12年目の恋物語

真矢すみれ

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後日談

5.道端の小石

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 広瀬先輩は激昂するかと思いきや、ビックリするくらい落ち着いていた。

「確かに過保護だろうね。オレは、ハルに少しでも元気でいて欲しいし、いつも笑顔でいて欲しいから」

 広瀬先輩は冷静に怒っているのかと思ったけど、違うらしい。
 多分、篠塚先輩を見つめる表示から垣間見えるのは、『呆れ』。でも、そこに投げやりな空気は一切なく、静かな圧力に気圧されて、篠塚先輩も何も言い返せずにいた。

 広瀬先輩はオレに、奥の椅子に移動するように言い、オレの隣に座ると兄貴にも椅子を勧めた。
 程なく、ウェイトレスがやって来て、頼んだ覚えのないアイスコーヒーが四つ置かれた。広瀬先輩は、それをオレたちに勧めてから、自分も口を付けた。

「あのさ、あんたが軽い気持ちで乗り込んで来た、あの後、ハルは救急車で病院に運ばれて、一週間入院したんだよ。知ってた?」

 篠塚先輩が怪訝そうな表情を隠しもせずに表にあらわす。一体、何の話かと。
 ……原因が自分かもしれないって、少しは思わないのか!?
 オレに言えた義理じゃないかもしれないけど、篠塚先輩の態度はあまりに失礼だった。

 確かに、オレたちは陽菜ちゃんを直接害した訳じゃない。せいぜい、言葉で追い詰めようとしただけだ。そして、篠塚先輩は途中で逃げ帰ったから、陽菜ちゃんが倒れるところは見ていない。
 だけど……この話の流れで、どうして自分のせいじゃないと思える!?
 怒りにかられて、オレがムズムズしているのを感じたのか、兄貴がオレの方を見た。そして、机の上に置いた手を少し浮かせて、静かに聞いておけ、とオレを制した。
 おかげで少し冷静になれた。

 篠塚先輩も悪い。けど……これは、むしろオレの失態だ。
 陽菜ちゃんが倒れた後、オレはちゃんとその事を篠塚先輩に伝えなければいけなかった。オレたちが何をやってしまったのかを。
 オレが心中で猛省を繰り広げる間にも、広瀬先輩の話は続いていた。

「あの日、ハルは体調が悪いのに頑張って登校して、でも授業は受けられずに朝から保健室で休んでたんだ」

 広瀬先輩は、篠塚先輩の目をじーっと見つめた。
 オレと、篠塚先輩の隣に座った兄貴は、広瀬先輩の次の言葉を静かに待つ。
 篠塚先輩はどこか不遜な表情を垣間見せた。そんな先輩を見ていられず、オレは徐々に居たたまれなくなってきた。

「今、体調が悪いなら、最初から学校休めば良いって思っただろ? 普通なら休むよな。そりゃそうだろうね」

 広瀬先輩はひたすら静かに語る。

「ハルね、心臓が悪いんだよ。運動は一切禁止されていて、走ることも……早歩きすらできないんだ。夏の暑さや冬の寒さに弱くて、その時期になると、枕から頭が上がらない日も多くてね。そういう日は心臓がうまく動いてなくて、家で酸素マスクをして寝てるしかない。毎年のことで、ハルもそれはよく分かってる。

 で、今の時季ならまだ身体が動くからって、レポートじゃなくて、できるだけ授業を受けたいからって、あの日も来てた」

 広瀬先輩がテーブルの上で握っていた拳をグッと握りしめた。

「オレがなんであんなタイミングで駆けつけられたか、分かる?」

 広瀬先輩は「答えて」と篠塚先輩に促した。
 淡々と語られる話を聞き、篠塚先輩の不遜な態度もなりを潜める。

「あ、あの子がケータイで、呼んだから」

 広瀬先輩が小さく頷いた。

「そう、その通り。じゃあさ、授業中なのに、なんでオレが駆けつけられたと思う?」

「え……それは」

「あの日は、保健室の先生が出張で一日いなかった。これは知ってるよな?」

 篠塚先輩が促されて、頷いた。

「オレね、ハルが急に具合が悪くなった時、すぐに駆けつけられるように、スマホを机に上に置いてあったんだ。もちろん、先生の許可を取ってね」

 スマホを授業中に机の上に置いておくなんて、普通では許可されるはずがない。
 つまり、緊急時へのリスク対策が許されるくらい、陽菜ちゃんの持病の状態は悪いってことで……。

