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最終話
「やります! 大掃除!!」後編
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「じゃ、まず、このテーブルから」
女おおかみ、みたび目を丸くしました。
「なんでこんな所にテーブルがあるのよ」
「知らねえよ」
ぶっきらぼうな口調で男オオカミは言いました。
なぜぶっきらぼうな口調になったかと言うと、なぞのテーブルの位置の理由が、男オオカミには、ほぼ察しがついていたからです。
なにせ、かんしゃく持ちのお父さんウサギさんのこと。
おそらく、荷物を運び入れる際にも、相当揉めたに違いありません。
この厄介なテーブル位置は、荷物を運び込んだヒトビトの、ささやかな仕返しではないでしょうか。
「とにかく、運ぶぞ」
男オオカミは台所側に。ぶつぶつ呟きつつも、女おおかみは反対側に回り込みます。――と。
「キッ、キッ!」
女おおかみの足元で、男の子ウサギが言いました。
――待ちな、お嬢さん。レディがそんな重いもの、持つものじゃないぜ。
クールですけど、ハードボイルを気取るにゃ、ちょっと声がかわいすぎるかな。 あとですね。
「危ないから、ちょっと下がっててね」
「……キッ」
テーブル運ぶにゃ、圧倒的に身長が足りてませんよ。
男の子ウサギは、しぶしぶテーブルから離れました。
女の子うさぎ、『ふっ』勝ち誇った笑み。
「キッ!」
「きっ!」
二人の間に、激しい火花が散りました。その火花を消したのは。
「おーい、二人ともー」
そう、それは、女の子うさぎの運命のヒト!
「きー」
――はーい。
待っててね、運命のヒト。女の子うさぎがいま、いま。
愛に生きます!
違った。
会いに行きます。
いや、これも違うな。だって、二人の距離は五メートルもないし。
けどまあ、時間は一日千秋。距離は一歩千里とも言いますからねえ。(え? 言いません?)
まあ、とにかく、恋する女のコにとって、愛する男のコまでの距離はそれくらい遠いということですよ。というわけで女の子うさぎは、ぴょんぴょん跳ねながら、喜び勇んで男おおかみに駆け寄ります。
「き」
――来たわよ、あなた。
女の子うさぎ、もはや気分は新妻。
男オオカミも、さすがに何やら感じ取ったよう。
ひきつった笑顔で頼みます。
「二人とも、動かしたテーブルと椅子を綺麗に拭いてくれないか?」
「はい。ララ、ルル」
女おおかみが、二人に真っ白な雑巾を渡します。
「そこにある小さなバケツの水を使うんだ。いいな? ルル」
こくんと男の子ウサギはうなずきました。
さて、恋する兎たちの話からは、しばらく離れることにいたしましょう。
ここからは、オトナのお話です。
「……さて」
男オオカミは台所への扉を、決意を込めた目で見つめます。
「行くぞ」
男オオカミの声に、女おおかみはごくりと唾を飲みます。
禁断の扉が、いま、まさに。
開いたー!
「うっ!」
直後、鼻をつく異臭。
二人は、鼻先を抑えて思わず扉から離れました。
涙を浮かべ、おそるおそる振り向きます。
扉の向こうにはキッチン。
うーん。普通のキッチンですねえ。
じゃあ、この異臭は?
二人はおそるおそる奥へと進みました。
「へんねえ」
鼻をつまんだ変な声で、女おおかみは言いました。
奥に行くにつれて匂いは強くなってくるのですが、痛んだ食べ物はどこにも見当たりません。
「お肉とか、缶詰とか、色んなものがあると思うんだけど」
最初の棚をおそるおそる開いた女おおかみ。が、中は食器とか調理道具とか。
「あっ、このお鍋」
「何だよ?」
嬉しそうに女おおかみは言いました。
「ちょうどこれくらいの鍋が欲しかったのよ。ちょうだい」
「……」
「あっ、このマグカップ、かわいー」
――もしもし、かわいい妹や。お片づけをしておくれでないかい?
