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第四部「さよならを告げる風の彼方に」編
12.風の彼方
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英雄の墓。そこには今も花が絶えない。かつての面影を偲ぶ人々の間を何気ない顔で抜けて、青年は白い墓標の前に立つ。見下ろしたところで、墓石が何かを語りかけてくることもない。
じっとそこに刻まれた名前を目で辿る。ギルベルト・シュタイツェン=ヴァールハイト。今も過去も変わらぬその名前にふっと笑みを漏らし、青年は手にした白い花を墓に供えた。
「シフソフィラか。墓に供えるにしても、ずいぶん地味な花を選んだものだな」
後ろからのんびりと歩いてきた灰色の棒切れに、彼は苦笑いを向ける。過去と寸分違わぬ……というにはあまりにも変わらなすぎなその姿に、一瞬時間の経過を忘れそうになる。
「良いだろ、別に。俺はこの花が好きなんだから」
「よくわからん。花などみな一緒ではないか」
「さっき地味とか言ったくせに、今度は一緒ときたか。魔法使いにしても一貫性なさすぎじゃないか?」
「一貫性は別に花と関係なかろう。そして魔法使いはさらに関係ない」
むっとしたような顔で墓標まで歩んできた魔法使いは、彼に倣って花を供える。墓石に置かれた花はどちらも白く、同じように見えた。横目で彼が睨みつければ、灰色の棒切れはふらふらと一歩下がった。
「一緒のものを選ぶ確率など、大して低くもなかろう!」
「うるせぇ。地味とか言いながら自分も同じのとは、何のネタだ」
「よ、余計なお世話だ。この時期の花の選択肢が多くなかっただけなのだ!」
「墓の前で叫ぶな不信心者が」
「魔法使いに信仰心を求めるとは……なんたる男だヴィルヘルム」
にやりと笑った彼——ヴィルヘルムは、腰に手を当て墓石を見下ろした。幼い頃に亡くなった父の思い出は、さほど多くはない。大半が戦へ向かう後姿ばかりで、今となっては自分も似たり寄ったりだと青年は苦笑いする。
「ま、賑やかな方が親父も喜ぶかな。なんかそんな感じがする」
「わ、私は賑やかし専門では……さっきから私で遊んでいるな貴様」
「ちっ、バレたか」
「バレたかではない! わざとだろうそれはどう考えても!」
にやにやと笑うヴィルの首をイクスが掴むが、ここ数年で成長しきった男に敵わない。棒切れ程度の力で騎士を倒せるはずもなく、魔法使いは肩で息をして後ろを向く。
「もう知らん。お前なぞギルベルトに呪われて墓石になってしまえ」
「ええ、それ笑えない。俺に死ねと言っているのかお前は」
「そんなことは言っていないが、墓石相手に苦手意識を発揮してどうするのだと言っているのだ」
「あ、はははは。それこそバレバレだったか」
苦笑いしながら、ヴィルはやっとのことで父の墓に向かい合う。いつ訪れても、父はいつかのように語りかけてくれたりはしない。けれど青年も大人になった。もう、無駄に泣き叫んで時間を浪費する真似はしない。
ゆっくりと跪き、目を閉じて黙祷をする。特に語りかけるような真似はしなかった。そんなことをしなくても、伝わることがあるなら伝わっているだろうから。
「何を祈ったのだ」
「イクスの健康長寿」
「……健康はともかく、これ以上長生きするのは……嫌味か」
目を開いて立ち上がり、何のためらいもなく墓に背を向けた。ヴィルはもう子供ではない。父に縋って泣くだけの幼児でもない。こうして自分の足で立って歩いていけると、そしてなにより、もう心配ないのだと知らせるために。
「もう行くのか?」
あっさりとした親子の対面に、魔法使いは渋面を浮かべる。ヴィルヘルムは手を振るだけで応えて、ゆったりと墓から離れていく。ぐっと伸びをし、見上げた空は晴れた青い色。清々しいほどの青さに目を細めれば、それなりの強さで背を叩かれた。
「痛いな」
「親子揃って嘘をつくな。しかし良いのか。次はいつ来られるかもわからんというのに」
「まあ」
ふっと息を吐き出し、青年は大股で進んでいく。そこにはかつての幼気な様子は残っていない。強い足取りでまっすぐに進んで、騎士は勢いよく背後を振り返った。
「俺たちは結局、親子だったってことさ。どうせ親父も、仕方ないなって笑ってくれるよ」
時を止める魔法があるなら、きっとそれはとても不幸せなことだ。動くこともできず、永劫に同じ場所に留まり続ける。それが幸せであるなら良い。しかし少なくとも、ヴィルヘルムにとってはそうではなかった。
だから今は、前を向いて歩いてく。そうしていればいつか、父の見ていた光景にたどり着けるかもしれない。同じではなくとも、たどり着いた場所でもう一度、父に会えるようなそんな気さえして。
「良いのだな、もう」
魔法使いの問いかけは、今更だった。風が長くなった髪を揺らして空へと去っていく。わずかでも父と言葉を交わせたあの幻は、本物ではなかったかもしれない。だがそれでも、幼い心に一つの答えを与えてくれた。
「ああ、もう大丈夫だ」
とこしえに、君を想うだろう。
今度はその言葉をこちらから返そう。たとえ会えなくとも、自分の中に父の姿を見つけた。その面影を抱いて、今日を明日を生きていく。その姿を見ていてくれるだろうか。
「俺は、ずっと」
視線の先の墓標は何も答えはしない。たとえそうだとしても、想い出は消えることなくあり続ける。手のぬくもりが消え去っても、記憶が薄れても、命はこの先も続いていく。
「忘れないよ。——忘れないから」
愛しているよ。その言葉が与えてくれた痛みと温度は、永遠に消えない。
命ある限り——あなたを忘れない。
大好きだったよ。それだけが風の彼方にいるあなたに送る言葉だから。
—Fin.
