若社長は面倒くさがりやの彼女に恋をする

真矢すみれ

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 そして、そのわずか数日後。
 僕は運命の出会いを果たした。

 取引先に行くのに少し手前で車を降りて一人で外を歩いていた。早く着いたのでコンビニに寄ろうと思って。
 曲がり角、出合頭に腕の中に飛び込んできたのはスレンダーな長身にサラサラの長い髪の女性だった。ドンとぶつかり、

「あ」

 と彼女が声を上げるのと、

「すみませんっ」

 と僕が慌てて謝罪を口にするのはほぼ同時だった。
 彼女はパッと顔を上げて僕を見た。
 その黒い瞳が揺れる長い髪が抜けるように白い肌が、全てが目に飛び込んで来た。彼女以外の世界が急速に遠のいていく。ガシッと胸を鷲掴みにされたような感覚に襲われ、ドクンドクンと怖いくらいに胸が高鳴っていた。
 なんだこれ!?
 彼女から目が離せない。
 この人だこの人だこの人だ。
 脳内に出会いを祝福する鐘の音が聞こえる。
 彼女の周りがキラキラと光り輝いていた。
 ちょっと待って。本当に!?
 本当に、彼女が僕の運命の人!?
 そう思って焦っていると、彼女は苦痛に耐えるような表情で眉を顰め、そのままぐらりと身体がかしいだ。

「え、大丈夫ですか!?」

 驚いて両腕で彼女を抱き止める。ぶつかった時の衝撃? いや、そんな勢いでぶつかってはいない。

「すみません。大丈夫です」

 彼女は気丈にもそう言うが、全く大丈夫そうには見えなかった。
 ん? この匂い……。もしかして。

「とにかく、端に移動しましょうか」

 通勤時間帯の駅側は人通りも多い。彼女を支えて道の端に移動する。

「座った方が楽かな」

 と言っても、ベンチがある訳ではないけど。

「あ、いえ、えっと壁か何かあったら」

 言われるがままに壁に寄りかかれるようにしながらも、壁に寄りかかるくらいなら、僕が支えるのにと思ってしまう。
 この人だ。絶対に離しちゃダメだ。
 目が彼女に釘付けだ。
 最初に見た時より明らかに血の気が引いている彼女は、そのままズルズルとしゃがみ込んでしまう。倒れ込んだりしないように、そっと支えながら一緒にしゃがみ込む。
 顔色悪いな。貧血か?
 助けなきゃ。僕の大切な人。
 まともな思考とおかしな思考が混ぜこぜにやってくる。
 貧血か立ちくらみか。いずれにしても早くどこかで休ませないと。それと身体を支えた時に感じた体温が少し気になる。熱があるんじゃないかな?
 携帯電話の短縮番号をワンプッシュ。

「真鍋さん、ごめん。さっきのコンビニの辺りにいるから戻って来て」

 サッと一言いって電話を切る。
 彼女は聴こえていないみたいで、壁にもたれてしゃがみ込みながら、苦しそうな表情で呼吸を整えていた。

「大丈夫……じゃなさそうですよね」

 どうすれば楽になる?

「いえ、ただの貧血なんで、じき落ち着きます」

 ようやく薄く目を開けた彼女がそう教えてくれる。
 じき落ち着くって。そんな感じにはとても見えない。

「……でも、熱ありそうですよ?」

 気がついたらおでこに手を当てていた。
 しっとりとした肌触り。と言うか、冷や汗? 思った通り、少し熱い。
 この先に大学病院があったっけ。ものすごく疲れてそうだし、多分この人はお医者さんだ。父さんと同じ匂いがする。
 看護師ではなく医師だと思ったのはただの勘。だけど、だてに総合病院を経営する医者の子どもとして育っていない。どうしてかは分からないけど何となく見分けらる。

「えーっと、夜勤明けかな? 家ですよね。送ります」

 思わず口にしてから慌てて言い訳をする。

「あ、不審者じゃないですよ。出勤途中の善良な市民です」

 自分で言いながら、善良な市民ってなんだよと突っ込みたくなる。しかも出勤途中と言ってしまったけど、今向かっているのは取引先で厳密には出勤ではなく客先訪問だ。
 だけど、僕の言葉に言葉に彼女は笑ってくれた。
 満面の笑みではないけど、苦しげな表情が和らいだのでホッとする。
 ゆっくりと青白い顔が僕の方に向けられた。少し潤んだような黒い瞳が僕を見る。
 彼女が僕を見る。
 この人だ。やっぱりこの人だ。
 この人だこの人だこの人だ!
 またしても盛大な福音と喜びの声が脳内に鳴り響く。
 落ち着け自分!

「良かった。視界、戻りました?」

 この出会いに心からの感謝を!
 そう思いながら、彼女に、少しでも好感度の高そうな笑顔を向ける。すると、お礼を言われた。

「ありがとうございました」

 そのまま、彼女は両膝に手をつき立ち上がる。
 まだ休んでいた方がいいんじゃ……と思っていると、案の定、彼女は苦しげに眉根を寄せた。
 守らなきゃ。
 僕の運命の人。

「送ります」

 気がついたら言っていた。
 普通に考えて、かなり引く。初対面の相手に何言ってんだ、自分。いやでも言い方はともかくとして、既に車は呼んでしまった。
 だって、こんな状態の人を一人では返せない。

「いえ、すぐそこ駅なんで」

 当然のように、彼女は自力で帰ろうとする。
 ダメだ。離さない。
 いや、そうじゃなくて、このまま帰したら危ないでしょ。本人自覚薄いけど、相当体調悪そうだし。
 左手……指輪ははめていない。さりげなくチェック。結婚はしていない、よね?