女おおかみ、やっと、お兄さまの視線の意味に気づいてくれたようです。
「あっ、ごめん、ごめん」
やっとやるべきことを思い出した女おおかみ、謝りながら振り向いて、「あっ」。男オオカミの後ろを指さしました。
「そこ」
男オオカミ、後ろをゆっくり振り向きます。
そこには、謎の扉が。
「……」
ゲームならこの向こうは時空の扉で、入った二人はそれに吸い込まれて、過去の世界へ飛んで、数々の困難を潜り抜け、やがて愛を深めて結婚し、やがて子どもが生まれ、その子にも子が生まれ、愛し合う二人は死という避けられない出来事に引き裂かれ、そしてまた生まれ、また出会う。
『この出会いは、きっと前世からの約束なんだ』
少年少女のころから下手すりゃ数百年かかるような壮大な物語を、たった四行で!
いやあ、実に薄っぺらい!
しかしですね、一見薄っぺらに見える人生は、0.0001ミリにも満たないような薄い日常を一枚一枚、丁寧に重ねていくことでしか成り立たないんですよ。そして重ってしまえば薄かったなあと感じる出来事だって。
「……」
直面すれば、百センチのコンクリートの壁みたいに思えるもんです。
「……ねえ」
沈黙に耐えかねて、女おおかみは言いました。
「開けてよ」
こういう時、オトコは辛い。
そして、オンナは強い。
「オトコでしょ」
ひどいっ。ひどいわっ! ワタシだって、そんなに強いワケじゃないのよっ。
口が裂けても言えないことを、心の中でだけ叫び、心の中でだけ、ひっそりと涙を流し、男オオカミは、意を決して扉を開けました。
もあ~っ。
酸っぱいような臭さが二人の鼻を襲います。
ふっと気が遠くなり、やがて我に返った二人。
「……ねえ」
女おおかみは真っ青な顔で言いました。
「悪いことは言わない。全部捨てたほうがいいわよ」
妹の言葉の中にある同情と優しさが、やたら身にしみます。
――しかし。
『言われなくても、そうする』
もはやそう言い返す気力さえ、いまの男オオカミにはありません。
その真っ白に燃え尽きた顔は、女おおかみに、こう言っているようでした。
――妹よ。後は頼んだ(ぐふっ)
女おおかみは言いました。
「……手袋、取ってくるわ」
やがて、手袋と何枚かのぼろぼろの麻の袋を持って来た女おおかみは、ごくりと唾を飲んで非情な戦いへと身を投じました。
手の中で『ぬちゃあ』と腐り落ちる敵に挑むたび、女おおかみの口から「ひぃっ」、とか「やだあ」という、情けない声が上がります。
がんばれ、がんばるんだ! 女おおかみ!
扉の入り口で、君の帰りを待つヒトがいる!
そのヒトにまた会うその日まで!
さようなら、女おおかみ! ありがとう、男オオカミ!
――とまあ、こんな具合で戦い終わって日が暮れて。
や、すみません、まだ日は全然暮れてません。
時間にするとほんの三十分ほどの、大した労力でもないのに、げっそり疲れる展開の後、男オオカミと女おおかみは、ようやく一通りの掃除を終えて、キッチンから出てきました。
「……あんたさあ、今の今まで、よく生きてこれたわね」
「……いつも、釣った魚をその場で焼いて食ったりとか、適当にすましててさ」
「にしてもさ、一度もキッチン使わなかったの?」
「だって、おれの大きさじゃテーブルの下くぐれないし。ルルにオーブンを使わせるのはさ。ウサギの親父さんはどうしてたんだろ……」
女おおかみは当然のように答えました。
「そりゃ、ウサギの姿で下をくぐって、調理したら扉の向こうから料理を置いてたんでしょ」
「……へ?」
男おおかみ、目をパチクリ。
「ルルくんの身長じゃ届かないと思うけど、お父さんなら、ちょうど腰くらいの位置じゃない? あのテーブルの高さ」
――なるほど。
自分がくぐれないから気づいてませんでしたが、確かに女おおかみの言うことは理に適っています。
「ま、よかったじゃない。あんなところに置いてある食材使って料理してたら、お腹壊すどころじゃなかったかもよ」
男オオカミ、今さらながら背中に冷たいものが伝うのを感じました。
男の子ウサギが、男オオカミに出したあの料理。あれは作り置きと、火を絶やさないように薪をくべつづけたオーブンを、見よう見まねで使ってみた料理だと後で知りました。
一歩まちがえば、大事故です。
やっぱりキッチンを使わないようにしてよかったと、男オオカミは改めて思いました。
青ざめた男オオカミの心を知ってか知らずか、女おおかみはため息まじりに言います。
「ま、今日はここまでね。明日か明後日に、うちの貯蔵食料を分けてあげる」
「……」
おや? どうしたんでしょう? 男オオカミ。
「ララ、テーブル拭けた?」
「きっ!」
――じゃーん!
