた口を閉じた。しかしそれも一瞬だけのこと。顔に嫌な笑いを貼り付けたヴィルは、不気味なほど静かな声で言葉を紡ぐ。
「今更だけどさ、この会話って意味あるのか?」
生温い風が通り過ぎ、不穏なほどの静けさが周囲に満ちた。木々がざわめき、足元に落ちた木漏れ日が揺れる。一見すると穏やかにも見えてしまう光景。だが、そこにある感情は生易しいものではなかった。
「……どういう意味ですか、ヴィルヘルム様」
マリアベルの声音は、低く掠れていた。大きな目を見開き、唇を震わせる様は——次に告げられる言葉を恐れているかのようだった。
——いや、むしろ彼女はヴィルヘルム自体を恐れている?
二人のやり取りに口を出すことも出来ず、トワルは傍観者に徹するしかない。下手に何か言ったところで、日に油となるのは目に見えている。だが、それでもこの会話の流れがまずいことくらい理解していた。
止めるべきだ。トワルは意を決して一歩踏み出した。少なくともヴィルに、これ以上言わせてはならない。しかし少年が声を発するより先に、決定的となる一言が投げかけられた。
「婚約者だから? ……それがどうしたって言うんだよ」
ヴィルヘルムは笑う。だが浮かべられたそれはあまりにも暗く、ひとかけらの優しさも感じられない。冷たいばかりの感情を向けられて、マリアベルはもとより、トワルですらも言葉を失った。
夏の日差しは痛いくらいに眩しいのに、この場に流れる空気は冷たく苦しい。このままなら、何かが壊れてしまう。そう理解していても、次に訪れる言葉を止めることは叶わなかった。
「そんなの、もう昔の話だ。縁談なんてとっくにご破算になっているし、婚約自体……事実上破棄されたも同然だろう? そんな関係を延々と引き合いに出して……さすがに未練がましくないか——メンフィス嬢?」
何故、という問いかけすらも許さぬほど、騎士の瞳は冷め切っていた。あれほど情の深い薄青い瞳が、こんな風に変わることを誰が想像できただろう。
トワルには、どうしても彼が本心からそう口にしているとは思えなかった。いや、単に思いたくなかっただけかもしれない。どんな理由であれ、誰かをこんな風に傷つけるような人ではないと——。
「ヴィルヘルム様……それが、あなたの『結論』なのですか?」
「もうやめよう。……よく良く考えてみれば、最初から——俺ときみが釣り合うはずもなかった」
最後の別れのように、告げられた言葉だけは優しく響いた。
マリアベルは立ち尽くし、伸ばしかけた手は空を掴む。騎士はためらうこともなく背を向け、彼女から遠ざかっていく。
まるで、もう二度と振り返らないと語るように。ヴィルは一度も足を止めることなく、この場から歩み去る。残されたマリアベルは、彼が去った方向を見つめ——そっと顔を覆った。
————
——
「……え……なっ……おれどうしたら……?」
修羅場に期せずとして巻き込まれてしまった少年は、呆然と立ち尽くす。
ヴィルを追いかけることも、かと言ってマリアベルを置き去りにすることも出来ず。
トワルはぽつんと、その場に取り残されてしまっていた——
ひとまず近くの公園に移動した騎士達は、奇妙な睨み合いを続けていた。
「だから。さっきから言っている通り、忘れてたわけでも無視していたわけでもないんだって」
珍しく語気を荒げながら、ヴィルヘルムは何度目かのため息をついた。そんな騎士の真正面では、彼の婚約者であるマリアベルが腕を組んで立っている。
「その話はもう聞きましたわ。何度も言いますけれど、どういう事情があったにせよ……わたくしに何一つ連絡を寄越さなかった理由にはなりませんわよ。忘れていたわけでも無視していたわけでもなかったなら尚更……そんな説明で納得しろと言うのは無理があります」
マリアベルの主張は、正当なもののように思われた。少なくとも、先程から同じような言い訳を繰り返しているヴィルの言葉よりは説得力がある。
そばで棒立ちになっているトワルですらそう思うのだから、当の本人たちが分からないはずもない。ヴィルの眉間のしわは次第に深くなり、マリアベルの語気は強くなっていく。
「こっちにはこっちの事情があるんだよ……それに帰ってきたからって、必ず知らせなければならない理由はそもそもないだろう? それとも何か? 俺はお前に全ての行動を報告しなければならないって言うのか?」