じっとそこに刻まれた名前を目で辿る。ギルベルト・シュタイツェン=ヴァールハイト。今も過去も変わらぬその名前にふっと笑みを漏らし、青年は手にした白い花を墓に供えた。
「シフソフィラか。墓に供えるにしても、ずいぶん地味な花を選んだものだな」
後ろからのんびりと歩いてきた灰色の棒切れに、彼は苦笑いを向ける。過去と寸分違わぬ……というにはあまりにも変わらなすぎなその姿に、一瞬時間の経過を忘れそうになる。
「良いだろ、別に。俺はこの花が好きなんだから」
「よくわからん。花などみな一緒ではないか」
「さっき地味とか言ったくせに、今度は一緒ときたか。魔法使いにしても一貫性なさすぎじゃないか?」
「一貫性は別に花と関係なかろう。そして魔法使いはさらに関係ない」
むっとしたような顔で墓標まで歩んできた魔法使いは、彼に倣って花を供える。墓石に置かれた花はどちらも白く、同じように見えた。横目で彼が睨みつければ、灰色の棒切れはふらふらと一歩下がった。
「一緒のものを選ぶ確率など、大して低くもなかろう!」
「うるせぇ。地味とか言いながら自分も同じのとは、何のネタだ」
「よ、余計なお世話だ。この時期の花の選択肢が多くなかっただけなのだ!」
「墓の前で叫ぶな不信心者が」
「魔法使いに信仰心を求めるとは……なんたる男だヴィルヘルム」
にやりと笑った彼——ヴィルヘルムは、腰に手を当て墓石を見下ろした。幼い頃に亡くなった父の思い出は、さほど多くはない。大半が戦へ向かう後姿ばかりで、今となっては自分も似たり寄ったりだと青年は苦笑いする。
「ま、賑やかな方が親父も喜ぶかな。なんかそんな感じがする」
「わ、私は賑やかし専門では……さっきから私で遊んでいるな貴様」
「ちっ、バレたか」
「バレたかではない! わざとだろうそれはどう考えても!」
にやにやと笑うヴィルの首をイクスが掴むが、ここ数年で成長しきった男に敵わない。棒切れ程度の力で騎士を倒せるはずもなく、魔法使いは肩で息をして後ろを向く。
「もう知らん。お前なぞギルベルトに呪われて墓石になってしまえ」
「ええ、それ笑えない。俺に死ねと言っているのかお前は」
「そんなことは言っていないが、墓石相手に苦手意識を発揮してどうするのだと言っているのだ」
「あ、はははは。それこそバレバレだったか」
苦笑いしながら、ヴィルはやっとのことで父の墓に向かい合う。いつ訪れても、父はいつかのように語りかけてくれたりはしない。けれど青年も大人になった。もう、無駄に泣き叫んで時間を浪費する真似はしない。
ゆっくりと跪き、目を閉じて黙祷をする。特に語りかけるような真似はしなかった。そんなことをしなくても、伝わることがあるなら伝わっているだろうから。
「何を祈ったのだ」
「イクスの健康長寿」
「……健康はともかく、これ以上長生きするのは……嫌味か」
目を開いて立ち上がり、何のためらいもなく墓に背を向けた。ヴィルはもう子供ではない。父に縋って泣くだけの幼児でもない。こうして自分の足で立って歩いていけると、そしてなにより、もう心配ないのだと知らせるために。
「もう行くのか?」
あっさりとした親子の対面に、魔法使いは渋面を浮かべる。ヴィルヘルムは手を振るだけで応えて、ゆったりと墓から離れていく。ぐっと伸びをし、見上げた空は晴れた青い色。清々しいほどの青さに目を細めれば、それなりの強さで背を叩かれた。
「痛いな」
「親子揃って嘘をつくな。しかし良いのか。次はいつ来られるかもわからんというのに」
「まあ」
ふっと息を吐き出し、青年は大股で進んでいく。そこにはかつての幼気な様子は残っていない。強い足取りでまっすぐに進んで、騎士は勢いよく背後を振り返った。
「俺たちは結局、親子だったってことさ。どうせ親父も、仕方ないなって笑ってくれるよ」
時を止める魔法があるなら、きっとそれはとても不幸せなことだ。動くこともできず、永劫に同じ場所に留まり続ける。それが幸せであるなら良い。しかし少なくとも、ヴィルヘルムにとってはそうではなかった。
だから今は、前を向いて歩いてく。そうしていればいつか、父の見ていた光景にたどり着けるかもしれない。同じではなくとも、たどり着いた場所でもう一度、父に会えるようなそんな気さえして。
「良いのだな、もう」
魔法使いの問いかけは、今更だった。風が長くなった髪を揺らして空へと去っていく。わずかでも父と言葉を交わせたあの幻は、本物ではなかったかもしれない。だがそれでも、幼い心に一つの答えを与えてくれた。
「ああ、もう大丈夫だ」
とこしえに、君を想うだろう。
今度はその言葉をこちらから返そう。たとえ会えなくとも、自分の中に父の姿を見つけた。その面影を抱いて、今日を明日を生きていく。その姿を見ていてくれるだろうか。
「俺は、ずっと」
視線の先の墓標は何も答えはしない。たとえそうだとしても、想い出は消えることなくあり続ける。手のぬくもりが消え去っても、記憶が薄れても、命はこの先も続いていく。
「忘れないよ。——忘れないから」
愛しているよ。その言葉が与えてくれた痛みと温度は、永遠に消えない。
命ある限り——あなたを忘れない。
大好きだったよ。それだけが風の彼方にいるあなたに送る言葉だから。
—Fin.
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