女の子うさぎと男の子ウサギ、胸張って、『どーだ!』のポーズ。
女おおかみ、目を大きく見開きます。
「まあ、すごいじゃない!」
テーブルと椅子はすっかり綺麗になって、ぴかぴかに輝いています。
「よくがんばったわねえ」
女おおかみ、女の子うさぎと、男の子ウサギの頭を順番になでなで。
女の子うさぎは、えへへと笑い、男の子ウサギは、女おおかみの手の感触に、うっとりと目を細めました。
「雑巾も綺麗に洗った?」
二人は仲良く『うん』、とうなずきます。で、その直後。
「キッ!」
「きっ!」
互いににらみ合いました。
――ぼくの方が、がんばった!
――わたしの方が、がんばったわ!
……はいはい。二人とも、よくがんばりました。
「ララ、遅くなってきたし、そろそろ帰りましょう」
「――きっ?」
女の子うさぎはちょっと驚いて、そして、その後がっかりしました。
「……きー」
――もうちょっと、ララの王子さまと一緒にいたいわ。
一方、男の子ウサギもちょっとがっかりしました。
「キー……」
――もうちょっと一緒にいたいよ、まいはにー。
……ぷっ。す、すみません。女の子うさぎはちょっとしっとりだったんですが、男の子ウサギの『まいはにー』が。とことん、平仮名なんですねえ。
ああ、もう、ほんとになんて愛しいおませさんたち!
しかし、それはそれ。これはこれ。
女おおかみと女の子うさぎのお家はここではありません。
遅くなる前に、やっぱり帰らなくては。
「行きましょうか、ララ」
そう言って女おおかみが女の子うさぎの手を取ろうとしたその時、あのヒトが、ついに口を開きました。
「待てよ」
おおっと! 男オオカミ、ここでキムタク風『待てよ』来たーっ。キムタクと言えば、このセリフ。普通の男性が言っても、なかなか様になると思います。男性諸君、タイミングを見計らって言ってみては? ただ、空気を読んでやらないと、恥ずかしいだけで終わってしまいますので、お気をつけて。
にしても、今のはタイミングばっちりでしたよ! 男オオカミ!
女おおかみが、ばっちり足を止めました。
「……なに?」
BGMは例のやつ(作詞作曲Y・T氏)でどうぞ。
おお! 最終話にしてついに、正統派キュンキュン! らぶストーリーが!
「……せっかくだから、久々にお前のメシが食いたい」
「……」
「そ、その食材はたくさんはないけど、でっかい魚があるし、キッチンはまだ使えないけど、庭で火を起こせばいいし、もちろん、火起こしはおれがやるからさ!」
男オオカミ、一生懸命になりすぎですよ。
「か、帰るのが面倒なら、泊まっていけば……」
んもう、このせっかちさんめ。
……ところで、さっきは、らぶストーリなんて書きましたけど、よく考えりゃ、この二人、血が繋がってないとはいえ、兄妹なんですよね。
女おおかみ、ふーっとため息をつきました。で、言いました。
「ララ」
「きっ?」
「せっかく、こう言ってくれてるし、お泊りする?」
「きーっ?」
女の子うさぎは、嬉しさのあまり、ぴょんと飛び上がりました!
「じゃ、さっそく」
女おおかみは腕まくりして、さっそくお料理に取りかかることにしました。
玉ねぎ、にんじん、それにお魚。あっ、エビもいました。
こうしてみると、ちょっとお野菜が少ないようですね。
女オオカミは即座に、お料理をお魚と野菜のスープに決めました。
大きめに切った玉ねぎ、にんじん、お水を鍋に入れ、沸騰したら塩と胡椒で味付け。火から遠い方、つまり高い枝にお鍋をひっかけ、お野菜の甘みが染み出すまで、じっくりコトコト、二時間。最後に魚とエビを入れ、もう一度スープを沸騰させれば出来上がり。
「できたわよー!」
間もなく、お庭で元気な声がしました。
「いただきまーす!」
男の子ウサギと女の子うさぎが、同時にぱくり。
「キッ!」
「きっ!」
――おいしい!