「ヴィルヘルム様……! いくら何でもあんまりですわ! わたくしは、婚約者として……あなたの身をずっと案じておりましたのよ⁉︎」
何かが引っかかったように、ヴィルの顔が苦しげに歪んだ。わずかばかりの変化だったが、無視できない感情がそこには存在している。
一度顔を伏せ、そして再び前を見たヴィルの表情は——以前とは何かが違っていた。
「そりゃどうも。けどなあ……別に俺はお前に言われなくたって、自分の始末は自分でつけられるんだよ。第一、心配したからって何の足しになるんだ? お前が心配したら、飛んでくる矢が避けて通るとでも言うのかよ」
「ちょ……! ヴィル⁉︎ いくら何でも言い過ぎ……!」
あまりにひどい言い草に、トワルは思わず言葉を割り込ませる。一体何がどうなっているか分からないが、そこまで言う必要があるとは思えない。少なからぬ非難を込めて、少年は騎士を見つめる。
その視線を受けた騎士は、開きかけていた口を閉じた。しかしそれも一瞬だけのこと。顔に嫌な笑いを貼り付けたヴィルは、不気味なほど静かな声で言葉を紡ぐ。
「今更だけどさ、この会話って意味あるのか?」
生温い風が通り過ぎ、不穏なほどの静けさが周囲に満ちた。木々がざわめき、足元に落ちた木漏れ日が揺れる。一見すると穏やかにも見えてしまう光景。だが、そこにある感情は生易しいものではなかった。
「……どういう意味ですか、ヴィルヘルム様」
マリアベルの声音は、低く掠れていた。大きな目を見開き、唇を震わせる様は——次に告げられる言葉を恐れているかのようだった。
——いや、むしろ彼女はヴィルヘルム自体を恐れている?
二人のやり取りに口を出すことも出来ず、トワルは傍観者に徹するしかない。下手に何か言ったところで、日に油となるのは目に見えている。だが、それでもこの会話の流れがまずいことくらい理解していた。
止めるべきだ。トワルは意を決して一歩踏み出した。少なくともヴィルに、これ以上言わせてはならない。しかし少年が声を発するより先に、決定的となる一言が投げかけられた。
「婚約者だから? ……それがどうしたって言うんだよ」
ヴィルヘルムは笑う。だが浮かべられたそれはあまりにも暗く、ひとかけらの優しさも感じられない。冷たいばかりの感情を向けられて、マリアベルはもとより、トワルですらも言葉を失った。
夏の日差しは痛いくらいに眩しいのに、この場に流れる空気は冷たく苦しい。このままなら、何かが壊れてしまう。そう理解していても、次に訪れる言葉を止めることは叶わなかった。
「そんなの、もう昔の話だ。縁談なんてとっくにご破算になっているし、婚約自体……事実上破棄されたも同然だろう? そんな関係を延々と引き合いに出して……さすがに未練がましくないか——メンフィス嬢?」
何故、という問いかけすらも許さぬほど、騎士の瞳は冷め切っていた。あれほど情の深い薄青い瞳が、こんな風に変わることを誰が想像できただろう。
トワルには、どうしても彼が本心からそう口にしているとは思えなかった。いや、単に思いたくなかっただけかもしれない。どんな理由であれ、誰かをこんな風に傷つけるような人ではないと——。
「ヴィルヘルム様……それが、あなたの『結論』なのですか?」
「もうやめよう。……よく良く考えてみれば、最初から——俺ときみが釣り合うはずもなかった」
最後の別れのように、告げられた言葉だけは優しく響いた。
マリアベルは立ち尽くし、伸ばしかけた手は空を掴む。騎士はためらうこともなく背を向け、彼女から遠ざかっていく。
まるで、もう二度と振り返らないと語るように。ヴィルは一度も足を止めることなく、この場から歩み去る。残されたマリアベルは、彼が去った方向を見つめ——そっと顔を覆った。
————
——
「……え……なっ……おれどうしたら……?」
修羅場に期せずとして巻き込まれてしまった少年は、呆然と立ち尽くす。
ヴィルを追いかけることも、かと言ってマリアベルを置き去りにすることも出来ず。
トワルはぽつんと、その場に取り残されてしまっていた——
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