「ハルは遠慮して、普段は電話なんてかけてこない。けど、あの日に限ってオレの電話は鳴った。授業中だけど慌てて出て、……でも何の声もしなかった。そのまま、オレは教室を飛び出して、全力疾走で保健室に駆けつけた」

 広瀬先輩はまたコーヒーを飲む。
 オレたちは誰もが、飲み物に手をつけられるような心境ではなくて、身じろぎひとつせずに広瀬先輩の話を聞いていた。

「後は、ご存知の通りだ。……確かに過保護だろうね。自覚してるよ」

 広瀬先輩はストローでコーヒーをかき混ぜた。
 カランカランと氷がぶつかって音を立てた。

「それでも、ハルはオレにとって何より大切な女の子で、オレはハルを守りたいと思っている。もう十年以上ずっと大好きで、誰より大切で、去年、ようやく思いが通じて恋人同士になれたんだ。心臓にはストレスも大敵だから、避けられるものなら避けて通りたい。

 それくらい、……道端の小石を、躓かないようにどかして歩くくらいの権利、オレは持っていると思ってる」

 さりげなく道端の小石をにされた篠塚先輩。オレもだろうか?
 広瀬先輩の話は終わったようで、静かにオレたちの言葉を待った。
 最初に行動したのは、兄貴だった。

 そう、行動。
 兄貴は、立ち上がり姿勢を正すと、九十度に腰を曲げ、静かに頭を下げた。

「弟と後輩が、本当に申し訳ないことをしました」

 喉の奥から絞り出したような兄貴の声には、苦渋が滲み出していた。
 今回のことで、陽菜ちゃんの身体が相当悪いことは分かった。分かっていた……つもりだった。
 陽菜ちゃんは優しいから、オレを責めるようなことは一言もいわなかった。だから、多分、オレはどこかで、そこまで重大な何かをした訳じゃないと思っていたのだろう。

 広瀬先輩からの話……陽菜ちゃんを想う恋人側の気持ちを聞くと、ぎゅっと胸が締め付けられるような不安を感じた。
 多分、これは広瀬先輩の陽菜ちゃんを心配する気持ちだ。陽菜ちゃんに何かあったらと思うと、居ても立っても居られないような、何かせずにはおれない気持ちだ。

 あの日、急に具合を悪くした陽菜ちゃんを手慣れた様子で看病するのを見た。
 広瀬先輩は冷静に、怖いくらいに冷静に、的確に動いていた。
 ……けど、心の奥底まで冷静な訳、ないだろ?

 恋人が目の前で苦しんでいて、倒れて意識を失って。
 不安に決まってる。そりゃ、不安に決まってるさ。
 オレも立ち上がり、兄貴に習って頭を下げた。

「オレに謝る必要はないさ。オレはただ、ハルを心配をしただけの人間で、実際の被害者はハルなんだから」

 広瀬先輩はそう言ったけど、そうじゃない、陽菜ちゃんにはもちろんだけど、オレは広瀬先輩に謝らなきゃって思ったんだ。

「でも……じゃあ、どうすれば」

 兄貴はオレの心中など知らず、陽菜ちゃんへの謝罪方法を模索する。

「別に何もしなくていいよ」

 そう、兄貴に言うと、広瀬先輩は篠塚先輩に視線を移した。

「ただ、あんたには、二度とハルに近づいて欲しくない」

 広瀬先輩は、感情のこもらない声で篠塚先輩にそう言った。
 それからコーヒーを飲み干し、スッと席を立った。

「じゃあ」

 軽く手を上げ、広瀬先輩は立ち去った。

 篠塚先輩の顔をそっとうかがい見ると、唇を噛みしめて、俯いていた。
 何を考えているのかは分からない。
 反省しているのかも分からない。
 ただ、この店に入った時のような居丈高な態度も、不遜な態度もすっかり消え失せていた。
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