おやおや。ずっと、いがみあっていた二人。初めて意見が合いましたね。
だからと言って、
「キッ!」
「きっ!」
……目が合えば、やっぱり仲悪い二人ですが。
「……どう?」
女おおかみ、うかがうような目で男オオカミに言いました。
「……」
女おおかみ、不安げな顔で、男オオカミをじっと見つめます。やがて、彼は言いました。
「……うまいよ」
「本当? よかった!」
女おおかみが満面の笑顔を浮かべます。
男オオカミの目に、じわりと涙が浮かびました。それを悟られないよう、男オオカミ、急いで目を伏せます。
――やさしい味。
おいしさもさることながら、このスープには、妹の優しさが満ち溢れていたのです。
「――なあ」
「なに?」
男オオカミは、相変わらず目を伏せたまま、女おおかみに言いました。
「ノエル、一緒に迎えようぜ。プレゼントをみんなで持ち寄ってさ」
ささやかでいいから。
後の言葉を、男オオカミは心の中でだけ、呟きました。
どうやら、このお話はラブストーリーではなくて、心温まる家族のお話だったようです。
女おおかみは、屈託なく、女の子うさぎに声をかけます。
「あら、いいわね! ララ、そうする?」
「きっ!」
女の子うさぎは、元気に『する!』と答えました。
――暖かなノエルは、もう、すぐです。
女おおかみ、みたび目を丸くしました。
「なんでこんな所にテーブルがあるのよ」
「知らねえよ」
ぶっきらぼうな口調で男オオカミは言いました。
なぜぶっきらぼうな口調になったかと言うと、なぞのテーブルの位置の理由が、男オオカミには、ほぼ察しがついていたからです。
なにせ、かんしゃく持ちのお父さんウサギさんのこと。
おそらく、荷物を運び入れる際にも、相当揉めたに違いありません。
この厄介なテーブル位置は、荷物を運び込んだヒトビトの、ささやかな仕返しではないでしょうか。
「とにかく、運ぶぞ」
男オオカミは台所側に。ぶつぶつ呟きつつも、女おおかみは反対側に回り込みます。――と。
「キッ、キッ!」
女おおかみの足元で、男の子ウサギが言いました。
――待ちな、お嬢さん。レディがそんな重いもの、持つものじゃないぜ。
クールですけど、ハードボイルを気取るにゃ、ちょっと声がかわいすぎるかな。 あとですね。
「危ないから、ちょっと下がっててね」
「……キッ」
テーブル運ぶにゃ、圧倒的に身長が足りてませんよ。
男の子ウサギは、しぶしぶテーブルから離れました。
女の子うさぎ、『ふっ』勝ち誇った笑み。
「キッ!」
「きっ!」
二人の間に、激しい火花が散りました。その火花を消したのは。
「おーい、二人ともー」
そう、それは、女の子うさぎの運命のヒト!
「きー」
――はーい。
待っててね、運命のヒト。女の子うさぎがいま、いま。
愛に生きます!
違った。
会いに行きます。
いや、これも違うな。だって、二人の距離は五メートルもないし。
けどまあ、時間は一日千秋。距離は一歩千里とも言いますからねえ。(え? 言いません?)
まあ、とにかく、恋する女のコにとって、愛する男のコまでの距離はそれくらい遠いということですよ。というわけで女の子うさぎは、ぴょんぴょん跳ねながら、喜び勇んで男おおかみに駆け寄ります。
「き」
――来たわよ、あなた。
女の子うさぎ、もはや気分は新妻。
男オオカミも、さすがに何やら感じ取ったよう。
ひきつった笑顔で頼みます。
「二人とも、動かしたテーブルと椅子を綺麗に拭いてくれないか?」
「はい。ララ、ルル」
女おおかみが、二人に真っ白な雑巾を渡します。
「そこにある小さなバケツの水を使うんだ。いいな? ルル」
こくんと男の子ウサギはうなずきました。
さて、恋する兎たちの話からは、しばらく離れることにいたしましょう。
ここからは、オトナのお話です。
「……さて」
男オオカミは台所への扉を、決意を込めた目で見つめます。
「行くぞ」
男オオカミの声に、女おおかみはごくりと唾を飲みます。
禁断の扉が、いま、まさに。
開いたー!