「でも、ホント、顔色悪いですよ。車呼んだんで」

 そんな会話の間にも彼女は何度も辛そうな表情を見せる。これは、どこか痛いのか?

「ごめんなさい」

 嫌だ。断らないで!
 そう思う気持ちが表情に出ていたらしい。

「ああ、いえ、そうじゃなくて」

 彼女が慌てたように言った。

「え?」

 じゃあどう言う意味?

「これ」

 と、彼女は僕のスーツの胸元を指す。

「ごめんなさい。ぶつかった時に私が付けたんだと思います」

 見ると彼女の口紅の痕らしき赤いシミが着いていた。
 なにこれ、ご褒美か!?

「ああ、そんなのお互い様なので気にすることないですよ」

 これをダシにもう少し話せるか?
 連絡先を知りたい。もっと話したい。
 脳内で身悶えしていると、呼び戻した車が歩道に横付けされた。

「社長。お待たせしました」

「ごめんね。呼び付けて」

「いえ。いつでもお呼びください」

 取引先の近所まで車で来て、すぐそこで下ろしてもらった。僕の用事が終わるまで、車は近所のパーキングで待機予定。時間的にパーキングに着く前に僕からの電話を受けて、ぐるっと回って戻ってきてくれたのだと思う。
 ありがたい。クイックレスポンスに感謝だ。

「車、乗ってください。私はこの後用事があって送っていけないのだけど彼に家まで送ってもらうから。プロの運転手さんだし安心して任せて大丈夫」

 大概怪しい人物だろうと思いつつ、運転手の真鍋さんに送ってもらう提案をする。

「いえ、そんなとんでもない」

 彼女は断ろうとするが、真鍋さんはサッと車を降りて来て後部座席のドアを開けてくれた。

「真鍋さん、この方を家まで送ってあげて」

「かしこまりました」

 ビシッとスーツ着て手袋はめてる本職の運転手さん。ほら、怪しくないよ。

「どうぞ、お乗りください」

「あ、この方、体調が良くないから気を付けてあげて」

「かしこまりました」

「え、だから……」

 電車で帰ると言おうとする彼女をどんどん追い詰めていく。

「あ、そうか」

 と彼女の戸惑いに気づかないふりをして名刺を一枚取り出し、

「牧村商事の牧村と申します」

 と差し出した。
 半ば反射的に受け取ってくれが彼女は、マジマジと僕の名刺を見る。
 何を考えているのか読み取ろうとしていると彼女の表情がまた苦痛に歪む。

「大丈夫ですか?」

 心配で心配でたまらない。大丈夫だろうか? このまま病院に連れて行った方が良いのだろうか?
 いや、ダメだ。冷静になれ自分。不審者になるな疑われるな。
 第一印象、大事だろ?
 多分これは過労だ。父さんもそういう時、あっただろ? 救急外来のあるような大きな病院の若手の医師は大変だって、僕はよく知ってるだろ。

「とにかく、座って」

 目の前の車の後部座席に座らせる。

「過労……かな? 無理しないでね」

 そうだ。こんなものだけど、ないよりマシかも。
 と鞄を漁る。取引先からもらった栄養ドリンク。一本飲んだけど味も悪くなかった。もう一本は疲れた時に試そうと思って持ち歩いていた。

「良かったら飲んで。試供品で申し訳ないけど、胃に負担が少なくて空腹でも飲めて、身体に必要なものが色々詰まってるらしいですよ」

 彼女はあまり考えずに受け取ってくれた。良かった。もらいものだけど、取引先渾身の一品、悪くはないと思う。

「じゃあ、真鍋さん、後はよろしくね」

 真鍋さんがドアを閉めたのを見てから、

「この方、未来の私の奥さんだと思って、大切にして」

「え? 社長の、ですか!?」

 初対面だしまだろくに話していないけど、出会えたのだからもう離せない。

「うん。必ず家まで送り届けてね。で、住所、控えておいて」

「……はい。かしこまりました」

 色々と疑問に思っただろうに。それでも真鍋さんはプロらしく何も言わず、静かに一礼した。

「じゃあ、くれぐれもよろしくお願いします」

 車の中の彼女に目をやると、こめかみに手を当てグリグリと動かしていた。頭痛がひどいのかも知れない。
 後ろ髪を引かれながら、僕は取引先への移動を開始した。コンビニに寄る時間はなくなったが別に良い。早めに出て来ていたので、約束の時間には十分間に合う。
 今日の予定は……。歩きながら思い起こして愕然とする。今日は夕方まで空き時間がゼロだった。ずらせそうな予定もない。
 十七時、最後の会議が終わったらすぐ帰ろう。それまでに何をするか何をしなきゃいけないかをしっかりと計画しておかなくては。
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