「うっ!」
直後、鼻をつく異臭。
二人は、鼻先を抑えて思わず扉から離れました。
涙を浮かべ、おそるおそる振り向きます。
扉の向こうにはキッチン。
うーん。普通のキッチンですねえ。
じゃあ、この異臭は?
二人はおそるおそる奥へと進みました。
「へんねえ」
鼻をつまんだ変な声で、女おおかみは言いました。
奥に行くにつれて匂いは強くなってくるのですが、痛んだ食べ物はどこにも見当たりません。
「お肉とか、缶詰とか、色んなものがあると思うんだけど」
最初の棚をおそるおそる開いた女おおかみ。が、中は食器とか調理道具とか。
「あっ、このお鍋」
「何だよ?」
嬉しそうに女おおかみは言いました。
「ちょうどこれくらいの鍋が欲しかったのよ。ちょうだい」
「……」
「あっ、このマグカップ、かわいー」
――もしもし、かわいい妹や。お片づけをしておくれでないかい?
女おおかみ、やっと、お兄さまの視線の意味に気づいてくれたようです。
「あっ、ごめん、ごめん」
やっとやるべきことを思い出した女おおかみ、謝りながら振り向いて、「あっ」。男オオカミの後ろを指さしました。
「そこ」
男オオカミ、後ろをゆっくり振り向きます。
そこには、謎の扉が。
「……」
ゲームならこの向こうは時空の扉で、入った二人はそれに吸い込まれて、過去の世界へ飛んで、数々の困難を潜り抜け、やがて愛を深めて結婚し、やがて子どもが生まれ、その子にも子が生まれ、愛し合う二人は死という避けられない出来事に引き裂かれ、そしてまた生まれ、また出会う。
『この出会いは、きっと前世からの約束なんだ』
少年少女のころから下手すりゃ数百年かかるような壮大な物語を、たった四行で!
いやあ、実に薄っぺらい!
しかしですね、一見薄っぺらに見える人生は、0.0001ミリにも満たないような薄い日常を一枚一枚、丁寧に重ねていくことでしか成り立たないんですよ。そして重ってしまえば薄かったなあと感じる出来事だって。
「……」
直面すれば、百センチのコンクリートの壁みたいに思えるもんです。
「……ねえ」
沈黙に耐えかねて、女おおかみは言いました。
「開けてよ」
こういう時、オトコは辛い。
そして、オンナは強い。
「オトコでしょ」
ひどいっ。ひどいわっ! ワタシだって、そんなに強いワケじゃないのよっ。
口が裂けても言えないことを、心の中でだけ叫び、心の中でだけ、ひっそりと涙を流し、男オオカミは、意を決して扉を開けました。
もあ~っ。
酸っぱいような臭さが二人の鼻を襲います。
ふっと気が遠くなり、やがて我に返った二人。
「……ねえ」
女おおかみは真っ青な顔で言いました。
「悪いことは言わない。全部捨てたほうがいいわよ」
妹の言葉の中にある同情と優しさが、やたら身にしみます。
――しかし。
『言われなくても、そうする』
もはやそう言い返す気力さえ、いまの男オオカミにはありません。
その真っ白に燃え尽きた顔は、女おおかみに、こう言っているようでした。
――妹よ。後は頼んだ(ぐふっ)
女おおかみは言いました。
「……手袋、取ってくるわ」
やがて、手袋と何枚かのぼろぼろの麻の袋を持って来た女おおかみは、ごくりと唾を飲んで非情な戦いへと身を投じました。
手の中で『ぬちゃあ』と腐り落ちる敵に挑むたび、女おおかみの口から「ひぃっ」、とか「やだあ」という、情けない声が上がります。
がんばれ、がんばるんだ! 女おおかみ!
扉の入り口で、君の帰りを待つヒトがいる!
そのヒトにまた会うその日まで!
さようなら、女おおかみ! ありがとう、男オオカミ!
――とまあ、こんな具合で戦い終わって日が暮れて。
や、すみません、まだ日は全然暮れてません。
時間にするとほんの三十分ほどの、大した労力でもないのに、げっそり疲れる展開の後、男オオカミと女おおかみは、ようやく一通りの掃除を終えて、キッチンから出てきました。
「……あんたさあ、今の今まで、よく生きてこれたわね」
「……いつも、釣った魚をその場で焼いて食ったりとか、適当にすましててさ」
「にしてもさ、一度もキッチン使わなかったの?」
「だって、おれの大きさじゃテーブルの下くぐれないし。ルルにオーブンを使わせるのはさ。ウサギの親父さんはどうしてたんだろ……」
女おおかみは当然のように答えました。
「そりゃ、ウサギの姿で下をくぐって、調理したら扉の向こうから料理を置いてたんでしょ」
「……へ?」
男おおかみ、目をパチクリ。
「ルルくんの身長じゃ届かないと思うけど、お父さんなら、ちょうど腰くらいの位置じゃない? あのテーブルの高さ」
――なるほど。
自分がくぐれないから気づいてませんでしたが、確かに女おおかみの言うことは理に適っています。
「ま、よかったじゃない。あんなところに置いてある食材使って料理してたら、お腹壊すどころじゃなかったかもよ」
男オオカミ、今さらながら背中に冷たいものが伝うのを感じました。
男の子ウサギが、男オオカミに出したあの料理。あれは作り置きと、火を絶やさないように薪をくべつづけたオーブンを、見よう見まねで使ってみた料理だと後で知りました。
一歩まちがえば、大事故です。
やっぱりキッチンを使わないようにしてよかったと、男オオカミは改めて思いました。
青ざめた男オオカミの心を知ってか知らずか、女おおかみはため息まじりに言います。
「ま、今日はここまでね。明日か明後日に、うちの貯蔵食料を分けてあげる」
「……」
おや? どうしたんでしょう? 男オオカミ。
「ララ、テーブル拭けた?」
「きっ!」
――じゃーん!
女の子うさぎと男の子ウサギ、胸張って、『どーだ!』のポーズ。
女おおかみ、目を大きく見開きます。
「まあ、すごいじゃない!」
テーブルと椅子はすっかり綺麗になって、ぴかぴかに輝いています。
「よくがんばったわねえ」
女おおかみ、女の子うさぎと、男の子ウサギの頭を順番になでなで。
女の子うさぎは、えへへと笑い、男の子ウサギは、女おおかみの手の感触に、うっとりと目を細めました。
「雑巾も綺麗に洗った?」
二人は仲良く『うん』、とうなずきます。で、その直後。
「キッ!」
「きっ!」
互いににらみ合いました。
――ぼくの方が、がんばった!
――わたしの方が、がんばったわ!
……はいはい。二人とも、よくがんばりました。
「ララ、遅くなってきたし、そろそろ帰りましょう」
「――きっ?」
女の子うさぎはちょっと驚いて、そして、その後がっかりしました。
「……きー」
――もうちょっと、ララの王子さまと一緒にいたいわ。
一方、男の子ウサギもちょっとがっかりしました。
「キー……」
――もうちょっと一緒にいたいよ、まいはにー。
……ぷっ。す、すみません。女の子うさぎはちょっとしっとりだったんですが、男の子ウサギの『まいはにー』が。とことん、平仮名なんですねえ。
ああ、もう、ほんとになんて愛しいおませさんたち!
しかし、それはそれ。これはこれ。
女おおかみと女の子うさぎのお家はここではありません。
遅くなる前に、やっぱり帰らなくては。
「行きましょうか、ララ」
そう言って女おおかみが女の子うさぎの手を取ろうとしたその時、あのヒトが、ついに口を開きました。
「待てよ」
おおっと! 男オオカミ、ここでキムタク風『待てよ』来たーっ。キムタクと言えば、このセリフ。普通の男性が言っても、なかなか様になると思います。男性諸君、タイミングを見計らって言ってみては? ただ、空気を読んでやらないと、恥ずかしいだけで終わってしまいますので、お気をつけて。
にしても、今のはタイミングばっちりでしたよ! 男オオカミ!
女おおかみが、ばっちり足を止めました。
「……なに?」
BGMは例のやつ(作詞作曲Y・T氏)でどうぞ。
おお! 最終話にしてついに、正統派キュンキュン! らぶストーリーが!
「……せっかくだから、久々にお前のメシが食いたい」
「……」
「そ、その食材はたくさんはないけど、でっかい魚があるし、キッチンはまだ使えないけど、庭で火を起こせばいいし、もちろん、火起こしはおれがやるからさ!」
男オオカミ、一生懸命になりすぎですよ。
「か、帰るのが面倒なら、泊まっていけば……」
んもう、このせっかちさんめ。
……ところで、さっきは、らぶストーリなんて書きましたけど、よく考えりゃ、この二人、血が繋がってないとはいえ、兄妹なんですよね。
女おおかみ、ふーっとため息をつきました。で、言いました。
「ララ」
「きっ?」
「せっかく、こう言ってくれてるし、お泊りする?」
「きーっ?」
女の子うさぎは、嬉しさのあまり、ぴょんと飛び上がりました!
「じゃ、さっそく」
女おおかみは腕まくりして、さっそくお料理に取りかかることにしました。
玉ねぎ、にんじん、それにお魚。あっ、エビもいました。
こうしてみると、ちょっとお野菜が少ないようですね。
女オオカミは即座に、お料理をお魚と野菜のスープに決めました。
大きめに切った玉ねぎ、にんじん、お水を鍋に入れ、沸騰したら塩と胡椒で味付け。火から遠い方、つまり高い枝にお鍋をひっかけ、お野菜の甘みが染み出すまで、じっくりコトコト、二時間。最後に魚とエビを入れ、もう一度スープを沸騰させれば出来上がり。
「できたわよー!」
間もなく、お庭で元気な声がしました。
「いただきまーす!」
男の子ウサギと女の子うさぎが、同時にぱくり。
「キッ!」
「きっ!」
――おいしい!
おやおや。ずっと、いがみあっていた二人。初めて意見が合いましたね。
だからと言って、
「キッ!」
「きっ!」
……目が合えば、やっぱり仲悪い二人ですが。
「……どう?」
女おおかみ、うかがうような目で男オオカミに言いました。
「……」
女おおかみ、不安げな顔で、男オオカミをじっと見つめます。やがて、彼は言いました。
「……うまいよ」
「本当? よかった!」
女おおかみが満面の笑顔を浮かべます。
男オオカミの目に、じわりと涙が浮かびました。それを悟られないよう、男オオカミ、急いで目を伏せます。
――やさしい味。
おいしさもさることながら、このスープには、妹の優しさが満ち溢れていたのです。
「――なあ」
「なに?」
男オオカミは、相変わらず目を伏せたまま、女おおかみに言いました。
「ノエル、一緒に迎えようぜ。プレゼントをみんなで持ち寄ってさ」
ささやかでいいから。
後の言葉を、男オオカミは心の中でだけ、呟きました。
どうやら、このお話はラブストーリーではなくて、心温まる家族のお話だったようです。
女おおかみは、屈託なく、女の子うさぎに声をかけます。
「あら、いいわね! ララ、そうする?」
「きっ!」
女の子うさぎは、元気に『する!』と答えました。
――暖かなノエルは、もう、すぐです。
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不審に思ったレイラが調べてみると、何とオリバーはレイラの財産を勝手に売り払ってそのお金でエミリーの欲しいものを買っていた。
レイラは実家を継いだ兄に相談し、自分に敵対する者には容赦しない”冷血王子”と恐れられるクルス第三王子に全財産を寄付することにする。
それでもオリバーはレイラの財産でエミリーに物を買い与え続けたが、自分に寄付された財産を勝手に売り払われたクルスは激怒し……
※短め
三十年後に届いた白い手紙
RyuChoukan
ファンタジー
三十年前、帝国は一人の少年を裏切り者として処刑した。
彼は最後まで、何も語らなかった。
その罪の真相を知る者は、ただ一人の女性だけだった。
戴冠舞踏会の夜。
公爵令嬢は、一通の白い手紙を手に、皇帝の前に立つ。
それは復讐でも、告発でもない。
三十年間、辺境の郵便局で待ち続けられていた、
「渡されなかった約束」のための手紙だった。
沈黙のまま命を捨てた男と、
三十年、ただ待ち続けた女。
そして、すべてを知った上で扉を開く、次の世代。
これは、
遅れて届いた手紙が、
人生と運命を静かに書き換えていく物語。
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